四十
ようやく現れたミミネアに、フレッドは苦々しい顔をした。
ミミネアは昼用の淡い水色のフリルドレスを着て、髪に白いレースリボン、化粧もしっかりしていた。起きてからそれなりにたっているだろうに、どこか茫洋とした顔付きで、ふわりと笑う。
「おはようございます、お父様」
侍女達に早くに起こされた理由を聞いていないのか、ミミネアはいつも通りの挨拶をする。対し、さすがのフレッドも笑顔を返すことはできなかった。
「ああ、おはよう。⋯⋯なあ、ミミネア。おまえ昨日、マルダスの王子殿下に手紙を送ったか?」
「えっ」
問われたミミネアの顔が、ぽうっと赤くなった。
「はい、送りましたわ。⋯⋯もしかして、レオーネ様から返事が来たんですか⁉」
──まだ一回しか会っていないのに様呼びか⋯⋯
傍で様子をうかがっていた家令は、内心頭を抱えた。
思い込みが激しい部分や自分の都合のいいように考える癖があるのは知っていたが、目上の人物にまで適用されるとは思わなかった。
思いたくなかった、というのが正しいかもしれない。
「おまえ宛の手紙は無い。届いたのは、我が家への抗議文だ」
「⋯⋯え?」
「おまえから誤解を招くような手紙が届いたと、王子殿下と皇室両方から抗議があったんだ。ミミネア、おまえは一体どんな手紙を書いたんだ?」
「何で⋯⋯何で皇室が出てくるんですか?」
何でも何も、王子の婚約者が皇女だから以外の理由があるわけがないのだが、ミミネアは理解していないらしい。
「私は、ただ⋯⋯レオーネ様と私は似た者同士だって、決められた婚約に従わなければならない者同士仲よくしましょうって、そう手紙に書いただけなんです」
ミミネアの目がみるみるうちに潤んだ。ぐすん、と涙ぐむ娘に、フレッドは慌てる。
「そ、そうか、悪気は無かったんだな。だが、誤解を招くような書き方はいけなかった。次からは気を付けない」
──いやいやそんな程度で抗議文が来るわけないだろ!
そう思ったのは家令だけではなかっただろう。
そもそも婚約者のいる男性に婚約への不満や仲よくなりたい旨を書いた手紙を送ること自体、かなり問題のある行いのだ。ましてや自身も婚約者がいるのにそんなことをするのだから、手紙を送ったこと自体を怒るべきである。
フレッドもさすがにそれは解っているはずだし、先ほど怒鳴っていたのも同じ理由だ。なのにミミネアが哀しげに涙を見せただけで怒りを引っ込めるのは、侯爵としてだけでなく父親としても失格なのではないか。
フレッドがこんな調子だから、ミミネアがお人形のようになっているというのに──
「あの⋯⋯旦那様」
微妙な空気になった食堂に、執事がおそるおそるといった体で現れた。その手に、一通の手紙を持って。
「ヴィーアン家から、手紙が届いております」
「ヴィーアン家から?」
フレッドは顔をしかめた。
執事から手紙を受け取り、送り主を見る。ヴィーアン家当主の名前があった。
昨日ヴィーアン家からは直接何かを言われなかったが──と思いながら、手紙を開く。内容は、婚約に関しての話し合いを求めるものだった。
「結婚式の話を進めるつもりなんだろうか」
ミミネアとペレアスの結婚は、ミミネアが十八歳になったら行う予定だ。侯爵家にふさわしい式にしようと思うと、一年以上前から準備するのは当然だろう。
「私⋯⋯ペレアスに会いたくないわ」
ミミネアが泣きそうな顔をした。
そんな娘の様子に、フレッドは困ったように眉尻を下げる。
「そうは言うが、ペレアスと結婚すればおまえが難しいことをやらずに済むんだ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
ミミネアは無言で泣き始める。フレッドはおろおろとしながら、娘の傍に寄って彼女を慰めた。
「泣かないでおくれ。おまえのためなんだ。おまえが幸せになるための結婚なんだよ」
「でも、私⋯⋯もっと素敵な人と⋯⋯レオーネ様と結婚したい」
「な、何てことを言うんだ!」
フレッドは飛び上がった。
「いいかい、いつも言っているがそんなことを外で言ってはいけないよ。特にレオーネ殿下にはヴィルへルミネ殿下がいらっしゃるのだから」
「そんな⋯⋯」
ミミネアは悲劇の恋を嘆くような風情で泣き崩れているが、言動は不貞を疑われるようなものである。これでフレッドは純粋な娘だと思っているのだから、どうしようもない。
そもそもレオーネに拒絶されたことも忘れ、父娘は寄り添っていた。
───
「ペレアスとミミネア嬢の婚約を解消したい」
翌日、侯爵邸に現れたヴィーアン当主は、応接間に案内されて開口一番そう口にした。
「な、な⋯⋯なぜ、なぜだ⁉」
それに対するフレッドの顔が、みるみるうちに青ざめた。
「ヴィーアン家にとって、侯爵である我が家と縁付くのは旨味のある話だろう。何より、あと一年と少しすれば結婚の予定だ! なぜ今になって⋯⋯」
「そうですな。私としても、もっと早く切り出したかったのですが」
ヴィーアン当主──トマス・ヴィーアンは、隣に座った息子ペレアスをちらりと見て、嘆息した。
「ペレアスの我慢強さと頑固さを見誤っていました。前々から解消しようと話していたのですが、ようやく本人も決心がついたようで」
「ま、前々から⋯⋯」
トマスの言葉に、フレッドは白目を剥かんばかりに驚愕した。
何かを言おうとして何度も口を開閉させ、ようやくペレアスに問いかける。
「ペ、ペレアス、君はそれでいいのか。ミミネアのためにあんなに頑張っていたじゃないか」
「ミミネア嬢のためではなく、トゥファ家のためです」
ペレアスは固い表情で答えた。
「トゥファ家の将来のため、ひいては領地と民のため──私が頑張っていたのはそのためであって、ミミネア嬢のためではありません」
「そんな⋯⋯」
フレッドの中で、ペレアスはミミネアに惚れ込んでいると思っていた。だからこそあれだけ努力をして、騎士としても実績を積んできたし、現在に至るまで婚約を続けてきたのだと。
実際は義務感と意地による綱渡りのような関係だったわけだが。
「なぜ⋯⋯なぜだ? ミミネアに何の不満があったんだ⁉」
「不満があるのは、そちらのご令嬢でしょう」
トマスは冷たく言った。
「幾度となく、婚約解消を願い出ていたそうではないですか。こちらはその要望に応えた形です。文句を言われる筋合いは無いはずですが?」
確かに、ミミネアはペレアスとの婚約を嫌がっていた。ペレアスとの交流を拒否し続けていたことも把握している。
それでも婚約解消をしなかったのは、ミミネアに余計な苦労をさせたくなかったからで──
「貴方がたに使い潰されるために、私は努力してきたわけではない。ましてや、ほかの方に熱烈な手紙を送ってこちらを蔑ろにする人と添い遂げるつもりは無い」
ペレアスは、父親以上に冷たい声を上げた。その言葉から、すでにレオーネに送った手紙のことも知っているようだ。
「ギルエルフィネ殿下も、私達の婚約については憂慮しておりました」
「な」
「これ以上、あの方のお心を痛めたくはないでしょう?」
それは最後通牒のようなものだった。
実質的な皇太子が、この婚約をよしとしていない。つまり、ミミネアの後継者としての資質を疑問視していると。
「必要書類は後日送付いたします。今日は解消の意思を伝えに来ただけですので」
そう言って、トマスとペレアスは去っていった。残ったのは、冷めきった紅茶と、呆然とするフレッド、そして。
「⋯⋯よく解らないけど、ペレアスと結婚しなくていいの?」
終始きょとんとしたままだったミミネアだけだった。
ミミネアは頭を抱えてうずくまる父に頓着せず、その顔にじわじわと喜びを浮かべた。
──これで⋯⋯これでレオーネ様と結婚できるのね!
輝かしい未来を空想し、ミミネアは昨日の夜にひそかに受け取った手紙を思い出した。
その手紙の通りにすれば、自分は理想の王子様と幸せになれる──そうミミネアは信じていた。
それが空手形であると、疑いもせずに。




