三十九
年始の晩餐会から一夜明け、貴族家門は各々通常業務に戻りつつあった。
とはいえ、領地に帰る者はいない。何しろ一週間後には皇太子任命式があるのである。
この式は未来の皇帝を正式に任命するというだけでなく、参加する貴族にとっては皇太子に恭順を示す、という意味も持つ。参加しなかった結果、翻意を疑われて痛くない腹を探られたくないのは、誰も彼も同じだった。
トゥファ侯爵家も、そのうちのひとつである。
トゥファ侯爵は、別に今の皇帝ユリウスにも次期皇太子であるギルエルフィネにも不満などは抱いていない。忠臣と呼べるほどの忠誠心があるかはさておいて、彼らのやることに異を唱えるような気を起こしたことは無かった。それだけの度胸がないとも言えるが。
だから、朝早くに届いた皇室の抗議文に腰を抜かさんばかりに驚いた。
「ミミネアを呼んでこい!」
侯爵の怒鳴り声が食堂に響き渡った。いつもは穏やかで、特にミミネアに対しては過剰なほど甘い侯爵の怒声に、家令は唖然とする。
だがそれも一瞬のこと。有能な家令はすぐさま侍女数人にミミネアを連れてくるよう指示した。
この時間帯、ミミネアはまだ寝ている。また、身支度を済ませないと絶対に部屋から出ない上にその身支度に非常に時間がかかるのだ。それが解っているので、複数人に向かわせたのである。
そのことは侯爵も解っているので、改めて抗議文に目を通し、それが終わると家令にも読むようにと渡した。
抗議文は皇室からだけでなく、第三皇女の婚約者であるマルダスの第二王子からも来ていた。
どちらも内容は共通しており、ミミネアが第二王子に送った手紙の内容が誤解を招く上、不適切なものだったので、今後同じことがないように──とのことだった。
家令は、ミミネアが大夜会から帰ってきてすぐ、侍女に朝一で手紙を出すように命じていたのを知っている。ただ、その内容まではさすがに把握していなかった。
そんなものを送ったと知っていたら、全力で止めていたのに──家令は頭を抱えた。
「旦那様、第二王子とお嬢様は⋯⋯」
「昨夜が初対面だ。確かにお近付きになりたいとは思ったが⋯⋯」
トゥファ侯爵は呻いた。
──愛人枠でも狙っていたのか?
家令は胡乱な眼差しを向けた。
トゥファ侯爵──名をフレッドと言う彼は、娘であるミミネアにとことん甘い。そして、娘を誰もが魅了される愛らしい娘だと思っている。
実際、ミミネアは母親である侯爵夫人似の美しい少女だ。小柄な体躯も相まって、男の庇護欲をそそる。
だが、帝国至上の美女と名高いミカエルシュナ皇妃、その美貌を受け継いだとされるヴィルへルミネ皇女を超えるとは言い難い。
絶世の美女となることを約束された皇女を迎える第二王子が、わざわざ愛らしいだけのミミネアを見初めるかと言われれば、それは否だろう。
ミミネアは愛玩人形のような令嬢だ。着飾って、微笑んで、社交に花を添える。ただ、それしかできない令嬢。
侯爵家の後継者にふさわしい教養も、実績も、何も持たない空っぽのお人形。装飾するだけならいいが、それ以外に彼女ができることはない。
そんな彼女の婚約者に選ばれたのは、真面目で才能あるヴィーアン家の三男だった。
彼は婚約当初十五歳だったが、当時すでに第一皇女ギルエルフィネの側近候補に名が挙がるほどに優秀な少年だった。ミミネアの代わりに仕事をしてくれる人材を求めた結果、彼に行き着いたのだろう。
だがミミネアはこの婚約が不満だったらしく、何度も解消を願い出ていた。いつもは彼女のお願いを叶えるフレッドも、さすがにこれには頷かなかったが。
フレッドは侯爵としては能力も責任感も足らない人物であるが、さすがにミミネアに侯爵家を継がせるのは不安だったのだ。もっとも、その下地を作ったのはフレッドだし、そもそも彼自身がふさわしいとは言えない。
現に、フレッドの今の発言を皇室に知られれば不敬罪に問われてもおかしくないのに、それに全く気付いていないのだ。
──先代様であれば、こんなことを許さなかったのに。
家令は亡くなった前侯爵を思い出し、苦々しく思った。
突然の病に斃れてしまった前侯爵は、自身の平凡さを自覚しながらも、だからこそ身を粉にして家や民、そして皇帝のために働いた。今のトゥファ家の豊かさは、先代までの歴代当主による働きの成果である。
だが現当主であるフレッドは、その財を食い潰すだけだった。
自身の領地に帰ることもせず、運営は代官に任せっきりで様子を知ろうともせず、ただ怠惰な生活を送るだけ。
幸い税収だけでも充分な収入があるため問題無く生活しているが、前侯爵が見れば激怒しそうな様子だ。
その怠け癖はミミネアにも移っており、彼女が後継教育を受けているところを見たことが無い。婿入りする予定のペレアス・ヴィーアンが受けてる有様だ。
もしペレアスとの婚約が解消となれば、ミミネアの後継者としての資質に問題ありとして継承権を剥奪されかねない。
ローディウムでは女性にも継承権がある代わりに、その資質を厳しく審査される。もし資格無しと判断されれば長子だろうが唯一の嫡子だろうが爵位を継ぐことはできなくなるのだ。
そうなれば、次の侯爵はフレッドの弟の子供になる。下手をすればフレッド自身が爵位を追われるかもしれない。
そもそもフレッドが侯爵になれたのは、先代が亡くなった当時弟が留学中で、彼が帰ってくるまでに継承を済ませてしまったからだ。一応後継教育を終えていたために資格ありと判断されたこと、侯爵位が空位のままではいけないとして許されたに過ぎない。
家令が疑惑の目を向けているのに気付いていないのか、フレッドは頭を抱えてぶつぶつと何かを呟いている。
ミミネアはまだ現れない。今頃はドレスを選定しているのか、髪を整えているのか、あるいは化粧をしているのか。
解らないが、おそらくまだまだ時間がかかるだろう。
家令はこのまま食事を下げるか、それともミミネアの分を用意するか、しばし現実逃避気味に悩んでいた。
後日彼はフレッドの弟と連絡を取ることになるのだが、この時はまだそこまで深刻に捉えてはいなかった。




