三十八
ユリウスの元を辞したヴィルへルミネは、そのまま散歩のために中庭に出た。気ままに歩いていたのだが、ふと見えたガゼボに、ギルエルフィネとペレアスの姿が見えた。
気になって近付いてみると、ペレアスの方は椅子に沈み込み、頭を抱えている。それを気の毒そうに見ていたギルエルフィネが、ふとこちらに視線を向けた。
「ヴィルへルミネ」
「ごきげんよう、お姉様。ペレアス卿は、今日は出勤日でしたの?」
「ああ。そこを捕まえて、今トゥファ嬢の手紙の件を伝えたところだ」
「ああ⋯⋯なるほど」
ヴィルへルミネは眉尻を下げてペレアスを見た。
「ペレアス卿、大丈夫かしら?」
「っ、ヴィルへルミネ殿下! 失礼しました」
我に返り、慌てて立ち上がるペレアスを、ヴィルへルミネは押し留めた。
「どうかそのままで。少しお休みになられた方がいいわ」
「ヴィルへルミネの言う通りだ。⋯⋯すまんな、昨日の今日でこんな話を聞かせてしまって」
「いえ⋯⋯殿下は私のことを考えて教えてくださったのです。感謝こそすれ、責めることなどできません」
ペレアスは力無く首を振った。
「もともと、関係は破綻していたようなものなのです。だから、ミミネア嬢が誰かを好きになること自体に思うところはありません」
「本当か?」
「ええ。⋯⋯結局彼女に好かれることはありませんでしたが、私もまた、彼女を好きになれませんでした。そういう意味では、似た者同士だったのかもしれません」
そうだろうか、とヴィルへルミネは首を傾げた。
ミミネアは初めから彼を拒絶していたようだが、ペレアスは少なくとも好きになろうと努力していたはずだ。結果どちらも恋愛感情を抱かなかっただけで、経過はまるで違う。
「ただ、それでも婚約がまだ維持されているのにそんな手紙を送った事実に、トゥファ家の未来を心配してしまって」
「「確かに」」
ヴィルへルミネとギルエルフィネは声をそろえて同意した。
正直ミミネアの後継者としての資質は、非常に疑わしいものである。婚約を解消すればペレアスは解放されるが、その後まともにやっていけるか、と言われると厳しいと言わざるをえなかった。
しかもトゥファ家の領地は広大な穀倉地帯である。万が一何かあったらローディウムの食料事情に大打撃を受けるが、それに対応できる人物だと思えない。
「まあトゥファ嬢、ひいては現在の侯爵一家がその爵位に見合っているかは今後見ていくとしてだ。とりあえずおまえの婚約だな。手紙の件は皇室からも抗議文を送るつもりだし、それも理由に持っていけ」
「はい⋯⋯」
力無く頷くペレアスの肩を、ギルエルフィネはぽんぽんと叩いた。
「大丈夫。言ったろ、もしもの時は私の名前を出していい。次の婚約者も、すぐに見付かるさ」
「そうですかね⋯⋯私は、女性受けするような人間ではないと思いますが」
「そんなことないさ。少なくとも私は、卿のことをいい男だと思っているぞ」
「っ⋯⋯!?」
ごん。
硬質な音を立てて、ペレアスが額から机に突っ込んだ。
「⋯⋯え?」
「お、おい。急にどうした?」
戸惑う姉妹に対して、ペレアスはよろよろと立ち上がり、頭を下げた。
「⋯⋯お気になさらず。私はそろそろ職務に戻ります」
「額は大丈夫なのか?」
「ええ、問題ありません。頑丈なのが取り柄なので」
その言葉通り、額は赤くなっているだけで血が出たり傷ができていたりしている様子は無い。
ぽかんとしてペレアスを見つめていたギルエルフィネは、あ、と小さく声を上げた。
「ペレアス、おまえ⋯⋯」
「殿下、御前を失礼いたします」
ギルエルフィネが呼び止めるのも聞かず、ペレアスはその場を去ってしまった。
伸ばしかけた手を戻し、ギルエルフィネは嘆息する。そしてヴィルへルミネを振り返った。
「ヴィルへルミネ、戻ろうか」
「は、はい。あの、お姉様⋯⋯ペレアス卿と何かありましたの?」
ヴィルへルミネの言葉に、ギルエルフィネは苦笑した。
「昔、少しな⋯⋯まあ、今はそれはいいんだ」
「そう、ですか」
「それより、トゥファ嬢の件は父上にお伝えしたのか?」
「あ、はい。それで、その時──」
ヴィルへルミネはユリウスから言われたことを話した。するとギルエルフィネは難しい顔になる。
「⋯⋯なるほど。確かに父上の言う通り、トゥファ嬢が暴走する可能性は零ではないな」
「トゥファ嬢は、魔法は使えるのですか?」
「いや。魔力はそれなりにあるようだが、魔法が使えるという話は聞かない。武器も扱えないそうだし、本人の戦闘力は皆無だよ。だが、世の中には危険な魔道具もある。ほとんどが禁制品だが、トゥファ嬢が手に入れられないとは限らないし、油断はしない方がいいだろう」
「そうですね⋯⋯」
当然ながら、禁制品の魔道具は所持するだけで犯罪だ。もし使用しようものなら、場合によっては処刑もありえる。
普通の令嬢なら犯罪まで犯さないだろうが、ミミネアにそんな常識が通用するかどうかは不明だ。最悪を想定しておいて損は無いだろう。
「⋯⋯お姉様、恋とはそこまで人を暴走させるのですか?」
つい、そんな質問が飛び出た。
二十年前の令嬢。ミミネア・トゥファ。
彼女達は、恋という名分で、情動のままに行動した。
結果、片や国を巻き込んだ争乱を起こし、片や婚約解消の瀬戸際に立っている。結果だけ見れば、誰も幸せになっていないのだ。
物語の中の恋は、綺麗で、輝いて、素晴らしいものだ。だが、所詮架空のものでしかない。
現実の──ふたりのそれは、独りよがりで、一方的で、綺麗でもなければ輝いてもいない。
向かう先には相手がいるのに、その相手を見ていないように思えるのだ。
「⋯⋯全ての人がそうというわけではないよ」
ギルエルフィネはそっとヴィルへルミネの頭を撫でた。
「ただ、時々──本当に時々だけど、恋しか見えていない人間がいるんだ。文字通り、自分の恋しか見ていない」
「恋しか、見ていない」
「誰かを好きだと言いながら、その好きな相手を理解しようとしない。彼らが見ているのは、自分が好きな相手の姿だけ。その人が何を考えて、何が好きで、どんな性格なのか、全く興味が無いんだ。だって彼らが本当に好きなのは、その人自身じゃないから」
「なら、誰が好きなんですか?」
「自分だよ」
ギルエルフィネは視線をガゼボの外に向けた。
「例えば花が好きな人は、花そのものが好きだから自然と調べたり、時には自分で育てたりするだろう。だが連中の場合は、花が好きな自分が好きなんだ。だから花の種類なんて解らないし、調べたり育てようなんて思わない。せいぜい、自分を飾ってくれる存在にしか思っていないんだ」
「飾ってくれる⋯⋯」
「トゥファ嬢の場合、自分好みの異国の王子様だからレオーネ殿下を好きになったんだと思う。そんな彼に見初められる自分を想像して、それが幸せな空想だから彼に迫ったんだ」
自分の理想の王子様。
だからレオーネを好きになったんだと、ギルエルフィネは言う。
「⋯⋯でもレオーネ様は、トゥファ嬢を拒絶しましたわ」
「彼女の中では、それは彼の本心ではないと考えているんだろうな。本当は自分が好きなのに、と」
「⋯⋯よく、解りません。どうしてそう思い込めるのでしょうか」
レオーネはミミネアを突き放したのに。どこをどう切り取っても、彼はミミネアに好意を抱いていないのに。
「私にも解らないさ。でもそういう輩はな、世界の中心なのさ」
ギルエルフィネは吐き捨てるように言った。
「自分の世界で、自分が中心。だからみんな自分を好きになるってな。一番権力を持たせてはいけない輩だが、案外権力者に多かったりするんだよ」
その言葉は、まるで自戒のようだった。




