2、鍛えたら強くなった
それから一年が経った。
森の中の鍛練も、最近はそれほど苦労することなくこなせるようになっていた。そろそろもう少し強いモンスター相手でもいけるのでは、なんて思ったり。
そういうアルの心境を察してかどうか、エアリーは、
「今日は赤鎧熊を倒してもらうわ」と言ったのだった。
「赤鎧熊?? いくらなんでもそれは無理だよ」
赤鎧熊は鎧熊の上位種だ。鎧熊は防御力が非常に高く、近接戦闘に無類の強さを誇るモンスターで、その代わりに魔法耐性が低いという弱点があるD級モンスターであるが、赤鎧熊は鎧熊の弱点であった魔法耐性が非常に高くなっているS級モンスターだ。
エアリーに言われていつも倒しているのはアルの知らないモンスターばかりだったけど、赤鎧熊は俺でも知っている。
勇者パーティでこの森に入る時も、赤鎧熊だけは戦わずに逃げろと言っていたからよく覚えているのだ。
最上位職の強者が集まった勇者パーティでも戦闘を避けるくらいの相手なのだ、いくら鍛練で強くなったといえ、自分一人が勝てるわけがない。
「やるだけ無駄だと思うけどな」
「大丈夫だよ。怪我しても回復してあげるから」とエアリーがにっこりと笑って言う。
「回復してもらえるとはいっても、痛いのは痛いんだから……痛いのは嫌だよ」
「まったく、相変わらずの弱気ね。もうすこし自分に自信を持ちなさい。そうすれば、意外といけるものよ」
「いやいや」
アルは最近自分が前よりは強くなったのを実感している。しかし、S級モンスターというのは、高レベルのメンバーからなるパーティで挑んで初めて勝負になる相手なのだ。
アルは気が進まないながらも、エアリーの後ろをついて歩いていたのだが、突然エアリーが、
「ほら出たよ」と言ったのだった。
数十メートル先に目的のモンスター、赤鎧熊がのそのそと歩いていた。
すぐに赤鎧熊もこちらに気づいて、アルの方に向かって走り出した。まったく心構えをする間もない。しかしアルは慌てることなく素早く戦闘態勢に入った。いつものことで、もう慣れてしまっているのだ。
とにかくすぐ後退できるように軽く一撃だけ与えて(それでダメージが入るわけはないが)、すぐ脱出。反撃をもらいすぎないようにしよう。痛いのは嫌だし。で、完敗。まだ早かった、ということで、今日のところは許してもらいたい。
アルはそんなことを考えながら、伸び上がって、爪を振り降ろそうとしている赤鎧熊の腹に握ったこぶしを軽くたたき込んだ。そして、反撃を避けようとすぐに後ろに退いた。それでも、赤鎧熊の体格を考えれば爪はアルに届いてしまうだろう。そう思って痛みを覚悟した、はずだったのだが……
アルに赤鎧熊の爪が届くことはなかった。
それどころか、遠く離れた場所にだらしない格好で赤鎧熊が伸びている。
「ほらね。言ったでしょ。意外といけるって」とエアリーが胸を張って自慢気にいう。
アルは、相手の攻撃をすぐに避けられるように、軽くジャブを放っただけのつもりだった。いわば様子見の一撃。しかし、それで吹っ飛ばして、倒してしまったらしい。
「嘘だろ」
「妖精ってすごいんだな。俺でもこんなに強くなれるなんて」
遺跡に戻って、食事をしながらアルはそう言ったのだった。
「いや、私は怪我した時に回復してあげたりしているけどそれ以外はしてないよ」
「妖精の加護とか、何か神秘的な力で強くなるように補助をしたりは?」
「そんなんしてないわ。なんであんたなんかにそんなことしなきゃいけないのよ」
「じゃあなんで?」
「私の方が聞きたいわよ。あんなに弱かったやつがここまで強くなるんだなんて思わなかった。もともとこれくらい強くなる下地があったんでしょ」
「エアリーに強いって言ってもらえるなんて、本当に強くなったんだな、俺」
「なんかむかつく」
知り合いが今の自分を見たらどう思うだろうか、とアルは思った。勇者たちはどちらにしろアルを目の敵にするだろう。勇者は自己中心的なやつだ。アルが強くなったと知ったら、勇者という立場が脅かす存在だと見なされて余計に嫌われそうだ。アルが勇者に頭を下げて、忠誠を誓えば気に入られるかもしれないが、あんな扱いをしたやつにそんなことをする気は当然ない。
いや、勇者たちのことはどうでもいいな。ただ、
「リリーが今の俺を見たらどう思うだろうな」とアルは呟いたのだった。
「リリーって、あなたが所属していたパーティの聖女?」
「うん」
「ねえ、やっぱり人間たちのところに帰りたいの?」
エアリーは珍しく真剣な表情でそう問いかけたのだった。
「そうだな。エアリーに鍛えてもらって、十分強くなったみたいだし。というか赤鎧熊を倒せるなんて、ちょっと鍛えすぎというか。強いのはいいんだけど、自分の意識がついていけないというか。だから鍛えるのは一旦終わりにして、戻ってもいいかなとは思う」
エアリーは寂しそうに笑った。
「そう。アルは人間だもんね。この一年まあまあ楽しかったわ。でも忘れないでね。あなたが強くなったのは私のお陰なんだから。いっとくけど戻ってきてももう鍛えてやらないから」
アルは驚いたような表情をした。
「え、エアリーも一緒に来てくれないの?」
それに対して今度はエアリーが驚いた顔をした。
「それって私が人間たちのところに行くってこと?」
「うん。そのつもりだった。でも、もしかして人間のことが嫌いだったりする?」
エアリーは首を振った。
「いいえ。別に嫌いとかじゃない。ただ単に興味がないだけ。考えたこともなかった」
「嫌じゃないのなら一緒に行こうよ。ご飯も街のは美味しいよ。久しぶりにアイスクリームとか食べたいな。エアリーも気に入ると思う」
「妖精は食事をしなくてもいいのを知ってるでしょ。でもまあ味はわかるから食べてあげてもいいけど」
「それって一緒に行ってくれるってことでいいんだね?」
「はいはい」
「よかった。そうしたら、リリーにもエアリーのことを紹介したいな」
しかし、アルのその言葉聞くとエアリーは急に不機嫌になったのだった。
「ちょっと待って、それはいや。私、その聖女のこと嫌いなの」