055 Applause
『それじゃあ、サマエル、よろしくー』
コレまで頭の中で響くように伝わってきていたヤヤの声が、耳に付けたヘッドフォンから聞こえてきた。
改めて、自分の……エルの体の高さに合わせて大分下げられたマイクに顔を近づけながら、全体的に距離の遠くなった収録部屋の室内状況を見る。
レンタの体の時とは違う視界が、自分が『エル』に変わった……いや、戻ったことを強く訴えていた。
そんなことを思っていると、イントロが流れ始める。
喉に負荷を掛けないようにゆっくりと息を吸い込みながら、普段と変わらない口内を空気が流れ、胸が膨らんでいく感覚は、普段と何も変わらないように思えた。
エルの体を動かしているという意識が歌に影響を及ぼす気がしていた僕は、感覚がいつもと変わらないという実感の下、エルの体で歌うということを意識的に忘れることにする。
最初に出す音を意識して、イメージ通りに口を動かし、お腹に力を込めた。
いつもよりも強く腹式呼吸を意識するために、お腹に手を当てる。
レースや光沢のある生地で包まれた腹部に、意識を乱されないように、僕は歌うんだと何度も自己暗示を掛けた。
そして、曲のメロディーに合わせて声を放つ。
同時に視界は白一色に染まったような気がして、僕の意識はその白の中に包まれ消えていった。
パチパチパチ。
繰り返される拍手の音に、僕はようやく我に返った。
マイクの横から見ていたモニターには、先ほどまで表示されていた歌詞も消え、曲の進行度合いを示すタイマーも『00:00:00』を示している。
呆然としながら周囲を確認しようと振り返ったところで、拍手をしながら涙を流すヤヤが目に入った。
その顔を見て、曲が終わった……いや、曲を歌い終えたことを僕は理解する。
そして、夢中で歌った歌はヤヤの胸を打ったと言うことに、嬉しさと、安堵と、そして何よりも誇らしさを感じて、僕は笑いかけた。
それから、僕の偽らざる気持ちをそのまま言葉として、ヤヤに伝える。
「ありがとう、ヤヤ。お陰で、またこの声で歌えた」
直後、抱き付いてきたヤヤの腕の中に、僕の……エルの体はすっぽりと収まってしまった。
顔を覆い尽くす柔らかい感触と共に、いつもより濃厚なヤヤの香りが鼻を刺激してきた。
その一方で息苦しさはない。
コレがロボットの体なのかぁと、僕はそんな風にわざわざ余計なことを考えて、耐えた。
「エル……じゃない、レン……じゃなくて、サマエル、急に抱きしめて驚いたかな?」
体を離したヤヤはそう言って、照れが混じる苦笑を浮かべた。
とても居心地が悪そうに思えたので、僕はちゃんと思ったことを伝えることにする。
「さっきも言ったけど、僕はあの頃みたいに歌えて嬉しかったし、ヤヤが泣くほど喜んでくれて良かったと思ってる」
そう告げるとヤヤは少しの間黙った後で、無言で部屋に備え付けられた収納を開いて、ヘッドフォンを取り出した。
「ヤヤ?」
行動の意図がわからずに呼びかけた直後、ヤヤは僕を振り返る。
その顔には、好奇心が満ちたはつらつな笑みが浮かんでいた。
「さあ、サマエル! ここからは検証と実験よ! 貴女の歌声を完璧に仕上げるよ!」
修正報告
2021.06.11
前:同時に歯科医は白一色に染まったような気がして、僕の意識はそのしろの中に
後:同時に視界は白一色に染まったような気がして、僕の意識はその白の中に




