幕間「後半を継ぐ者へ」
朝、ショウが宿の入口から顔を出した。いつもの飄々とした顔だが、わずかに面白がっている目をしていた。
「田中さん。お客さんが二人来てますわ」
「誰だ」
「田ノ里から来た若い、ハドソンいう方と——」
少し間があった。
「……古木の森の方です」
全員が止まった。
エリュシアが「森の方、というのは」と言いかけて、入口に目を向けた。
そこにいた。
深緑と金の混じった長髪を丁寧に結い上げたエルフが、古来装束のまま、明らかに落ち着かない顔で王都の通りを背にして立っていた。隣に口下手そうな二十二歳の人間の青年。
エルフが田中を見た。
「……来たぞ」
「なぜ森から出てきた」
イース(アドル)「記録のためだ」
田中が三秒見た。
「アドルか」
エルフが一拍置いた。「……その名で構わない。慣れた」
「在庫を持ってきたか」
「それも慣れた。持ってきた」
全員がアドルを見た。フィルナが「森から出てきたんですか!! すごい!!」と言った。ゾルグが「何年ぶりですか」と聞いた。アドルが「……三百年ほどだ」と答えた。しばらくすると、ほぼすべてのメンバーがアドルの周りに集まった。
グラがネネの頭からアドルに向かって飛び、アドルの肩に着地した。
アドルが固まった。
「……また来た」
「グゥ」
「……毎回来る」
「うちの資産だ」と田中が言った。
(それも慣れた)とアドルが内心で言った。
******
ハドソンは王都が初めてだった。
田ノ里から二日かけて来たこの青年は、道中でどれだけ覚悟を決めてきたかわからないが、王都の宿の前の通りに並ぶ露店の値札を見た瞬間に顔色が変わった。
「……高い」
全員が田中を見た。
田中が「当然だ」と言った。
珍しく同意した。
「王都は固定費が高すぎる。物価も異常だ。その認識は正しい」
ハドソンが田中を見た。「……田中さんも、そう思いますか」
「毎日思っている。常識だろうが」
アルスがハドソンに小声で言った。「師匠と似ていますね」
ハドソンが小声で返した。「……先代も、田中さんと同じ物言い、立ち居振る舞いだったと祖父から聞いています」
田中は聞いていないふりをしたが、実はしっかり聞いていた。なにせ田中の耳はチートにより離れていた声もめちゃくちゃ聞こえるのだ。が、そこは昭和の男。黙って聞いてないふりをしていてやったのだ。エヘン。
******
少しの市場調査の後、全員で朝食を取ることになった。
フィルナが人数分の椀を配り始めた。アドルが「私は木の実があれば——」と言いかけたところで田中が「飯を食え。体が資本だ」と言った。アドルが一秒止まって「……わかった」と言って座った。
エリュシアが内心で言った。
(……アドルさんも「わかった」になりました)
(この宿で田中さんに「わかった」と言った人間の数を数えたら書類が何枚あっても足りません)
ハドソンが椀を受け取って、一口食べて、止まった。
「……この味噌汁に近い汁物」
「どうした」
「田ノ里で飲んでいるものと、同じ味がします」
田中が少しだけ止まった。それから「そうか」とだけ言って自分の椀に目を戻した。
ネネが横でハドソンをじっと見ていた。
「……お前、先代の血を引いているのか」
「はい。三代目です」
「……そうか」
ネネも椀に目を戻した。それだけだったが、その「そうか」には何か重いものが入っていた。
******
朝食の後、アルスがスクワットをしていた。百回を過ぎたあたりで田中の方を見た。
「師匠。次は何をすれば」
「懸垂だ。上半身だけではマッスルバランスが偏る」
「宿の梁で試みましたが手が届きません!!」
「椅子を使え。常識だろうが」
「なるほど……!!」
アルスが椅子を持ってきて懸垂を始めた。椅子が揺れた。フィルナが「危ない~!!」と言った。アルスが「大丈夫です!! 体幹で安定させます!!」と言いながら続けた。
フィオが石を磨きながら横目で見た。「……なぜ椅子ごと揺れている」
「体幹が足りません!! 鍛えます!!」
「石をフィオからもらって続けろ。負荷が高くなる」
「なるほど……!! 同門の知恵……!!」
「違うだろ」とフィオ。
アルスがぜぇぜぇ言いながら、ハドソンに向かって聞いた。「ところで、(ぜぇ)田ノ里には、(はぁ)懸垂のできる場所がありますか!!」
「……梁ならいくらでもあるぞ」
「行きます!! いつか必ず行きます!!」
ハドソンが少し間を置いた。「……先代も、毎朝体を動かしていたと記録にありました」
「師匠と先代が同じ習慣を!!」
「はい。理由を聞いたら『当然だ』と書いてありました」
アルスが懸垂をしながら「なるほど……!! なるほど……!!」と言い続けた。
グレインが「なるほどの回数が増えた」と言った。
「認めたわけじゃないんだろ」とフィオが言った。
「当然だ」
カーヴェが「このやり取りも記録しておくべきですかね」とエリュシアに言った。
「書く欄がありません」
「いつもそう言いますよね」
「いつも書く欄がないようなことしか起こらないんです」
******
アドルが田中の前に書物を置いた。
「これを持ってきた。田所一郎の記録、全ての写本だ。最終ページも含めて」
田中が受け取った。
「……前に見たが」
「前回は途中だった。最終ページまで写したのは今回が初めてだ」
田中が最終ページを開いた。
最後の記述は短かった。
『今日も飯を食った。生きている。この先も、同じことを書くつもりだ』
それで終わっていた。
田中がしばらく、そのページを見ていた。
声には出なかった。「……よくやった」という言葉が、頭の中だけで動いた。
アドルが静かに言った。「800年、記録し続けた。誰にも伝わらなかった部分もある。それでも——」
「守れる分を守った。それだけでいい」と田中が言った。
アドルが少し止まった。
(……800年前に、同じことを言った人間がいた)
(田所一郎がそう言っていた)
(今また、同じ言葉を聞いた)
声には出さなかった。
「……そうだ」とだけ言った。
******
午後になって、ハドソンが田中に正面から向き合った。
「遺言書の後半——正確には、何と書いてありましたか」
「《《無駄を省け。でも人への投資を惜しむな》》」
ハドソンが黙って聞いた。
「どっちも大事だ。片方だけじゃ意味がない。論外だ」
「……先代は、なぜそれを書いたと思いますか」
「片方しかやってない人間を、見てきたからだろうな」
ハドソンが静かに目を落とした。田ノ里のことが頭にあるのが、顔でわかった。
「……我々は、代々、ずっと前半だけをやっていました」
「知っている」
「なぜ」
「田ノ里の空気でわかった。記録を読んでわかった」
少し間があった。
「……田中さんは、先代に会ったことがあるのか」
田中が少しだけ間を置いた。
「ない」
「では、なぜそんなに——」
「多分……同じだからだ」
それだけ言って、田中は前を向いた。それ以上の説明はなかった。
ハドソンは何も聞かなかった。田中の横顔が全部言っていた。
******
夕方、ハドソンが帰り支度を始めた。アドルもそろそろ森に戻ると言った。
「三百年ぶりに外に出たが、思ったより悪くなかった」とアドルが言った。
「また記録が増えるな」と田中が言った。
「……そうだ。記録する価値があった」
グラがアドルの肩に乗ったまま「グゥ」と鳴いた。アドルがグラを田中の肩に戻そうとした。グラが戻らなかった。
「この翼竜……意思がある」
「資産だからな。それでいい」と田中が言った。
ハドソンが入口に向かった。振り返った。
「田ノ里に来たら、また寄ってください」
田中が少し止まった。
「また和食を、食いに行く」
それだけだった。和食の意味は分からなかったが、きっと味噌や、納豆のことだ。
ハドソンにはわかった。それがこの人の感謝の言葉だと、この短い時間でわかった。
ハドソンが少し頭を下げた。言葉はなかったが、それでよかった。
アドルが田中に向かって一度だけ頷き、真新しい記録紙に記入をはじめた。
「記録する。節約勇者・田中剛。この話の終わりと、次の話の始まりを」
「紙は在庫にするな。使い切れ。無駄だ」
アドルが「もう……慣れた」と言って、外に出た。
******
夜、宿の広間に全員が集まっていた。
特に何も決まっていない。ただ全員がいた。
ゾルグが手帳の「田中軍活動記録」の第一ページに日付を書いた。泣いていた。なぜかはわからない。
「泣くな」と田中が言った。
「申し訳ございません!!」
「謝るのも無駄だ。次のページを書け」
「はッ!!」
フィルナが「みんないるね~!!」と言った。誰も返事をしなかった。でも誰も嫌な顔をしなかった。
グレインが腕を組んで壁にもたれた。「……次は、どこだ」
「まだ決まっていない」とゼフィーラが言った。
「決まったら動く」と田中が言った。「それだけだ」
そこに、扉をノックする音がした。
全員がそちらを見る――扉が開いた。そこには、ギルドのリッカが書類を持って立っていた。
「……あの、田中さん。A級昇格の正式書類が届きまして——」
全員がリッカを見た。リッカが部屋の中を見渡すと、魔王がいた。女神が二人いた。四天王が全員いた。他世界の勇者がなぜか汗だくで筋トレしていた。翼竜が誰かの肩にいて「グゥ」と鳴いている。
リッカが一瞬固まった。それから、姿勢を正して田中に認定証を渡した。
「……改めまして。A級昇格、おめでとうございます、田中さん」
「ヨシコさん、手数料はいくらだ」
「もう。リッカです!! 手数料は二百Gです!!」
「高い。まけろ、リ、...ヨシコさん」
「まけられません!! 正規の手数料です!!あとリッカですってば。てか今リッカって言いかけてましたよね?よね!?!?」
「知らん。ヨシコさんの勘違いだ」
部屋の全員が、どこか安心したような顔をした。
エリュシアが内心だけで言った。
(……ヨシコさんが来ました)
(これが日常です)
(よかった)
2章、ほんまに完。(トルネコもといショウ・バイン)
**※おじさん解説!**
ザナドゥという伝説のゲームがある。
ファルコムが1985年にPC-88・PC-98向けに発売したアクションRPGだ。竜退治シリーズの第二作で、当時の国産ゲームとしては空前絶後の大ヒットを記録した。主人公の名前はない。プレイヤー自身だ。経験値を稼いで強化する。装備を整える。迷宮を突き進む。シンプルで深い。名作だ。
問題はパソコンが必要だということだ。
1985年当時、パソコンは高かった。子供が買ってもらえるものではなかった。「パソコンを買ってくれ」と言っても「ファミコンで十分だろう」と言われた子供が日本全国にいた。田中剛(四十六歳)もそうだった。
そこにハドソンが動いた。
ハドソンソフトは北海道に本社を置くゲームメーカーだ。桃太郎電鉄。ボンバーマン。高橋名人の冒険島。当時のファミコンキッズなら誰でも知っている。
このハドソンが「○○超シリーズ」という名義でパソコンゲームをファミコンに移植・アレンジする事業を展開した。そしてザナドゥをファミコン向けに大幅改変して1987年に発売した。
名前は「ファザナドゥ」。
**ファミコン+ザナドゥ=ファザナドゥ**だ。
ザナドゥのファンからの評価は厳しかった。「別のゲームだ」「あれはザナドゥではない」という声が多かった。確かに原作とは別物だ。異論はない。
しかし。
パソコンを買ってもらえなかった当時の子供にとって、ファザナドゥは唯一の選択肢だった。
横スクロールのアクションRPG。ファミコンなのに漢字が使われていた。「伝言」「鍛冶屋」「教会」。当時のファミコンで漢字を出すのは技術的に難しかった。ハドソンがそれをやった。
BGMが独特だった。暗い。重い。それでいてどこか心地よい。迷宮を歩きながら聞いていると、なぜか前に進みたくなる音だった。
ゲーム全体の雰囲気が独自だった。ザナドゥとは違う。しかしファザナドゥとしての面白さがあった。パソコンを持っていなかった田中剛(四十六歳)の評価は「面白かった」だ。以上だ。
同じくファルコムが1987年に発売したのがイースだ。
こちらは主人公に名前がある。**アドル・クリスティン**。赤毛の冒険者で、本能のまま飛び込んでいく。謎を解く。戦う。記録される。今もシリーズが続いている。三十年以上だ。
記録し続けるエルフに「アドル」という名前をつけたのは、800年記録してきた存在が冒険の記録と切り離せないからだ。アドルは冒険して記録される側だ。このエルフは記録する側だ。どちらも必要だ。常識だろうが。
北の土地を開いたのがハドソン。800年記録し続けたのがアドル。同じ名前を持つ者が、同じ場所に集まった。
偶然だ。よくある。
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**※アドルの記録帳 最終回**
本日の記録。
三百年ぶりに森の外に出た。
王都は高かった。田中剛が「当然だ」と言った。田所一郎も同じことを言っていた。記録者から見れば、同じ顔をした人間は時代を問わず現れる。田中剛もその一人だ。
最終ページを渡した。言葉はなかった。顔で言っていた。わかった。
翼竜が肩に乗った。三回目だ。慣れてきた。
「紙は在庫にするな。使い切れ。無駄だ」と言われた。
次の記録を始める。記録紙は使い切る。
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**※田所一郎の日記 最終回**
今日も飯を食った。生きている。
この先も、同じことを書くつもりだ。
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**※神界業務日報 第五十回**
第2章業務終了報告。
処理件数:規定外:多数。
書く欄:ありませんでした。
勇者田中剛:削減継続中。
私:継続中。
本日の特記事項。
アドルさんが三百年ぶりに森から出てきました。記録します。
ハドソンさんが「高い」と言いました。田中さんが「当然だ」と言いました。田中さんが同意した場面は珍しいので記録します。
「また和食を食いに行く」と言いました。ハドソンさんがわかった顔をしていました。
……私にも、わかりました。
「また」という言葉を、あの方が使うのは珍しいです。記録します。
今日も声に出しませんでした。
以上です。
追記:グラがアドルさんの肩に乗りました。私の肩には今日も乗りませんでした。記録します。
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**※魔王の家計簿 第五十回**
本日の支出:朝食分のみ。
アドルが来た。三百年ぶりだそうだ。千年生きてきたが、その感覚はわかる。外に出るのは思ったより体力がいる。
ハドソンという若者が来た。田所の血を引く三代目だ。顔が少し田中に似ていた。本人には言わなかった。
「また和食を食いに行く」と田中が言った。あれは感謝の言葉だ。我にはわかる。
田中剛という人間は、感謝の言葉を和食という言葉で伝えた。
千年生きてきて、初めてそういう人間を見た。
家計簿には書けない。
でも書いた。
次も書く。




