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異世界最強の節約勇者 〜神も魔王も全員、俺の財布の敵〜  作者: 勇者ヨシ君
第2章:仲間が増えるたびに、なぜか黒字になった

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「800年の記録だ」

 古木(エルド)(もり)へ向かう街道は、王都を出て半日ほどの道のりだった。


 朝のうちはまだ空気が冷たく、石畳の上に薄く霧が残っていた。一行が並んで歩く中、後方から規則正しい「ぴょん、ぴょん、ぴょん」という音が続いていた。


 アルスが今度はなぜか兎跳(うさぎと)びをしていた。


 両手を頭の後ろで組んで、膝を揃えてひたすら跳び続けている。表情は真剣そのものだった。


「……なぜ兎跳(うさぎと)びをしているのですか」とエリュシアが後ろを振り返りながら言った。


師匠(田中)に言われました!!」


「何と言われたんですか」


「根性と筋肉は正義だ。裏切らない、と!!」


「……それで兎跳(うさぎと)びになったんですか」


「腹筋のあとはスクワット、スクワットのあとは兎跳(うさぎと)びです!! 段階的強化です!!」


 田中が前を向いたまま答えた。

「昭和の部活では基本だ。常識だろうが」


「現代では膝に悪いと言われているのですが」とエリュシアが言いかけた。


「そこは根性でカバーしろ」


「根性で膝はカバーできませんよ!!」


 (でもなぜか、アルスくんは納得しています)

 (毎回そうです)

 (この方の言葉には何か特殊な説得力があります)

 (理由はわかりません)


 カーヴェが横を歩きながら、手帳に何かを書いていた。


「……記録してるんですか」とエリュシアが言った。


「面白いから」


「何が面白いんですか」


「全員が従ってるところ」


 エリュシアの声が一段下がった。


「私は従っていません」


「今も一緒に歩いてるけど」


「それは……Aランククエストがあるので、業務上の——」


「なるほど」


「カーヴェ」


「はい」


「その『なるほど』は禁止です」


「なぜ」


「なんとなくです」


 ネネが前を歩きながら、小さく笑った。グラが頭の上で「グゥ」と鳴いた。


******


 森の手前に差し掛かると、グラの様子が変わった。


 田中の肩の上でそわそわし始め、首をあちこちに向けて、小さな鳴き声を繰り返した。


「どうした」と田中が言った。


 グラが「グゥ、グゥ」と答えた。


「何かいるな」


「……我にも感じる」とネネが立ち止まった。「古い魔力の気配だ。この森そのものに、何かが宿(やど)っている」


 アルスが兎跳(うさぎと)びを止めて立ち上がった。膝を押さえていた。


「師匠、前方の気配は——」


「敵じゃない」と田中。「違う種類だ」


「どう違うんですか」


「古い。敵意がない。ただ、ずっとそこにいる感じだ」


 カーヴェが手帳を閉じた。目が少し細くなっていた。


「……神界の記録にあった魔力の型と一致する。ここで間違いない」


 エリュシアが頷いた。自分でも気づかないうちに、一歩前に出ていた。


******


 森の奥、大樹(たいじゅ)の根元に、無数の記録帳が積み上げられていた。


 高さは田中の背丈を超えていた。色も形も年代もばらばらで、最も古いものは表紙が半ば崩れかけている。それでも一冊も倒れていなかった。

 整然と、しかし生き物のように積まれていた。


 その前に、一人のエルフが座っていた。


 外見は二十代の女性のように見えた。

 深緑と金の混じった長髪を丁寧に結い上げ、琥珀色の目が静かにこちらを見ている。

 古来の装束は色が褪せていたが、それは汚れているのではなく、ただ長い時間を纏っているように見えた。


 立ち上がった時の所作が、二十代のそれではなかった。


 視線が一行を流れ、田中のところで止まる。


「……(なんじ)が、勇者・田中剛か」


「違う。俺は田橋名人だ。お前が記録者レコーダーか」


「左様。私はイース・リーセル・ア・ヴァン・フィアルナ。八百年、この森で記録をつけてきた者だ。(なんじ)に伝えるべきことが——」


()()


 イースの言葉が止まった。


「アドルだ」


「……私の名は——」


「アドルだ。削れ(コストカット)


「八百年続く良作の主人公だ。赤髪(あかがみ)の冒険者で、行く先々で遺跡(いせき)に突っ込む。ファルコム(・・・・)が1987年に作ったアクションRPGで、今もシリーズが続いている。名作は時代を選ばん」


 イースが少しの間、田中を見ていた。


「えー……私の髪は緑ですが」


「細かいことは気にするな」


(なんじ)の言う『アドル』とは、どういう意味を持つのですか」


最大級の敬意(モスト・リスペクト)だ」


 また少しの間があった。


 イースの目が、わずかに和らいだ。


「……わかりました。アドルと呼ばれましょう。そしてあなたは勇者田中ではなく、田橋名人ですね」

「そうだ」「名人だ。習慣で強くなった者の称号だ。本物には恐れ多いので一字変えた」

アドル内心:(……800年記録してきたが、この種の答えは初めてだ)


 エリュシアが内心で静かに処理した。


 (いつもどおり命名が完了しました。八百年生きた記録者が、十秒で折れました。記録します。あと田橋名人ってなんですか一体)


 カーヴェが横で「なるほど」と呟いた。


 エリュシアが何も言わなかった。


 (今回は言いません。私も同じだったので)


******


 アドルが記録帳の説明を始めようとした時、グラが田中の肩から飛んだ。


 まっすぐアドルに向かって飛んで、その腕に止まった。


 一同が少し驚く中、アドルだけが動じなかった。ただ静かにグラを見下ろした。


「……古木(ふるき)の魔脈に反応した。この種の翼竜(よくりゅう)は、古い魔力の流れを(かん)じ取る性質がある。滅多に見ない」


 グラが「グゥ」と鳴いた。


「……大切にしなさい」とアドルが言った。


「資産だ」と田中が言った。


 アドルが田中を見た。何かを言いかけて、やめた。


 (資産。この方はそういう言い方をする人らしい)

 (……ふむ)


 グラがアドルの腕の上で落ち着いて目を細めた。ネネが珍しくグラから目を離さずに見ていた。


「……グラが懐いている」とネネが静かに言った。


「そうだな」


「懐かれた人間は、信用していい人間だ。我の経験則だ」


 アドルがネネを見た。それからまた田中を見た。


「……(なんじ)の連れは、変わっている」


「そうだな」


「褒めているのかどうか、わからないのですが」とエリュシアが言った。


「褒めています」とアドルが答えた。


******


 記録帳の話に入る前に、アドルが言った。


「この森での儀式として、八百年続く清祓(きよはら)いの作法があります。七時間ほどかかりますが——」


「根拠はあるか」


 アドルが止まった。


「……伝統(でんとう)として、代々——」


「伝統と習慣は違う。根拠のある部分を残して削れ。何時間削れる」


 沈黙。


 アドルの目が少し遠くなった。何かを計算しているような間があった。


「……三時間は、削れます」


「削れるのか」


「……八百年、気づきませんでした」


「気づいた今から削れ。常識だろうが」


 アルスが「師匠!!儀式が四時間削れました!!」と言いながら膝を押さえた。


「師匠、少し膝が——」


「根性だ」


「根性で膝は——」


「次は腕立(うでた)て千回だ」


「(なぜ膝が痛いあとに腕立てが来るんですか)(でもなぜか納得しています)(やりますっていってはじめてまますし......)」


 アドルがその様子を静かに見ていた。


 (……八百年で、初めて見る光景だ)

 (不思議と、嫌ではない)


******


 儀式を二時間に短縮し終えた後、アドルが記録帳の棚の奥から一冊を取り出した。


 他の記録帳より少し小さく、表紙に文字が書いてあった。


 日本語だった。


 田中が受け取った。


 ページをめくると、同じ文章が繰り返されていた。


「今日も飯を食った。生きている」


 また次のページ。


「今日も飯を食った。生きている」


 また次のページ。


「今日も飯を食った。生きている」


 何十ページも、何百ページも、同じ文章が続いていた。筆跡は変わらなかった。字が乱れることもなかった。ただ、淡々と、毎日書き続けていた。


「この人間は」とアドルが言った。「剣を一生持ちませんでした。この世界に来て、ただ土を耕して、ある年の秋に死にました。神界からは、来てすぐに『使えない』という評価が下されたと、記録にあります」


 田中がページをめくり続けていた。


 最後のページまで来た。


「今日も飯を食った。生きている。明日もそうだろう」


 それで終わっていた。


 田中が少しだけ、そのページを見ていた。


「……よくやった」


 声には出なかった。


 唇が動いただけだった。


 エリュシアだけが、横でそれを見ていた。


 (……声になりませんでした)

 (でも聞こえました)

 (二十三年分の記録の中に、同じような夜が何十回もありました)

 (この方は、田所一郎という人間を、一度も会ったことがないのに)

 (……記録します。絶対に記録します)


 カーヴェが何かを言いかけて、止まった。黙って前を向いた。


 ネネが田中の横に立った。何も言わなかった。ただ、そこにいた。


******


 アドルがもう一冊、記録帳を取り出した。今度は表紙が部分的に変色していて、ページを開くと所々に不自然な空白があった。


「見てください」とアドルが言った。「この記録帳の、ある時期からある時期にかけて——神界に関する記述が、意図的に削除されています」


 カーヴェが近づいてページを確認した。しばらく見てから、静かに言った。


「通常の廃棄じゃない。神界の書類消去技術と同じ手法だ。痕跡が綺麗すぎる」


 エリュシアが記録帳を受け取った。


 ページの空白を指でなぞった。


 止まった。


 (……この消し方を、知っています)

 (私が処理してきた書類の、廃棄記録と同じです)

 (誰かが、意図的に消した)

 (なぜ)

 (何を隠したのですか)

 (……これは)


 田中がエリュシアを見た。


 エリュシアが田中を見た。


「……写本を作ることはできますか」とエリュシアが言った。声が、普段より少し低かった。


「できます。ただ、時間がかかる」とアドルが答えた。


「急いでいただけますか」


「……わかりました」


 田中がエリュシアを見たまま、何も言わなかった。


 エリュシアが田中を見たまま、何も言わなかった。


 (……調べます)

 (今度こそ、本当に)

 (三回目の『調べます』は、声に出しませんでした)

 (でも、今が一番本気です)


******


 帰り際、アドルが田中に言った。


「一つ、お願いがあります」


「何だ」


(なんじ)の記録を、私に書かせてください。八百年書き続けてきましたが——今日のような来訪者は、初めてです」


 田中が少し止まった。


「好きにしろ」


「ありがとうございます」


「ただし」と田中が言った。「事実だけ書け。余計なことは書くな」


「事実だけを書くことが、私の仕事です」


「ならいい。常識だろうが」


 アドルがわずかに目を細めた。


 (……八百年、誰かの記録取ることを、こちらから頼んだことはなかった)

 (今日、初めて頼んだ)

 (この人間は変わっている)

 (でも——守れる分は守る、無駄な分は切る、それだけだ、という生き方を)

 (私も八百年、そうやってきた)

 (……面白い)


 グラがアドルの腕から飛んで、田中の肩に戻った。


 「グゥ」と鳴いた。


 アドルが「また来なさい」と言った。田中が「また来る」と答えた。


 それだけだった。


******


 帰り道、アルスが少し後れをとっていた。


 兎跳(うさぎと)びをやめて、普通に歩いていた。それでも少し足を引きずっている。


「アルスくん、膝は大丈夫ですか」とフィルナが心配そうに近づいた。


「大丈夫です!! 師匠に言われた通り、根性でカバーしています!!」


「根性で膝はカバーできないよ〜!!」


「できます!! たぶん!!」


「たぶんなんだ!!!」


 田中が振り返らずに言った。


「明日、腹筋千回だ」


「(膝が終わりそうなのに腹筋が来ました)(でも腹筋は膝と関係ありません)(やりすぎです)」


 エリュシアが内心で静かに記録した。


 (そろそろアルスくんの膝が心配です)

 (でもなぜか毎回やり切ります)

 (この方に育てられると、そうなるんでしょうか)

 (……田中さんに育てられると)

 (そうなるんでしょうか)


 その考えが、少しだけ温かかった。声には出さなかった。


******


**その頃、神界では――**


 ウルダが報告書を受け取った。


「古木の森にて、記録帳の神界関連記述に削除痕跡が発見されました。エリュシアが写本の取得を依頼。現在進行中です」


 ウルダが書類を机に置いた。


 長い沈黙があった。


「……寛大に、見守ります」


「寛大です」


 部下が少し間を置いてから言った。「……ウルダ様、よろしいのですか。削除の件については——」


「見守ります」


 もう一度言った。


 部下が記録した。「本日:二回。二回目の間に、三秒の沈黙があった」

**※おじさん解説!**


 イースとはファルコムが1987年に作ったアクションRPGだ。

 主人公の名はアドル・クリスティン。赤髪の冒険者で、行く先々で遺跡(いせき)に飛び込む。

 理由はだいたい「何かあったから」だ。それだけで十分だ。

 シリーズは今も続いている。2024年時点でイースXまで出た。

 37年間、続いている。名作は時代を選ばん。


 兎跳(うさぎと)びは昭和の部活の定番だ。現代では膝に悪いとされている。

 だが根性と筋肉は裏切らない。これも常識だろうが。


 今回はもう一つ。

 

 本文中偽名で名乗った田橋名人→高橋名人について説明する。


 ハドソンソフトの広報(こうほう)担当社員・高橋利幸氏が、1985年に「高橋名人」としてデビュー(でびゅう)した。一秒間に16回ボタンを連射する技術で子供たちの英雄(えいゆう)になった。全国を行脚(あんぎゃ)してゲーム大会を開催(かいさい)し、映画にもなった。社員がここまで(あい)された例は昭和でも(めずら)しい。名人は今も現役だ。


 田中剛(四十六歳)は名人に一字足して「田橋名人」と名乗った。恐れ多いからだ。これが最大の敬意(モストリスペクト)である。常識だろうが。


******


**神界業務日報 第27回**


 本日の特記事項。


 記録帳の削除痕跡を確認しました。


 私が処理してきた書類と、同じ消し方でした。


 写本の取得を依頼しました。


 田中さんが記録帳を読んで黙っていました。声には出しませんでしたが、唇が動いていました。


 私には聞こえました。


 書く欄がありません。


 以上です。


******


**魔王の家計簿 第27回**


 本日の収支:Aランククエスト調査完了。素材回収あり。詳細は次回。


 グラがアドルさんに懐いた。

 懐かれた人間は信用していい、というのは我の経験則だ。

 アドルさんは信用できると思う。


 田中が記録帳を読んで黙っていた。

 何と書いてあったかは聞かなかった。

 でも、顔は見た。

 どの項目にも書けないが、書いた。


 アルスの膝が心配だ。


******


**イースの記録帳 第1回**


 本日の来訪者:人間の勇者、田中剛。


 八百年の知識を『在庫』と言った。


 儀式を四時間削られた。


 正しかった。


 翼竜が懐いた。名前はグラだそうだ。


 記録帳を渡した。彼は静かに読んでいた。最後のページで、声に出さない言葉を言っていた。


 私には聞こえた。


 今日は記録するのが難しい。


 翼竜は元気だった。それだけ書く。


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