「顔が死んでる」
翌朝、温泉宿の飯は白米だった。
田中が三杯食った。感情がなかった。
アルスが「師匠、本日の筋トレ報告です!」と言った。
田中が「よし、次はスクワット1万回だ」と言った。それだけだった。
ネネが田中の横で飯を食いながら、何度か横を見た。何も言わなかった。
エリュシアが内心で呟いた。
(……今朝は機嫌がいいのか悪いのか、判断がつきません)
(いつもそうなのですが)
(今日は特に)
(納豆がなかったからでしょうか......)
グレインが飯を食い終わって立ち上がった。
「出るぞ」
「お前が仕切るな」と田中。
「……別に仕切ってない」
「そうか、ならいい」
グレインが少しだけ間を置いた。
「……温泉、悪くなかった」
「そうだな」
「……それだけだ」
フィルナがにこにこしながら聞いていた。
「グレインちゃん、なんか顔色よくなってるね〜!!」
「湯のせいだ」
「やっぱり湯のせいなんだ〜!!」
「そうだと言っている」
(湯のせいです)
(今日も湯のせいです)
(永遠に湯のせいです)
******
宿を出た。
朝の山道は空気が冷たかった。霧が低く流れて、足元の石が湿っていた。
田中が先頭を歩いた。グラが肩の上にいる。ネネがその横。エリュシアが少し後ろ。アルスとフィルナとグレインがさらに後ろ。
フィオはいなかった。
昨夜、縁側から見た時、石を磨いていた。今朝も宿に姿がなかった。朝のうちに先に出たらしかった。
田中は何も言わなかった。
(……早い)
それだけだった。
******
王都への帰り道、街道を外れた丘の上にフィオがいた。
石を拾っていた。昨夜と同じだった。ただ場所だけが違った。
田中が足を止めた。
フィオが気づいた。振り向かなかった。
「……ついてくるな」
「別の方向に歩いてる」
フィオが黙った。石を袋に入れた。立ち上がった。
そのまま歩き始めようとした。
「……お前、いくつだ」と田中。
フィオが止まった。
「……なぜ聞く」
「聞きたいから」
沈黙が二つ分あった。
「十六だ」
田中が少しだけ間を置いた。
後ろで、エリュシアが止まった。アルスも止まった。誰も声を出さなかった。
「…………石でいい。無理はするな」
フィオが振り向いた。目に力が入っていた。
「私をなめるな」
「違う」と田中。「石はタダだ」
沈黙。
フィオが田中を見た。田中がフィオを見た。
「……それだけか」
「それだけだ」
フィオが視線を外した。石の袋を持ち直した。
「……余計なお世話だ」
「そうだな」
田中が歩き始めた。
フィオが少し遅れてついてきた。
(……命令で動いてる顔だ)
(二十三年、俺も同じ顔をしていた)
(疲れた顔だ)
(諦めている顔じゃない。疲れた顔だ)
(それが一番、タチが悪い)
何も言わなかった。
言わなかったが、自然に歩幅を少しだけ緩めた。フィオが追いつける速度にした。
フィオは気づいたか気づかなかったか、同じ速度で歩いた。
******
後ろで、エリュシアが静かに歩いていた。
(……見ていました)
(全部)
(二十三年分の申請書を、私は処理していました)
(全部)
(全却下で処理していました)
(今の田中の顔を、私は二十三年分のデータで知っています)
(知っているだけです)
(声には出しません)
(まだ、出せません)
******
王都に戻ると、ショウが露店の前で待っていた。
「お帰りなさいませ。湯治の効果はどうでしたか」
「悪くない」と田中。「また行く」
「ほんまですか。宿の主人も喜びますわ」
「次は交渉する。複数名の割引を取る」
ショウが少し目を細めた。
「……田中さん、休暇に行って帰ってきてすぐ値引き交渉の話になりますか、普通」
「次の準備が先だ。常識だろうが」
「なるほどなあ。あんさんは商売人やったほうがいいかもわかりませんな」
アルスが小声でフィルナに言った。
「師匠は……旅行でも節約ですね」
「田中さんはいつでも田中さんだよ〜!」とフィルナ。
グレインが腕を組んで言った。
「それが強さだろ」
全員が少しだけグレインを見た。
「……なんだ」
「言いましたね、今」とエリュシア。
「言ってない」
「言いました」
「……聞こえてなかったことにしろ」
ネネが小さく笑った。
******
夜、田中が帳面を開いて今日の収支を書いた。
温泉代:一五G。
交通費:ゼロ(徒歩)。
食事:込み。
石:フィオが拾った分。タダ。
収支:医療費削減分を考慮すると黒字。
グラが肩の上で眠っていた。
田中が帳面を閉じた。
(……十六か)
それだけ思って、明かりを消した。
******
**その頃、神界では――**
ウルダが窓の外を見ていた。
部下の神官が書類を持ってきた。
「田中剛担当・エリュシアより。本日の業務日報です」
ウルダが受け取った。一行読んだ。
「……『特記事項:その後、少し間がありました』」
もう一行読んだ。
「……『理由は書けません』」
ウルダが書類を机に置いた。
「エリュシアは最近、『書けません』の頻度が増えていますね」
「増えております」と神官。「先月比で四・七倍です」
「……寛大に見守ります」
「寛大です」
ウルダがもう一度窓の外を見た。
(……あの女神が書けないことを、私も書きません)
書類の端に何か書きかけて、止めた。
ペンを置いた。
**神界業務日報 第22回**
本日の特記事項。
勇者が年齢を聞きました。
相手は十六歳でした。
その後、少し間がありました。
「石でいい。無理はするな」と言いました。
理由は聞きませんでした。
特記事項:その後、少し間がありました。
理由は書けません。
本日はこれだけです。




