十八話:離宮女官、甄真
私は湖水地の離宮に仕える女官、甄真。
妖婦による騒乱で夫を亡くした未亡人。
仇である妖婦を討伐した巫女の施娘から信頼され、身の回りの世話を一手に任されている。
ただここ半年、はっきり言ってしまえば斉献籍という妖婦討伐を共にした武官の方が来てから、施娘は以前ほど私を頼ってくれなくなった。
斉武官を招き入れるなんてしてしまったのだから当たり前だけれど、それ以上に、施娘は妖婦の呪いで他人を狂わせてしまうことを恐れるようになっている。
『狂愛の呪い』は異性に限ったものらしいのに、私とさえ距離を取ろうとするのは、聖なる巫女と呼ばれていようと、施娘が年若い少女であることの表れだと思う。
「何をなさっているのでしょう?」
私はそんな施娘を住まいの玉鈴館から追い出し、今、不埒な侵入者と対峙した。
と言っても、相手は私が声をかけると同時に棚の陰に身を潜めている。私は気にせず生薬を直した続き部屋へと近づいた。
この玉鈴館に侵入する者がいることは、仙人さまが置いて行った泥人形の野邪から知らされている。知らされてから半年、私は独自に侵入者を調べていた。
「あなたが施娘の作った薬を盗んでいらっしゃるのは知っていました。もちろん、その用途も。ですから私は口を噤んでおりましたが、さすがにもう見過ごすことはできませんよ、長官」
「く…………。こ、このことを、巫女さまは?」
私が声をかけると、離宮管理の長官は、諦めたように床に手を突いた。
「申し上げておりません。長官が窃盗を行っていると知れば、ご自身で動かれる方ですから。それに、他にも肝試しや金銭目的で侵入した女官たちがおりましたし。その者たちについては、ご報告したとおりです」
野邪が見た侵入者は三人。長官以外の二人は、すでに特定して長官に処分をお願いしている。
窃盗を常習的に行っていた女官は罰を受けて離宮を追われたけれど、肝試しで侵入した女官は窃盗を行っていなかったことから謹慎のみ。
そうした処罰を下したのは、長官自身だ。
「細君を亡くされ、ご息女が病に倒れたために薬を欲したことはわかっております。施娘の生薬が離宮の侍医より効いたことも。…………ですが、すでにご息女は快復されておりますね? 何故未だに侵入を繰り返し、しかも生薬ではなく施娘の私物を持ち出すようになったのですか?」
全て露見していたことに、長官は羞恥で肩を震わせる。
普段の厳めしいお顔が、今は隠せない恥の感情を露わにしていた。
「私は、あなたに感謝していたのです。夫を亡くし、まだ若いからと再婚を急かされる私を、あなたは匿うようにここに勤めさせてくださった。長官も後添えを勧められても受け入れず、今も細君を思っていらっしゃる。その姿に私は尊敬さえしていたのに」
「窃盗などに、手を染めた私を、侮蔑するか…………」
「もちろんそれもあります。ただ古都からの干渉を退けるため、正面から施娘に助けを求めることができなかった状況は理解しております」
ご息女の病状を話せば、施娘は自ら足を運ぶほどに尽力してくれるだろう。
けれどそれでは古都の者に取次ぎを行えと言われるのは目に見えていた。それでもご息女を助けたい。その一心で魔が差したのだ。
「ですが、今あなたは呪いに負けて自らの欲を満たすために罪を犯しているではありませんか。そんなこと、見過ごすわけには参りません」
何か反論しようと口を開いた長官は、次の瞬間青褪める。
斉武官の例から考えて、自分が『狂愛の呪い』にかかっている自覚がなかったのだろう。
これで無愛想ながらに気遣いのある長官に戻ってくだされば。そう考えた私が甘かった。
「私は…………こんな…………う、うわぁーー!」
長官は吠えるように声を上げると、手近な物を私に向かって投げる。
しかも投げつけられたのは、置物のふりをしていた野邪だった。
避けることを迷った私のお腹に野邪が直撃する。衝撃に倒れ込むと、強かに頭を打った。
私のお腹をはねた野邪は、鈍く重い音を立てて床に激突する。一瞬痙攣するように動いたけれど、その後は死んだように転がったままになってしまった。
「の…………! あ、長官! 正気に戻ってください!」
「こんなこと、違う、私は…………私は…………妻を愛して…………だが、巫女さまの…………うぅ」
聞こえてるのに、感情に振りまされるような切迫した声で長官は呻く。
絞り出すように呟きながら、私に向かって来た。痛みで上手く動けない。それでもこのままではまずい。
「長官、あなたの行動はおかしいのです。施娘との接触は極力短く、呪いにかかることを恐れて仙人さまからいただいた札も身に着けていらっしゃったのに。半年前、施娘がふさぎ込んでからここを訪れることが頻回になりましたよね?」
今にして思えば、長官が呪いに影響され始めたのはそれからだ。最初は施娘を心配してのことと思っていたけれど。
「施娘と会わなければならない理由を無理に作ってましたよね? 私は札が捨てられているのを見ました。それに、生薬です。何故それがご息女の病に効くとわかったのですか? 誰に教えられたのです?」
私の目から見ても明らかにおかしくなったのは、女官の侵入を告げて処罰を願った後からだった。
「あの肝試しをしていたと言った女官と、面談と言って日を置かず会っておられる。あの者は斉武官をここまで案内したと思われます。あなたは、あの女官に何を吹きこまれ」
「甄夫人? どうしたの?」
「施娘!? 逃げて!」
動けないまま叫んだけれど、長官のほうが早かった。
玉鈴館に戻ってきてしまった施娘は、正気を失った長官に抱き込まれてしまう。
「な、何!? え、長官!?」
「あぁ、あぁ…………! 触れたかった、もう一度…………触れたいと思ってしまった…………そう、これだ…………」
「ひぃ!?」
恐怖の声を上げる施娘に、私は手に届く物で長官の背中を打った。
繊細な見た目の割に、玉鈴は鈍い音を立てて長官を怯ませる。
「し、甄夫人!」
「馬鹿、逃げなさい!」
長官の腕から逃れたというのに、施娘は奥にいる私を助けようと駆け寄って来た。
私と施娘がお互いに気を取られた隙に、長官が私の首を締め上げにかかる。
「やめて! 甄夫人に何を!?」
「私は、私は…………! 巫女などがいるせいで!」
長官の苦し紛れの言葉が、施娘に突き刺さった。
気道を塞がれた苦しさも忘れて、私は声を上げてしまう。
「そんなわけ、ないでしょ! 呪いに侵された弱さを、施娘のせいに、しないで!」
「やめてください! 甄夫人を離して! なんでもするからお願い! そのままじゃ死んじゃう!」
「巫女が、いるから…………妻を裏切るわけには…………巫女がいなければ…………」
息を吐き出してしまった私の意識は、施娘の叫びと長官の妄言を聞きながら、闇へと堕ちていった。
そして次に目覚めた時、私は自分の寝室に繋がれていた。
一日一回床に放り込まれる粥だけで命を繋ぐ間、自分の置かれた状況を考える。私は今、明らかに妖術にかけられていた。
縛られてもいないのに寝台から離れることができず、声も出ない。
扉や窓に耳をつけて外の声を拾ったところ、私は気鬱の病で部屋に閉じこもって出てこないことになっているらしい。
施娘の噂は、女怪から妖婦へと変わっていた。長官がそう言って、誰も近づけずに閉じ込めているそうだ。
何もできない自分の無力さに腹が立つ。
長官なら呪われていても正気に戻ってくれると思っていた、考えの甘さも。
私は考えが甘すぎる。夫の時もそうだった。
手紙のやり取りを長く続けるだけの、顔も見たことのない許嫁。妖婦との戦いに出ることが決まって祝言を行った。
祝言を終えてから戦に出るまでの三日、まともに話せなかった。お互い、顔を合わせて喋ることに、不慣れすぎた。そして慣れるほどの時間は残されていなかった。
『また、手紙を書く』
出征の日の朝、夫はそう言った。
『帰って来て、話してください』
私は戦地に向かう夫への気遣いの言葉も言えず、そう答えた。
これが最後の会話になるなんて、思いもせずに。また戻ってくると、顔を合わせて話ができると、甘く考えていた。
せめて手紙だけでも遺してくれていたらと、身勝手に嘆いた。
思いを引き摺るだけ無駄だと言う親族より、嘆きを理解してくれた長官に過剰な期待をしてしまっていた。
そのせいで、夫の仇を討ってくれた施娘に…………。
ここで後悔に費やす時間は無駄だった。帰らぬ夫と違って、今ならまだ間に合う。施娘を助けなければ。
そう気力を奮い立たせて、外で女官の声が聞こえる度に、家具を蹴ったり、壁に体当たりをして異変を報せようとした。
結果、気鬱から気が違って暴れるようだと、人が来なくなってしまう。
次に粥を投げ込む女官を捕まえようとしてみたけど、どうも例の女官のようだ。私が玉鈴館への侵入を長官に告げたことを知っているようで、紅を引いた口がいつも嘲笑うように歪んでいた。
「今日、あの巫女は処刑されるわよ」
「…………!?」
口を開けて言葉を紡ごうとしても、喉から声が出ない。
それでも私が何を言っているかわかっているらしく、女官は嫌な笑いをより深くした。
「間違えた。処刑されるのは、長官さまを誘惑して堕落させようとした妖婦だったわぁ」
怒りを込めて睨む私の反応を楽しむように女官は語る。
「この離宮、最初はなんのために建てられたか知ってるかしらぁ? かつてこの地にいた神を奉る場所だったのよ。周辺の湖水を回って、身に纏った永遠に消えない炎を鎮める荒神の」
その炎は、つややかささえ感じるほど、黒い炎だったのだという。
「荒神が消えても荒神の残した漆黒の炎は残ったの。この離宮はその漆黒の炎を保管する場所。立地がいいから後の王たちが別荘にしてしまったけれど」
何故この女官はそんなことを知っているのだろう?
侵入者を調べる時に、この女官が都からやって来たことは知っていた。都生まれ都育ちで、この地方に縁などないはずだ。
「どうしてそんなことを知ってるかって顔ねぇ。ちょっとだけ教えると、漆黒の炎に興味があったから。できれば消す方法を知りたかったんだけど、神の遺物なんて呪いも同然。消すより他人に押しつけるほうが確実だわぁ」
何を言っているのかはわからない。
わからないけれど、この女官からは悪意しか感じなかった。
「…………! …………!?」
「あの傲慢で幼稚な巫女をどうするかって聞いているのかしら? 心配しなくても大丈夫よぉ」
袖で口元を隠して笑った女官は、笑みに細めていた目を見開いて告げる。
「妖婦は漆黒の炎で燃やし尽くす。あの娘がやったようにね。その後は、人質の価値もなくなったお前も処分してやる。遅れずあの娘と共に冥府へ送ってやろう」
決定事項のように告げる女官の目は、獣のような鈍い金色をしていた。
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