十七話:呪われた業
一歩下がった献籍の顔が良く見える。
そして音さえ聞こえるようだった。
血の気が下がり、見る間に献籍の顔色は青褪める。
「…………私は、今…………なんてことを…………」
そんな弱々しい声、初めて聞いた。
空くんは地面に着地すると興奮したように威嚇音を出す。
長くて白い体毛の間から見えた目が、いつもと違う色だった気がした。
空くんから目を戻すと、献籍は怯えるようにもう一歩下がる。
突然正気を失うなんて、私も驚いたし衝撃だった。
けど、私なんかより呪いの強制力に恐れおののいたのは献籍自身だった。
「…………すみません、謝って、済むはずもない…………けれど…………」
「け、献籍! 献籍のせいじゃないよ。呪いの、そう呪いのせいだよ!」
咄嗟にそう庇ったけれど、私の言葉は武官としての献籍を傷つけてしまう。
軋む音がするほど歯を噛み締め、血の滲んだ掌を握り締めた。
私を見つめる瞳に宿った怒りにも似た感情。
確かに宿った拒絶の色に、私は竦んでしまう。
「あ…………ごめん…………」
謝って俯く私に、献籍も息を詰めて何か言おうとする気配があった。
顔を上げた途端、一歩近づこうとした献籍の動作に、思わず私が下がろうとして木の幹に当たる。
無意識に逃げた私の動きに、献籍は痛むように目を閉じてさらに一歩引いた。
「あなたを守ると言ったのに…………」
後悔の色濃い声に、私は必死に首を横に振った。
「わかってる。献籍はいつでも私を助けてくれたもの。呪いのせいだよ。あの妖婦が命がけで遺した呪いなんだから、しょうがないよ。献籍が悪いわけじゃないし、そんなつもりなかったのもわかってる。私を仲間として心配してくれる心を利用されただけだよ」
言い募るほどに献籍の表情は苦しげになる。
妖婦に追われた苦しい旅路でも、献籍は挫折なんてしなかった。どんなに辛い状況に追い込まれても、私を励まして旅を支えてくれた強い人のはずだ。
なのに、今はこんなにも傷ついて苦悩の表情を浮かべてる。
私は、どうすれば慰められるのか、わからなくなってしまった。
「私の思いは、決して…………」
絞り出すように何かを伝えようとした献籍は、誰何の声に口を閉じる。
いつの間にか私たちに気づいた長官がこちらに向かってきていた。
「あ、待っ…………」
背を向けて逃げ出した献籍を引き留めようとして、思い留まる。
私が何か言う度に、献籍の表情は曇った。これ以上不用意なことを言って傷つけてしまうのが怖かった。
「巫女さま! ご無事ですか!?」
逃げる献籍を追わず、長官は動けない私を心配する。そんな気遣いに、私はぎこちなく頷くことしかできない。
「怪我は? 無体を働かれたのですか? こんな所に引きずり込まれて?」
聞きながら、長官は私の手を取って怪我の有無を確かめる。
「施娘!? …………どうしたの?」
長官から遅れてやって来た甄夫人は、私の異変に驚く。
このまま黙ってても心配させるだけ。気を遣わせるだけだ。
「大丈夫…………です。何も、なかったです、から…………」
「ともかく、一度部屋に戻りましょう? 落ち着いて、それからゆっくり話して」
甄夫人は長官から私の手を奪うように取ると、玉鈴館へと引っ張って行く。
「長官、どうか辺りに人が近づかないようお願いします」
「う、うむ…………」
心配してくれた長官にお礼を言う頭も回らず、私は玉鈴館の中に座らされる。
私が戻ったことに気づいて、野邪が稼働音を立てるのが聞こえた。
「本当にどうしたの、施娘? あの斉武官と何があったの? 親しい間柄だったのよね?」
「…………呪われてた」
「え?」
「どうしよう? こんな短時間で、あんなに正気を失うほどだなんて…………私、どうしたら?」
「落ち着いて、施娘。ここを出た時から、順に話してちょうだい」
甄夫人は私の隣に座ると、背中を優しく撫でながら話を聞いてくれる。
「『狂愛の呪い』?」
「知ってるんじゃ、なかったの?」
呪いの名前を聞いて驚く甄夫人に、私は思い違いに気づく。
甄夫人は私が呪われていることは知っていても、どんな呪いかを師匠が説明する時にはいなかった。
「好意が狂愛に変わる…………。あぁ、私のせいだわ。部屋に入れたのがそもそもの間違いだったのね」
「違うよ、甄夫人は悪くないよ、私が」
「私が悪くないなら施娘も悪くないわよ。呪いがどの程度かなんて、検証しようもないしわからなかったんだから」
反論を許さない強さで言い切る甄夫人は、優しく私の頭を撫でてくれる。
「あの仙人さまは平気そうだったのに。太子さまも半年以上かかっておかしくなったんでしょう?」
「うん、呪いにかかりやすい人っているみたいで。旅の仲間の方士は一目でおかしくなってた」
「クゥ、ククー」
『ふむ、旅の間の時間を加味すれば、確かに順当なのじゃ』
窓から入って来た空くんと一緒に、近づいて来た野邪がそう言った。
「説明をお願いできる?」
『簡単なことよ。妖婦を討伐して呪われた巫女と、帰還の間共に旅したのなら、呪いの影響はその時からあったと見るべきなのじゃ』
「「あ!」」
私と甄夫人は同時に声を上げた。
「けど、ここに来た時には冷静だったでしょう? その呪いは突然正気を失うようなものなの?」
甄夫人の疑問に、空くんが答えるように鳴いた。
「クフゥ。クー、クキュ」
『なるほど身体接触が呪いを深化させる条件とも考えられるのじゃ』
つまり窓から落ちた私を支えたせいで、献籍は呪いの影響を強めてしまったようだ。
…………やっぱり、私のせいだよね。
「…………狂愛、愛に狂う、愛って、なんなんだろう?」
「施娘、顔上げなさい」
甄夫人に両頬を包まれて顔を上げさせられた。
見つめる甄夫人は真摯な表情で私に言い聞かせる
「いいこと? 人を愛するっていうのは決して悪いことじゃないの。そんな怖がるようなものじゃないのよ。『狂愛の呪い』の被害者がいて、誰が悪いかなんて言ったら、愛を捻じ曲げてそんな呪い作った妖婦が悪いに決まってるわ」
「ふぁい…………」
「親しい人を傷つけてしまったことを気にするななんて言ってもしょうがないけど、呪いにかかった人に悪いと思うなら、呪いを解く努力を続けましょ。落ち込んでたって何も解決しないわ」
「…………うん、そうだね」
その日は早めに寝かしつけられた。
長官の配慮なのか、玉鈴館の周りには誰も居なくて静かだ。
「…………眠れない」
「クキュ?」
「空くん? また何処から入って来たの?」
私が声をかけると空くんは寝台の上に登って来た。
灯りのない暗い中でも、空くんの全体的に白い形はわかる。目の位置も目測が立った。
「あの時、目の色が金に見えた気がしたけど、気のせいかな?」
「クー?」
なんの警戒もなく近寄って来る空くんは、私の顔の側に伏せる。
柔らかな毛並みを撫でると、生き物のぬくもりを感じた。
「私、どうしよう? 献籍を傷つけちゃった」
「クフゥ」
聞いているのかいないのかわからない空くんだけど、私は気にせず胸に淀んだ思いを口にした。
「献籍は強いんだよ。けど全然暴力的じゃないし、気遣いもできて、頼り甲斐があるっていうか。うん、優しい人だって知ってるの」
そんな献籍が、『狂愛の呪い』にかかって私を押さえ込んだ。
戦いの旅で乱暴な扱いを受けたことは何度もある。けどそれは私を守るためだったり、助けるためだったり。
あんな衝動的で理性を失くしたような瞳で迫るなんてこと、正常な判断のできる献籍はしなかったことだ。
「そんな人を、私は歪めてしまった…………」
「キュキュ?」
「きっとすごく嫌だったんだ。だって自分の気持ちを別のものにされるんだよ? そんなの怖いし、気持ちのいいものじゃないはずだし」
私だったら、自分の気持ちを勝手に操られるなんて嫌だ。気持ちが悪い。
なのに、私にかけられた呪いはそれを強制する。
「献籍の武官としての矜持も傷つけてしまったの。私、あの時なんて言えば正解だったのかな?」
口にして気づいた、違う。
こんなことを後悔してるんじゃないと。
「私が、もっと特別な力があったら、『狂愛の呪い』も制御できたかもしれないのに」
そう自分の力が足りないことが悔しい。後悔してる。
錬丹術も上手くいってない。私には高度な技術すぎて、何が悪くて失敗するのかもわからないくらいだ。
ひたすら野邪の指示に従って作業するばかりで、何を改善すればいいとか、何処に気を付けるべきだとかが全くわからない。
手探りで、どれだけ完成に近づいているのかも何も実感がないまま、失敗を繰り返してる。
「ごめん…………献籍…………」
私に会わなければ、献籍は呪いに負けて正気を失うなんて醜態を晒すことはなかったのに。
「…………呪いが怖い」
私の呟きに、空くんが身じろいだ。
「いっそ、誰とも会わない所に行ければな…………」
今さらだけど、あの師匠さえ呪いの影響を受けていたんだ。私が手に負えると思うことがおこがましい。
身に余る呪いを抱えてしまった大変な状況が、今さら身に染みた。
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