十六話:見知らぬ声
窃盗犯の侵入を知り調べようと思ったら、私、玉鈴館の女怪と言われていることを知りました。
「面白がって言ってるだけだから、落ち込まないで施娘」
「うぅ、甄夫人知ってて黙ってたなんて…………」
「言ったってしょうがないでしょ? 錬丹術も野邪も今の施娘に必要じゃない。それに詮索されて巫女さまとばれるより、遠巻きにされてるくらいが都合もいいのよ?」
呪いを解くことを第一に、ほとんど玉鈴館から出なかったら変な噂が立ってたみたい。
最初から身元のはっきりしない人物ってことで好奇の的だったと今さらになって甄夫人から教えられた。
「都落ちとか言われてたけど、私がお世話してるから大臣の身内の姫だろうって言われてて、ちょうどいいから私も否定しなかったの。それが異臭とか不審な声とか用途不明の物品購入とかで噂が膨らんじゃって」
『暇を持て余して面白おかしく女怪像を作ったのじゃろう。噂に派手な尾ひれがつくのは今も昔も変わらないのじゃ』
「クゥ…………」
慰めるようにすり寄って来る空くんを撫でる。ちょっと気持ちが浮上した。
もふもふってすごい。
「よし、落ち込んでないでちゃんと犯人捜しを」
「しなくてよろしい」
甄夫人にちょっと怖い笑顔で止められた。
「今まで引き篭もってた施娘がうろついても警戒されるだけよ。ここは私に任せなさい。調べるなら私にもできるから、あなたは金丹作りを続けるべきでしょ」
「そう、だけど…………。最近上手くいかなくて、ちょっと気分転換も兼ねて…………」
「そういうことなら長官にお話し通してから」
「…………はい」
出歩くことさえ一人じゃ駄目って、やっぱり聖なる巫女の立場って私には合ってないんだなぁ。
春嵐は当たり前にお付きを引き連れてたけど、私には無理だなぁ。あんなに堂々としてられない。
…………春嵐と、話したいなぁ。
そんな話をしていた時、玉鈴館の扉が外から控えめに叩かれる。
思わず私と甄夫人は顔を見合わせた。
ここに来るのは長官か託けを持った下働きだけ。
長官なら事前に甄夫人に話を通しておくし、下働きなら戸は叩かず外から声をかけて用件を言う。
「どなたでしょうか?」
甄夫人が私に頷いて応答した。
空くんは扉とは反対の窓から外へと逃げ、野邪は続き部屋のほうへ移動して機能を停止した。
錬丹術を教える以外はほぼ停止しているのが野邪のお決まりだ。
「…………こちらに、施娘がいらっしゃると聞いたのですが?」
「あれ、その声って」
「施娘? お久しぶりです。斉献籍です」
「献籍!? なんでここに?」
知り合いらしいと知って甄夫人は扉を開ける。
献籍は初見の甄夫人に対して、丁寧に武官の礼を取った。
「どうぞ、お入りください。確認させていただきますが、妖婦討伐を成した聖なる巫女さまの随行人、斉武官でお間違いはありませんか?」
「えぇ、そうです。…………今日は、私的にやって来たので先ぶれもなく面目ない」
「お城から何か命じられたんじゃなくて?」
聞いた途端、献籍は微かに頬を染めて恥じるように視線をそらしてしまった。
「実は…………王太子妃の周辺で、施娘からの連絡がないと心配の声が上がっているのを、耳に挟みまして。つい…………」
「ついって、お仕事は?」
「今日は非番です」
それ、昨日の職務が終わってから、夜を徹してここまで移動して来たってことじゃないの?
「献籍って…………普段丁寧なのに、たまにすごい行動力発揮するよね。いきなり私を抱き上げて走ったりさ」
「う、あの折は、婦女子に無体を強いてしまって」
「ふふ、冗談だって。いつも助けてもらってたんだから、沐浴覗かれたことなんて怒ってないよ」
「あれは事故です! 決して疚しい思いがあったわけでは…………!」
ようやくこっちを見て反論した献籍に笑いかけると、からかわれたとわかってさらに赤くなってしまった。
「…………あの仙人さまとはまた違った仲の良さね」
甄夫人が私たちのやり取りを観察してそんなことを呟いた。
「師匠は優男っぽいのに案外手が早いんだよね」
「確かに越西師は少々短気なところがありましたね」
献籍と違ってからかうとすぐに怒って実力行使に出るのが師匠だ。
それに比べて献籍は戦い以外ではとても穏やかな人だった。
「斉武官、お尋ねしますが、ここまでどうやってお出でに?」
「そう言えばそうだね。基本的に男性入れないはずだし、壁も道もほぼないから建物の位置把握してないと、ここには来れないよね?」
離宮の中にはこの玉鈴館のように独立した棟が幾つもある。
初めて足を踏み入れた者が誰の案内もなくやって来たのは不思議な話だ。
「どうやらそちらの方のように私のことを知っている女官がいらっしゃったようで、向こうから声をかけてもらいました」
「…………それは、どのような女官でしたか?」
「ずっと頭を下げて袖に顔を隠していたので…………。できれば、私を案内したことでお叱りを受けるようなことはないようにお願いしたいのですが」
献籍が案内した女官を庇うと、甄夫人は呆れたように溜め息を吐いた。
「そうなると、あなたはただの侵入者になってしまいますよ?」
「はは、上の許可も得ずに施娘に会いに来たんですから、今さらお叱りを受ける項目が増えたところで変わりはありません」
叱られてもいいという献籍に甄夫人は諦めたようだ。
「ちょうど施娘も気分転換をしたいと言って」
甄夫人は言葉を切ると外に耳を澄ませた。
「誰か来ますね。この足音…………長官?」
「え!? 献籍隠れよう!」
「あまり部屋数は多くなさそうです。窓から出て外の前栽に潜むほうがいいでしょう」
献籍はすぐさま空くんが出て行った窓に寄る。
身軽に窓を越える献籍を追って、私は窓の桟に手をかけ外を見回した。
見てる人はなし!
「…………あ!」
「危ない!」
身を乗り出したせいで、手が滑って頭から窓の外に落ちてしまう。
窓の下で辺りを窺っていた献籍が抱き留めてくれて事なきを得たけど、部屋に戻る時間はなかった。
「これは長官、どうなさいました?」
「この辺りに見慣れない男がいたと報告があった。巫女さまはご無事か?」
「えぇ…………」
私がいないことに気づいただろう甄夫人の言葉尻が濁る。
今から戻ることもできず、私は献籍と木々の陰に隠れるため移動した。
「錬丹術の失敗品を廃棄に行かれておりますよ。見慣れない男とは、いったい誰が見たのです?」
甄夫人が長官と話している間に、私と献籍は離宮の庭園の木々の中へと逃げ込んだ。
「うーん、これは長官に見つかる前に離宮から出たほうがいいよ。せっかく来てくれたのに、ゆっくり話もできないのは申し訳ないけど」
私がそう声をかけた時には、献籍の様子はおかしくなっていた。
苦しそうに息を詰めて、身を硬くしてる。
「献籍? どうしたの? あ、さっき私を受け止めた時に何処か打った?」
慌てて献籍に近づくと、両肩を痛いほど掴まれて背中を木の幹に押しつけられる。
私を見る献籍の目は見開かれていて、口は何かを堪えるように噛み締められていた。
「いったい、この匂いは…………? 香? いやそんな薫るような優しいものじゃない…………」
苦しそうに考えを吐き出す献籍は、その間も私から目を離さないのに、私を見ている気がしない。
急な変化に対処も思いつかなかった。
わざわざ来てくれたのは嬉しかったし、春嵐が私の様子を気にしてくれてたのもわかって浮かれてた。
だから私を見つめる献籍の目に熱が宿り始めてようやく、私は自分の呪いの名前を思い出す。
『狂愛の呪い』だったんだと。
「あぁ、眩暈がするほどの香しさ…………」
「え、え!? 献籍!? し、しっかりして!」
どんどん息の荒くなる献籍が、私の首筋に顔を寄せる。
熱い息がかかって肌が粟立った。
「待って待って! 放して、放し…………力強すぎだよ!」
吸いつくように離れない献籍に焦りが募る。何も言わなくなったのが余計に怖い。
呼んでも返事をしなかった献籍は、不意に顔を上げたと思ったら今度は片手で私の顎を掴んで上向かせた。
さすがに経験はなくとも年頃だから、この体勢が何を意味するかはわかる。
「待って! 口吸いなんて好き同士がするものでしょ! 正気に戻って献籍! 呪いでおかしくなってるんだよ!?」
「いいえ…………いいえ…………施娘、私は…………」
うわ言のように答える献籍だけど、表情が正気だとは思えない。
けど、力じゃ敵わないし、周辺に人もいない。
「いや…………! やめ…………」
唇に息がかかって咄嗟に口と目を閉じる。
瞬間、耳元で囁かれるような近さで声がした。
「浄化せよ」
目を見開いた私は、押しのけようと突っ張っていた手に力を籠める。
焦りと怯えで力の調整を忘れ、放った聖なる力で木々の間に光が溢れた。
浄化しようとする私の力と反発する何かが鬩ぎ合い、献籍との間に風を起こす。
風に屈めた体を起こす献籍の隙を見つけ、私は右手を振り上げた。
瞬間、木の上から勇ましい鳴き声が上がる。
「クゥーー!」
「空くん!?」
空くんはまだ私の肩を掴んで離さない献籍に向けて、爪をむき出しにした前足で襲いかかった。
防御のために片手を翳した献籍の掌に傷が走り、血が溢れる。
痛みに顔を顰めた献籍の目は、確かに私を捕らえて狼狽えた。
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