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21.エピローグ

「うー……さむ……」


 石を踏むごとに、靴ごしにすら冷気を感じる。

 冷えた石の上で転ばぬよう、両手を傘のように広げながら、みのりは慎重に歩みを進めた。


 音もなく流れる冬の川に、しんと冷え切った草むら、石。

 みのりは、家のほど近くを流れる河原にやって来ていた。


「んー。ここなら、賽の河原らしい光景と言えなくもないか……」


 しばらく水際を探索し、高架下の暗がり――石がごろごろと転がった場所で、ようやく止まる。

 街を流れる川は、どこもかしこもコンクリートや芝生できれいに両脇を固められていてばかりで、「河原感」はあまりなかった。


 唯一、土と石を剥き出しにしたこの場所だけが、辛うじてそれらしい。

 みのりは、一度ぐるりと周囲を見渡してから、その場にしゃがみこんだ。


 小ぶりのスーパー袋をかしゃりと握りしめ、しばし手指を温める。

 真冬の川の高架下に、好き好んでやってくる人物はほかにいない。


 ぼんやりと無人の河原を眺めてから、ようやく彼女は体を動かしはじめた。


「よ……っ、と」


 近くに転がっている石を摘まみ、積み上げてゆく。


「なんだっけ……。平たい石を、下?」


 記憶にあるコツをすべて引っ張り出して臨むが、不器用な彼女の手は、思い通りの形を作ってはくれなかった。

 積んでは傾き、積んでは崩れ、を繰り返し、やがて出来上がったのは、上の方でわずかにくびれた、ピサの斜塔めいた何か。


「…………まあ、目と口はわかるし。少なくとも石像感は、あるよね」


 しばらくの間、眉を寄せて石の塊を見つめた後、みのりはそれを「お地蔵様」だとみなすことを、己に許した。


 やれやれとその隣に腰を下ろし、ジーンズが汚れるのも構わず、ごしごしと手を拭う。

 それから、彼女はかさりと袋を鳴らして、中のものを取り出した。


 出てきたのは、未だほんのりと湯気を残した、焼き芋だった。


「よいしょ」


 みのりはそれを真ん中あたりで二つに折ると、片方を紙で巻きなおし、「お地蔵様」の前に供えてみせる。


「めしあがれ」


 しばらくじいっと石像を見つめてみたが、特になにが起きるわけでもないので、彼女は肩を竦める。

 それから、自分の焼き芋を齧りはじめた。


 繁が死んで、今日でちょうど四十九日。

 日取りの都合で、法要は既に昨日済ませた。

 白い壺に入れられたお骨も墓に収め、いよいよ繁の家は空っぽだ。

 保険に遺産に家の処分にと、手続きの類は山積していたが、みのりはそれらを今日だけは放り出し、この河原へとやって来ていた。


「……やっぱ、ないか」


 蜜を閉じ込めた芋を食みながら、ぽつんと呟く。

 目はずっと、冬らしく暗い川の、水面を追っていた。


 再審を待ちながら、地獄で過ごした四十九日。

 冥界と現世うつしよで同じ時間が流れているとも思えないが、もしそれがありえるとしたら、今頃この地面から四万由旬(ゆじゅん)下では、ちょうど頬を腫らした繁たちが、冥府の宴に出ているはずだ。


(それとも、まだ私とゆたかくんが河原で焼き芋を焼いているあたりかな。それとも、鬼長官がクーデターを起こしたあたり? それとも――)


 ゆっくりと瞳を閉じる。

 瞼の裏で、地獄での出来事が、つい先ほどのことのように蘇った。


 美貌の鬼に喧嘩を売って、おんぼろ地獄に堕とされて。真たちに出会い、弟のような少年に出会い、気弱だったり無気力だったりする獄卒や、小生意気な神々に出会った。


 無茶苦茶な方法で日々料理をし、宗の意外な優しさに救われ、それから、繁と別れた。


(……それとも、繁さんが糸を掴んで、天に昇っているあたり?)


 みのりはゆっくりと目を開いた。

 四万由旬の深さを越えて、現世の大地を通り抜け、やがて空に至りはしないかと――天に昇る繁の姿を、一瞬でも目に捉えられないかと、ここに来たのだ。


 だが、どれだけ待ってみせても、暮れなずむ冬の空に、光り輝く糸が現れる気配はなかった。


「――……なによお、けち」


 期待はしていた。

 とはいえ、信じてはいなかった。

 それでも、思った以上にがっかりしている自分に苦笑し、みのりは傍らの石像を詰った。


「ここはひとつ、乙女の願いを叶えてやるべきなんじゃないの? かっこいいとこを披露して、私を胸キュンさせるべき場面じゃないの。あなた、それでも新・閻魔王なの?」


 指先で、つんと石像をつつく。

 帰還後、慌ただしい日々の合間を縫って、みのりは地獄について少々調べてみていた。


 地獄を統べる十人の王には、それぞれ顕現――現世うつしよに現れるときにまとう姿がある。

 閻魔王の場合、それは地蔵だというのだ。


「……あの無駄に美形な鬼が、お地蔵様……うくく、みのでも巻いてやりましょうか?」


 宗の美貌とのギャップに、少しばかり意地悪な笑みがこぼれる。

 不器用なみのりが象った地蔵は、デッサンの崩れた顔で無言を貫くだけだった。


 だがまあ、宗本人のように過剰な美形でないぶん、不思議な愛嬌がある。

 みのりはふと思い立ち、供えていた焼き芋を一口だけ摘まみ取り、口と見定めた部分に近付けてみせた。


「ほら、あーん。どう、おいしい? だんだん協力しようって気になってこない? もう、生き返らせろとまでは言わないからさ。少しだけ、会わせてくれるくらいいいじゃない。ねえ?」


 ちょん、と石に軽く付けてみる。

 地蔵はやはり、うんともすんとも言わなかった。


「……しょせんそういう男よ、あなたは」


 みのりはぱたりと腕を降ろす。

 冗談めかした口調が、もっとうまくなればいいのにと思った。


 繁の死は、受け入れた――というか、理解した、と思う。

 もう今更、彼の死を疑うことや、生き返りを望むことはしない。


(それでも、一目でいいから会いたいって願うのは……やっぱ、未練なんだろうなあ)


 みのりは自嘲した。

 十五年もの間、心の支えにし続けてきた相手だ。

 死を理解し、ぞんぶんに泣いたからと言って、さあ翌日から元気に前を向いて歩けますかと言われたら、そうはいかない。


 長い時間をかけて、その未練と折り合っていくというのが筋なのだろう。


「筋なんだろうけど……少しくらい、ヘルプー」


 しかしそれが、正直な想いでもあった。

 みのりはがくりと首をのけ反らせて空を見つめ、やがて姿勢を戻すと、深々と溜息を落とした。

 もう、行こう。

 その言葉を、呪文のように、何度も自分に言い聞かせながら。


 だが、そのとき。


『うーん。既製品もおいしいけど、やっぱりここは、手作りがよかったなあ』


 涼やかな声が耳をくすぐり、みのりはバッと振り返った。


 先ほどみのりが作り上げた状態から、何一つ動きのない地蔵。

 だが、声は、確かにそこから響いていた。


「まさか……長官!?」

『まさかの元長官、現閻魔だよ。なりたてほやほや。どれくらいほやほやかと言うと、ついさっき君を見送ったくらい』


 笑みを含んだ声は、やはり宗のものであった。

 どうやら時系列としては、みのりが地獄を去った直後であるらしい。


『でもって、次いで大沢繁雄を見送ろうとしたら、感極まるあまり号泣しすぎた彼がうっかり糸を逃してしまって、一同で呆然と立ち尽くしているのが今だよ。ふざけるなだよねははははは』


 さらに言えば、彼の笑いは、怒りの発露であったらしい。

 やけに平坦な笑い声の後ろからは、


『すみません……! 本当に申し訳ございません……っ!』


 と、涙混じりの男の声が聞こえた。


「…………! 繁さん!?」


 久しぶりに聞く声に、全身が耳になったような心地を覚える。

 が、一拍置いて宗の言葉を理解し、みのりは顔を引き攣らせた。


「――……糸を、なんですって?」

『逃した。逃したんだよ。この僕が、わざわざ恩赦まで発令させて下した糸を、単なるうっかりで』

「…………」


 みのりは無言で額を押さえた。

 かつてのゆたかのように、意図的にそうしたのではないことが、みのりにはわかった。


 なんといっても繁は、本当にうっかり、赤信号のままの車道に出て行って車に撥ねられるような人物なのだから。


「…………それは、大変なご迷惑を……」

『うん。だからね。君にも尻拭いを手伝ってもらおうと思って』

「え?」


 続いた宗の言葉は、予想外のものだった。


『糸という飛び道具を失った以上、地道に十王裁きをやり直すしかない。とはいえ、彼は最初の秦広王の裁きすら受けていないわけだから、そこからだ。閻魔庁の不明は閻魔庁で解決すると、啖呵を切ったにも拘わらず。それがどれだけ、十王たちに借りを作るか、わかるかな?』

「……それは……」

『即位早々、他の十王に隙を見せるなんて僕はご免だ。不均衡は、少しでも正される必要がある。それこそ、彼らの大好物を鼻先に突きつけでもして』


 ようやく話が見えてきて、みのりは息を呑んだ。

 それは、つまり。もしかして。


 背後でわあわあと「どうかみのりちゃんを巻き込むのは……!」などと喚いている繁を押しのける気配がして、その後に宗は告げた。


『昇天が確定するまでの四十九日。念押しの五道転輪王裁きまで含めると七十日。君……地獄で彼らの、胃袋を掴んでくれない? どうやら、拷問器具を使っての調理は、君くらいしか指揮できないみたいだからね』

「…………!」


 みのりは咄嗟に、両手で口を覆った。


 信じられない。

 なんという幸運か。


 少しずつ受け入れ始めている繁の死。

 筋に照らせば、このまま潔く別れるのが正しいだろうとは、思うけれど――。


(でもまだ、繁さんは昇天してないし。期間限定だし)


 即座に己に対して理論武装し、みのりは力強く頷いた。


「やる。やります!」

『そ。よかった。いやあ、想像通り、清々しいほどの素直さだねえ』


 宗は軽やかに頷く。見えないが恐らく、彼の整った眉は皮肉気に持ち上がっているのだろう。


 ――あっけないほど短い時間だ。大切にお過ごし。


 ふと、別れ際に宗が向けてきた言葉を、みのりは思い出した。


「――……ねえ」

『うん?』

「もしかして、私のためなの?」


 いつだって、掌の上ですべてを操ろうとする宗。

 この短すぎる別離もまた、彼の計画の内だったとしても、おかしくはない。


 意地悪なふりをしながら、さりげなく、みのりの願いをかなえてくれるということも。


『……だって、焼き芋もらっちゃったし』

「え?」

『前に言ったでしょ? 手ずから食べさせてくれるなら、便宜を図ってあげてもいいって』


 低く滑らかな宗の声は、今、微かな笑みを含んでいる。

 

『地獄の沙汰もメシ次第、ってね。今度は君の手作りがいいな、――みのり』


 そっと囁かれるように続けられて、みのりは思わず、胸をどきりとさせた。

これにて完結となります。

最後までお付き合いくださりありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 現実世界で、宗教的、彼岸のことはセンシティブですし、生きた人間が死者にかかわるのはよくないし、それを閻魔様とかが赦すのもおかしいとは思いつつ、ファンタジーだからと無視して楽しく読ませて…
[良い点] 21話とは思えない充足感でした。 地獄の風景が浮かぶような描写や無駄のない文章が素敵です。読みやすく伝わりやすく、つまづく箇所もなく、スッとお話に入りこむことが出来ました。とても切ない箇所…
[一言] 唯のしんみりとした終わりじゃない。 作者様ならではの最後が秀逸でした。 泣き笑いって、いいなぁ…
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