第8章 技師の仕事部屋 ふたたび
昼近く、メンテナンス作業が進む『ランペ』の奥の部屋に、ふらりと姿を現した男が、ふたり。
望月探偵事務所の調査員、針山と釘山だった。
「調子はどう?」
軽い調子で年長の方、針山が訊ねた。
立花は、その言い方が望月と似ているな、と思いながら答えた。
「至って順調です」
自分でも少し驚くくらい、元気な声だった。
「そりゃあいい」
針山は言い、続けた。「ちょっと調べたいことがあるんだけど…立花さんの部屋を見せてもらえないかな」
「え、うちですか」
「昨日、ぬいぐるみが大きくなっていたんだって?」
釘山から聞いたのだろう。「その後部屋へ行った? 今はどうなっているだろう」
「ゆうべ、ちょっと戻った時は変わりませんでした。えーと、3時くらいの頃」
望月にシャワーを勧められたので、着替えを取りに戻ったのだ。そのときはまだ、ぬいぐるみたちは巨大化したままで、着替えを取るのにもそれらをかき分け、押し押されながらやっと取って来られたのだった。
「それ以降は見ていない?」
「はい。…今、少しなら手を放せますが」
「じゃあ頼む。クギー」
呼ばれた釘山は、史のことを観察していたようだ。史の頭のケーブルは勿論付いたままである。
「はい。行きましょう」
やはり、今の史はかなりインパクトのある姿なのだろう。
立花はそう思いながら、針山と釘山について行った。
自室、201号の鍵を開ける。扉を押してふたりを先に入れた。
釘山が、部屋に入る前に腕時計に目を遣った。立花は気が付いた。そういえば『ランペ』を出た際にも彼は腕時計を見ていた。
立花のぬいぐるみたちは、すっかり元の大きさに戻っていた。『メンテナンス』が進んだおかげだろう。ただし、大きくなった時に転がったりぶつかったりしたので、彼らはそのまま部屋中に散らばっていた。
「戻ったようだね」
針山の言葉に立花は頷いた。そして、足元にあった熊のぬいぐるみを拾い上げた。
針山と釘山も、拾うのを手伝ってくれた。それらをいつもの位置に戻したが、足りない。
「あの、黒猫のぬいぐるみ、なかったですか?」
言ってから思い出した。あれはゆうべ、『ランペ』にあった。なぜか…。
「あ、違った。ここじゃなかった」
慌てて言い、考えた。今朝はあったろうか。
「何か気になることがあるの?」
その様子を見て釘山が訊ねた。
「ええ、まあ」
「なら話してよ」
「はい。…ここに置いていた黒猫のぬいぐるみなんですが、…」
立花はふたりに、ゆうべのぬいぐるみについて話した。
「立花さんが持ち込んだんじゃ、ないんだよな?」
針山が改めて訊いた。
「はい。昨日は私、それどころじゃなかったし…」
「でもここの鍵は、立花さんだけが持っている、と…」
「管理人室にもあるけれど、史ちゃんがやったとも思えないね」
釘山が言った。「彼だってそれどころじゃないし、そもそも理由がない」
「とりあえず『ランペ』に行って探そう」
針山が言い、扉を開けた。
「あれっ」
釘山が声を上げた。「またいた」
「何が」
針山が問う。
「猫です。今部屋に入って来たでしょ。昨日もいたのに立花さんは見ていないって…」
「ぬいぐるみだ」
扉の脇に、探していた黒猫のぬいぐるみが転がっていた。「なんで? さっきまではなかったのに」
言いながら、立花はそれを拾い上げて抱いた。
「俺、今、黒猫がドアの隙間から入ってくるのを見たんですよ」
釘山と針山、そして立花は、ぬいぐるみをじっと見つめた。
「もしかして」
針山が言った。「こいつ、自分で移動できるのか?」
「大きさや形も、本物みたいに変えられるようですね」
釘山も納得したようだ。
「今ならどんなことでも起きちゃいますよね…」
立花も本心のままを口にした。
ぬいぐるみはじっとしていた。それが、とぼけているように三人には映った。
「しばらく貸してくれないか」
「手元に置いて、様子を見てみます」
針山と立花、同時に声を上げていた。
針山は笑い、持ち主優先だなと言った。
釘山はまた腕時計を見ていた。
「えー…お知らせです」
釘山が唐突に声を上げた。そして針山を一瞥して続けた。「このオッサン、変な力使ってます」
「え?」
立花が戸惑いを声に出した。
「やっぱり俺なの?」
針山が頭を抱えた。
「どういうことですか」
「立花さん、もう少し付き合ってもらえる?」
釘山が苦笑交じりに訊ねた。「うちのボス呼ぶから」
「つまり、昨日うちの事務所の時間が止まったのは、ハリーさんがやったことだってわけ」
釘山が言った。
望月も釘山の電話でやって来ていた。そこで4人で、立花の部屋に敷かれた絨毯の上に円を描くように座っている。
「時間が止まったのは、未確認が1回あるが…食事中だったので…、確実なのは昨日の2回。それと、今」
「今?」
釘山の言葉に、立花は驚いた。
「そう今も。びっくりだろ。さっき来たときからずっと11時38分なんだぜ」
釘山は自分の腕時計を見せた。その通りだ。立花は部屋の時計も見たが、同じ時刻を指している。
「その3回すべてにいたのはハリーさんだけだ。ちなみに、うちも、ハリーさんがいない間は時間はちゃんと進んでいたよ」
「あ、ゆうべ「時間を見て」って望月さんが言っていたのはその確認…」
「そういうこと」
望月が言った。「昨日から急に始まったのよね。『メンテナンス』の間だけにしてほしいな」
「俺に言われても。わざとじゃないぞ」
針山が眉間に皺を寄せている。
「今後も続くようなら、制御できるようにならないといけないわねえ」
望月が言った。言葉は困ったような響きだが、表情はなんだか楽しそうでもある。
「頑張ってくださいね、ハリーさん」
同じように釘山も続けた。
「お前ら面白がっているだろう」
渋い顔のままの針山は、立ち上がった。「こんな時間に呼びつけて犯人扱いとはな。夕方まで仮眠する」
こんな時間、といっても正午近いのだが、彼らには早朝のようなものだ。
「ま、そういうことなので」
望月が立花に言った。「『メンテナンス』後はどうなるか分からないけれど、一応頭の隅にでも置いといてね」
「わかりました」
「ああそうだ、猫!」
針山と一緒に出て行きかけた釘山が戻って来て、立花が抱いたぬいぐるみを指さした。「所長。こいつ本物の猫みたいになって勝手に動くんです」
「ああ、私も見たかもしれない。『ランペ』で」
「それ!」
釘山と立花が、一緒に声を上げた。
つづく