第7章 ランペ ふたたび
立花は絨毯の上に座り込んだまま、すぐ隣で横になった史の顔を見ていた。
史は彼女がメールを送ってからすぐにやって来た。つまり、彼女が頼んだ通り、すぐにメールに付けたファイルを見たのだろう。
そうしてくれたことが嬉しかった。
と、同時に、すべてを話すことが出来ないのが申し訳なく、自分のことを秘密にされている史の身になると悲しい気持ちになるのだった。
「ごめんね」
立花は呟き、史の乱れた前髪をそっと直した。そして額に手を置き、その感触を確かめるように、頬を撫で、また手を置いた。
「少しの間だからね。終わったら、また、いつものように…」
言いかけたが、なんだか史への誤魔化しの言葉に思え、立花は黙った。代わりに別の言葉が口をついた。「史ちゃん、私、」
そこへ突然、立花の背後で大きな音がした。スマートフォンの呼び出し音だった。
立花がびっくりしたまま出ると、鳥飼の声が聞こえてきた。
「立花さん? 鳥飼です。基地局から貰っていた緊急連絡先リストを見て掛けたんだけれど…繋がったんだね、よかった」
「ああ、あれか…」
言いながら、立花は必死で動悸を抑えた。
「手紙、見つかったんだって? その後どう?」
「『メンテナンス』始まったよ。今回は『ランペ』でやってる」
立花は史の姿を見ながら答えた。
「そうか。じゃ史ちゃんは『ランペ』にいるんだね?」
「うん。私も今そこ。ついさっき始まったところで…」
「俺も様子見に行っていい?」
鳥飼が来て2回目の『メンテナンス』だが、彼がそんなことを言うのは初めてだった。だが、特に人が来て困ることはない。
「いいよ」
答え、通話が切れると、気持ちは少し落ち着いていた。立花は史にタオルケットを掛けてやり、店の主であるユキを呼んだが、返事はない。店の方に行ってみたが、いなかった。帰宅したようだ。
代わりに、客席のひとつに黒猫のぬいぐるみが座っており、その前に一食分のチキンカレーが、ラップを掛けられて置いてあった。氷水のたっぷり入った水差しとグラスまである。
「あれ、お前…」
立花は思わず声を上げた。そのぬいぐるみは、先日史から貰ったものと同じだったのだ。
よく見ると、ぬいぐるみの前足に紙切れが挟まっている。
『おつかれさま』と、少し読みにくい字で書かれていた。ユキが書いたのだと分かった。
そういえばお腹が空いている。立花はぬいぐるみの向かいに座った。
そこへ裏口のドアが開き、鳥飼が現れた。
「お疲れ様」
鳥飼は言い、続けて「史ちゃんは?」と訊ねた。
「あっちのカーテンの向こうです」
立花が答えると、鳥飼はカーテンを少し開けて中を覗き、ゆっくりと中へ入って行った。そしてすぐに戻って来た。
「ほんとに史ちゃんだった。ケーブルが刺さっていた」
子供のように見たままを告げる鳥飼に、立花は内心可笑しくなりつつ、言った。
「刺さっているんじゃなくて、磁石でくっついているだけですよ」
「じゃあ、あの部分は普段も磁石が付くの?」
「たぶん」
言った後、慌てて加えた。「試しちゃダメ」
「はいはい」
鳥飼は言い、隣のテーブルの椅子に腰を下ろした。「手紙、釘山さんが見付けてくれたんだって?」
「そうです。…あ、もしかして鳥飼さんが探してくれるように頼んでくれたんですか?」
「うん。やっぱり探してくれたんだね、俺らには自分とこのポストに入っていたみたいなこと言っていたのに」
「ありがとう」
「いいよ。せっかく探偵がいるんだから、活用しなきゃ」
「活用って…」
言葉が悪いよ、と立花が口を挟んだ。そう? と鳥飼は首を傾げ、
「みんなね、出来ることは手伝うから、言ってよね」
強い口調で言った。
「うん…」
立花は素直に頷いた。
「それでよし。いまから晩御飯? 食べながらでいいから、話があるんだけど」
「何ですか?」
立花は遠慮なく、スプーンを手に取りながら訊ねた。
「史ちゃんのことなんだけれど」
鳥飼は言った。「友達になってもいい?」
「は?」
立花は鳥飼の顔を見た。
「最初はほら、普通の人じゃないからって距離を置こうと思っていたんだよね。だからあまり話もしなかったよ。でも史ちゃんの方はよくうちに来てくれるし、話すと普通だし、ってかいい人だし。俺の足を同情して様子見に来るのかとも思ったけれど、最近それは違うんじゃないかって。それに、俺だって人のこと言えないだろ。でも史ちゃんは俺の『バルコニー』でも楽しそうにしていて…だから、できたら友達になりたいなって」
「あの」
戸惑いながら立花は訊いた。「なんでそれを私に訊くの?」
「そりゃ、立花さんが史ちゃんの管理をしているみたいなものだから」
管理人の管理人、と鳥飼は言った。
「いや、そんなことないですよ?」
立花は慌てて言った。「ただ体調とかの心配をしているだけだよ。別に管理なんて」
「でもよく一緒にいるし、なんか親密感あるし。史ちゃんに関することは立花さんを通さなきゃいけないのかと…」
鳥飼は言い終えようとしたがすぐに続けた。「あ、もしかして付き合ってるとか」
「違う違う!」
自分でも驚くくらいの大声で立花は言っていた。一瞬で顔が火照った。
鳥飼はその様子を見て、ふたりの関係を察したようだ。先日史と似たような話をしている。勿論それは立花の知らない話だが。
「うん分かった」
鳥飼がひとり、頷きながら言った。「がんばれ、立花ちゃん」
「な、なにを」
「言わずとも分かる。俺は応援するよ」
なぜか胸を張って鳥飼は言った。「じゃ、俺は自分のところで仮眠しているから、何かあったら遠慮なく呼んでよ」
彼は立ち上がり、帰って行った。
立花は冷たい水を一気に飲み、息を吐いた。
本人に言うより先に、鳥飼に気付かれてしまったようだ。
「どうしよう。…」
ひとり呟き、また息を吐いた。
もともと本人に言うつもりもなかった。なのに第三者に知られるなんて論外だ。訊いてきた鳥飼に、それよりあっさりばれた自分に腹が立つ。
鳥飼が史に、余計なことを言わないのを祈るばかりだった。
店内の時計は午前3時を指した。
裏口の扉がノックされたようだった。
史の横でぼんやりとしていた立花がはっとすると同時に、カーテンを引いて顔を出したのは望月だった。
「調子はどう?」
訊きながら、望月は持っていた大ぶりのバッグを下ろし、ふたりのそばにしゃがみ込んだ。いつも立花が彼女を見かけるときよりラフな恰好、ゆったりしたニットとロングパンツ姿だった。
「順調です」
「そう。今回は大変だったようね。それもあと…約21時間で終了か」
「はい。…いつも通り24時間で終わればですが」
「終わらないかもしれないの?」
「イレギュラーなことが多かったので、今の所はまだ分からないんです」
言いながら、立花はモニターに目を遣った。
「それ、ずっと見ていなきゃならない?」
望月もモニターを見たが、文字列と数列が延々と出てくる画面に、すぐ理解するのは諦めて、訊ねた。
「いえ、たまにチェックしているだけでいいんです」
「じゃ、少し休憩したらどう? 私が起きているから」
言いながら、望月はバッグの中から鍵をひとつ出して座卓の上に置いた。「うちにシャワーがあるから使いなさい。仮眠はここでも出来るけれど、シャワーはうちと管理人室しかないものね」
「ありがとうございます」
「それでついでにお願いなんだけれど、立花ちゃんがうちにいる間、時計が止まったかそうでないか、見ておいてほしいんだ」
「それ、釘山さんが言っていた…」
「ああ聞いた? …そう、それでちょっと気になってね」
「分かりました、見ます」
言い、立花は立ち上がった。
望月は立花がいなくなると、自分のノートPCを出し、起動した。留守番を兼ねて仕事をここでやるつもりだ。
どれほど経った頃だろうか。
仕事をひとつ終え、PCから目を離した望月がふと、カーテンに目を遣ると、その裾が僅かに動いて、一匹の黒猫が姿を現した。大きめの体をしていて、首に白いリボンをつけている。
「あら、ユキさんが飼っているのかな。おいで」
望月が声を掛けた。猫は部屋の様子を伺うかのように頭を動かし、それからそっと史の近くまで来ると座り込んだ。まるで史の様子をみているように映った。望月が体を撫でても無抵抗だったが、抱っこは嫌がった。放っておくと、しばらく史の方を向いて座っていたが、やがて、来たときのように静かに出て行ってしまった。
それからすぐに、立花が戻って来た。
「時計は止まりませんでした」
長く湯に当たったのか、眠そうな顔で立花は報告した。そしてそのまま、望月が勧めるままに部屋の隅で史に掛けたのと別のタオルケットを被り、仮眠についた。
「ふむ。止まらなかった、と」
望月は別の文書ファイルを立ち上げ、入力した。
7時になった。
望月が番をするこの部屋は窓がなく、夜も朝もあまり変わらない。ただ、カーテンの向こうの『ランペ』の店内には、窓から入る僅かな朝日が差しているようで、少し明るい。
裏口が開く音がした。
「おはようございます」と声がした。風間だった。
「おはようございます。こっちです」
望月が声を掛けると、風間は部屋に入って来た。
「わ、すごい」
部屋の壁面を埋め尽くすように置かれたコンピューターを見渡して、風間が声を上げた。それから彼女は、ノートPCに向かう望月を見て訊ねた。「望月さんも出来るんですか? その…」
「『メンテナンス』の補助? 無理無理。私はこの子が仮眠している間だけの番」
望月はまだ眠っている立花を指さした。
風間はその様子を見て顔を緩め、だがすぐに言った。「差し入れに、朝ごはん作って来たんです。みんなで食べませんか?」
「いいわね。ちょうどそろそろ起こそうと思っていたの」
望月が、自分のノートPCをバッグに入れ、立花を起こす。
風間はモニターとキーボードを座卓から下ろし、持って来た包みを広げ始めた。
望月の声で目を覚ました立花は、状況を思い出し、起き上がった。すると部屋に風間もいる。
「風間さん…あれ、なんで…?」
訊きながら、傍らの黒縁眼鏡を掛けた。
「ゆうべ、望月さんがうちにお買い物に来てくれて、その時に『メンテナンス』が始まるかもと聞いたんです。そのあと鳥飼さんにも出くわして、始まったと聞いたもので差し入れを」
「朝ごはん作って来てくれたんだって」
望月が弾んだ声で言った。
「サンドイッチです。お口に合えばいいのですが」
言いながら風間が『レオ』の紙箱を開けると、中には一杯に、色とりどりの具が挟まれたサンドイッチが詰められていた。
「おいしそう!」
立花が思わず声に出し、座卓に這ってゆく。
「こらこら、まずタオルケットを畳みなさい。それと顔を洗って」
望月が母親のようにたしなめた。
「それと…実は鳥飼さんの分も作って来たんですが…」
風間は言い、座卓の隅に置いた小さな包みに目を遣った。「ゆうべ、こっちに泊まり込むと言っていたので。でもこの時間に起こしていいかどうか、迷ったのでまだ渡していないんです」
「もう起きているんじゃない?」
望月が言った。「前に、私が徹夜明けで6時ごろ帰ろうとしたら、鳥飼くんは元気に通路の植物の世話をしていたことがあったわよ。そうそう、いつも4時か5時くらいに起きているって言ってたかな? 園芸屋さんは朝が早いんだって」
「じゃあ、私、ちょっと渡して来ます」
「待って。どうせなら鳥飼くんもここへ呼びましょうよ」
望月は言いながらスマートフォンを出した。「『メンテナンス』が気になって泊まり込んでくれたんでしょう? だったら仲間外れにしちゃかわいそう。それに、彼に訊きたいこともあるしね」
言うと、当然のように電話をかけた。
番号知っているんだ…立花と風間は思いながら、立花はタオルケットを畳み、風間は魔法瓶を座卓に置いた。
立花が顔を洗いに洗面台のあるトイレにゆき、戻ると、望月と風間が『ランペ』の客席の方にいる。
「鳥飼くん、来るって」
望月が立花に声を掛けた。「だから椅子のある場所に移動しましょ」
「あ、そうか」
鳥飼の足のことを考慮してなのだろう。立花は言われてから気が付いた。
「忘れてた」
「立花ちゃんは『メンテナンス』で頭が一杯だものね。それだって大変なことよ。みんな、あなたを頼りにするしかないんだもの」
望月の口調は思いのほか優しかった。
「いやそんな。私は…。チェックしてきます」
立花はどう答えていいかわからず、そそくさと座卓の方へ向かった。
「まじめねえ」
望月が小声で言った。
すると風間も頷き、言った。「そうですね。うちのオーブンの不調では親身になってくれたし。でもなんか、かわいいんですよね、立花さん」
「…私も」
ふたりは顔を見合わせ、笑った。
座卓のそばで横になっている史は相変わらず、ぐっすりと眠っているかのように見えた。
そして、立花が仮眠していた間の処理には異常はなかった。
立花がほっとすると同時に、鳥飼がやって来て、こちらに顔を覗かせた。
「おつー」
立花に声を掛け、史に近付く。「史ちゃん、おはよう」
勿論史からの返事はないが、鳥飼はそれで満足したように出て行った。立花もそれに続く。
鳥飼が朝型なのは本当らしい。全く眠そうにしていないし、この中で一番元気そうだ。口数の多いのも朝からで、席に着くとともに、起きてからまだコーヒー1杯飲んだだけなのだと言った。
「いつもは朝ごはん、食べないんですか?」
風間が訊ねた。
「一仕事してから食います。といっても、自分の店を始めてからは、コンビニのパンとか
おにぎりとか、適当ですけれど。たまに実家で家族と食う時もあるけれど…そういえば、ここの人たちと朝食って、初めてかも。ここへ来て1年半になりますが」
「もうそんなになる?」
望月が目を丸くした。
「なりますよ。望月さんの事務所に観葉植物を置くようになってからは…9か月くらいかな」
「ではみんな揃ったし、食べましょう」
風間が言った。
サンドイッチの入った大小の箱はテーブルの真ん中に置かれ、めいめいの前には、取り皿と紅茶の入ったティーカップが置かれていた。どちらもプラスチック製で、ピクニックにでも持って行くような、明るい色調のボーダー柄をしていた。紙製のおしぼりまで添えられている。
「望月さんのところは、何年になるんですか?」
サンドイッチの箱に手を伸ばしつつ、鳥飼が訊ねた。
「うちは…12年になるね」
望月が答えながら、箱の端の卵サンドをつまみ上げた。
「え、じゃあ、管理人は…別の人が?」
風間も訊く。
「管理人も技師の人も、前の前の人から知っているわよ」
少し自慢げに、望月は言った。「そうね、その頃は、今みたいに人が集まって、なんだかんだ賑やかに『メンテナンス』を過ごしたものよ」
「俺、前の人を少しだけ知ってますが、なんかよそよそしい感じの人じゃなかったですか?」
そう言ったのは鳥飼だった。彼が食べているのはハムサンドで、厚切りのハムと濃い色のサニーレタスがパンの隙間から覗いている。
「うん。前の人たちには、「余計な関わりを持ちたくない」って言われた」
「なんか冷たいですね」
風間が言った。
「その代わりふたりだけで『メンテナンス』をしていたようだね…とはいっても、結構今回みたいな不具合が多くて。でも基本直してくれないから、それに困って出て行った人も多かったよ。…これおいしい。胡椒が程よく効いてる」
「白胡椒を多めに入れているんです」
望月の言葉に、風間が笑顔になって答えた。
立花は三人の会話を聞きながら、野菜とチーズのサンドを食べていた。コンビニなどで買うものよりずっと美味しかった。それがどうしてなのかは、立花には分からないけれど。
「史ちゃんはよく様子見に来てくれるから、きっとそれが不具合の解消になっているんだろうな」
鳥飼が言いながら、次の一切れに手を伸ばした。「本人には解決している自覚はないんだろうけれど」
「あってはいけないんです」
立花はその言葉に思わず反応していた。「自覚のないことが、管理人本人のためなんです」
「俺はそうは思わないな。自分のことなら、ちゃんと自分で認識していたい」
鳥飼の言葉は、とても彼らしい意見だった。
だが立花は言った。
「それが管理人の心理的負担になって、業務どころか、その人の人格自体を壊してしまうんです。前例が幾つもあります。実際に脳の半分が機械になった気持ちなんて、その人にしか分からないじゃないですか。誰もが平気でいられるわけじゃないです。だからわざわざ催眠をかけて、普段は普通の人として生活させているんじゃないですか」
一気に喋った後立花は息をついた。鼓動が早まっていた。
むきになった立花を見て取り、望月が落ち着いた口調で話を継いだ。「基地局からも管理人に本当のことを教えるのは禁止されているしね。史ちゃんだって、管理人になるときにはその辺承知しているのでしょう。私たちからは何も言えないよ。鳥飼くんもそこは分かった上で言っているのでしょう?」
「まあ…はい」
鳥飼が頷く。
「本当のことを知って、史ちゃんがどうなるかは誰にも分からない。なら、私たちは見守ることしかできないよ。…食べましょう」
望月が微笑んだ。
風間が、減っていた立花のカップに紅茶を足した。
鳥飼も、そして立花も、二つ目のサンドに齧りついた。
「そうか。鳥飼くんと史ちゃんは、いわば超人仲間だもんね」
望月が不意に言いだした。一同の手が止まった。
「何ですか、それ」
と目を輝かせたのは、風間。
「あ」
改めて気が付いたのは、技師の立花。「それ詳しく聞いてない」
「な、何で望月さんがそれを」
慌てる鳥飼。
「探偵は何でもお見通しなのですよ」
望月は軽い調子で言い、訊ねた。「鳥飼くんのは、今回の歪みとは関係ないの?」
「ないと思います。すきな時に出せるんで、自分独自のものだと思います」
渋々といった様子で鳥飼は答えた。
「何が出せるんですか!?」
風間は興味津々だ。
「え…、ベランダに庭のようなものを」
「すごい!」
「もっと詳しく教えなさいよ」
望月が促す。
「そうですよ。いつものお喋りな調子で」
立花も言った。
「え、俺そんなにお喋りかな?」
「うん」
鳥飼の問いに立花は即答した。望月も頷く。
「参ったな…」
鳥飼はぼやきつつ、話し始めた。「うちのベランダ、分かります? 外から見えますよね。望月さんのところと同じ広さの。植物たちを置いているんだけれど、やっぱり足りないんですよ、置ききれないんです。でも広い場所を借りる金はないし、実家じゃ不便だし。もっと広いといいのにな、ってずっと思っていて。そしたらある日…春の頃でしたけれど、ベランダにいたら、急に目の前に、広い、植物園のような場所が現れたんです。歩き回ってみたら、ベランダに置いていたやつとか、好きな種類のやつとかがたくさん植えられていて、でも人は全然いないんです。それに、子供の時から考えていた、こういう庭が作りたいな、っていうのがそのまま出来ている場所もありました。それでふと思ったんです。ここは俺の庭なんだ、って。今は、2階だから『バルコニー』って呼んでいます。で、それ以降、頭の中で考えたアイデアが、そこへ行くともう出来上がっている、ってことがよくあって、それに直接手を加えたりもして、本当の自分の理想の『バルコニー』にしている…といったところです。これでいいでしょうか」
終わりの問いかけは望月に対してのようだ。
「つまり、鳥飼くんの理想が具体化して現れる、というのね?」
望月が訊いた。
「そうです」
「すきな時に出せる、と」
「はい。でもその方法までは教えませんよ」
鳥飼は言った。せめてもの抵抗か。「多分俺にしかできませんし」
「すごいですね!」
風間が声を上げた。「もしかして、このビルにいると、そんなことができるようになるんですか?」
「いや、そういうわけではないと思います」
鳥飼が答えた。
望月も言った。「私はできないよ」
「そうですか…」
風間ががっかりしたのが、他の者にもよく分かった。
それで、鳥飼が言った。「今度お見せしましょうか?」
「は、はい。ぜひ」
立花はそのやりとりを聞きながら、紅茶を飲んだ。
これは基地局に届けるべき状態なのではないか。ビルの座標計算に影響が出るのではないか。
そう言おうとしていたのだが、大人たちが楽しそうに話しているので言えなかった。
後で言うことにして、サンドイッチに齧りつく。
ふたつめの卵サンド。次のローストビーフサンド。どれも美味しい。
つづく




