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タマキビルヂングの周期的非常事態  作者: エモトトモエ
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第5章 ランペ


(フミ)鳥飼(トリカイ)、それに針山(ハリヤマ)釘山(クギヤマ)の四人は、3階の事務所を出て1階に下りると右に曲がった。左は洋菓子店『レオ』だが、右にはスリランカカレーの店『ランペ』がある。

 釘山以外の3人が外の暗い風景を見て驚いている。面倒なので、釘山はさっさと店に入った。

「いらっしゃいませー」

 スリランカ人の屈強な男が、エプロン姿で流暢な挨拶とともに迎えてくれた。「おー、よく見る人ばかりお揃いですねー」

 一緒に来ることはまれだが、皆、ここにはよく来ている。入口近くのテーブルが空いていたので、そこに座った。

 すぐに水とおしぼりが運ばれてきた。

 常連ゆえ、オーダーは早い。エプロンの男が素早くそれを書き付け、厨房に下がったかと思うとすぐ別の客の料理を運ぶ。鍋をかき混ぜ、料理を運び、レジに立つ。その合間に客の水を足す。

「ユキさん、よくひとりでやっていけてるよ」

 感心したように針山が呟いた。

 それを聞いた隣の鳥飼が言った。

「前に訊いたことあります。人を雇わないのか、って」

「そしたら?」

「そしたらユキさん『全然余裕、人を雇ったら私は暇になっちゃうよ』だって」

 鳥飼が答えた。針山がユキを真似て復唱する。ハリーさん似てる、と鳥飼が笑った。

 その向かい、史の隣では、釘山は疲れた様子で水を飲んでいる。

 史は、入口に背を向けた席で、自然と斜め上部に取り付けられたテレビに目が向いていた。

そのテレビは、いつ来てもインドの映画がかかっていて、それは殆ど歌と踊りで構成されている。歌詞の意味は分からないが、見ていると何となく筋書きが理解できる。それにどの映画も明るくてなんだか楽しげだ。

今日はいつの時代かの宮廷での恋物語であるようだ。

 しかし、今日は音量が小さい。いつもはよく聞こえるのに、今日は聞こえないのだ。

 そう史が気になりだしたとき、隣の釘山の方から小さな声がした、ような気がした。

 釘山を見ると、彼は厨房の方を凝視している。

「どうしたんですか」

 訊ねながら史も見て、絶句した。

 彼らのテーブルの先にはもう一つのテーブルがあり、その奥が厨房だ。ほんの10歩程で行けるはずだ。しかし今、厨房ははるか遠くに小さく見え、間のテーブルは長く、そして丸く歪んでいた。まるで凹レンズ越しに見ているようだ。頭がくらくらしてきた。

「また来た」

 釘山はそう呟いていたのだ。「俺もうやだ。知ーらねー」

 テレビの音は、その広くなった店内の空間に吸い込まれるようにか細くなっていたのだった。改めてテレビを見ると、歪んでいるし、さっきまでよりも随分遠くに行ってしまっていた。

「お待たせー」

 背後で声がした。

 史が振り向くと、ユキが、両手に皿を持って立っていた。

「ユキさん、あれ、あれ」

 史は厨房を指差す。

「あー、遠いねえ」

 呑気に返事をし、ユキは史と釘山の前にチキンカレーを置いた。「でも遠くない」

「どういうことですか?」

「こっちからだと遠くないよー」

 言いながら、ユキは入口を開けた。

 そこには『ランペ』の厨房があった。といっても、テーブルから見る風景と違う。

「あ。裏口」

「そう」

 管理人である史も何度か出入りしたことがある、裏口から見た厨房だ。

 ユキはそこから厨房に入り、扉を閉めた。

 向き直って、遠く離れた厨房をよく見ると、ユキがこちらに手を振っているのが小さいながらも見えた。

 史の向かいに座った鳥飼と針山は、何の話をしているのか、こちらを全く見ていない。釘山は知らんふりを決め込んで、カレーを食べ始めている。

「はーい、魚介カレーのおふたりもお待たせしましたー」

 ユキはまた入口から現れ、皿を置くと、テーブルの水差しを傾けて釘山のコップを満たし、入口から去っていった。

「あれ、ユキさん来た?」

 急に鳥飼が言った。今まで気が付かなかったのか。

 史が返事に窮しているうちに、針山も気付いてふたりが厨房の方を見た。

 いつもの光景がそこにあった。隣のテーブルは真っ直ぐだし、厨房は近い。

 ユキが厨房から来ると、おまけだと言ってフライの乗った皿を置いて戻って行った。

 入口からは新しい客がやって来た。



『ランペ』の厨房の奥は、カーテンが掛かっていて店内からは見えない。

 しかも普段は人の出入りはなく、管理人である史でも入ったことはないはずだ。

 ユキが調理と接客の合間に、そんな奥の部屋へ入っていった。

 明かりはついている。

 冷房がよく効いた店内に比べると、少し暑い。

 あまり広くない部屋には絨毯が敷かれており、その真ん中で、小柄な人影が座卓を前にして下を向いて何かをしている。卓上にはコンピューターのモニターとキーボード。本体は部屋の壁に沿って置かれている。大柄なユキの背より大きな筐体が部屋の四隅にぎっしり、と。

「史ちゃんたち帰ったよ」

 ユキが言った。「お店の中が広がっているの、史ちゃんに気が付かれちゃったよー」

「まあ今回はしょうがないよ」

 モニターから目を離して答えたのは、立花(タチバナ)だった。「っていうか、うちも風間さんとこもおかしいの見られちゃってるし…上手く誤魔化せたか自信ない。でも、ここは史ちゃんが呼ぶ前に来てくれたから、自然に直ってよかったですね」

「うちは別に、あのままでよかったんだけどね。裏口使うのもたまには楽しいよ」

「そういうのなら私もいいと思うけれど、うちの仕事場は絶対ヤダ。今部屋が、大きくなったぬいぐるみに占拠されているんです。ぬいぐるみならまだいいけれど、巨大ゴキブリとか巨大カナヘビが現れる前に何とかしなきゃ」

 言うと、立花はモニターに向き直った。

「それも面白そうだねー」

「やめて下さい」

 立花は思わず、嫌な顔をした。「なんで、部屋ごとに起きる現象が違うんでしょうね。私の所は「ハズレ」ですよ」

「立花ちゃん、何か、怒ってる?」

 ユキが、立花の顔を覗き込むようにして訊いてきた。

「急いでいるだけですよ」

 立花の口調は確かにユキがそう思っても仕方ないものだった。「早く処理して、史ちゃんにメールを送らなきゃ。私の部屋も早く戻したいよー」

「あー、確かにそうねー。作業はここで出来てもね、おうちがあれじゃねえ」

「おうちじゃないです、仕事場です」

 立花の言い方が変わらないので、ユキは話すのをやめて、持って来ていたグラスを座卓に置いた。

「マンゴージュースどうぞ。おいしいの飲んで、怒るのやめて頑張って」

 それだけ言うと、厨房に戻った。

 ひとりになった立花は、モニターを見る姿勢のまま、両手で顔を覆った。眼鏡が痛いので、外した。

 怒っている。というより、苛ついている。

 手紙の受け取りが2日遅れたため、ビル内で異常事態が起きている。早く予定通りに『メンテナンス』を進めなくてはならないと考えている。手紙が遅れたのは立花のせいではないが、ビル内で異常事態が起きていることには心配し、早く事態を納めなくてはと焦っていたのだ。それなのに、どうも他の店子たちは呑気に見える。

 ユキは優しく接してくれるが、異常事態に対しては全く焦りがない。

 望月探偵事務所の人たちは、あまり話したこともないし、ビル内にいることが少なくて、どう考えているか分からない。

 風間は越してきたばかりで頼りにはならない。

 鳥飼は史と遊ぶことしか考えていないかもしれない。仲がいいのは結構だが…。

 焦っているのは立花だけだ。焦って苛つきながら、もしかしたら誰も期待していない作業をこうして頑張っているのかもしれない。

 立花は顔を上げ、マンゴージュースに手を伸ばした。一気に半分ほど飲み、息をついた。

「私ひとりで何やってんだろ。こんなに焦んなくていいのかも」

 呟いた。

「何を?」

 声がした。

「だから、メンテナン…」

 言いかけた立花ははっとして、声のする方を見た。

 カーテンのすぐ前に、史が、膝をついてこっちを向いていた。

「史ちゃん、いつのまに」

 言いながら、立花は慌てて眼鏡を掛けた。

「今だよ。…なんか立花ちゃん、疲れてる?」

「ちょっと急ぎの仕事があって。話し方きつかった? ごめん」

「いや、いいよ」

「どうやってここへ」

「裏口から入った」

 史は答えた。「さっきユキさんが不思議なことをしていたから、確かめに来たんだ。そしたら立花ちゃんがここにいるのが見えて。『メンテナンス』ってこのビルの? 俺にも関係している話なんじゃないの?」

「うん。でも、ごめん。史ちゃんには詳しくは話せないんだ」

「管理人なのに?」

 立花は無言で頷いた。

「どうして?」

「それも…」

「そう」

 史は少し不安そうな顔をしている。それでもただ、頷いた。「俺に何かできることはある?」

「あ、あのね。この後私からメールが来たら、すぐに添付ファイルを開いてほしいの」

「それだけ?」

「それだけで充分」

「わかった」

 史はそれ以上は訊かず、立ち上がり、厨房の方へ行ったようだ。

彼がユキと会話する声が聞こえてきた。

「ユキさんがさっきやったの、俺もやりたい」

「残念、あれはもうできないのよー」

「どれ。…あーできないや」

 裏口が開く音も聞こえた。「じゃあね、ユキさん」

「おやすみー、史ちゃん」

 ドアの閉まる音がして、声はしなくなった。代わりに、厨房の物音がやけに響く気がした。テレビの音も微かに聞こえる。ここは『ランペ』だ、こういう音が聞こえて当然だ。だが今まで、立花の耳には全く入ってこなかった。ビル内の歪みのせいなどではない。

 少し落ち着かなきゃ、と立花は思った。そしてジュースのもう半分を飲んだ。飲み終えたところで床に寝そべった。目を瞑ると、頭が痛い。

 よくよく考えてみると、史は、『ランペ』の異常を見ても、さほど混乱はしていないようだと気が付いた。他の部屋、『yuta’s balcony』の鳥飼の能力や『望月探偵事務所』の異常に対してもこんなものだったのかもしれない。

 それでも、立花には不安があった。『メンテナンス』にも関わることであった。管理人にはちゃんと役目がある。



日付の変わるほんの少し前だった。

『ランペ』の裏口から、再び史がやって来た。

立花はまだ先刻の部屋にいた。ユキは厨房で、明日のための仕込み作業でもしているようだった。

史は黙って立花のそばに座った。

「メールを見た?」

立花の問いに史は無言で頷いた。そして、立花が差し出したケーブルの先端を、右の耳の上の方に当てた。手を放してもケーブルは彼の頭部に付いたままだった。

するとケーブルの反対の端から信号音が聞こえた。それは部屋のコンピューターに繋がっている。この部屋の四つの壁を覆い隠すかのような大きな筐体を持つコンピューターに。

信号音は数十秒間続き、やがて止んだ。立花は目の前にあるモニターをじっと見た後、キーを操作し、史の方を見た。

史は目を閉じ、ずっと黙っている。

史の体内から信号音がした。そして、それが始まりの合図だったかのように、部屋のコンピューターが一斉に動き始めたのだった。

立花はほっとした表情で息をつき、ゆっくりと史の体を横にして寝かせた。それから、ケーブルが外れていないか確認した。

史は眠っているかのように動かない。

「できた…!」

 立花は小さく息をつきながら言い、史の顔を見下ろした。「やっと『メンテナンス』が始まった」


つづく



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