第3話 田舎者二人、進路変更
アザン山道に入って一時間以上経過した。雨はやや弱くなったものの、風があるため邪魔臭いことこの上ない。
山道はうねりながら北へ伸びていて、迷わず北へ出ることが出来れば王都へと続く街道に出ることができる。二人と一頭は今のところ北への道を進んではいる。
既に濡れ鼠の二人は、このままだと風邪を引くことが宿命づけられているくらいで、どこかで休息を取る必要があった。残念ながら休めそうなところは見当たらないのだけど。
「どうする?このまま進む?それとも…」
「もうちょっと進んで。確かね、この先に休憩用の小屋があるはず…私たちが北への道を行ってれば」
「ま、行くしかないわね」
ビーチェは丈夫だが、エミラは貧弱だ。一時間以上雨に当たっているから、体は冷え切っている。早くエミラを休ませないと、まずい。
気持ちは急くのに、道幅が狭いからスピードは出せない。しかも、雨。最悪滑落する可能性もある。
「エミラ、死なないで」
ビーチェの言わんとしていることが伝わっているのかいないのか、エミラはちょっと怒った声で呻いた。
「生きてるよ」
生きててね。あんたがいないと、全部がダメになるんだから。
自分にしがみつく細い腕が、離れませんように。祈るように、ビーチェは目を閉じた。
それからしばらく黙って、二人と一頭は先を進んだ。雨は、止まない。
○◎○◎○◎○◎○◎
エミラが言っていた通り、道を進むと小屋が見えてきた。木造のちんまりとしたものではあるけど、二人には十分だった。だって雨漏りしていない。
近くに家畜小屋だったようなものが残っていて、マーラにはそこに入ってもらった。屋根があるからなんとかなるだろう。たぶん。
小屋には簡素ながらベッドやテーブルなどの家具が置かれていて、割と綺麗な服も何着かタンスに入っていた。男ものだけど、贅沢は言えない。二人とも黙って着替えた。
既に意識を保っているのがやっとなエミラをベッドに寝かせて、ビーチェは暖炉に火を灯した。勝手にエミラのカバンの火打石を借りたけど、怒らないと信じる。
窓が風でガタガタと揺れる。雨脚は弱まって来たけど、風が強くなった。
島のこと、置いて来た従者のこと、これからのこと、心配ごとは尽きない。でも、行くしかない。エミラと二人で、王都まで行くしかビーチェにはできない。ちっぽけな自分達では、それくらいしか。
ただ、王都に行くだけならビーチェ一人で十分で、エミラはいらない。でも、ビーチェの父、ランバラルドの王はエミラを連れて行けと言った。
エミラは、ランバラルドの頭脳であり生命線。エミラの導き出した答えが、島の行く末を決める。何より、エミラの言うことは大体合っていて、滅多に外れない。この戦争の行く末も、きっと情報さえ手に入ればエミラは寸分の狂いなく予測できる。
今は戦争の真っ只中で、ついさっき、二人がいた街も襲撃された。こんな時に、王都に行くから、だから、エミラが必要になる。
実際のところ、西側にとって必要になるのはビーチェではなくエミラなのだ。ランバラルド王が西側に何と言ったのかは知らないけど、エミラという島の生命線を差し出すことの意味は、軽くない。
権威のためにビーチェは行くけど、あくまでもそれは大義名分。賄賂であるエミラの頭脳こそ、西側にとってとても価値がある。ビーチェは島のこれからを左右するエミラを守るために、ここにいる。
エミラの、寝顔を見た。ちょっと顔が赤い。まさかと思って額に手を当てたら、やっぱり熱い。
「今晩はここに泊まりね」
お腹が空いたけど、この辺に獲物はいるんだろうか。
○◎○◎○◎○◎○◎
ポロン、ポロン…
弦が弾かれる音。高音で、でも柔らかい。
どこかで、聴いたことが、あるような気がする。でも、どこだろう。思い出せない。
ポロン、ポロン…
ひたひたと近づくたびに、音は大きくなる。ここは暗くて、何も見えない。
「お前は、わらわを裏切らないでいてくれるね」
誰?その声を、自分は確かに知っている。知って、いるはずなのに。
高くて、神経質そうな声。陶器のように滑らかで、でも、ちょっととげのある。
なおも進むと、音はふと止んだ。あたりは今も暗くて、何も見えない。
「…わらわは、待っているよ。お前が、わらわのもとに帰ってくるのを」
あなたは、誰?どこにいるの?
問いかけは声にならない。暗闇から聞こえる音は、幻のよう。
あなたは、どこにいるの?
手を伸ばしても、何もつかめない。
「だから、覚えていて。わらわのこの音を、わらわの願いを」
あなたの願いって、なに?
突然、暗闇は霧散した。急に眩しくなって、目を覆う。
「はやく、帰ってきて。わらわは、そんなに気が長くないから」
あなたを、知っているの。すごく懐かしい、あなたの音。あなたのことを、知っているはずなのに、何も思い出せない。
「待っているよ。愛しいお前を」
やっと、目が慣れて手をどけたら、もうそこには、誰もいない。
あなたは、誰?
知っているはずなのに、分からない。
ポロン、ポロン…
この音を、どこで聴いたのだろう。ひどく、懐かしくて、愛しいこの音を。
待っているよ、ここで、お前をーーー
あと少し、あと少しで、あなたを思い出せるのに。
あなたは、私の、
「私の、なあに?」
ポロン…
ねえ、教えてよ。お願いだから…
○◎○◎○◎○◎○◎
エミラが目を覚ますと、辺りは薄暗かった。
すぐにここがどこだか考える。アザン山道に入って、しばらく来て、途中の小屋で休むことになって、
「ここが、その小屋…か」
そういえば、服を着替えた。前着ていた服は暖炉の前に干されている。でもこの服は、着替えた後の服とも違う。
小屋のどこにも、ビーチェはいない。雨は止んだみたいだから、食料を探しに行ったのかもしれない。
「朝?夜?」
のろのろと起きて、ベッドから降りる。足取りは少し重い。熱がある。あの雨でやられたみたい。そこまで、ひどくない。もう少し休めば動けるはず。でも、何か飲まないと脱水症状を起こす。
窓から外を確認する。月も星も見えない。
「…夜じゃない、朝だ。え、何日経った?」
てっきり、夜だと思っていた。でも、朝だ。薄暗いのはまだ太陽が昇っていないから。鳥のさえずりも聞こえてきた。
途中変な夢を見たから、眠りはきっと深くなかった。
「ビーチェ?」
やっぱりビーチェはいない。
水を飲まなきゃ。喉が渇いている。
あと、お腹も空いた。最後に食べたのは、ホテルでのパンと卵。あの柔らかいパンが恋しい。
ふらふらの足でベッドに戻る。
「ビーチェ、ごはん…」
「あたしは食料じゃないわよ」
「!ビー、チェ」
びっくりして前を向くと、扉の前にビーチェが立っていた。
「と、うさぎ…」
王女様はうさぎを二羽ほど仕留めてきてくだすったようで、すでに二羽とも息はない。
「これだけあれば十分でしょ?あと、木の実とか、キノコとか…ちょっと分からないのもあるから、この辺はあんたが選別して」
テーブルの上にゴロゴロと食料が広げられる。赤や黄色の木の実に、茶色のキノコ、白いものもある。
「この、黒い木の実は…」
「近くにたわわになってる木があったわ。食べれるの?それ」
つやつや光る黒い木の実。掌に収まる球体、ずっしり来る重さ。
エミラの脳内で、現在の相場予想が瞬時に展開して行く。このご時世だと平時よりも値が格段に高いはず。
「ねえ、ビーチェ…私たち、今、いくらもってる?」
食べられそうなキノコを鍋に放り投げていたビーチェは、そこで顔を青くさせた。あの時は必死だったから。
「…あたしのカバン、ホテルに置いてきたかも」
そう、すっかり忘れていたけど、二人は今何も先立つ物がない。路銀はビーチェの荷物の中にあって、その荷物はホテルに置いてきてしまった。
「無一文…だよね。なら、この黒い木の実はたくさん持っていこう。これは薬屋に持って行けばお金になる」
「そうなの?」
「この黒い木の実は、プラヌラって言って、皮も種も薬になる。しかも、あんまり手に入らなくて貴重だから、いくつか売ればしばらくの路銀になる」
プラヌラをカゴ一杯に詰めれば置いてきた路銀分にはなるはず。
「りょーかい。じゃあ、食べ終わったらとりにいってくる」
ひとまず選別したキノコを入れた鍋に水を注いで、ついでに摘んで来た香草を入れて火にかける。ビーチェの作る鍋料理は大抵肉のごろごろ入ったものになる。もちろん採れたて新鮮。
ウサギをさばくべく席を立ったビーチェに、エミラは待ったをかける。
「あ、ねえビーチェ…」
「何?」
「それらしい音、今までに聞いた?」
ビーチェの顔つきが固くなった。
「…遠くで、それらしきことが発生してる可能性はある。今戻ってくる時、アローアンで聞いたような爆発音に似たの、聞こえてきた」
アローアンには兵士がそこらにいた。西側だって支度をしていたはずなのに、奇襲にあれほどやられたとするなら、あまり本腰を入れて構えていたわけではないのかもしれない。
でも、このまま北上されると王都は目と鼻の先。二人が王都に入る前にパルバタンが陥落するなんて笑えない事態だって起こりうるかもしれない。
「となると、ここらも危ないから、すぐに出た方がいいね」
「このまま進むのはまずいでしょ?道を変えるとしたらどこを進むの?」
今のところ、二人は山道をまっすぐ進んでいる。でも、進路変更をしないと危ない。
「この先急な斜面に出る道があるはずなんだけど、そこから山を下りたら街道とは違う細い道に出られる」
ただ、今までの雨がある。それこそ滑落するかもしれないし、マーラが転ぶかもしれない。
「その細い道って?」
「パルバタンの近くの街の裏側に出られるはず…今街道に出るのは危ない。山道にまで来たってことは、王都も視野に入ってる」
「りょーかい。東側の兵隊とかち合うんじゃ意味ないしね…その急な斜面、馬じゃないと下りれない?」
ビーチェも考えていることは同じ。平時ならマーラで駆け下りればいいところだけど、今の地面でそれはあまりに無茶だ。
「滑り落ちた方がいいのかも。行って実際に見ないとわからないけど…」
地図は頭に入っているけど、さすがに現地の状態まではわからない。この雨で地面はえらく柔らかくなってしまった。
「じゃ、まずは腹ごしらえね。悪いけど鍋見てて」
それだけ言うと、ビーチェは今度こそ小屋を出て行った。
まだ、体調は万全じゃない。でも、ここにとどまって居たら命の危機に瀕する。
ご飯をしっかり食べれば大丈夫だということにして、鍋を漫然とかき混ぜる。キノコと香草の香り。調味料はない。せめて塩が欲しい。
「…」
今まで見たことのない夢だった。
語りかけて来る声、懐かしい音。でも、それをどこで聴いたのかは思い出せない。
わらわは誰で、どこで誰を待っている?
もし待ち人がエミラだったとしたら、てんで見当がつかない。だってわらわ、なんて大それた一人称の人物を知らない。
エミラの知り合いの中で一番地位の高い女性は、ビーチェだ。そのビーチェは、あんな声じゃないしわらわなんて言わない。
でも、知っている気がする。だって、とても懐かしいと感じた。
「でもごめんなさい、私…王都に行かなきゃ」
あなたの待っている場所に、きっと行くことはできない。それどころじゃ、ないから。
○◎○◎○◎○◎○◎
手早くウサギを新鮮な肉片に変身させてビーチェは帰ってきた。煮立った鍋の中にお肉がごろごろと沈んでいく。
肉に火が通ったところで木をくり抜いた皿に盛り付ける。木のスプーンもある。戸棚に一式揃っていてとてもありがたい。
「皮でなんか防寒具でも作ろうかなとか思ったけど、もう夏になるのよね」
豪快に頬張って勢い良く咀嚼する。ビーチェはなんというか、気持ちのいい食べ方をする。もちろんそれらしい食べ方だってできるけども。
「それも街に行ったら売れば?」
喉も渇いていたから、エミラは味の薄いスープばかり口に入れる。
「肉食べなさいよ」
「はいはい…」
「プラヌラとこの毛皮でなんとか路銀は賄うとして…ねえ、あたし達って人質なのよね?」
「あの文面からして、そうじゃない」
安全な場所にいられるらしいけど、この状況だ。それもどうなるやらわからない。
「王都行ったら、何するの?」
「賓客としてもてなされるか、逃げないように幽閉されるか…最悪殺されるか」
エミラの予想としては、賓客扱いはされるが人質のため幽閉され、事故に見せかけ暗殺されるルートが一番濃厚だ。そうなったら殺される前に逃げるけど。
「あたし達ってまだ十代のオンナノコよね?なんでそんな殺伐としてんのよ」
ビーチェも、エミラも、まだ十代。ほんの子どもなのだけど。
「戦争だから、仕方ない」
今は戦争の只中で、二人はその中に飛び込んで行くようなもの。いつ死ぬかなんてわからない場所に自ら行かなきゃいけない。子どもだけど、そんな次元の話じゃあ、ない。
「全ては、パルバタンに行ってから」
「そうね。あたし、これ食べたらプラヌラ回収してくるから」
「分かった。あんまり欲張らなくていいから」
ちょっと、怒ったような顔をしている。
ビーチェは割と心配性だから、十個必要と言われたら十五個は持ってくる。
「わかってるわよ…」
今は、この辺りは静か。でも、いつ戦闘がここらで発生するかはわからない。
アローアンのように、いつ東が攻めてくるかはわからない。俯瞰できればいいけど、今はそんなことできない。王都までいければ、情勢が見えるのに。
そういえば大陸に来てからこっち、エミラは頭を全然使っていない。
○◎○◎○◎○◎○◎
プラヌラをカゴに詰めて、二人と一頭は小屋を出た。天気は良く、昨日と違って視界は良好。
本来行く道をあえて外して、より細い道を進んでいく。慎重に進まないといつ滑落するかわかったものではない。左右の木々の枝が鬱陶しいが、振り払って進むわけにもいかない。
どうにか進み続けると、エミラの言っていた通り急な斜面に出た。平時なら駆け下りられる程度だけど、今は雨が降った後。
「これ、どうにか滑る感じで下りれそうね。服はえらいことになるけど」
「…今は、街へ行くことだけを考えよう」
きっと、ここを下りたら二人は泥まみれになっている。でも、そんなのは今はどうでもいい。
「そうね…」
意を決して、二人は斜面を滑り下りていった。マーラは二人が乗っていない分、軽やかに下りていった。マーラはぬかるんでいようとなんだろうと、その身を汚すようなことを自らするような馬ではないのだった。
結果、二人と一頭は無事斜面を下りて、山道から出ることに成功した。
馬は白い毛並みを汚さなかったけど、ビーチェも、もちろんエミラも泥まみれ。プラヌラのカゴは死守したけど、主に下半身が凄い。結局、そんな二人がまたがったから、鞍は汚れたしマーラにも、ちょっとついた。
「後は道が平坦だから、さっさと街へ…行こう」
「まず換金しないとね!」
まだ本調子じゃないエミラを、早く休ませないとまずい。マーラは今までの鬱憤を晴らすように駆け出す。
道は細くて、人は全然いない。
空は青くて、ちょっと暑い。この調子で行けば街には今日中に着くけど、エミラの体調を考えるとまずいかもしれない。
すると、爆発音。ちょっと、大きい。
「これ、さっきいたあたり?」
「かもね!」
斜面を滑り下りたのは、泥まみれになったのは正解だった。今頃どちらかの兵がついさっきまで誰かがいた小屋を発見しているかもしれない。
さっさとここを離れないと。これから行く街も、時間の問題かもしれないけど。
その日の太陽が沈む頃、二人と一頭は目的の街ファンドゥに入った。
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