二話 違う世界と道連れと
「大丈夫だったか?」
「うん。そこのところ図太くできてるから」
水色の髪のメイドが持ってきた糊の利いた制服に着替えると、沙綾はさっそく友人に会おうと動いた。といってもただメイドに『友人に会わせてほしい』と伝えただけだが。
どこか浮き立っている様子だったメイドは沙綾の言葉にすぐに首肯し、衛兵(部屋の前に護衛として待機しているらしい)に話をつけるとすぐに、沙綾を友人の部屋へ案内した。
最初に会った茶灰色の髪のメイドが言った通り、沙綾がいた部屋の隣の部屋――とは言え一部屋一部屋が広いために扉は普通より離れていたのだが――に沙綾の友人、もう一人の地球人はいた。
案内された部屋の開けられた扉から現れた、沙綾と同じ校章が刺繍されている制服を着た黒い髪の少年。
彼の名前は佐伯和斗。この世界に沙綾と同じく勇者として喚ばれた被害者だ。
彼は沙綾とは幼馴染で親しい関係にある。
幼少の頃よりこれまでずっと同じ学校に通っており、また家族間での交流もあったため、双方ともとても気心の知れた存在で、良き理解者でもある。
二人が召喚されたとき、勇者になることを先に承諾したのは和斗だった。
沙綾は渋っていたため、和斗が受け入れると言ったときにはとにかく驚いた。しかし、早く受け入れるのが最良だと彼に諭され、彼女も不本意ではあるが、承諾した。自分で熟考しなかったわけではないが、彼がそう決めたのならばそうしたほうが良いのだという明確な理由があると長年の付き合いでわかっていたため、彼女は頷いたのだった。
今、二人は部屋の中央に置かれたソファーに腰掛け、それぞれペンを手にして話し合っている。
二人の間に設置されている重厚なテーブルには数枚重ねられたザラ紙と、昨日行われた説明で使用された冊子状の資料と地図がいくつか置いてある。資料や地図の文字は今いる世界の言語(甲骨文字とアラビア文字が合体したような書体)で書かれているものであったが、翻訳機能が働いているため、文章の上に日本語でルビがふってあるように二人には見える。その地図にはあちこちに印や線、そして日本語の走り書きがされていた。
二人は話しながらいくつかの資料にメモをし、箇条書きでザラ紙に書いていった。
会話の内容はもちろん、二人の呼び出された経緯とおかれている現状、そしてその原因となったこの世界の情勢についてである。
「この国は、他の国との戦争中に魔族に攻撃されてにっちもさっちもいかなくなっている、という状況なのね」
二人をこの世界に召喚したこの国の状態を簡潔にまとめた沙綾の言葉に、和斗は引っ掛かるようなものを感じたように右目をすがめた。
「う……ん? そう言われればそうなんだけどさ、なんか微妙に違うような気が。ちょっとそれ見せて」
沙綾が書いたメモを読み、和斗は頭に入れるようにそれを反芻する。
「えーっと、今現在進行形で起こっているのは、敵側の国がしかけてきた戦争なんだよな。初めのうちは防戦一方だったけど、敵将を倒したところで盛り返した、っていう」
「そうね。それで、もう少しでこっちの国の勝ちで戦争が終わるはずだったんだけど、この国の首都近郊で第三の勢力が内乱……と言うよりはテロ? それを起こして色々ややこしくなったというわけ」
二人は額を付き合わせながら状況を整理していた。
不本意ではあるが勇者として召喚された以上、さっさと勇者の仕事を済ましてしまおうと二人は思ったのだが、まず召喚された世界がどうなっているのかその現状を把握することが第一であるし、それ以上に、この世界の勇者は地球で一般的に知れ渡っている勇者と同じ役割なのか、という疑念があった。
そもそも勇者と言えども、その役割は魔王を倒すことであるとは限らない。
一般的な勇者のイメージは、世界や人間を滅ぼそうとしている魔王を倒すという救世主的なものであるが、魔王以外でも人類や世界を襲う脅威に限らず窮地に陥った国や町、村などを救ったなどといういわゆる《英雄》的存在も、勇者と呼んでいる場合がある。
前者は人に害をなす魔物が蔓延る世界で主人公が世界平和のために魔王を倒す旅に出るという流れで、ファンタジー物のゲームや漫画小説での王道で一番の人気をもつ設定だ。殆どの人達の中でも勇者=魔王討伐という認識が一般的となっているほど有名であり、後者もあまりメジャーでないとはいえ、広義では王道の一つとして受け入れられているものである。
二人が想像していた勇者は前者であるが、この国の人間から聞いた話では、どうも後者の役割を指しているようであった。
「そのテロの首謀者が魔族なんだってさ。魔族は一体だけでもかなり強いから、被害が大きくなる前に鎮圧しないとまずい。だから軍をそちらに裂かないといけないが、魔族は神出鬼没なうえにどこに潜伏しているかわからないから、魔族を探している間に敵国が押し返してきてしまうかもしれない。それで国は頭を抱えたんだと」
「初めは現地の警備隊でどうにかしようとしたのよね。それでも手に負えなかったから、国王は戦力が減るのを承知で戦場にいる軍の一部を派遣しようとした。だけどこれまで何もしてこなかった神殿が突然、神託を受けたからと口を出してきて…………その結果、私達はここにいる」
「そうそう、その結果がこれなんだよな」
和斗はやっていられないとばかりにはペンも資料も投げ出して、ため息を吐きながらソファーの背もたれに身を投げ出した。
「あいつらさあ、そこでどうして『現状を打開するためには異世界人が必要だと神は仰せられました! だから呼び出しましょう!』ってことになるんだよ、わけがわからん。……まるでギリシア神話の世界みたいな流れだ」
神殿で神への供物を捧げて祈れば神託が下されその絶対性を持つ神託に従うことによって物事が大きく好転したという、現代だったら眉唾物の、神話のエピソードの中の一つではないかと思わせるような唐突な話の流れだ。
二人にとっては意味不明であり非効率極まりないように思えるこの異世界人召喚がこの神託に従った結果だというから、少なくともこの国では有事の際に神託を人間に授けて物事を良い方向に導くような神がいると信じられていると思われる。
「あとさ、沙綾は聞いた?」
「何を?」
「白いフードの集団の中から連れ出されたときにさ、女の人っぽい声が言っているのが聞こえたんだよ。『世界が救われる』って」
「……世界が? えっ? 国じゃないの?」
眉をよせて怪訝な顔をした沙綾に、和斗もわけがわからないという表情で肩をすくめる。
「そう、世界なんだよ。その時はまだ状況がよくわからなくて聞き流してたんだけど、説明を受けた今になって思い返すと、どうも話がおかしいような気がして」
「そういえばメイドさんにも世界がどうのって言われた気が……でも確かに昨日の説明ではそんなこと言われなかったし、私たちのことも『国を救う勇者です』とは言われても救世主とは言われてなかったよね?」
「ああ、少なくとも説明された場所にいた人たちはそんなこと一言も言わなかった」
おかしなことに、二人は邪魔をしてきた魔族を倒すために召喚された《勇者》であるはずであるのに、どこをいったいどうしたのか、ほんの一部の人間からだが、救世主扱いされているのだ。
もしかしたら、実行犯の魔族を叩くだけでなく大本である魔王も倒さなければならないのかもしれない。しかし魔王は昔からこの世界に存在しているというし、今回のように人間達の邪魔をすることはあっても世界を滅亡に導こうとして動くことは、とある制約があるためありえないことであり、そして魔王は下剋上による代替わりがよく起こるため、魔王を倒したところで世界がどうこうなるというわけでもないようだ。
「あの人たちは国の外を知らないから、この国だけが自分の世界だって言っているわけ……でもないよな」
「さすがにそれは……でもまあ、それは今ここで考えるよりも後で聞いたほうが速いと思う。地球とは全然別の世界だから、その地域に住んでる人がいなくなったら隕石が降ってくる、なんてことがあるかもしれないし」
仮にそうだとしても、自分達のここでの立場が変わるわけでもないし、考え出したらキリがないと彼女は話を中断した。
双方が無言になり、和斗は変わらず天井を眺め、沙綾も考えることを止めたのか所在なげに冊子をパラパラとめくりはじめる。
朝日が差し込む窓からはさほど強くない風とともに馬の嘶きや何かの掛け声が入って来て、漂ってくる美味しそうな匂いが特徴的な金属臭に負けて薄れていく。
戦争中であるからかどこの空気もピリピリしているのが部屋にいるだけでも感じられ、誰も彼も苛立ちや焦りが抑え切れていないのが雰囲気からわかる。
大規模な争いごととは無縁の生活を送ってきた二人には、その環境には居るだけでも精神的に来るものがある。ましてや勝手にそこにいる人々の命運を賭けられ、重すぎる希望を背負わされているのだ。
誰もが自分達二人を期待の眼差しを持って見、何かを話せば二言目には《勇者》と無責任に重圧をかけてくるため、否応なしにストレスが溜まっていく。
この世界に召喚されて一日も経過していないにも関わらず、二人のメンタルはかなり削られてしまっていた。
「あーあ、なにが『恐れ多くも神が我々に授けてくださった託宣だ、これに従わずしてなんとする!』だよ。その神託が本当に神様からのお告げなのかわからないし、結局他人任せにすることで責任逃れしようとしてるだけじゃないのか、これは。俺たちは体の良い人柱要員なんじゃ……」
和斗が頭を押さえて呻く。
沙綾も資料を閉じてため息をついた。
(早く帰りたい……帰れるのかな)
考えれば考えるほど悪い方向に思考が向いてしまうから、思い詰めることは良くないのだとはわかっている。
だが、この場所にいる限り考えずにはいられないのだ。それは和斗も同じだろう。
考えなければ無事に帰ることはできない。元の世界に戻りたいのなら、少しでも起きる可能性のある危険は警戒しなければいけないと、頭の中で囁く声が、段々と大きくなっていく気がしてくる。
良くないことは早く終わらせてしまいたい。無駄に時間があると、余計なことまで考えてしまう。簡単な話し合いでも、その思考が邪魔をして集中することができなかった。
(ううん、それを気にしていたって何かが変わるわけじゃない)
沙綾は頭の中の囁きを振り払うように頭を振り、深呼吸をする。
(負のスパイラルに嵌っちゃいけない。まだ朝よ。後ろ向き思考になるのは夜だけで十分)
そう胸中で自分に言い聞かせると、グッとと全身に力を入れて緊張させた後、深く息を吐いて居住まいを正す。
相変わらず何も言わないで天井に顔を向いけいる和斗に触れることはせず、沙綾は他の資料を手に取りパラパラとページを開き始めた。
国の歴史、隣国との関係、過去に起きた戦争、現存する種族……などなどの概略と詳細を読んでいくと、ふと世界の仕組みが記載されているところで手が止まった。
そのページには、地球にいたときは空想として存在するだけで現実では見ることすらできない、ファンタジーの世界においては必須項目とされている、“魔術”について書かれていた。
「魔術……を、用いたことで人間達は魔物の脅威を退け繁栄を築いて来た、ね……あれ? 魔法が別記載されてる」
「魔法?」
沙綾が意図せずに声に出したその内容に、忘れていたことを思い出したように和斗は勢いよく顔を沙綾に戻す。
突然の和斗の動きに驚きつつも、魔法と聞いた和斗の表情や声が心なしか明るくなったように思え、沙綾は少しだけ安堵した。
「うん、そう、魔法」
「あー……うん、そうだよな、召喚なんてファンタジーなことがあるんだ、ここは魔法がある世界なんだよな。楽しみだ。……そこだけは」
ファンタジー好きな人は誰でも一度は『魔法を使ってみたい!』と思ったことがあるだろう。
和斗も幼少期からファンタジーのアニメや漫画に触れ、第二次成長期にその結果を十分に出した日本男子だ。高校生になってからは落ち着いたが、魔法を使ってあれこれしたいという思いは無くなってはいない。
沙綾も少なからずファンタジーの世界に触れていたが、魔法をあまり使わない肉弾戦が主流の魔法少女物であったり、プレイしていたゲームでも序盤の便利さを霞ませるほどの終盤での圧倒的な残念感しか印象に残っていなかったために、和斗ほど魔法に憧れは抱いていない。
「俺らも使えるかな。むしろ使えなかったらそれこそ絶望なんだが」
「この世界では人間は皆魔術を使えるみたい。一部例外を除いてだけど」
「例外が……不安しかないぞ」
「でも、その例外の中に、さらに少数だけど、魔法を使うことができる人がいるんだって」
「うん? 魔法と魔術両方あるのか」
「そうみたい。どう違うのかよくわからないけど。ほら、こことここ」
和斗に手に持っている冊子を渡し、沙綾は文面に記載してある項目の内の二つ、魔術と魔法を指で示した。
別々に分けて記載されているため、魔術と魔法は別物であるということはわかる。
しかし魔術はその原理から応用まで事細かに書かれているにも関わらず、魔法はほんの数行だけ、しかもどれも要検証としか書いていなかった。
どうして魔法が魔術と違うものだとわかったのだろうか、と疑問が生じてもおかしくないほどの情報の少なさである。
和斗が眉間に皺を寄せ、沙綾も浮かない顔をする。
「なんだこれ。魔法は魔術と違って治療と空間転位もできる、だけしかわかってないって」
「この書き方だったら最近になって区別され始めたというわけでもないよね」
どういう基準なんだろう……と首をかしげる沙綾に、和斗は頭を少し捻ると「多分こういうことじゃないか?」と指を立てた。
「魔術は俺らの世界で言う黒魔法で、魔法は白魔法なんだろう。もしくはRPGの賢者が使うのが魔術で、聖職者が使うのが魔法とか」
「なるほど。それでその聖職者というのが何年かに一度生まれる、神の声が聞ける特別な人間ってことなのかな」
「そうだとすると、魔法のことが調査不足なのは、神の声を聞いた人が見つからなかったっていうのが考えられるよな」
他にも、神の声を聞くまで本人が魔法を使える自覚がなく、かつ神の声を聞いた後だと何らかの要因によって魔法が使えなくなる、もしくは魔法が使えることが発覚してからの余命が短い人、神の声を聞くのに肉体や精神にかなりの負担がかかってしまって死んでしまう……など色々あり得そうな原因を上げていった。
「転移はともかく回復魔法は神聖魔法ってカテゴリー分けされてるときがあるから、たしかに神の力が云々っていうのはありそう。私達を呼び出したのも神様のお告げがあったからって言うし、それが本当だったらあの場所にいた人達の中に魔法を使える人がいるのかも」
「この後の朝飯の後にまた色々と説明があるらしいし、そのときに聞いてみよっか。俺らの認識が合ってるかどうかも怪しいし」
「うん、そうだね。……お腹すいたし、そろそろ誰かが呼び来る頃かな」
窓から入ってくる美味しそうな匂いが強くなってきたため、そろそろメイドかバトラーが朝食ができたと部屋に呼びに来る頃だろう。
沙綾が自分の胃が主張するいつもより強い空腹感に、そういえば昨日は夕御飯を食べてなかったなとぼんやり考えたところで、不意に和斗が立ちあがった。
「どうしたの?」
彼は机の上に置いてある、先ほどまで使用していたペンを手に取ってくるくると回しながら部屋の周囲を見回し、部屋の奥の壁に埋め込まれるようにして設置されている暖炉を見つけると、その前にしゃがんだ。
「ちょっとやってみたくてさ」
「何を?」
暖炉は暖が必要なほど室内が冷えているわけではないため、薪が何本か脇に積んであるだけで火は付いていない。
和斗がしたいこととは何だろうかと、頭の上に?マークが浮かべていそうな表情の沙綾に、和斗は照れ臭そうに言った。
「いや、さ。魔法だよ魔法。この場合魔術になるのかな? 魔術を使ってみたいんだ。後で魔術の指導とかありそうだけど、最初はやっぱり周囲の目がないところでやってみたいから」
いるかわからないけど勇者ってことで集まったギャラリーにジロジロ見られながらやるのも、それで万が一失敗して何か言われるのも嫌だ、と言うと、彼は薪を二本交差させて暖炉にくべて、手に持つペンをその交差点に向ける。
「まあ勇者の素質がどうだとか言われてるし、使えないなんてことはないだろうけど」
沙綾もペンと暖炉の薪を交互に見やるが、首をかしげて和斗に尋ねる。
「でも、こういうのって決まった呪文とかがあるんじゃないの?」
その言葉に彼は「あ、そっか」と呟き立ち上がろうとするが、「いや、いけるんじゃないか?」と再度ペン先を薪に向ける。
「大抵の呪文は頭で想像したことを言葉に直して唱えるってのがほとんどだし、その魔術に関する資料にもそんな感じだって書いてあった。呪文名とかは俺らについてる翻訳機能が補正するだろうから問題はないんじゃないか?」
そう言うと薪に向き直り、和斗は冬場の暖炉でそれが赤い火に包まれて燃えている場面を想像し、唱えた。
「じゃ、やってみるよ。『炎よ、この薪を燃し、この場に熱を! ファイヤー』」
突然響き渡った爆発音と壁から伝わる振動に王宮内は何事かと騒然とし、二人がいる部屋の外に待機していた衛兵が敵襲かと血相を変えて内に飛び込む。
中にいる客人を守るために武器を構えた彼らが見たのは、ソファに座って目を丸くした沙綾と、尻もちを付いて同じく茫然としている和斗。
そして黒煙を上げながら轟々と火柱を立てている、黒く焼け焦げた暖炉だった。




