[第6話] 夏の夜、君と
いつの間にか、夏が来ていた。
街を歩けば、半袖姿の人が増え、日差しもずいぶん強くなっていた。
駅には花火大会のポスターが貼られ、店先には夏物の服が並んでいる。
そんなある日、駅前を歩いていた俺は、花火大会のポスターを見つけた。
大きく打ち上がる花火の写真。
その下には、開催日が書かれていた。
「……花火大会か」
何気なく口にして、ふと思い出した。
中学のころ、雪乃と花火大会に行ったことがある。
正確には、俺たちと、もう1組のカップル。友達4人で行った、いわゆるダブルデートだった。
当時の俺は、雪乃と付き合っていた。
好きだったし、一緒にいられるのは嬉しかった。
ただ、いざ2人きりになると、何を話せばいいのかわからなくなった。
学校では普通に話せることでも、雪乃が隣にいるだけで妙に緊張してしまう。
変なことを言って嫌われたらどうしよう。
つまらないと思われたらどうしよう。
そんなことばかり考えて、言葉が出てこなくなった。
花火大会の日もそうだった。
友達と一緒にいる間は、そいつらが話を振ってくれるから、まだよかった。
雪乃が何か話しかけてくれても、まともに返事をするのが精いっぱい。
本当は一緒に屋台を回りたかった。
何か買って、くだらない話をして、2人で笑いたかった。
でも、何を話せばいいのかわからなかった。
そのうち、もう1組のカップルが先に行ってしまい、俺と雪乃は2人きりになった。
せっかくのチャンスだった。
普段よりも長く話せるかもしれない。
そう思ったのに、いざ2人きりになると、余計に緊張した。
「……花火、楽しみだね」
雪乃が話しかけてくれた。
「ああ」
それだけだった。
もっと何か言えばよかった。
どんな花火が好きなのかとか、屋台で何か食べたいものがあるかとか。
話題なんて、いくらでもあったはずだ。
それなのに、何も思いつかなかった。
結局、その日を楽しく過ごせたかと聞かれたら、素直に頷くことはできない。
花火はきれいだった。
雪乃と一緒にいられたことも嬉しかった。
それでも、もっと話したかったという後悔ばかりが残った。
そして、帰り道。
みんなと合流する少し前、俺はようやく雪乃に言った。
「……今度はさ、2人で来ような」
雪乃は少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「うん。約束ね」
たったそれだけの会話だった。
けれど、俺にとっては、精いっぱいの勇気を出して伝えた言葉だった。
その約束を果たすことはなかった。
俺はポスターをもう一度見た。
……だったら。
今度こそ、ちゃんと誘ってみよう。
部屋に戻ると、雪乃はソファに座って本を読んでいた。
「なあ、雪乃」
「ん? どうしたの、なぎくん」
「今度の花火大会、行かないか?」
雪乃は本から顔を上げた。
「花火大会?」
「駅でポスター見たんだよ。近いうちにあるらしい」
「そうなんだ」
「それでさ……」
俺は少しだけ言葉を止めた。
こういうことを自分から誘うのは、なんだか妙に照れくさい。
昔と違って、今は何でも話せるようになったつもりだった。
けれど、雪乃を相手にすると、たまにこういうことがある。
「中学のとき、約束しただろ。今度は2人で行こうって」
雪乃は、ゆっくりと思い出すように視線を上げた。
「……覚えてたんだ」
「そりゃ覚えてるよ」
「私も覚えてるよ。あのとき、あんまり話せなかったよね」
「……悪かったな」
「ふふっ、責めてるわけじゃないよ」
雪乃は本を閉じ、膝の上に置いた。
「私も、なぎくんが何を考えてるのかわからなくて、どう話しかけたらいいか迷ってたから」
「いや、俺は普通に緊張してただけなんだけどな」
「そうだったの?」
「そうだよ。何話せばいいかわかんなくてさ。変なこと言って嫌われたら嫌だし」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
27歳にもなって、昔の恋愛の話をしている。
しかも、幽霊になってから。
「……まあ、今もたまに緊張するけど」
「え?」
「いや、なんでもない」
雪乃は不思議そうに俺を見ていたが、それ以上は聞いてこなかった。
「でも、今回はちゃんと2人で行こうぜ」
俺が言うと、雪乃は顔を上げた。
「うん。行きたい」
「よし、決まりだな」
「ふふっ。なぎくんから誘ってくれるなんて、ちょっと意外」
「なんだよ、それ」
「昔は、私から誘うことのほうが多かった気がするから」
「……そうだったか?」
「そうだったよ」
そう言われると、否定しきれなかった。
昔の俺は、雪乃が一緒にいてくれることを当たり前だと思っていたのかもしれない。
好きなのに、うまく話せない。
一緒にいたいのに、自分から誘えない。
今思えば、もったいないことをしたと思う。
だからこそ、今回は自分から誘いたかった。
昔にできなかったことを、今度こそ叶えたかった。
花火大会当日。
夕方、俺たちは会場へ向かった。
駅を出ると、浴衣姿の人たちが大勢歩いていた。屋台が並び、あちこちから楽しそうな声が聞こえてくる。
「すごい人だね」
雪乃が周りを見ながら言った。
「だな。はぐれんなよ」
「うん」
そう答えた雪乃の手が、すぐ隣にあった。
俺は何気なく、その手に目を向けた。
昔は、こうして一緒に出かけても、手をつなぐことすらできなかった。
いや、あのころは、手をつなぐ以前の問題だった。
隣にいるだけで緊張して、何を話せばいいのかわからなくなっていた。
今はどうだろう。
そんなことを考えながら、俺は雪乃の手に自分の手を伸ばした。
指先が触れる。
そう思った瞬間、俺の手は雪乃の手をすり抜けた。
「……あ」
もう一度、手を伸ばしてみる。
やっぱり駄目だった。
何度やっても、触れることすらできない。
そりゃそうだ。
俺は幽霊なんだから。
「……あーーーーー、つなぎたかったなーーー!」
思わず声が出た。
「なぎくん?」
雪乃が不思議そうに振り返る。
「いや、なんでもない……」
なんでもなくはない。
めちゃくちゃつなぎたかった。
せっかく2人で花火大会に来たのに、手をつなぐことすらできないなんて。
生きていたころは、当たり前にできたことだったはずなのに。
「どうしたの?」
「……手、つなごうと思った」
雪乃は一瞬きょとんとして、それから俺の手元に視線を落とした。
「そっか」
「そっか、じゃないんだよ。俺だってつなぎたいときくらいあるだろ」
「ふふっ、ごめん」
雪乃は笑った。
俺は少しむっとしたが、雪乃が楽しそうなので、それ以上は何も言えなかった。
「……次、生まれ変わったら絶対つなぐ」
「うん」
雪乃は静かに頷いた。
その返事が妙に優しくて、俺はそれ以上、何も言えなくなった。
俺たちは屋台の間をゆっくり歩いた。
焼きそば、たこ焼き、りんご飴。
昔は、雪乃と何を食べるか決めることすらできなかった。
今は幽霊になってしまったせいで、そもそも何かを買うこともできない。
「なあ、雪乃。昔って、屋台とか全然回れなかったよな」
「そうだね。せっかくお祭りに来たのに、ほとんど何もできなかったね」
「今思うともったいなかったな。せっかく雪乃の浴衣姿も見られたのに、花火もろくに楽しめなかったし」
雪乃は懐かしそうに笑った。
「ふふっ。そんなこと覚えてたんだ」
「そりゃ覚えてるだろ。かわいかったし」
口にしてから、少し恥ずかしくなった。
10年以上前のことなのに、あの日の雪乃の姿は、今でもなんとなく覚えている。
せっかく隣にいたのに、花火を見ながら感想を言い合うこともできなかった。
「……あのとき、もっと普通に話せてたらよかったな」
「でも、今日はいっぱい話せてるよ」
雪乃はそう言って、楽しそうに笑った。
「……まあな」
今度こそ、あのころできなかったことを楽しもう。
やがて、夜空に最初の花火が打ち上がった。
大きな音が響き、色鮮やかな光が広がる。
「おお、すげえな」
「きれいだね」
雪乃は空を見上げていた。
次々と花火が打ち上がるたび、雪乃が感想を口にする。俺もそれに答えながら、一緒に夜空を眺めていた。
「なあ、雪乃」
「なに?」
「今日、誘ってよかったわ」
「うん。私も来られてよかった」
雪乃はそう言って、俺に笑いかけた。
そのあとも、花火は次々と夜空を彩った。
そして、最後の花火が大きな音とともに打ち上がる。
「終わっちゃったね」
「だな」
周囲の人たちが帰り始める中、俺たちはしばらくその場に残っていた。
中学のころ、2人で来ようと約束した花火大会。
あのときは果たせなかった約束を、10年以上経った今、ようやく叶えることができた。
「なぎくん、また来ようね」
雪乃が言った。
「ああ。今度も2人でな」
「うん。約束」
雪乃は嬉しそうに笑った。
俺はその笑顔を見ながら、来年も一緒に来られたらいいな、と思った。




