2.箱庭
翌月。
帝国から留学生として第四皇子クアルト殿下がやってきた。
王は歳が同じであるからと、フォリス王子を世話役とした。
一国の王子が世話役をするほどに、国同士の力の差がある。
しかし、帝国の第四皇子を自分の側近と同等に扱い、殿下が不快そうにしている姿が、学園のそこかしこで見えるようになる。
王子に逆らわず振る舞うことの危うさに気付いたのか、少しずつわたくしの下を訪れる生徒が増えてきた。
その中には、王子の側近であったブライス将軍の次男もいる。
空気が変わりつつある中で、王子の婚約者から茶会の招待を受けた。
そこには、帝国の第四皇子の名がある。
婚約者の名、浮気相手の名、最後にわたくしの名。
順番一つとっても、わたくしを貶めたいのだとわかる。
「参加していただけますわよね?」
「ええ。もちろんですわ」
王子の望むままに、わたくしを馬鹿にするために用意した場。
夜会でわたくしを貶めたつもりが、周囲の反応は遠巻きにする者が増えた。
肌で感じる雰囲気の変化に焦って動いた。
もう一度、自分たちの思い通りにできる箱庭で貶めることで取り戻したいのだろう。
だけど。
前とは違う。
自分達の箱庭に入り込んでいる異物は、帝国の利益のために動くのであって、都合よく動いてくれる駒ではない。
茶会が始まって、最初の話題は塩についてだった。
出された軽食の塩の舌触りが悪かった。
「なんだ、この塩は?」
「確かに。最近、値上がっていると聞いていましたが、質も悪くなっていますわね」
王子とその婚約者の会話に続くように、塩の話題が出た。
我が家が王都に塩を輸送することを禁じて1か月。
塩に混ぜ物をして量をかさ増しをしたり、値上げして対応する商会が増えた。
我が家が理不尽な命令の撤回を求めているが、返答はない。
そして、王子の様子から塩の件を王から説明はされていないらしい。
まだ、混乱するほどの事態には至っていないが、それでも少しずつ変化がある。
王子の側近、将軍の次男が王都を離れた。今回の茶会も欠席。婚約者の少女も辞退している。
「出席してほしかったよね。せっかく殿下の側近だけのお茶会なのに。まあ、相応しくない人もいるけど」
わたくしを見て、にやっと笑った少女の名はメアリー。
今日もイルシオの隣に陣取っている。
少女の発言を肯定するようにくすくすと笑いが零れる。
今までならわたくしを貶める彼女に乗るだけでいい。
でも、それは悪手。今までとは違うことを理解していない。
にっこりと笑い返すと、少女たちはむっとしたり、顔を晒したりと様々な反応をする。
「その通りだね。なぜ、相応しくない身分の者をこの席に座らせるのかな」
「え? あ、違うんですよ、殿下。相応しくないって言うのは」
慌てたように少女が殿下の言葉を遮った。
とっさに額に手を当てた側近がいる。
流石に、その行動のまずさは理解しているようだ。
素知らぬ顔をしながら、お茶で喉を潤し、成り行きを見守る。
「子爵家から籍を抜いた平民と小さな商会の長との間に産まれた子ども。その平民が僕の言葉を遮る。王国はどういう教育をしているの?」
「あっ……」
メアリーの言動がまずいことに漸く周囲が気付いた。
がたがたと震え出す。王子が気安く接することを許していても、あくまで身内でのこと。
他国の皇子の言葉を遮ることがまずいと理解するだけの頭はあったらしい。
ただ、彼女を庇う様に前に立ったイルシオだけは別だった。
恋人を見捨てない美しい構図に酔っているだけだろうけど。
「君も平民だよね。騎士爵は一代限り、父親が騎士であっても平民でしかない存在が、僕の邪魔をしないでくれる?」
「クアルト。すまないな。メアリーの母は私の乳母で、幼い頃から私に仕えているんだ」
だから、何だというのか。
王子の理屈が通じるのは、小さな箱庭だけ。
箱庭が王宮から学園に変わっても、その理屈を通してきたけれど。
他国の人間には関係がないのに。
「それ、僕に関係ある? 平民が僕の言葉を遮ることを王族が許すの?」
「この学園では身分では差別はしない」
王子の言葉は建前でしかない。
身分の違い。クラスをわけることで解消しているだけで、平民と下位貴族と上位貴族には明確に学びの内容に差がある。
「そう? その平民は相応しくない人がいると、差別をしようとしたのにね。身分以外なら差別するの?」
わたくしの婚約者が平民の女を庇うことを皆が受け入れる。
その関係を帝国に見せることがどうなるのか、理解をしていない。
他国の人間の前で恥を晒しているという自覚がないことも困るが、その行動に同意を得られると思っていたのなら救いようがない。
「じゃあ、他の参加者に聞こうか。勘違いしている平民もだけど、婿入りするはずの人間が浮気をしていることに対し、誰も何も言わないんだ?」
決して大きい声ではないのに、その声は響く。
疑問を口にした本人は、不思議そうに首を傾げている。
男性陣は顔を背け、女性陣は数人が頷きを返すが誰も発言はしない。
その場は静まり返ってしまった。
「なあ、どうしてだ?」
もう一度、首を傾げながら問う姿に、俯いて表情を隠した。
昔から、この天使のような笑みで退路を潰す、この表情が苦手だった。
静まり返った場で、ちらちらと視線を向けてくるのは王子だった。
今まで敵視しておきながら、自分が困ったときには無条件に助けてくれると思っている。
周囲も同じ。
幼い頃から共にいたから、どれだけ貶めても許されると思っている。
わたくしとアルフが抜けて、イルシオとメアリーが追加され……王国の将来を担うはずの者がどんどん落ちぶれた。
「クアルト殿下。わたくしは婚約者に対し、適切な距離を取ってほしいと、幼馴染であるから許されるものではないと。何度となく伝えております。浮気をしているお二人だけでなく、この場にいる方達にも、注意をするべきだと伝えました。しかし、わたくしが狭量であるそうです」
「狭量?」
「はい。王命で仕方なく婚約を受け入れたにもかかわらず、愛する二人の間に割り込んできたのはわたくしのため、当然に甘受するべきという主張をされ、皆様が同意しています」
婚約はわたくしが望んだものではない。
王の命令により結ばれた、我が家にとって何も利がない婚約。
「つまり、国王の命により、無理矢理に婚約者となった被害者が、貶められているということでいいのかな?」
「それは違う! そいつが俺と愛するメアリーとの仲を切り裂いたんだ」
「そうです。私達は幼い頃から愛を育んできたのに、婚約者だと横やりを入れたのはその人です」
「そうなのかい?」
乳母の子と護衛騎士の子。
幼い頃は王子と共に育つ環境だった。
それでも、身分の差がある。
貴族の友人を作り、その中から側近を抜擢し、身分を理解していたのに――王子は、その関係を壊した。
「母はわたくしを産み、子ができませんでした。そのため、我が家には婿が必要でした。水面下ですでに定めていた婚約に横やりを入れ、イルシオと婚約せよと命じたのは王家です」
理由は、イルシオ・グランヴェルの父親が王に願い出たから。
それだけだ。
イルシオの父は、侯爵家から分かれた騎士だった。
王太子時代から現王の信頼を得て、フォリス殿下の護衛を務めていた。
七年前、王子が護衛を出し抜いて一人になり、刺客に誘拐された。
救出時に重傷を負い、護衛の彼は引退を余儀なくされる。
この事件以来、王子は帝国を憎み、その血を引くわたくしにも憎悪を向けるようになった。
それだけではない。
子ども返りするように、メアリーとイルシオを側に置きたがった。
王は王子が心を壊さないようにと、王子の望むままに褒賞として、騎士の願いを叶えることにした。
騎士が願ったのが自分の息子と一族の総領娘であるわたくしとの婚約だった。
「メアリー嬢を恋人とするなら、婚約破棄を。何度も打診していますが、応じていただけません」
「違う! 婚約は破棄しても構わないが、その場合は俺を養子として迎え、次期侯爵とするように言っているだろう! 王命が出ているんだから従えよ!」
周囲からぎょっとした表情が出た。
あたり前だけど王子以外から婚約を破棄して、家を乗っ取るということは誰も共感しない。
王命が出ていることも、一般的には知られてはいけないことだ。
「何故でしょう? 確かに、あなたがグランヴェルの血筋であることは認めます。ですが、曾祖父の四男、一代限りの騎士爵の子であり、平民同然。グランヴェル家の継承権はほぼありません。我が家は10年前に、父を補佐している叔父様の長男を養子にしており、わたくしに何かあった場合は義弟が継ぐことになっております」
「だが、アイシア嬢。イルシオは私の側近であり、侯爵に相応しい男だ」
イルシオは下位貴族のクラスにすら入れず、平民クラスにいる。
我が家に侯爵家のことを学びに来ることも無く、恋人といちゃつきながら王子の側にいる。
それが相応しい? グランヴェル侯爵家を馬鹿にしている。
「平民クラスの学力しかなく、我が家の主要産業も知らぬ男が?」
イルシオは我が家に王命を出したことは知っているが、その返事が芳しくないことは知って焦っているらしい。
そして、王子もイルシオも報復措置に対しては気付いていなかった。
はっとしたようにわたくしに視線が集まった。
冒頭での塩のやりとり。王命での家の乗っ取り。
ここまで伝えて、ようやく、我が家の主要産業に思い至るあたりが遅すぎる。
眦が上がりそうになってしまい、瞳を閉じて耐える。
ゆっくりと息を吐いてから立ち上がり、王子を見下ろす。
「殿下が新しく彼を侯爵として任じてはいかがですか? 我が家を乗っ取るような真似をせずに」
本来なら罰されるべき失態を、王子の我儘で褒賞へと変えた。
その結果が、これだ。
異様。その一言に尽きる。
側近たちが気付いたのに、王子は未だに気付いていない。
いや、それすらもイルシオが爵位を継げば元に戻るとでも考えているのだろう。
「爵位を新しく与えることはできるが、土地は用意できないからね。私の命を救ってくれた彼らのために、グランヴェル家も理解してほしい」
わたくしを見ながら、駄々をこねる子どもを宥めるような口調で言う。
これで二度目。一度の失態は誤魔化せても、帝国の人間がいる場で起きたことは誤魔化せない。
「お考えはよくわかりましたわ。父と母に伝えておきます」
「アイシア嬢。僕も行くよ。グランヴェル侯爵と共に、王に問いたださなくてはならないようだね」
「かしこまりました」
血が繋がっているなら、継承しても問題がない。
ならば、その通りにいたしましょう。
わたくしに与えられた役割を果たすために。
クアルト殿下にエスコートされて、その場を辞した。
父と母に報告をすると、母は目を細めて優雅に笑う。
「愚かな王家のおかげでわたくしも苗代の役を見事に果たせますわ。あなたも、よろしいですわね?」
「……よろしくはない。だが、止める術はない」
父は眉間に皺を寄せながら、深く、深く息を吐き出した。
わたくしと母は、その様子を静かに見守る。
『苗代の役』は、本来の役割が不要な時代であれば各々の判断で動く。
高い継承権を持つ誇りにかけて、帝国の利を追求する者。
母は子を二人産むことができれば、わたくしを王妃とする予定だった。
そのために、幼い頃からわたくしに徹底して、皇族、王族として相応しいだけの表情を覚えさせ、帝王学を施した。
そして、二人目が望めないとわかった後も、その教育は続いた。
「私は侯爵家の跡取りとしての教育しか受けていない。それでもかい?」
「ご心配にはおよびませんわ。王は決断をする者であり、全てを熟す者ではありません。今、あなたが決断をしたように、あなたを支える者がそれを形にするのです」
「……そうか。君に頼ることになるが、支えてくれるか?」
「夫婦ですもの、当然です」
父は具体的な言葉にはしなかった。
それでも、その瞳は揺るぎない決意で固まっていた。
父は王に向けて、関係者全員と話し合いの場を設けてほしい旨の手紙を出した。
その後はクアルト殿下を含め、父を支持する家と話し合いを行った。
王家に妄信することに危険を感じ始めた家とも連絡をとり、準備を進めていく。
「アイシア。父皇帝からの返信だ。君でも、僕でも、どちらでもいいそうだ」
3日目の夜に、早馬により届けられた手紙を見て、クアルト殿下は意味深に笑った。
王国を滅ぼし、帝国の皇子による統治か。
王を代え、王国の貴族を残して、帝国の友好国となるか。
どちらでもいいということは、将来、わたくしの婿を王とするのではなく、女王として統べることも認めるということだろう。
「では、陛下にはわたくしが継ぐとお伝えください」
「そう? 無理してない?」
「王国の貴族もいきなり帝国の皇子を王とするのは認めがたいでしょう。足りない部分はこれから学びます」
この国の王位を継ぐのは、父。そして、次にわたくしが継ぐ。
いきなり帝国の皇子を王とするより、反発は少ないはず。
「矢面に立つことになるよ?」
「はい。わたくしが稼ぎ出す時間で、クアルト殿下には対帝国を構想している周辺諸国の対応をお願いしたいのですが」
「はいはい。せっかく、新しい親帝国派の国ができても潰されたら意味ないしね。君が王として立つ間に足場を固めも含め……すでにグランヴェル侯爵夫人が整えていたみたいでね。父皇帝から、帝国および周辺国に対し、この国への塩の輸出を禁止する命令が発行済みだって」
すでに帝国も動いている。
あとは、一時的に帝国の兵を借りるにしても、急いで片付けて足場を頑丈に固める必要がある。
父との伝手を借りずに、自分だけで自由になる武力は少ない。
アルフやブライス将軍に手紙を出すと快く応じる旨の返事が届いている。
「手腕に期待しているよ、僕のお姫様」
「……その笑顔に何度となく煮え湯を飲まされましたけど、味方だと頼もしいですね」
「まだチェスの勝負を根に持ってるの? もう少し色気がある返答がいいのだけど。女王に立つのは、僕に愛妾や側室を持たせたくないからとか」
「……夫を共有することを許せるなら、イルシオをそのまま受け入れています」
「ふふっ、互いに信頼し、愛するのはお互いだけってことだね。僕もそれには賛成かな」
共に国を治め、同じ視線を持つ者。
クアルト殿下とならば信頼し、愛を育むことが出来る相手。
「わたくしは恋をすることはありませんわ」
「僕もだよ」
お互いに視線が合い、笑みが零れた。
この国の未来を、帝国に委ねないためにも成すべきことを成す。




