第31話 MUKAI MORNING2
「ねぇ、それにしても、どうして今日はそんなに大人しいの?」
トキに協力すると約束してから、私はずっと不思議に思っていたことを口にした。
「…どういう意味だよ」
トキは睨んでくる。
「だって…昨日はひどかったよ。私を縛ったりしたのは誰?」
私がそう言うと、トキは目を細めて言った。
「…今日も、そのつもりで来たんだけどな」
「えぇ!?」
私はちょっとトキから離れる。
「…冗談だ」
嘘だ!目が本気だったもん!
それでも私が警戒しているのを見て、トキはため息をついた。
「…気が変わったんだ。お前が……まぁいいか」
言いかけて言葉を濁すトキ。
「まぁいいって何?気になる!」
「気にするな…昨日はな、虫の居所が悪すぎた。お前がこっちの必死の願いをバッサリ断ってくれたもんだから、腹が立って…ちょっと強引な手を使った。なにせ、俺は黒い狼を長い間…3年間、探していたんだからな。条件通りにしないと『トランスペアレンシー』は願いを聞き入れないんだ」
「3年間…!?」
私はそれを聞いて愕然とした。
3年間も…そんな長い間、どんな気持ちでいたんだろう。
せっかく願いを叶えるためにこの世界に来たのに、ずっと足止めをくらっていたんだ。
そこで、やっと条件通りの私に出会って…
それなのに私は、その願いをむげに断ってしまった。
私だったら、どんな気持ちになるだろう?
怒って当然かもしれない。
長い間、必死でハルカを探して…そしてやっと会えたとしても、拒絶されてしまったら?
私ならきっと絶望する。
トキは、どんな気持ちで…
どんな気持ちで…いたんだろう。
「どっ…どうした?俺に腹を立ててんのか?」
トキが私を見て慌てている。
気づけば、私は泣いていた。
「あっ…ご、ごめん」
そう言いながら、私は零れ落ちる涙を拭った。
けれども、何かのスイッチが入ったかのように、涙はボロボロと溢れ出してしまった。
私は我慢できずに、しゃくりあげながら言った。
「……ごめん…!ごめん…なさい…」
トキに必死に謝った。
「話も聞かずに…断っちゃって…」
「わ…私のせいで、悲しい…思いを、させちゃったね」
「…っ…ごめん…」
私はしゃくりあげながら、泣きながら、トキに謝った。
顔を手で覆い隠していたから、トキの表情は分からないけれど、きっと今、すごく困った顔をしているんだろうな。
でも…涙が止まらない。
私はひどいことをしてしまった。トキの気持ちを思うと、胸が苦しい。
「…泣くほどのことじゃないよ。俺こそ昨日は悪かった。縛ったりしたのはやりすぎたと思ってる」
トキが優しい声で言った。
「なぁ、俺はお前を見つけられて、嬉しかった。昨日は断られて途方に暮れたけど、結局お前は俺を助けてくれるんだろう?」
私は嗚咽を堪えて、ただ頷いた。
「ありがとう。…おい、そんなに泣くなよ」
そう言ってトキは私の頭をちょっと乱暴に撫でた。
私はひどいことをした償いがしたいと思った。
顔を上げて涙をぬぐい、トキを見つめた。
「私は何をしたら良い?」
トキは少し戸惑った顔をして目をそらし、首を傾げた。
「そうだな…具体的には、俺の『無くしたものを見つけること』を手伝ってほしいのと、『トランスペアレンシーの名前』を協力して探したいと思ってる」
「…名前…そうだね」
白い少年…もとい、トランスペアレンシーの名前を見つけること。それが、元の世界に戻る条件なんだ。
とりあえず今は知識をつけとけ、と、トキはまたこの世界についての説明をしてくれた。
「…お前がなってしまった、幻獣っていうのは、人型、獣型、半獣型の3種の姿に変化できる生き物だ。
先進国や人口密度の高い国では、幻獣達は他種族同士でもコミュニケーションを円滑にとれるよう、基本的に平素は言語が統一された人型や半獣型をとっている。
その為、都市に住む幻獣は、自身の獣姿というのをあまり表す機会がなく、もう何年も獣姿になっていないという者も居るのだそうだ。
「だからマグニフィセント・セブンでお前が狼のまま走り回ったのが原因で、大パニックになったんだ。反省しろよ」
「…うん。ごめんなさい」
私は反省してしょんぼりうなだれる。
「…今後は気をつけろよ。本当に、危なかったんだからな」
トキは分かったか?と念をおしてくる。
こうして普通に接しているとトキは、面倒見の良いお兄さんって感じの人だ。
…無表情だけどね。
「…そうだ!トキ、ありがとうね!」
私がそう言うと、トキは眉を寄せて、意味が分からない、という顔をした。
「ほら、トラッカー・ドラゴンから助けてくれたじゃない」
すると、トキは幾度か頷いて言った。
「ああ…。うん。礼なら、ラナーに言え」
「ラナー?」
「俺達の…盗賊団ヨシュア・ツリィの仲間のジンだ。ジンってのは…ほら、あれだ。ランプの精」
「アラビアンナイトの?願いを叶えてくれるあの?」
「ああ。別にラナーは願いは叶えてくれないけどな。ランプに住んでるわけでもないし。そう言う珍しい人種なんだ。魔法を使わないで姿を変えられる、唯一の生き物なんだと。この世界でさえ、噂しか聞かない幻の生き物だと言われていたらしい…」
「そういえばコートニーがジンがどうのって言ってたっけ…あのとき、私の姿になってトラッカー・ドラゴンをまいてくれたのは、ラナーだったんだね?…ちゃんとお礼言いたいな」
でも、あのとき私を階段から突き落としたのもラナーなんだよね…。
まぁ、多分、助けるつもりでやってくれたんだろうけど、ちょっとやりすぎなんじゃ…とも思う。
「今度、俺達の店に来いよ。拠点にしてる居酒屋があるんだ。仲間を紹介する。その時に、ラナーにも会えるだろ」
「いいの?」
私は喜んで頷いた。
そしてトキは話を戻す。
「それから…幻獣の中には、ごく少数派だけど、本来の姿に誇りを持っているからあえて人型にはならないっていう、獣姿に強いプライドを持つ個人や種族もいる。そういう人を『LIB』と呼んでいて、俺達の仲間にもいる。フレディってやつなんだけど、間違ってもそいつに人間になってみろとか言うなよ。すげー怒るから」
「ふうん…その人は何の幻獣なの?」
「んー…何だっけ…食べ物っぽい名前だったんだよな…」
食べ物?それって…
「パン?」
「そう、それだ!よく分かったな」
ハルカも、よくこんな風にいつもうろ覚えだったな…。
ハルカと一緒に読んだ本の内容を思い出しながら私は言った。
「パンは、ギリシャ神話に出てくる牧神だったよね。…上半身が人間で、足だけが山羊の足なんだっけ?」
「その通りだよ。…あいつが神話に出てくるのか?…お前詳しいな」
トキは目を見張って言った。
「そういうのが好きな友達が…いるから。…そうだ、トキ、狼については何か知らない?」
私がそう言うと、トキは斜め上を見つめながら応える。
「そうだな…実は、俺の仲間にも一人いるんだよ。条件をクリアするために最初に探し出した奴で、白い狼なんだ。狼は社会的に認められ辛いから、苦労してきたらしい」
「認められ辛い?」
「ああ。狼は基本的に、アマデウスの野郎みたいに凶暴で好戦的で…人を食う。あ、そいつは大丈夫だ。人は食わないから」
私はゾッとした。
「それって…人を食べるのって、アマデウスだけの話じゃないの?」
「ああ。お前も知らない人間には、人喰いだと思われてしまうだろうな」
「そんな…」
私はショックで何も言えなくなった。狼の種族がそこまで恐ろしいとは思ってもみなかったのだ。
本当に種族全体で人喰いだと思われているんだ。それなら恐れられて当然じゃないか。
マグニフィセント・セブンで、自分を見た人々の悲鳴を思い返しながら私は思った。
でもアマデウスは…私には、そんな恐ろしい、化け物みたいな人には見えなかった。
アマデウスと対峙したとき、私が感じたのはただ、彼がひどく苦しんでいるということ。
それが何かは、わからないけど。
彼の行動は、ただ残忍なだけじゃない。
彼の行動には、何か理由があるんじゃないだろうか。
だって、「殺してくれて良かったのに」なんて、例え油断させる為だったとしても、アマデウスのような人が言うだろうか?
私の目に映った彼は…絶望していた。
アマデウスがやったことは許されることじゃないけれど、アマデウスはそれを、後悔しているんじゃないか…。なんとなく、そう思う。でも、なんの根拠もないし、ただの思い込みかもしれない。
「…トキ、そういえば気になったことがあるんだ。アマデウスが私を見て…なんだか…こう言うのも変だけど、すごく、嬉しそうだったんだけど」
「ああ…無理もない。狼種にとっては、黒い狼は幻のヒーローだからな」
「ヒーロー?」
「狼種にとって、黒い狼はおとぎ話で語り継がれてきた、特別な存在らしい。狼達のおとぎ話では、黒い狼は夜の神で、夜に闇が訪れるのは黒い狼が太陽を食べようと追いかけてきて、太陽が狼を恐れて隠れるからなんだと。俺の仲間の狼も、お前の話を聞いて興奮してたよ」
「そうなの?」
「ああ。すごく驚いて、お前に会いに行きたいってうるさい」
「ふうん…その人にも、会ってみたいな」
「じゃあ、明後日、迎えにくるからな」
「あさって?」
「俺が来てたって、言うなよ」
私が呼び止める間もなく突然、トキはテントの入り口から出て行ってしまった。
「ト…」
呼び止めようと大声を出そうとしたけど、背後の気配に気づいて私は口をつぐんだ。
「…今、誰か居た?」
振り向いた次の瞬間、テントの反対側のもう一つの入り口から、ユリアンが入って来た。
「…え、私、一人だよ?」
私はとっさに嘘をつく。
ユリアンは不思議そうにキョロキョロと辺りを見回して言った。
「そう?声が聞こえた気がしたんだけど。おかしいな…僕の魔法の端っこが緩んでる」
「緩んでる?」
「昨日かけた魔法がね。頑丈にかけたつもりだったんだけど…。どこかの魔術師が隙間から入り込もうとしたみたいだ」
「…そうなの?」
そういえば、トキも魔法が使えるんだっけ…
ユリアンがまた何か言おうと口を開いた瞬間、テントにまた誰か飛び込んで来た。
「アマミヤ!!獣姿で街中を走り回っただと!?」
怒り狂ったヴァンが、私に掴みかからんばかりの勢いで近寄ってきた。
「なんて馬鹿なことをしたんだ!!」
ああ…やっぱり怒られるんだ…
私はガックリと肩を落とした。