第27話 TEENAGE CASUALTIES
トキ達に連れて行かれて数分。縛られて担がれて、無理な体勢に疲れてしまった私はぐったりして身動きもしなかった。
…もういや。こんなの…
この世界に来て初めて私は、元の世界に戻りたいと思った。
こちらに来てから、酷い目にあってばかりいる気がする。
ユリアンには首を絞められ、ヴァンには殴られ…
私はこの世界に歓迎されてないんじゃないかとさえ思えてきた。
…いやいやいや!
そう考えたけれど、すぐに首を振って頭を切り替える。
ユリアンもヴァンも、もう仲間じゃないか。
初対面が最悪だったってだけで。
だから大丈夫。この世界に敵しかいないって訳じゃない。
何があっても私は、ハルカに会うまで諦めない。
私の大切な男の子。
耳がちょっととんがった、優しい男の子。
ハルカに会って、言いたいことがあるから…聞きたいことがあるから。
絶対、ハルカにもう一度会うんだ!
私は朦朧としていた意識を奮い起こして、逃げることを考え始めた。
目も口も布を巻かれ、手足は縛られその上全身布を巻かれて、全く自由のきかないこの現状。
…絶望的。
試しに狼の姿に変化しようとしてみる。けれど、何かに阻まれているようで、変化できなかった。
縛られた手足に力を込めてみたけれど、紐はびくともしない。
今の私は、自分が思った以上に怪力なんだと思う。
昨日、革のベルトを引きちぎって起き上がるっていう怪力を発揮した私なのに、何故、紐や布くらいで身動きがとれなくなってしまったんだろう?
革のベルトの方が丈夫に決まってるのに…
狼は怪力で凶暴…ってユリアンもヴァンも言っていたし、ユリアンは魔法を使わないと私を捕まえていらえられないと言っていた。
これはやっぱり、魔法?
狼になれないことからしても、そうなんじゃないかな…
もし今魔法で私の体の自由を奪っているのなら、トキ達は魔法を使わないと私を押さえていられないのかもしれない。
だったら、トキが魔法を解いた瞬間が、チャンスなんじゃないかな?
この世界の「魔法」がまだよく理解できていないけど、ユリアンが魔法の道具を使ってきたときや、私がヴァイオリンを弾いた時の魔法は、永遠に続くようなものではなかった。
魔法というものに、作用する制限時間が決まっているとしたら、解ける瞬間が必ずくるはずだ。
だから、私を抑えるためにかけられた魔法が無効になった瞬間に行動を起こせば、逃げることもできるんじゃないだろうか。
…問題は、その瞬間が分かれば苦労はしないんだぜ!ってことだ。
それに、めちゃくちゃ長いこと効く魔法とかだったら、もうお手上げだ。
今、何故かはよくわからないけれど、トキ達はベガーズ・バンケットのみんながいるサーカスのテントに向かっている。
サーカスにはユリアンもヴァンも居るはずだし、ルーやふたごも居る。
もしかしたら助けてもらえるかも!?
ただ、今の私は布にくるまれて周りからは分からないし、声も出せないから、気付いてもらえないかもしれない。
トキの言っていた『幻覚』も気になる。
もし言葉通りに周りの人に幻覚を見せるような魔法があるなら、トキが布にくるまれた大きな荷物(私)を抱えていることさえ、誰にも分からないかもしれない。
参ったなぁ…
私が途方にくれたちょうどそのとき、私を担いで走っていたトキが突然足を止めた。
「お前…!」
トキはひどく動揺した声をあげる。
何が起きたんだろう?
私が緊張して耳をそばだたせると、密やかな足音が、ゆっくりとこちらに近づいてくるのが分かった。
「やあ、お前がトキか。貴重な黒い瞳の人間でありながら、国際的指名手配犯…盗賊団『ヨシュア・ツリィ』の頭。義賊ぶった愚か者、とボスは言っていたかな」
私はその『誰か』の声を聞いてぞっとした。
それは、感情のこもらない、冷ややかで抑揚のない話し方。
何にも興味の無さそうな…
いや、むしろ、全てを諦めているような。それはまさに「ロボット」のような、機械的な声だった。
今まで、こんな不気味な声は聞いたことがない。
「お前の狙いをボスは知っているらしいが…しかし特に相手をしてやろうとも思わないと言っていたな」
「!」
その言葉に、トキは動揺している。けれど、彼は何も言わない。
私はすぐ近くにいるから、なんとなくトキの緊張が伝わってくる。
「…お前は、アマデウスだな?」
トキはその人物に問いかける。
アマデウス?
どこかで聞いた名前だな…
「ああ。わたしはアマデウス・ヴォルフガング。我がボスのお言いつけで推参したところだよ」
アマデウス・ヴォルフガング?
まさか…
ユリアンの大切な人を喰い殺し、ヴァンの狼トラウマのもとでもあるあの狼?
自分が同類だなんて絶対思いたくないような恐ろしい銀色の狼、アマデウス。
…が、今ここにいるの!?
気づくと、トキはじりじりと後ずさりしていた。
逃げるつもりなんだ。
「フロイデのお抱えのライカンスロープが、何の用だ?」
トキが慎重に言うと、アマデウスは囁くような声で答えた。
「いや、お前に用はないんだ」
アマデウスの声がする場所が、トキがじりじりと離れているにも関わらず変わらないで、だんだん近づいて来ている。
と、突然私のすぐ耳元で、声がした。
「お前が抱えている荷物に用があってね…」
「んぅっ!?」
声があまりに近くで聞こえたので、私は驚きのあまり叫んでしまった。
口に巻かれた布のせいで小さな唸り声になったけれど、アマデウスには聞こえていたはずだ。
「わたしの部下が、珍しい黒い狼を見たと言うから、ボスがいたく興味を惹かれてね、私が確認しにきたんだ」
「その荷物、同朋の匂いがするなぁ…ちょっと見せてくれよ」
アマデウスはわざとらしく猫なで声を出す。
私は背筋が凍りついた。
アマデウスの狙いは私?
何のため?
それに、部下って…
私は逃げ出したくてたまらないけれど、先ほどから少しも動くことができないでいる。
どうなっちゃうの私!?
まさか…喰われてしまうの!?
お食事的な意味で!?
「動くな。お前達、舐めた真似はするなよ」
アマデウスは言った。コートニーとラスに牽制しているようだ。
あの2人は闘おうとしているのだろうか。
そのとき、トキが叫んだ。
「アマミヤ!魔法を解いた!逃げろ!」
同時に、トキは私を布ごと高く放り投げた。
またかぁぁぁぁあい!!
ぎゃあああ!浮遊感!ジェットコースター落ちるときの気持ち悪い感じがする!!
私は無我夢中で手足を動かした。すると、先ほど必死で引っ張ってもびくともしなかった紐が、少し力を込めただけでちぎれてしまった。
私は手足を自由にすると、体に巻き付いていた布を引きちぎりながら、夢中で道路に着地した。
目隠しを取って目に入ってきたのは、日が暮れて、街灯の明かりでかろうじて通りの様子が分かるような、人気のない路地裏だった。
トキ達を振り返ると、逃げて行くコートニーの後ろ姿と、トキがアマデウスに飛びかかろうとしている姿が見えた。
しかしアマデウスはトキの方を見ていない。
…こっちを見てる?
アマデウスと目があった。
白い街灯の明かりに照らされて見えたのは、作り物のような美しい顔の、銀髪の青年だった。儚げな顔の造りとは裏腹に、冷酷そのものみたいな表情でこちらを見ている。
全てを見下しているような表情に見えるかと思えば、何もかも諦めて絶望しているような表情にも見えた。
かと思えば、私と目が合った瞬間、その顔がパッと輝いた。
「黒い狼!!ああ、本当に、本当に居たなんて!」
笑顔で私を見て、アマデウスは大きな声をあげた。
終始感情のこもっていなかった声は、打って変わって歓喜に震えていた。
…何この人?
…しかも何この反応?
何でそんなに嬉しそうなの?
全く理解不能だと思いながらも、私は前を向いて一目散に走り出した。
とにかく、今は逃げる!!!
でも、追いかけて来たら、狼同士だし、捕まっちゃうかも…?
そう思って一瞬振り返ると、走りだそうとしているアマデウスをトキが魔法か何かで足止めしているようで、アマデウスは悲しげな、今にも泣き出しそうな表情でその場に立ち尽くしていた。
「待ってくれ!」
アマデウスの悲痛な、ともすればちょっと良心が痛むくらいの悲しげな叫び声を振り切って、サーカスの匂いを探りながら、私はその場から走り去った。
私は無我夢中でアマデウスから離れようと走り続けた。
…けれど。
結果的にはトキがおとりになって私を逃がしてくれた形になってしまった。
それを気にもとめず、自分だけ先に逃げてしまうなんてことは、やっぱりできない。
それに、ちょっと感動してしまった。私を置いていけば闘わずに逃げられたかもしれないのに、トキは躊躇もせずに私を逃がしてくれたから。
まぁ私が戻ったところで、トキの助けにはならないかもだけど…。
私は明かりの少ない通りを駆け抜けると、すぐにビルの隙間の暗がりに隠れた。そっとビルの裏に回り、狭い通路を進んで戻り、隠れたまま2人に近づく。
トキはアマデウスと向かい合って険しい表情をしていた。アマデウスの表情はこちらからは見えない。
「お前、あと数秒で魔法が切れるな。死にたいのか?」
アマデウスは冷ややかに言った。
「…道具ならまだある。お前一匹くらい、どうとでもなるぜ」
トキは笑って言う。余裕がありそうだけど、無理をしている笑顔にも見えた。
「…一匹?貴様、わたしを馬鹿にしたな」
冷静で機械的な話し方だったアマデウスが、初めて怒りを顕わにして声を荒げた。
「…喰ってやる!」
そう言い放つと、アマデウスはトキに牙を剥いて飛び交った。魔法の力が切れてしまったのだ。
私はとっさに、トキの前に飛び出そうとした。
けれど、その瞬間、誰かが私の視界を覆った。