第25話 アマミヤと泥棒、その友人とアリ
アリは不安げに私を見ている。
私は話をするため、人型に戻った。
「アリ!?良かった。心配したんだよ」
私はほっとしてそう言った。
アリも安心したのか、笑顔を返してくれる。
「笑ってる場合じゃねーぞ!」
いきなり、頭の上から何者かに激しく突っ込まれた。
見上げると、金髪の青年がこちらを見ている。
その人からは、陽向の香りと、アーモンドチョコレートみたいな香りがした。
「ん??」
私は改めて自分の現状を確認する。
お腹だけを青年の左腕に抱えられていて、振動が激しくて怖い。
しかもこの体勢、意外と腹筋使って支えてないと保てないから、お腹超痛い。
…って!
誰よこの金髪!?
そして何この体勢!?
金髪青年は、右側にはアリ、左側には私を小脇に抱えて、軽々とオフィス街を駆け抜けて行く。
振り向くと、ドラゴンは未だに諦めもせず追いかけて来ていた。
ときおりぞっとするような咆哮をあげている。
そんな恐ろしげなドラゴンを引き連れた私達が通り過ぎるたびに、人型の幻獣OLさんや幻獣サラリーマンが目を丸くしてこちらを振り返り、驚いて声をあげている。
めちゃ注目浴びてる…この体勢といい、すごく恥ずかしいっ
どうも、私がドラゴンに襲われそうになっていた所を、この青年が助けてくれたようだ。
しかし何故アリが一緒なんだろう。探す手間が省けたけど。
この人、いったい何者?
私は怪しみながら金髪青年を見上げる。
その顔には、何の表情も浮かんでいない。
そのときあることに気づいて、私は息をのんで彼の目を見つめた。
その双眸は、漆黒。
私が普段見慣れているはずのそれは、この世界では、とても珍しいもの。
この世界に来てから自分以外に、髪でも瞳でも、体のどこかが黒い人に会うのは初めてだった。
金髪青年は私の視線に気づくと、目を細める。
「…あんたさ、自分で歩いてくれる?」
そう言うと彼は、私の体をポイッと進行方向に放り投げた。
はいいいぃ!?
私は慌てて瞬時にまた狼に変身し、受け身を取って、スライディングしながら着地した。
セ、セーフ!
怖!信じられない!
何てことすんの!?
金髪青年は非難がましく睨みつける私を気にもとめず、知らん顔で脇をすり抜けていく。
私は体勢を整えて、すぐに金髪青年を追いかけた。
私は青年の隣を走りながら抗議の唸り声をあげる。
「今はとにかく、ドラゴンの奴をまくのが先だ」
金髪青年はうっとおしいと言いたげに、私をちらりと横目で見るだけで、目も合わせずに言った。
しかしとにかく無表情で、何を考えているのかよくわからない。
考えてみると…この世界の人って、私に対して酷くない?
初対面で首絞められたり失神させられたり投げられたり…
暴力はんたい!
そんなことを頭のなかで考えていたら、金髪青年が突然声を落として言った。
「次の十字路で、二手に別れる。お前は左に行け。俺は右に行く。角を曲がったらお前のふりをした俺の仲間がいるから、隠れ家に飛び込んでそいつと入れ替われ。ドラゴンは絶対お前の方を追って行くから、急げよ」
「え?でも、そんな…」
私は戸惑って言いよどむ。
他人を危険に晒すわけにはいかない。
しかし、私のふりをした仲間ってどういう意味だろう…変装ってことかな?
「今は言うとおりにしろ。そいつは絶対ドラゴンには捕まらないから、その方が楽に逃げられる」
私がさらに抗議しようと口を開けば、金髪青年は、口答えするな、と鋭い目で睨みつけてきた。
何でこの人は、ここまでしてくれるんだろう?
そう思いながら私はしぶしぶ頷いた。
夢中で走っていると、広い十字路が見えてくる。
私は青年に言われたとおり、スピードを落とさないまま左に曲がった。
ちらりと背後をうかがうと、ドラゴンの姿は角の建物の壁が死角になって一瞬見えなくなる。
すぐに前に向き直った私は、そこで、「私」と出会った。
目の前に立っていたのは、黒いロングヘア、とがった獣の耳、黒いしっぽ、見慣れた高校の制服を着た少女。
私を見てにこりと笑う、その顔は、その姿は、私と寸分違わない。
…え?
呆然とする私はいきなりその「私」に、建物の地下へと続く階段に突き落とされた。
ぎゃあぁぁ!
ボフッ
いきなりのことで受け身もとれず、一瞬死ぬかと思ったけれど、私は何かの上に落ちて無傷。
見上げると狼の姿に変身した「私」が走り去るところが見えた。それを追うドラゴンは、階段の下の私に気づくことなく通り過ぎる。
私はいつの間にか人型に戻っていて、心臓を痛いほどバクバクさせ、荒い呼吸をしながら呟いた。
「今の…な…なん、だったの…?」
すると、背後から返事が返って来る。
「今のは、あなたの姿をしたジン。あらかじめあなたの姿を見て、トレースしていたのよ」
私は驚いて咄嗟に振り返った。
「びっくりした?」
すぐそばに、目を見はるほど美しい女性がいた。
ラズベリーのような甘い香りと、ロータスのような上品な香りに、頭がクラクラした。
その女性は、苺のような鮮やかな発色の赤いウェーブがかったロングヘアで、額には真っ赤な宝石が埋め込まれ、背中にはドラゴンと同じように、大きなコウモリの羽がある。
その顔の造形は、大きな緑色の目に、整った鼻梁、ふっくらとした愛らしいピンクの口元。
…なんて美しい人だろう。
笑うと少しアヒル口で、それは完璧過ぎない愛嬌があった。
そして何故か彼女の白いしなやかな手は、私を背中から抱きしめている。
「あの、…離してもらって良いですか?」
こんな美人に抱きしめられてるなんて、何か緊張しちゃう。
彼女はニヤリと笑って言った。
「あら、私が抱き止めなかったら、あなた潰れたトマトになっていたのよ」
ひいぃ!トマトって、潰れたトマトってあなた!
やめてそんな恐ろしいことそんな美しい顔で言わないで!
でも、私はとりあえず納得した。
突き落とされたとき、この美女にうまいことキャッチしてもらったんだ。
…よく考えたら、彼女は命の恩人じゃないか。そんなふうに身を挺して助けてくれた人に対して…私ったら態度悪!
「わぁ!ごめんなさい!助けてくれてありがとうございます!あの…怪我とか、ないですか?」
私は慌てて謝った。
「私は大丈夫。それよりも、あなたジンを見たのよ?驚かないの?」
美女は不思議そうな顔をして言った。
…ジン?何だろう?人の名前?
「ジンって、誰ですか?」
私が首を傾げて聞きかえすと、美女は絶句した。
私があまりに常識知らずだと、驚いていたヴァンの顔を思い出した。
私はいったい何度、この世界の人を絶句させてしまうんだろう…
「…なるほど。あなたったら、一筋縄ではいかないのね」
「え?」
どういうこと?
私が意味を聞こうとした瞬間、美女の背後から声がした。
「コートニー、トキは?」
コートニーと呼ばれた美女は振り返る。
私もつられてそちらを見る。そこには羽も角もない、何の変哲もない青年の姿があった。ヴァンと同い年くらいに見える。緑がかったグレーの髪、グレーの瞳。変わった髪の色だ。染めているのかな。幻獣には染料が効かないとヴァンがいっていたから…彼は人間?
「まだよ。でも、さっきラナーが行ったから、すぐに…」
コートニーが言い終わらないうちに、階段の上に、アリを抱えた先ほどの金髪青年が姿を表した。険しい表情で階段を駆け下りる。
…そういえば、この金髪青年も羽や角や変わった部分はないな。
彼は不思議と全く息が上がっておらず、汗の一つもかいていなかった。
…アリはちょっとぐったりしているのに。大丈夫かしらあの子ったら!
「トキ!お疲れ様。首尾はどう?」
コートニーが声をかける。
「最悪だ」
トキと呼ばれた金髪青年は不機嫌そうに声をあげる。
「あのドラゴン、応援呼びやがった。しかも『幻覚』が通用しない部隊だ。さすがにラナー1人じゃ無理だな」
そこで言葉を切って、トキはアリを床に下ろす。その手つきは思いやりに溢れていて、さっき私をぶん投げた乱暴な人とは思えないほどだ。
アリは床に降り立つと、少しフラフラしながらも私に駆け寄り、抱きついてきた。
私もアリを抱きしめ返して、背中をポンポンと軽く叩く。
…アリは、ちょっと元気がない。大丈夫かなぁ。
トキは横目でアリの様子を伺いながら、話を続けた。
「狼一人に大層な対応だよ全く。…たぶん、保護を名目に黒い狼を捕まえる気なんだろう。この場所は怪しまれる。すぐに移動するぞ」
「ここ以外で…どこに?」
コートニーは首を傾げる。
「…サーカスが一番安全だ」
トキは吐き捨てるように言った。
コートニーは表情を曇らせる。
「トキ、それじゃ何のために…」
「他にあそこ以上に良い場所があるなら教えてほしいね」
「それは…そうだけど」
「それに…たぶんこの狼、俺と同じ場所から来ている。ヴァイオリンはこちらの世界にはない楽器だからな」
「まぁ!本当に?トキのお仲間なの?」
打って変わって、コートニーは顔をほころばせた。
私の頭の中は疑問でいっぱいだった。
まず、2人の会話の意味がよく分からないこと、トキは何故私がヴァイオリンを持っていることを知っているのか、そして、わたしがトキの「お仲間」?
それってまさか、もしかして…
私は思わず呟いた。
「トキも、違う世界から来たの?」
トキは初めて私と目を合わせると、無表情のまま頷いた。
「…そうだ。俺は3年前にこの世界、『コール』にやってきた。俺は人間だ。この世界に来てからは、魔法なんてもんが使えるようになったけれど。アマミヤ…アマミヤなんて名前なら、お前も日本人なんだろ?」
ということは、この人も日本から来たのか…私と同じ境遇だ。けれど、私のように幻獣になったりはしなかったのか。
私は驚いた。本当なら、すごく安心して、嬉しくなると思う。
けれど、この人…なんだか引っかかる。
「…どうして私の名前を知っているの?」
私は聞いた。トキは眉根を寄せた。
「…何故その質問なんだ?他に知りたいことがあるだろ」
「あなたが信用できないから」
私は即答する。
その場に緊張が走った。
トキ以外の二人は、私から少し距離を取り、私を警戒し始める。
そんな二人とは逆に、トキは、ただ首を傾げて言った。
「…何故だ?お前を助けたのは、他ならぬ俺だっていうのに」
「…だってあなたは、サーカスが嫌いみたいじゃない」
私は言った。
トキの顔を眺めていると、突然思い出した。
「…あなた、私がヴァイオリンを弾いていたとき、そこに居た?テントの中で」
「…バレたか。変装したのになぁ」
トキは別段気にする風もなくそう言った。
私がテントでヴァイオリンを披露して、バラを降らせたとき、この青年の顔を私は見ているのだ。
私に「変わった楽器だね」と言っていたのは、金髪に薄い緑の瞳の青年だった。…けど、間違いなくこの顔だ。
整った顔で、美青年と言えなくもないけど、とにかく無表情だと思った覚えがある。
「一度だけ見たその他大勢の俺をよく覚えていられたな」
トキは首を傾げる。
「あなたみたいな仏頂面の人、そうそういないもん」
私はつい本音をこぼしてしまった。
その途端、トキはピタリと固まる。
やべっ
「お前、俺にケンカ売ってんのか…」
「売ってません!ドラゴンから助けてもらっちゃって感謝感激雨霰です!」
オーバーに感謝する私を、トキは胡散臭そうに見ている。私は話を変えようと焦って言った。
「でも何で助けてくれたの?あと、なんでアリと一緒だったの?」
トキは、腕を組んで言った。
「俺たちは、盗賊だ。お前らを捕まえて売り飛ばすつもりだったのさ。サーカスは、まあ、ライバル会社みたいなものかな」
…何でみんなして、人を売り飛ばしたがるのかしら!