11. あなたが最後にみた私
※ 本作には「アレルギー」に関する描写が登場しますが、あくまで異世界ファンタジーとしての演出です。
現実の疾患を軽視・揶揄する意図は一切ありません。
祝賀の場で起きた発作のあと、痒み自体は時間をかけて治った。
けれど、一度芽生えた“違和感”は拭えなかった。
「……また、何かあったら怖いし」
「ちょっと不潔なんじゃないかしら?」
かつてルチアナを見れば誰もが微笑み、花が咲くようにその場の空気が華やいだ。
だが今では、社交の場で彼女に向けられるのは明確な拒絶ではない、けれど確かに距離を取る仕草と曖昧な目線のそらしだった。
ルチアナは、ただ感じ取ってしまう。
自分が今までのように愛されていないことに。
それが恐ろしくてたまらなかった。
「なんで……どうして、みんな私を見てくれないの?ドレスも……香油も……ちゃんとしてるのに」
鏡の前で何度も髪を梳き、笑顔を作ってみせる。
けれど、ルチアナの瞳の奥には確かな“怯え”が映っていた。
数日後ルチアナは自室に閉じこもったまま出てこなくなった。
食事も人を介してしか取らず、鏡の前でうつろな笑みを浮かべるだけ。
そんな妹に、リディアーヌは声をかけた。
「ルチアナ、お願い。ちょっとだけ、顔を見せて?あなたの好きな物を持ってきたわ」
ドアをノックし、丁寧な笑みを浮かべながら手にしていたのは、ルチアナの好物ミートパイと“ナラクア”を極薄にした希釈したジュース。
ルチアナは怯えたように扉を見つめるが、姉のその優しい声音に、どこか安心して扉を開けた。
「まぁ、こんなにやつれて……可哀想なルチアナ」
「…お姉さま」
「これを食べて元気になりましょうね」
優しくルチアナを心から案じる姿は、さぞ美しい姉妹愛に見えただろう。
ベッドに座ったルチアナは、差し出されたジュースに目を落とす。
手を伸ばしかけて、ピタリと止まった。
その香り。ほんのり甘くて、どこか懐かしい果実の香り。
「……こ、れは」
そう言いかけて、彼女の指先が震えた。
理由はわからない、でも無意識に身体反がこれを拒絶している。
「ナラクア……で、しょう?」
喉奥に、冷たい不安がせり上がる。
ルチアナは小さくかぶりを振って、伸ばしかけた手を引き寄せた。
「……やっぱり、いらないわ。ごめんなさい、ちょっと今は……」
「だめよ、ルチアナ」
リディアーヌの声が、静かに、けれど決定的な拒絶を含んでいた。
笑っていた唇が、そのままなのに冷たい。
「せっかくあなたのために用意したのよ?“元気になってほしい”と思って」
「……お姉さま?」
「ルチアナ、飲んで」
「飲まないと——“また誰からも愛されなくなるわよ”?」
リディアーヌの手が、すっと伸びる。
ジュースの入ったグラスを持つ手が、ルチアナの口元へと強引に寄せられる。
「やっ……やめて、お願い……!」
「何が“お願い”よ」
リディアーヌの声が低く、乾いていた。
「あなた……自分が何をしたか、もう忘れたの?」
その瞬間、姉の手がぐっと力を込める。
ルチアナの顎を指で固定し、まるで口移しでもするようにグラスを傾けた。
「や、いや……っ!!」
わずか一口、喉に流れ込む果実の液体。
身体が本能的に拒絶し、咳き込む。
「っ、げほっ……うっ…なに、これ!」
「懐かしいでしょ?“あなたを育てた味”よ」
そう言って、リディアーヌはにっこりと微笑んだ。
しかしその瞳は、どこか冷たい凪のような狂気を湛えていた。
「……わたしね、ずっと思ってたの。
どうして“私の妹”が、あんなにも誰からも愛されるのかって」
ルチアナの背筋が凍る。
リディアーヌの瞳は、どこまでも静かで底が知れなかった。
「でも、もうわかったのよ。あんたには“神様の祝福”がある。
それも、誰からも好かれるなんて、都合のいいやつがね」
ルチアナは小さく震えた。
まるで、自分の中の秘密をすべて見透かされたような気がして。
「でもね……」
リディアーヌは一歩近づいた。
「どれだけ甘やかされても、どれだけ愛されても。
そんなもの、“たった一滴の違和感”で、ぜんぶ壊れるのよ」
彼女の声は、まるで呪詛のようだった。
だがそれ以上に、確信に満ちていた。
「お姉さま、なにをっ……ん、あれ?喉……なんか……変……」
呼吸が少し苦しくなる。肌が少し赤くなり始める。
けれど、それは非常に軽度だった。
命に関わるほどではない。
だがルチアナは己の変調を悟るや否や、カッと目を見開いた。
「っっ、お姉さま!?殺す気!?私を殺そうとしたのね!!」
叫ぶと同時に、コップを投げつけ、リディアーヌを突き飛ばした。
「この、悪魔っ……っ!!」
ルチアナの言葉にリディアーヌは思わず吐き捨てた。
「……どの口が」
ルチアナの部屋から響いた騒音と叫びに、騒ぎを聞きつけて、メイドや家令が駆けつけてきた。
「ルチアナ様、どうなされました!?」
「お嬢様!?」
ルチアナは駆けつけたメイド達に訴えた。
「この人がっ、私に毒をっ、私をっ……殺そうと……!」
「…ルチアナ」
けれど誰もが、言葉を飲み込んだ。
その場にあったのは桃色の液体がこぼれた床と、倒れ込んだリディアーヌ。
そして頬を紅潮させ、ゼェゼェと息をするルチアナの姿。
どこをどうみればリディアーヌがルチアナを殺そうする光景に見えるのか。
「……ルチアナ様、落ち着いてください」
「リディアーヌ様は、ただご様子を見にいらしただけですわ」
「違う!!違う違う違う!!この人が!この人が私を……!」
必死で叫ぶその姿に、誰かがぽつりと呟いた。
「……頭がおかしくなってしまったのかしら」
その一言が、部屋の空気を凍らせる。
先日まであれほど“可憐”と褒めそやされた少女の瞳が、今や疑念と怯えに濁っていた。
あの子は今、“愛されない”ことへの恐怖に押し潰されそうになっている。
ルチアナが突き飛ばした拍子に倒れたリディアーヌは、ゆっくりと床から身を起こす。
軽く埃を払いながら、何かを思い出すように、目を伏せて笑った。
石畳の冷たさ、打ちつけられた頭蓋の震え。
背後から背中を押した男の気配。
そして、遠ざかっていく意識のなかで見た、あの、妹の笑顔。
リディアーヌの頬が、ひたりと緩む。
ほんの一瞬だけ、口元に浮かんだのは、あの夜、ルチアナがしていたのとまったく同じ “うっそりとした笑み”。
誰に向けるでもない、ただ自分の中から零れたような、独り言。
「……ねぇ、覚えてるよ。あの時、あなた……そんな顔してたわね」
床に座ったまま、リディアーヌはルチアナを見つめる。
「今の私、ちゃんと似てたかしら?
——あなたが最後に見た、私の顔に」
その微笑の奥にあるのは、優しさでも憐れみでもない。
あの夜、死の淵で“私が”見た、あの表情を今、“私が”纏っているだけ。
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