10. 波乱の祝賀
※ 本作には「アレルギー」に関する描写が登場しますが、あくまで異世界ファンタジーとしての演出です。
現実の疾患を軽視・揶揄する意図は一切ありません。
ルチアナの違和感を確かめるとはいえ、リディアーヌの領地経営が軌道に乗りつつある。
日々の雑務に追われる中、屋敷の台所と食材庫の管理は彼女の監督下に置かれていた。
以前とは違い、父も母も徐々に痩せ細り、肌の艶もなくなり始めている。
原因は明確だ。
目には見えぬ毒、ごく微量の“異物”を摂取し続けるという行為が、確実に彼らの身体を蝕んでいた。
その日、珍しい贈答品が南方の貿易都市・マハディから届く。
異国の果実、名は“ナラクア”とあったが、見た目は桃とよく似ており、甘く芳醇な香りが室内に満ちた。
「……どこかで、この香り……」
リディアーヌの脳裏に、かつて母が何より好んでいた果物の記憶が甦った。
切り分けた果実に軽く砂糖を振り、焼き上げたタルト。
焼き立てのそれを前に浮かべる、かつての母の幸せそうな笑顔。
今、その面影すらない。
痩せた頬と翳りのある目。しかしそれでもなお「家族団欒」の幻想を続けようとする彼らに、リディアーヌはささやかに笑った。
「新しい果実をいただきましたの。今日はこれを使ってデザートを作ってもらいました」
昼食時、出されたのは“ナラクア”のコンポートを載せたタルト。
見た目も香りもまさしく桃。
使用人たちが気を利かせたのか、かつて母が好んでいたタルトそのままの姿だった。
「まぁ……この香り、懐かしいわ。あのタルト、昔よく作ってくれたわね」
フォークを取り上げる母。
反射的に口に運び、恍惚の吐息を漏らす。
「おいしい……まるで桃そのものね」
父もまた一口含み、小さく頷く。
だが、その場で一人、明らかに様子を異にしていたのはルチアナだった。
「……どうしたの、ルチアナ?」
「え?あ……わたくし、ゲホッ、その……今日は甘いものの気分じゃなくて」
「珍しいわね。あなた、こういうの大好きだったでしょう?」
視線が集まる。
が、ルチアナは小さく顔を背け、コホコホと咳をしながら目を伏せる。
落ち着きのない手元。けれど、フォークは皿に触れることさえなかった。
リディアーヌは静かにその様子を見ていた。
疑念は、確信へと変わるまで時間を要さなかった。
その夜、静かな書斎に一枚の便箋を広げ、リディアーヌはゆっくりと筆を走らせた。
香り、色合い、質感。
あの果実“ナラクア”が放つ特徴を、ルチアナの反応と共に思い返しながら、丁寧に文面を整える。
「先日いただいた“ナラクア”、屋敷でも好評です。
もし可能でしたら、この果実を使った香油や化粧品について、情報をいただけませんか?
婦人方への贈答品として検討しております。
乾燥させた皮や種など、加工素材の有無も教えていただけると幸いです」
お礼と興味本位を装ったごく自然な依頼。
だが、その真意は明白だった。
(直接“毒”を求める必要はない。
“化粧品”なら、皮膚に触れる機会はいくらでもある)
ルチアナが避けた“香り”は、ただの嫌悪ではなかった。
違和感、警戒心、そしてごく小さな“恐怖”の影。
その全てを、リディアーヌは確かに感じ取っていた。
封を閉じた手紙を火蝋で封じ、蝋印を押すと、リディアーヌはほっと一息ついた。
少女らしい好奇心を演出しながら、計画は静かに前へと進んでいく。
香油や化粧品への関心を装った、ささやかな探り。
そして舞台は、静かに整えられていく。
*
その時は早くもやって来た。
上位貴族のご夫人に男子が生まれたということで、盛大な祝賀が開かれることになった。
形式上の招待を受けただけに過ぎなかったが、父も母も公に出られる状態ではないため、リディアーヌが代理として参加せざる得ないことに。
勿論、ルチアナは当然のように着いてきた。
「お姉さまも参加されるのでしょう?じゃあ、私にも合う新しいドレスが必要だわ。今度はすこし透ける袖がいいわ」
父と母の具合がすぐれない中でも、ルチアナの関心は自分の装いにしか向いていなかった。
少しだけルチアナが恐ろしく感じたのは気のせいではないだろう。
祝いの茶会当日。
会場は、上流階級の華やかな空気に包まれていた。
婦人たちの視線は、主賓の赤子よりも、ドレスに身を包んだルチアナに注がれていた。
「まぁ、なんて綺麗な子!」
「まるで物語の中の妖精みたい……」
口々に褒めそやす声に、ルチアナは得意げに微笑んでいた。
けれど時折彼女は不安げに自分の髪を弄っていたり、咳をしている。
それもそのはずだ。
新しい香油、リディアーヌが「内緒の贈り物」としてメイドに渡させたものだ。
もちろんルチアナは疑わず、香油を髪先に使ったようだ。
リディアーヌは、タイミングを見計らってルチアナに近づいた。
「ルチアナ、髪が少し乱れているわ。いらっしゃい」
側から見れば仲の良い姉妹に見えるだろう。
リディアーヌは、ナラクアの果実の精油を染み込ませた手袋を着けたまま、ルチアナの髪にそっと触れた。
わざと、分け目の地肌にも指が触れるように。
一瞬で、彼女の体に異変が起こった。
「っ……?あれ……なんか……痒い!」
最初は頭皮をかく程度だった。
だが頭部の隅々まで広がる痒みにルチアナは悶え出す。
最初は心配そうに声をかけていた貴婦人たちの視線が徐々に冷ややかなものへと変わっていくのがわかる。
「痒い!痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い!」
掻きむしり、掻きむしり、掻きむしり、まるで狂ったかのように取り乱すルチアナに、誰も手を差し伸べようとはしなかった。
「ルチアナ様どうされたのかしら、ちょっと様子が……」
「まさか、何かのご病気?」
「なんか……鳥肌立っちゃった」
「ねぇ、誰か止めてあげれば?気味が悪いわ」
ヒソヒソヒソ、と狂ったように叫ぶルチアナを放って囁きあう人達。
ルチアナはいつもなら、そこにいるだけで場が明るくなるような存在だった。
金色の巻き髪に、淡い薔薇のような頬。微笑むたびに人々の心をとろけさせるような、まるで天使そのもの。
貴族の子弟であれ使用人であれ、彼女を前にすれば皆が頬を緩め、目を細めた。
そんな“愛くるしい”という形容すら足りないほどの少女が――今、目の前で、頭を掻きむしっている。
祝福がほつれた。
その場にいた何人かの心に、確かに違和感が芽生えたのだ。
心酔していた婦人たちも、笑みを張り付けたまま数歩後ずさり、距離を取っている。
ルチアナは、自分に向けられる視線の変化に気づいた。
それでも、痒みに必死で応じようとするばかり。
そのとき、リディアーヌははっきりと悟った。
あの子の“何か”が、今、ほころび始めていることに。
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