240話 運命の時は近い
運命の日を迎えてから約1時間後、うなされるような小さな呻き声と共に眠り姫が目を覚ました。休もうと思えども、心と身体は否応なく運命の日に反応してしまうのか。
「起こしてしまったか?」
最悪の寝起きに、ベッド横の椅子からタケルが優しく声を掛けた。さながら大昔の本に登場する王子様の如く整った容姿。が、ルミナは一向に気に掛けぬままゆっくりと身体を引き起こした。
「いや。変な、夢を見た」
視界を遮る髪を手でかき上げながら、ルミナが起きた理由を語った。サラサラと、銀色の髪が薄暗い闇に輝く。そんな光景にタケルは何の反応も返さなかった。夢を見ぬ機械には難解だったかもしれない。
「何でもない。分かったのか?」
早々に話題を戻したルミナにタケルは一拍置き、間違いなかったと告げた。途端に、ルミナの意識が完全に覚醒した。
「データベースに山県令子製のナノマシンを投与した患者リストと追跡調査記録、後その苦心が日記という形で残ってイた。性能は半年前と同じ、山県令子の音声により異常活性化し、本人の自覚を伴わなイ形で受信した命令を実行する。極めて単純だが効果は絶大、しかも広範囲だ」
極めて繊細な脳という器官にナノマシンを打ち込むだけでも危険だというのに、それが人の行動を制御する程に強力な代物ならばどうなるかなど医学的知識皆無のルミナでさえ知っている。それを医療に携わるコノハナが理解していない訳がない。
だからこそ、連合法で強固に縛った。その一点を守る為に連合は冷酷冷徹に違反者を処断し続けたのに、全てが無駄となった。
「そんな危険な代物を……下手をすれば脳死する」
動揺を隠さないルミナにタケルも正気ではない、と強く非難した。
「数分も命令を出せば脳機能に重大な損傷を与える。だから定期的に短時間だけ指示を出し、定期検査時の治療で強引に解決した。傍目には普通の健診にしか見えず、誰も疑わなかった」
そこで話を区切ったタケルが別の資料を広げながら「良い情報もある」と、重ねた。ルミナの表情に僅か色が戻った。
「何だ?」
「声と量だ。ナノマシンは山県令子の声にのみ反応するが、僅かなノイズで簡単に効力を失う」
「じゃあ量は……生成出来なかったのか?」
「あぁ。山県令子の所持する刀から生成した分が全て。複製も類似品も悉く失敗。しかも生成分も全て使用済みだ」
「そうか、これ以上の被害は増えないか。なら」
「既に手配済みだ。ほんの僅かの阻害で効力を失う程にデリケートなら、大した設備が無くても直ぐに用意可能だそうで」
「相変わらず頼りになるな」
常に先手を打つタケルの配慮にルミナは心底安堵した。裏切り者を排除したに止まらず、洗脳妨害の目途も立った。
これまで状況は変わらないどころか悪化の一途だった。さながら霧の中を彷徨うような現状に射した光明に、タケルの表情も自然と綻ぶ。伊佐凪竜一には少し申し訳ないが、この2人の相性は思いの外に良いらしい。
「それ以外の情報は?」
「リストと半年分の死亡記録を参照した範囲内での不審死はゼロ。とは言え、除去しなければ危険性は付き纏ったままだ」
「ゼロ、か。長時間操って変死でもされたら死因が」
「もしかしたら、1かも知れない」
そのタケルが、珍しくルミナを遮った。今まで彼女を立てるように行動してきた彼らしくない態度にルミナが物珍しそうな表情で見上げ――
「まさか、コノハナ?いや、無理じゃないか」
余りにも飛躍した推測に顔をしかめた。理由は時期が全くが合わないから。
コノハナに洗脳用のナノマシンを投与するにしても、デモの準備などを含めれば反乱の直後位からでなければ到底間に合わない。しかも推測は解析完了が前提となるが、現実には類似品の製造に失敗している。そもそも、あの力の元凶はハバキリ。あの力が山形令子と共鳴、ナノマシンを変質させた。よって、解析したところで何の意味もない。
「頭痛の直後に機密情報を誰かに送信した形跡を何度も確認した、とあった。頭痛がナノマシン活性化に伴う脳細胞の損傷と考えれば辻褄は合う」
日記の内容を信じるならば、そう前置きしたタケルが推測を聞かせた。
「まさか、時期は?」
「入院直後から。やがてタナトスが接触してきて、情報漏洩を脅迫材料に直接的な行為に手を染め始めた」
「有り得ない、幾ら何でも早すぎる」
「そうだな。ただ、今となっては全て闇の中だ」
「まさか、回収していったのか?」
無言で頷くタケルが事の顛末を語った。現場に到着した守護者達は、コノハナの遺体を回収するや引き上げていった。他の何をするでもなく、だ。ルミナの追跡よりもコノハナの遺体回収を優先した理由は何か――山県令子の支配下にあったのか、それとも何か別の理由か。
「そう言えば、彼女が事切れる直前に助けてと呟いていたな。それ関連の情報はあったか?」
埒が明かない、とルミナが次の話題を振った。何が理由であれ、遺体を回収されたならば回答は出せないと彼女が次に狙いを定めたのはコノハナが残した不可解な遺言。だが、やはりタケルは首を横に振った。
「日記の幾つかに、恐らく彼女自らが削除したと思われる不自然な欠落があった。ただ、復元は出来なかった」
有効な回答は得られず。そうか。呻き声に近い返事を最後にルミナはデータから視線を逸し、天井をぼんやりと眺め始めた。
「どう思う?」
時計の秒針が静かに時を刻む静寂の中に、ルミナの疑問が広がった。
「助けて、助けて……か」
彼はコノハナの一言を繰り返し反芻したが、そうしたところで答えは出ず、やがて「確かにそんな言葉だった」と、曖昧に逃げるとルミナの視線を追った。
「遺言なら他にもあったと思う。なのに、どうして今際の際にそんな事を頼んだんだろう。そもそも誰から、何から助ければ良いんだ?それにあの言い方、タナトスと一緒くたに助けて欲しいと言っている様に思えた。自分を殺す指示を出した相手まで……分からない事だらけだ」
何をどうしても解決する道筋が全く立たない。現状に辟易したルミナは、もたげた上半身をもう一度ベッドに沈めた。ふかふかで弾力のあるベッドが、まだ肉体の大半がナノマシンで構成される見た目以上に重い身体を容易く支えたが、まるで早く起き上がれとでも言いたげに優しく押し返す。
「そう言えば」
と、タケルが何かを思い出した。寝そべったままのルミナがタケルを見上げると、端正な顔もまた彼女を見下ろしていた。
「一言だけの日記があった。奇妙な、意味不明な」
「奇妙?」
「更新日は昨日の18時頃。内容は『明日、全てが終わる。最後に神が降り立つ、あの忌々しい』だった」
「それだけ?」
「それ以外には何も。削除した形跡も」
何もなかった、そう結んだタケルの横でルミナは思考を巡らせ始めた。何度もため息を吐きながら、唇を指でなぞりながら。
「無理だな」
やはり、幾ら考えようが神の正体すら掴めないと、ルミナが降参した。タケルも同じく、苦悶を天井に吐き出した。
「ならば、今は休むべきだ。敵が次に動くとすれば婚姻の儀。それまで、少しでも」
何があってもルミナを第一に行動するタケルの提案に彼女は少しだけ微笑むと、釣られてタケルも微笑み返した。何というか、とても良い雰囲気――
「た、大変です!?」
が、容易く引き裂かれた。タケル宛に入った通信の向こうに、配慮など無意味と嘲笑う女の影が見えた気がした。
「どうした?」
「数時間前からタガミからの連絡が途絶えたのですが、原因が分かりました!!何者かに襲撃された模様です!!」
「まさか……」
「コノハナのリストに俺達の誰もいなかった。誰が、どうやって居場所を特定したんだ!?」
「守護者の生体反応を辿ったんじゃ?」
「その点も抜かりなかった。俺が様子を見てくる。どうせ、特兵研とも接触しなければならなかったからな」
それだけを伝えたタケルがルミナを置き去り、颯爽と扉の奥へと消えた。タガミ達は守護者から語られた衝撃の事実を周知する間もなく、敵からの襲撃を受けた。
一方、遠く離れた伊佐凪竜一は逃亡の果てにディオスクロイ教との邂逅を果たした。婚姻の儀を前に次から次へと問題が起こる状況に、誰もが心身を休ませる暇さえ与えられない。これも今日現れると言う神の仕業か。
しかし、どう過ごそうが時計の針は正しく時を刻み、あと数時間でその時を迎える。各々が知る事実と挫けぬ意志を携え、運命の時、婚姻の儀へ。
第二次神魔戦役篇 6章終了
next → 第二次神魔戦役篇 7章【平穏は遥か遠く】




