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転機

次の日、あの不動産屋にはもういけないなと思い、別のところに行こうと家を出たところで、携帯が音を立てた。知らない番号だった。

「もしもし?」

「浅野公佳さんですよね。桑原恵です。昨日の。」

名前を聞いても、すぐにぴんと来なかった。しばらくして昨日の出来事を思い出した。

「あ、桑原さん!昨日はごめんなさい。あの、ホントにわたしが悪かったです。いきなり大声出したりして。」

「急にお電話してごめんなさいね。昨日のことは気にしなくていいよ。実はね、個人的にあなたに紹介したい物件があるの。今から都合つかない?」

昨日は、あんな醜態をさらしてしまったのに、いまさら合わせる顔もない。でも、お詫びに行っておいた方がいいのかもしれないと思った。どうせ、ほかに用事といっても家探しだ。

紹介してくれるという物件に一番近い地下鉄の出口で、1時に待ち合わせの約束をして電話を切った。

地下鉄の駅には1時5分前に着いた。わたしは割りと時間は守るほうなのである。桑原さんの姿は見当たらなかった。しばらく待っていると、車道から声をかけられた。

「浅野さん!」

桑原さんだった。昨日の制服姿とは打って変わって、カジュアルな格好をしている。彼女は青色のコンパクトカーの助手席の窓を開けて、こちらに手を振っていた。

「わたし、てっきり歩いていくんだと思ってました。」

助手席のドアを開けながら、失礼しますなどといって乗り込んだ。

「場所があなたの通う学校のすぐ近くになるのよ。だから、ちょっと歩くと時間かかるから。」

彼女は、車を発進させると、何もしゃべらなくなった。

わたしは、なぜこんな個人的に紹介なんてするのか、怪しさ全開のところをどうやってやんわり聞き出そうか頭を悩ませていた。しかも、今日は口調が違うし。そんなことを考えている間に、車が止まった。

「着いたわよ。」

5台ほど余裕で置けそうな駐車スペースだった。目の前にあるのは、どう見てもアパートでもマンションでもない、2階建ての一軒家である。どちらかというと、洋風な造りをしていた。しかも周りの家に比べて格段に大きい。少なくとも、おばさんの家よりは、はるかに大きい。なんだか、大きさの表現が自分の中で貧弱なことに気づき、情けなく思いながら、今はそんなことどうでもいいのにと一人でツッこむ。

状況が読めなくて、混乱していることが自分でもわかった。

「中に入りましょ。」

よく見ると、不思議な造りをしていた。正面に玄関があるのは普通だが、2階部分にも同様に玄関らしきものがある。左手にはその2階に続く階段があり、要するに、2階建てのアパートの1階、2階部分それぞれ1部屋ずつしかないというような(アパートとは比べようもないほど豪華だが)感じだ。

桑原さんが1階の玄関のドアを開けた。ポーチも広くて、靴がいっぱい置けそうだ。でも、わたしの靴なんか置いてもありあまるし、玄関がわたしの靴を拒否している。

ポーチで突っ立っていると、

「何してるの、早く入ってきたら?」

と桑原さんにせかされてしまった。

玄関から奥へつながる廊下の左右と突き当たりに扉が全部で6つあり、それらがすべて何かしらの部屋だと思われた。何の部屋だろうと考える間もなく、桑原さんが一番手前の左側の扉を開けた。

「ここは、キッチンよ。」

キッチンとは言え、リビングもかねていると思われる広さがある。とても使いやすそうなカウンターキッチンの向こうの窓からは、先程、木で隠れて見えなかった庭にベンチやテーブルが置かれているのが見えた。

「あと、ここがお風呂と洗面所で、ここはトイレで・・。」

彼女が部屋の説明を続けるのを、わたしはさえぎった。

「あの!」

「どうしたの?」

「どうしたのじゃありません。何ですか?ここ。わたし、なんでここにつれてこられたのかまったく意味がわからないんですけど。」

彼女が一息ついた。

「部屋を探してるんでしょ?」

「そうですけど。」

「私はここを借りないかと勧めるために今日あなたを連れてきたんだけど。」

さらに、わたしの頭は混乱し始める。借りる?ここを?だって、いくらするの?

「あの、わたし、桑原さんに予算言いましたよね?」

「ごめんなさい。一から説明しなくちゃいけなかったわね。じゃ、ちょっと座って話しましょうか。お茶でも入れるわ。」

桑原さんは、キッチンに戻ると、わたしにソファに座っているように言い、慣れた手つきでお湯を沸かし始めた。どうやら、棚の中には、ある程度の食料品もそろえられているようだ。

「どうぞ。」

目の前に紅茶が置かれた。そして、桑原さんもソファに座って話を始めた。

「まず、ここを紹介するのは、私個人であって、私の会社はまったく関係がないの。この家の所有者が、1人で住むにはもったいないから、誰か借りたいという人がいたら、貸してあげたいと言ってるの。」

「この家全部ですか?」

「いえ、この1階だけ。2階は今も実際に使っているし、あなたがもし、住むことになっても2階にはこの家に人はそのまま使うことになる。だけど、この家は、1階と2階がまったく別になっているから、マンションと一緒よ。外の階段を見たでしょ。あれで、2階にはそのまま上がれるし、奥にも階段はあるのだけど、その手前の扉はこちら側からしか鍵がかけられないから、2階の人が入ってくることはできないの。家具もすべてそろっているし、そこに少し、食料品が残ってるけど使えるものは使ってかまわないって言ってるわ。」

信じられない話だった。こんな広い部屋、想像もしていなかった。そして、一番気になるのは家賃だった。

「家賃を気にしてるかもしれないけど、光熱費込みで4万でいいって。わたしがあなたの予算を言ったら、予算どおりでかまわないって。」

さすがにわたしも黙っていられなくなった。

「そんな、おいしい話、なんかあるんですか?なんか、引っ掛けようとしてるんですか?なんのために?冗談でしょ?」

そういうと、桑原さんは少し微笑んだ。

「面白い人ね。だます人にだましてるんですか?って聞いても、はいなんて言わないわよ。」

わたしは何もいえない。

「安心して。そんな気まったくないから。本気で進めてるの。ここの人はね、そこらへんのよくわからない不動産屋を介するより、私がいいと思った人に借りてほしいと思っているの。家賃で儲ける気はないけど、空いているし、借りたいと思ってもらえれば貸してあげたいっていう感じなの。」

「なんで、わたしなんですか?」

わからなかった。この人とは、一回あっただけの人だ。

彼女は私をじっと見つめた。

「あなた、どういう事情かわからないけど、男がダメなことは確かよね。」

ああ、やっぱりわかったんだ。

あんなことすれば当たり前か。

「もしかしたら、昨日のこと気にしてる?」

彼女が聞いてくる。そうじゃない。あなたにどう思われたのか気になる。

わたしはずっとだまっていた。

「昨日のことはもういいから、わたしの思ったことを言うわね。黙っているって言うことは、肯定してるってことよね。だから、あなたに住んでほしいの。あまり詳しいことは私から言いたくないの。でも、ここの人は、とってもいい人なのは確かよ。私が保証する。そのうち理由もわかってくると思うけど、あなたなら大丈夫だと思うの。」

ついに我慢できなくなってわたしは反論した。

「そんな漠然とした話じゃ納得できません。あなたにあったのも2回目だし、何を信じろというんですか?」

「隣に男の人が来たら、嫌なんでしょ?アパートなんて人の入れ代わりが激しいのよ。最初は女の子が隣でも、一月で変わっちゃうこともあるのよ。どうするの?」

そのとおりだった。それでも抵抗してみた。

「これから、こんなんじゃいけないと思って努力していくつもりでしたから。それならそれでなんとかやっていくし。」

「無理よ。そんな急には。」

すぐに否定された。でも、そのとおりだ。自分でもわかっている。

「あなたのためでもあるのよ。決してだましてるわけじゃないから。あなたからお金を取ろうとかなんて思うわけないでしょ。見てわかるじゃない。」

私は納得する。こんな家に住めるほどの人がこんなわたしから何を取るというのか。

そのとき、わたしは覚悟を決めた。自分を変えるにはここからかもしれない。

そうして、一歩を踏み出すことにしたのだった。


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