07 道化
「分からないんだ。どうしてあんなことをしたのか」
アルバートは苦し気に言った。
「アンジェリカに会った途端、彼女のことしか考えられなくなった。彼女の歓心を得るためなら、なにを引き換えにしてもよかった。彼女を囲む男たちが憎くてたまらなくなった。彼女に乞われれば、人を殺すことすら躊躇いはしなかった」
小さな頃は高かったアルバートの声は、今はまるで地獄の底から響いてくるかのように低かった。
改めて聞くアンジェリカへの想いは、熱烈すぎて思わずぞっとするほどだ。
けれど私は、それによって彼が真実を言っていると分かった。
一年前。アンジェリカの影響で周囲の人々はどんどんおかしくなっていった。
実際、アンジェリカを巡って男性同士の決闘騒ぎが頻繁に起きた。
パーシヴァルには決闘を取り締まる法律があったが、それは古い時代の決闘が流行した時代の産物であり現代ではすっかり形骸化していた。
それを最初に掘り起こしたのは誰だったのか。
アンジェリカのそばに侍る権利を求めて、彼女の周囲を取り巻く美麗な男たちに決闘を申し込む者は少なくなかった。アルバートやライオネルと言った高貴な男たちはその頃になるとアンジェリカの親衛隊のような様相を呈しており、申し込まれた決闘は積極的に受けていたように思う。
まさか王子を罪に問うことはできないからと、決闘によって人が裁かれることはなかった。
時にはそれで挑戦者が死ぬこともあり、死んだ者が貴族であった場合その遺族は当然ライオネル達に恨みを抱いた。
将来王位をライオネルが継ぐことを考えれば、貴族との不和はなにも利益を生まないと再三言っても、誰も聞き入れてはくれなかった。
それどころか、宮廷は血に酔い決闘の流行はどんどん加速した。
どうしてみんなそんな風になってしまうのか、私は不思議でたまらなかった。
必死に声を上げても、誰もまともに聞き入れてもくれないのだ。
混乱の原因になるからと、彼女が恋しいなら愛妾になさいませというライオネルへの忠言は、権力に執着する卑しい女の発言として否定され嘲笑された。
私は地の果てまで貶められあの国を出たのだ。
アルバートの声を聞いていると、思い出したくない過去の出来事がどんどん蘇ってきた。
そしてふと思い当たる。
そうかアルバートが帰国した理由は、おそらく――……。
「アンジェリカに乞われ、私は決闘でパーシヴァルの貴族子息を殺してしまった。それがこの国に連れ戻された理由だ。帰国してしばらく経つと、まるで我に返ったように自分のしたことの恐ろしさが身に染みた。私は謝罪しようと挑戦者の遺族の許を訪れたが、その家はアンジェリカの不興を買ったことでとっくに取り潰しになっていた。それを知った時に初めて、私はアンジェリカが恐ろしいと感じた」
まるで、アルバートの口から吐き出される毒が空気中を漂っているかのようだ。
私は気分が悪くなりその場に崩れ落ちそうになった。
もう何も聞きたくないと耳を塞ぎ目を瞑りたくなった。
何も思い出したくないのだ。アンジェリカの声も、その蜜を含んだような甘い話し方も。
なのに、アルバートの話は否応なくあの妹のことを思い出させる。
「アルバート様は贖罪のためご遺族を探されました。ですがその消息はどれだけ探ってもみつからないのです。古くからパーシヴァルに仕えてきた名のある貴族だというのに、これは妙だということになりました。そんな折、書物を扱う商人から、若いのに豊富な知識で素晴らしい翻訳をする女人の噂を聞きました。我が国の識字率はそれほど高くありません。女人で翻訳をこなすほど学がある人間ならば元は貴族だろうと、その商人に翻訳者を保護するように命じました。それは遺族の内の誰かかもしれないと考えたからです。ですが実際は……」
その先は、言われなくても分かった。
つまり自分が殺してしまった相手の遺族を探していたら、偶然私にぶち当たったということなのだろう。
つまりどん底からあの商会に雇われたことすら、アルバートの手の内だったという訳だ。
頑張りが認められたのだと思っていた自分が、ひどく惨めに感じられた。
「それで、私にどうしろと?」
もう彼らは、私がセシリアだと確信している。
そしてとりあえず、恐れていたような断罪はないようだと分かった。
だが、わざわざ私を呼び出した真意は、まだ分からなかった。
姿を消した貴族の話も、人を殺して苦悩しているアルバートの話も、もう私には何の関係もないことだ。
アルバートは顔を上げ、まっすぐに私を見つめた。
少し色が違うだけなのに、私の瞳とは全く違う色を宿した瞳。
「セシリア。君にはどんなに謝っても足りない。私たちは友であったのに。君が苦しい時に助けようとしなかった。私はそのことを深く悔いて――……」
「黙って!」
頭が真っ白になって、自分でも驚くような大きな声が出た。
「謝らないでください。謝られたら、赦さねばいけなくなります。けれど私には、赦すなんて無理です。飢えを雑草でしのぐ侘しさも、下卑た男の言いなりになる苦痛も、あなたには分からないでしょう? こんなお綺麗な場所で跪いただけで、その屈辱を赦せと言うの? 私には無理です。あの国にもあなたたちにも二度と関わりたくありません。それが目障りだというのなら、この国を出ましょう。私はもう……生きるためならなんだってできるのです」
そう、なんだってできる。
救貧院に、母を捨てることすらも。
驚きに見開かれた二対の目が、じっと私を見ていた。
まるで舞台の上で道化を演じているような気持ちになり、私は知らず詰めていた息を吐いた。




