52 奇妙なメイド
結局、その後のジリアンの報告は私たちの想像の範囲を出ないものだった。
パーシヴァル国内の治安が短期間に著しく悪化していること。それによってパーシヴァルを避ける行商人が増え、国内に輸入品が入ってこなくなり物価が上がっていること。
また、ライオネルのアンジェリカに関わるむちゃくちゃによって反王室派の貴族が急激に増えていること。貴族同士の諍いも増え、そのあおりを受けて国内での移動も簡単にはできなくなっているということ。
ところが奇妙なのは、その根本原因たるアンジェリカを誰も悪く言わないこと――……。
ジリアンに唯一好感が持てたのは、男性であるにも関わらずアンジェリカに対して好意を持っていないように見えたところだ。
さすがアルバートを祖国に送り返しただけあってその分析は冷静で、むしろどうして私にだけあれほど敵意を向けているのか不思議になってしまうほどだった。
まあ恨みなんていつどんな理由で買うかわからないのだから、考えるだけ無駄なのかもしれないが。
とにかく、私は旅の疲れとジリアンへの怒りとでほとんど倒れるように眠りに落ちてしまった。
ちなみに、主寝室だと聞いてベッドを使えないなんてことはかけらもなかった。ベッドに罪はない。それに目の前のフカフカなベッドの誘惑を振り切れるほど、私は潔癖ではないのだ。
だが因縁の部屋で眠ったことが原因か、あるいは夕食の話があまりに衝撃だったのか、その日私はおかしな夢を見た。
それは、今眠っているはずの屋敷に父とデボラとアンジェリカの三人が、食卓を囲んでいる夢だった。
なぜすぐ夢だと分かったかというと、私がまるで幽霊のごとく宙に浮いていたからだ。三人は私の姿など見えないらしく、楽し気に食事をしていた。
やがて食事が終わり、アンジェリカは自室へ。父は書斎へと向かった。
一人残ったデボラは女主人らしくエリーに指示を出すと、自分は一人で廊下に出た。どうせ寝室に行くのだから、これ以上こんな夢は見ていたくないと思ったのだが、予想に反してデボラが向かったのは地下の貯蔵庫だった。
石造りの貯蔵庫はだいぶ古いものであるらしく、石の積み方が雑であちこちの壁が欠けている。
屋敷の方は建築様式からしてここ百年の建築だと推測されるが、こちらの貯蔵庫は少なく見積もっても五百年は経過しているだろう。おそらく、一度地上の建物を更地にしてもともとあった地下室の上に建物を建てたのだ。
パーシヴァルの王都は歴史のある街なので、地下を掘ると前時代の建物が出てくるというのはよく聞く話だった。
私の祖父の代でそれらを地下室に利用する建築法が流行したので、王都にはこのような地上と地下の築年数がそぐわない建物が点在しているのだ。
そんなにたくさん見られるものではないので、夢の中だというのに私はあちこちを見回した。
薄暗いので確認しづらいが、よく見るとあちこちの石に見たことのない文字のようなものが彫られている。
近隣諸国の文字は大体頭に入っているので、おそらくは古代文字の類だろうか。
さすがに考古学までは習わなかったので、残念ながらその文字の意味を知ることはできなかった。
そしてふと我に返り周囲を見回すと、貯蔵庫からデボラの姿が忽然と消えていた。
これは、明らかにおかしい。なぜなら私は彼女の後からこの部屋に入ったのだから。
ここにたどり着くまでの道は一本道で、途中でデボラとすれ違うということもなかった。そして私は、彼女の後についてこの部屋に入室したのだ。彼女がこの部屋を出るのに、私が気付かないなんてことあるはずがない。
ただの夢だというのに、私はどうしても彼女がどこに消えたのかが気になってしまい、それからしばらくあちこち物色続けた。
しかし、ついぞ彼女の姿を見つけることはできなかったのである。
***
「お嬢様、お嬢様?」
覚醒すると、目の前に困ったようなエリーの顔があった。
どうやら私はうなされていたらしく、暑くもないのに髪がびっしょりと濡れている。
どうやらエリーは、うなされている私を心配して起こしてくれたようだ。
私が目覚めたと知ると、彼女はまるで子ウサギのように飛びずさり、真っ青になって謝罪を始めた。
「も、申し訳ありません!」
体を起こしながら先ほどの夢について考えていた私は、むしろその謝罪に驚いて彼女の方を見つめる。
「え?」
「お、お体に触れてしまいまして、そのう……っ」
どうやら、私が使用人に起こされて怒ると思ったらしい。
そんなに威圧的な態度をとったつもりはないのだが、普通にしていても怒っていると思われるのは普段からよくあることなので、まあ仕方がないのかもしれない。
「気にしないで。別に怒ってなんていないわ」
私はエリーが怯えないよう、できるだけ優しい声でそう言ってみた。
これからしばらくはこの屋敷で寝起きすることになるので、ずっと怯えられているのはさすがに面倒だ。
だが――。
「あの」
「ひっ!」
もう一度怒っていないと伝えようとしたところで、エリーは驚いたことに飛びずさり、その場で丸くなって頭を抱え込んだ。
本当にウサギのようにしゃがみ込んでしまったメイドに、私の方が狼狽えてしまう。
「ちょ、ちょっと。一体どうしたの?」
あまりにも異常な反応だ。
いくら私が常日頃から怒っているように見られるとはいえ、さすがに初対面の使用人にこんな反応をされたことはない。
一年以上にも及ぶ庶民生活で多少は以前より険しくなっているかもしれないが、だからといってこの怯えようはあまりに異常だ。
私はこれ以上エリーを刺激しないよう、あえてベッドから出ずその場で声をかけた。
今近づいたら、彼女は本当に脱兎のごとくここから逃げ去ってしまいかねない。
「落ち着いて。私はあなたに怒ってないし、たとえ怒っていたとしてもぶったり怒鳴ったりなんてしないわ」
ゆっくりと噛んで含めるように言うと、まるで巣穴からおずおずと顔を出すように彼女がゆっくりと顔を上げた。
「ほ、本当でございますか……?」
「本当よ」
やれやれ、どうしてこんなにも怯えられているのか。
力強く断言すると、ようやく落ち着いてきたのかエリーが立ち上がりこちらに近づいてきた。
やっと顔を洗ったり口をすすいだりできそうだ。
この頃になると、私は夜に見た夢のことなどどうでもよくなってしまっていた。




