40 弟に会いに
「おや、そんなところにいたのか」
突然、私たちに声をかけてくる人物があった。
私は信じられない思いで、声のした方を見る。
だがその顔を認識する前に、後ろから腰に手を回された。
「探したよ。一人で勝手に出歩いちゃだめじゃないか」
甘い口調に、ぶるぶると背筋を震えが走った。
「こ、これはアルバート殿下!」
私達に声をかけてきたのは、驚いたことに宿屋に置いてきたはずのアルバートだった。更に驚いたことに、メイド長はアルバートがここにいることをどうも知っていた様子なのだ。
「お騒がせして申し訳ありません。この者が人気のない場所を歩いていたものですから、一体何をしているのかと確認しておりました」
メイド長はその顔に引きつった愛想笑いを浮かべた。
当然だ。メイド長がこの屋敷の中でどれだけ偉かろうが、それはあくまで使用人の中での話。
隣国の王子などに出てこられては、当然そんなことは言っていられない。こうして言葉を交わしていることすら、恐れ多いと言わねばならないような相手である。
アルバートは呆然としている私の腰に回した手に力を入れ、まるでダンスでも踊るように私を引き寄せた。
メイド長の口出しを封じるためだろうが、距離が近すぎてなんとも落ち着かない。
「それはすまなかったね。彼女は私がレオンに紹介しようと連れてきたんだ。これで疑いは晴れたかい?」
どうやらアルバートは、私を助けてくれるつもりのようだ。
メイド長は顔を真っ青にして、後ろに後ずさり、深々と頭を下げた。
「そ、それは申し訳ありませんでした! お連れ様とは知らず、とんだご無礼を……っ」
すっかり委縮してしまったメイド長に、アルバートは優しく語り掛ける。
「なに、君は職務を全うしただけだろう。仕事熱心な使用人がいてレオンが羨ましいよ」
「と、とんでもございません」
「では、私たちはそろそろ行かせてもらうよ。レオンを待たせているのでね」
それからしばらくの間、メイド長は下げた頭をけして上げようとはしなかった。
私はアルバートにエスコートされるまま、廊下を歩いていく。
どうしてここにアルバートがいるのかは分からないが、どうやら危機は脱したようだ。角を曲がってメイド長が見えなくなると、背中から緊張が抜けどっと疲れを覚えた。
「あ、ありがとう」
「いや、何とか間に合ったようでよかった」
アルバートは私から体を離すと、心底安堵したような声音でそう言った。
「それにしても、一体どうしてここへ?」
ずっと疑問に思っていたことを問えば、思わず責めるような口調になってしまった。助かったのは本当なのだが、そのつもりならば先に言っておいて欲しかったと思うのは我儘なのだろうか。
アルバートは少し気まずそうに目線を逸らして言った。
「その、決して君の計画が信用できなかった訳ではないのだが、どうしても気になって……。一応レオンにはお忍びと言ってあるから、テオフィルス王子のアルバートがここに来ていると知っているのはさっきの使用人も含めほんの一握りだ」
そもそもアルバートが自らの身分を隠していたのは、パーシヴァルでは追われる身である私と一緒にいても目立たないようにするためだ。
勿論、王族が先方の国の許可なしに入国するのはありえない事態なので、国家間の問題にならないようにするためという理由も大いにある。
それを心配だからと押しかけてきたのはどうかと思うが、実際それに助けられたのだから私が苦言を呈するのは筋違いだろう。
アルバートは今、仕立てのいいシャツにジレを合わせて、いかにも貴族子弟のお忍びといった装いだ。格好だけなら、間違いなく王族がするような格好ではない。
私の想像だが、おそらく屋敷の中に人が少なかったのは、突然やってきたアルバートを出迎えるために使用人たちがそちらに人手を取られていたためだろう。
そして、私が長時間待たされたのも。
まさかレオンも、訪ねてきた王子を放って商人に会いに行くわけにはいかなかったに違いない。
その想像に何となく複雑な気持ちになりながら、私は胸元のヒパティカの毛皮をそっと撫でた。
するとまるで自分も活躍したいとでも言いたげに、毛皮のえりまきが身じろぎをする。
とにかく今は気持ちを切り替えて、レオンに会いに行くのが先決だ。
「分かりました。とにかくレオンに会わねばなりません」
「ああ。レオンは自室にいるよ。さっきまで俺の相手をしていたのだが、用があると言って部屋に戻ったんだ」
やはりというかなんというか、レオンはアルバートの来訪によって足止めされていたらしい。
思わず嫌味の一つも言ってやりたくなるが、それは無事目的を達成してからでいいだろう。
レオンの自室であれば応接室より人目も少ないので、弟との再会場所としては好都合とも言えた。
私は息を整え、まっすぐに前を向く。
「では、行きましょう」
「ああ」
そうして私たちはさながら、戦地に赴く騎士の意気込みでレオンの部屋へと向かった。
もう二度と会うことはないと思っていた弟に、再会するときがやってきたのだ。




