32 精霊帰還
近くに森があるという訳ではないので、薪にできるような枝はあまり集まらなかった。
それでもようやく拾った枝に火をつけて、なんとか焚火をする。
この場を動くこともできずアルバートと二人きりという環境の、なんと気まずいことか。
お互い必要最低限の事しか喋らず、夜も寝ずの番をしてくれるというアルバートに甘えて早々に寝てしまった。
朝焼けの肌寒さで目を覚ました私は、火を絶やさないようにしているアルバートの横顔を黙って見つめた。
橙色に浮かび上がるその顔は、昔から見慣れた顔だと思っていたのに今は知らない人のように見えた。
「起きたのか?」
息を殺していたつもりだが、目が覚めたことに気づかれてしまった。
二度寝をする気にもなれなかったので、体を起こして私は言った。
「少しだけど、見張り替わるわ。あなたも眠って頂戴」
「いや、俺は……」
「いいから少しは寝て! 寝不足相手に手綱を握らせるなんてそんな危ないことできないわ」
どうしてもアルバートと話していると、声を荒げてしまう。
頭を冷やそうと言ったはずなのに、冷えていないのは自分の方だという気がした。
再会したばかりの頃、彼にはもう怒りすらわかなかった。ただ二度と関わりたくなかった。
そのあと彼の言葉を聞いて、ようやく怒りがわいた。鋭い言葉で彼を責め立てた。
そして今。怒りとも呆れとも違う、不思議な感情を私は持て余している。
まるでもう一度彼との関係を構築し直しているような、そんな不思議な感覚だ。
「ありがとう」
アルバートはそう言って小さく笑うから、私はまたしても調子が狂わされてしまうのだ。
***
朝焼けから段々と太陽が昇り、よく晴れた爽やかな一日が始まった頃。
アルバートをいつ頃起こそうか考えていた時、それは起こった。
ゴウゴウと突然の強風が吹きつけ、今にも飛ばされてしまいそうな恐怖に襲われる。
私は必死で、咄嗟に眠るアルバートの腕にしがみついてしまった。
言い訳をさせてもらえれば、ちょうどそこに重しになりそうな物体があったからだ。それ以外の理由なんて、何一つない。
すぐさま目を覚ましたアルバートもまた、体を起こし私を庇うように抱き寄せた。
そして風は始まった時と同じように、ぴたりと止まる。
恐る恐る目を開けると、先ほどまで草原だった場所は草が飛ばされ円形の荒れ地になっていた。
そして露出した土の上に、訝しげな顔のヒパティカが立っているではないか。
「二人とも、何してるの?」
そう言われて、いつの間にかアルバートと抱き合っているような体勢になっていると気づき、私は慌てて飛びのいた。
「も、もっと静かに帰ってこれないの! 飛ばされるかと思ったわ」
怒ったのは本気半分。残りの半分は恥ずかしいのを誤魔化すためだ。
「ごめんなさい……」
私に怒られたことで、ヒパティカは肩を竦めた。
怒り過ぎただろうかと心配になり、立ち上がって彼に近寄る。
「お帰りなさい。無事でよかった」
それは心からの気持ちだった。
この普通ではない子供は、いつの間にか私の生活の一部になっていたようだ。
あんな風に飛び出して行かれては、心配にもなる。
抱きしめると、嬉しそうに顔をすり寄せてくる。
少年の姿であっても、心は精霊だった時のままなのだ。
「な、おい!」
すると突然、アルバートがヒパティカの腕をつかんで私から引き剥がした。
「い、いくら精霊とはいえ……っ、その見た目で抱きつくのはだめだろう!」
彼も勿論、ヒパティカが普通の人間でないことは知っている。
知っていても、やはり青年に近い姿のヒパティカと抱き合っていては差し障りがあるように思われたのだろう。
今まではなし崩しで好きにさせていたが、そろそろ親離れをさせるべきかもしれない。
これから先州都に入ったら、どうしても人目につかないよう行動しなければならないのだから。
「ねえヒパティカ。もうこういう風に突然抱きつくのはやめて。いくら親しい相手だろうと、親子でもない男女が抱き合っていたら人目を引くわ」
精神年齢的には子供のようなものだが、それでもどうしたって私とヒパティカは親子のようには見えないだろう。
「えー」
ヒパティカは不満そうな顔で頬を膨らましている。
そんなに甘やかしてきたつもりもないのに、どうしてこんなに甘えん坊になってしまったのか。
「それより、近くに街道はあった? 村でもいいのだけれど……」
ヒパティカの食料を調達できる場所があるか尋ねると、少年は不満げな顔から一転して笑顔を見せた。
「あったよ! おっきな街! 凄くおおきいの」
両手を広げ、その大きさを表現しようとするヒパティカ。
私は首をかしげた。
ブラットリー公爵領の地図はおおよそ頭に入っているが、街道から外れた場所にそんな大きな街があるなど聞いたこともない。
「そう。じゃあ、とりあえずそこへ行ってみましょう。アルバート、もう馬は走れるかしら?」
これからの行動を相談しようとアルバートを見ると、彼は慌てたように馬を確認しに行った。
するとヒパティカは、今度は困ったような顔になった。
「馬じゃだめだよ。凄く時間がかかっちゃう」
「え、途中に崖でもあるの?」
空からじゃなければ行けない場所なのだろうか。
「それもあるけど、ここからしばらく飛ばないといけないんだ」
しばらくといっても、ヒパティカは約一日で帰ってきた。それを考えると、それほど遠い場所とも思えないのだが。
だが、実際に街の場所を知っているヒパティカがこう言うのだ。ある程度の距離は覚悟したほうがいいのかもしれない。
「困ったわね。どうしようかしら……」
私が呟くと、待ってましたとばかりにヒパティカが再び両手を広げた。
「簡単だよ! この箱ごと、僕が運べばいいんだ!」
何を言っているのか分からず、私は再び首をかしげることになったのだった。




