21 決断
「笑っていないで、何とかしてください!」
私はレイリに向かって叫んだ。
アルバートはどう考えても、私の話なんて聞いていない。
いや、正しくは聞いているかもしれないが聞き入れる気がないようだ。
その証拠に、私の指先をちっとも離そうとしない。
振り払おうとしたら、軽く持ち上げていただけの指に力が入って完全に手を拘束されてしまった。
近くで事の成り行きを見守っていたセルジュは呆然と立ち尽くしているし、ヒパティカはクロテッドクリームたっぷりのスコーンに夢中だ。
唯一事態をどうにかできそうなレイリはと言えば、笑い過ぎて苦しいのか目尻に浮かんだ涙を拭っている。
「セシリア。君はひどい。君にこんなにも焦がれる俺が目の前にいるというのに、どうして視線をそらしたりするんだ? ああ俺の女神。どうか憐れな下僕に慈悲を与えてくれ……」
アルバートのあまりの変わり様に、鳥肌が立った。
比喩ではなく、本当に寒気を感じてぶるぶると体が震えた。
アルバートはまるでパーシヴァルにいた時のようだった。
こちらの話など一切聞かないその様は、私に貶められ続けたつらい過去を思い出させた。
「レイリ!」
いい加減に助けてくれとばかりに叫ぶと、笑いつかれたらしいレイリが人差し指をその場でくるりと回した。
するとその指先から糸状の光のようなものが現れて、まっすぐにこちらを見やるアルバートの顔の周りを螺旋状になって取り巻いた。
しばらくしてその糸が空気に溶けるように消え去ると、アルバートの目は理性の色を取り戻し、己が私の指先を掴んでいることに気付いてひどく動揺していた。
「すまない……記憶が途切れているのだが、俺は君に何か失礼なことをしただろうか?」
大きな図体で、まるで叱られるのを待つ子供のようにアルバートは悄然としてしまう。
何があったのか聞きたいのはこちらの方だ。
私はアルバートの問いに答えず、にやにやといやらしい笑みを浮かべるレイリを睨みつけた。
「笑ってないで説明してください。今のは一体どういうことなのですか?」
先ほどのアルバートの態度は、明らかに異質だった。
確かに先ほどのように美辞麗句を並べ立てるタイプの人間もいるにはいるが、私が知る限り彼はその限りではなかったはずだ。
「副作用、と言ってもいいかもしれんな。ようはお前に魅了されたんだ。セシリア」
「魅了? わたくしに?」
アルバートがかつて魅了をかけられていたのはアンジェリカのはずだ。
そして魅了とは、魔女だけが使うことのできる邪法のはずである。
その素質があるとは言われているが、私は魔法の使い方など知らない。第一知っていたとしても、アルバートに対して使う利点が全くない。
そんな私の思考などお見通しだとでも言いたげに、レイリは言葉を続けた。
「ああ。解呪したとはいえ、アルバートは魔女の影響を受けやすくなっている。魅了とはそもそもわずかな好意を増幅する魔法。もともと好意を――それも並々ならぬ好意を持っていれば、いたずらにそれが増幅されて暴走することもあるだろう」
つまり、レイリはアルバートの私に対する友愛が増幅された結果、先ほどの状態になったと言いたいらしい。
レイリの話を聞いて、アルバートは真っ青になっていた。
「お、俺は君に一体何を……」
彼は落ち着こうと目の前に置かれたティーカップに手を伸ばすが、動揺のせいでカップとソーサーがカチャカチャと甲高い音を立てる。
これにはさすがに、私も同情してしまった。
わずかな好意さえあればそれが増幅されて無差別で口説いてしまうなんて、多くの人に会わねばならない王太子としては致命的だろう。
私は今まで半信半疑だった、パーシヴァルの人々がアンジェリカによって操られているという話に、改めて恐怖した。
もし私が他の人々のように操られていたとしたら、好きでもない相手に愛を囁き知らぬ間に罪に手を染めていた可能性すらあったわけだ。
もしそんなことになっていたとしたら、私は自分で自分が許せなかっただろう。
その時初めて、アルバートが感じた苦しみの一片を知ることができた。
私は二度と心を許さないと思っていた彼を、改めて見つめた。
アルバートは悄然として、黙って目を伏せていた。
先ほどまで、恐いぐらいまっすぐにこちらの目を見つめていたというのにだ。
「どうにかならないのですか? この先、誰でもあんなふうに口説いていては国政に支障が出ます」
そう言うと、なぜかレイリは再び笑い出した。
セルジュはなんだか居た堪れないような顔で主を見つめているし、私を口説いたショックからかアルバートはうつむいたままぶるぶると震えている。
「笑い事ではありません!」
「はは! はー、はー、苦しい……悲しいぐらい伝わらないねえアルバート。ここまでくるといっそあっぱれだ」
レイリがそう言うと、項垂れたアルバートの肩が更に一段階下がった気がした。
「は? 一体何を――」
「まあまあ、そうカッカするでないよ。その心配はない。相手が魔女であるお前だから症状が出てしまっただけで、アルバートもセルジュもほとんど癒えておるのだ」
「それは、本当ですの?」
先ほどまで笑っていた相手の話だ。
どこまで本気なのか分からず、私はレイリとセルジュの顔を交互に見つめた。
「本当だとも。だが、再びアンジェリカとやらに関われば引き戻される可能性が常にある。だからこそあの国を救うにはお前の協力が不可欠なのさ。魔女の誘惑に耐えられる人間は少ない。あちらがお前を執拗に追い出そうとしたのも、それが理由だろう。アンジェリカにとって、お前は何があっても追い出したい恐ろしい相手だったのさ」
そんな風に考えたことはなかった。
アンジェリカがまさか、私を恐れていたなんて。
だがそう考えてみると、色々なことに得心がいく。
彼女は私を社交界から追い出すだけでは飽き足らず、わざわざ母親共々国にいられないよう追い詰めたのだから。
「なあセシリア。少し一緒にいただけでもわかる。お前は誇り高い娘だ。それが、このままやられっぱなしでいいのかい? お前はいいかもしれない。だがお前の母親は、実の娘も分からなくなるほどの屈辱を受けたんだ。その屈辱を返さずにいていいのかい? お前のプライドをズタズタにした相手をそのままにしていいのかい?」
魔女がまるで魔法にかけるように、ゆっくりと私に語り掛ける。
それは悪魔の声だった。
私の弱い部分をくすぐる計算高い悪魔。
安い挑発だ。そう自分に言い聞かせても、身の内に溜まった怒りはまるで手負いの獣のように毛を逆立てて身震いをした。
「……分かりました」
私はきっとその時に、悪魔に魂を売り渡したのだ。




