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夢見る暗殺者  作者: 瀬戸 生駒
夢見る暗殺者
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第0話

 神戸のJR三宮駅前から大通りを渡って東に徒歩10分のホテル。

 ギリシアのパルテノン神殿をイメージさせる石柱が林立し、大理石の壁が重厚さを強調する。

 小さな雑居ビルなら余裕で建つほどの広さを持った前庭ロータリーは、東西の壁際こそ背の高い樹木があるが、中央は1mほどに借りそろえられた緑の植栽に、赤や黄色の花がアクセントを添える。

 入り口脇には中世の軍服を模した黒い制服に、金色のモールを光らせるガードマンが3人立ち、ただでさえ重厚な入り口を固める。

 その奥には、ガラス張りの高層ビル。

 実のところ、「JR三宮駅から徒歩10分」なんて、ハッタリ以外の意味はない。

 このホテルに来る客のほとんどはJRなんて使わないから。

 基本は車。それもタクシーでなくハイヤーだ。

 あるいは運転手付きのリムジンか。

 ともあれ、これでもか!とばかりに高級感をウリにした老舗ホテルだ。

 ガードマンも、不審者以前に「貧乏人は来るな」とばかりに睨みをきかせている。

 これくらいになると、実は不況の時にも強く、同業者が軒並み業態変更を強いられる中、一部の勝ち組を一手に集めた。

 景気が好転すると、その間のイニシアチブで、さらに収益を伸ばした。

 庶民は、少し贅沢をして一生に1度の結婚披露宴か、あるいは背伸びをしたカップルがバレンタインやクリスマスイヴに来るのが精一杯だが、ホテルとしてはノイズでしかない。

 とくに、2階吹き抜けで天井が高く、いくつものシャンデリアが吊されたメインホールにとっては。


「皆様のご清栄とご多幸を祈念して……乾杯!」

 壇上でダブルのスーツを着た老齢の紳士が、開会を告げ、右手に持ったワイングラスを掲げる。

 それを受けて、正装の男女が「乾杯!」と返す。

 ガラスの当たる音は聞こえない。

 宙に掲げたグラスは何にも触れず、持ち主の元に戻って、ワインは口の中に消える。

 その一連の動きが静まるのを待って、サプライズゲストとして現職大臣の名が告げられ、TV等でよく見る顔があらわれて、10分ほどのスピーチのあと、袖に消える。

 大臣と言っても、今回はツマでしかない。

 ほどなくホールに戻ってきて歓談の輪に加わるから、下心のある連中は勝手に行けばいい。

 本当の「主賓」は、ワイングラスを早々にボーイに渡し、思い思いのグラスに手を伸ばし、立食形式の軽食を口にしていた。


 折原釉葉は、1つの皿にケーキを2つづつ取り、テーブルに着いた。

「立食形式」とは言ってもテーブルの下には椅子が収められていて、ゆっくり座ることもできる。

 明るい栗色のセミロングを少しアップにして、胸の中央には大きなブルーサファイア。

 それが白を基調としたパーティドレスにマッチしている。

 場違いと言えば、左胸の、金色に縁取られた「名札」。

 といっても、番号が振られているわけではない。

 プリントされているのは、社章とファーストネームだけ。

 それで相手がわからないのなら、そもそも住む世界が違うということだ。


 釉葉は、ケーキを食べつつ、壁際を見た。

 そこにはお約束の「壁の花」がならぶ。

 興味がないので距離をとっているふりをしつつ、実は品評会の菊の花のように目立つ。

 ならんで立ってくれているので、見比べるのにも便利だ。

 あそこに立っているのは、実はがっついている牝ばかりで、自らをディスカウントしているか、それにすら気がついていないバカだと、釉葉は認識している。

 それは釉葉だけではなく、同世代の常連の間では、すこぶる評価が低い。

 その気がないなら、釉葉のようにテーブルに座って食べていればいい。

 桜の花は春に欠かせないけれども、満開の桜の1輪を気にかける人間は少ない。

 だから。

 俗にテーブルの女性を「桜」、対して壁際の連中を「ラフレシア」と呼ぶ。

 もちろん、バカにして。

 釉葉達にとっては、桜の1輪に気がつき愛でることのできる、繊細さと鋭さを持った殿方こそが望ましい。


 このパーティの主催は、経済同友会となっている。

 月例のパーティでは、経営者が「雑談」を交わしあい、アイデアと情報を交換する。

 そして翌日の株の動きを、幹事証券を通してチェックする。

 誰が買ったか売ったかも、知ることができるから。

 自分のアイデアが、独りよがりだったり、イエスマンばかりの社内でいくら好評だったとしても、社外の目はシビアだ。

 プレスリリースのあとでは引っ込みがつかなくなるが、「雑談」の直後なら、キズが小さいうちに修正がきく。

 あるいは、買いが多ければ、先見性に自信が持てる。

 マスコミなどでは「上流階級の金満パーティ」と揶揄されることも少なくないが、れっきとしたマーケティング調査だ。


 ただ、今回のパーティは、それと趣旨を異にする。

 経営者がエスコートしているのは伴侶ではなく、娘だったり息子だったり。

 できれば事業を自分の子供に次がせたいと考えるのは、なにも創業家だけでなく、雇われ社長も同じである。

 そして姻戚関係ができれば、それは強力な武器となる。

 つまりこのパーティは、上流階級の婚活パーティなのだ。


 だが、釉葉は、全く乗り気ではなかった。

 早くに母を亡くしたこともあって、高校時代から父にエスコートされて何度もガチの懇親会に出てきたため、婚活パーティに来る同世代が、どうしてもバカボンに見える。

 むしろ親の方に興味を覚えるが、バカボンの親までバカボンパパに見えてしまう。

 それでも、自分自身の年齢を考えれば、お高くとまっているうちに時機を逸して壁の花に回るハメになったり、自社の部長の息子あたりとくっつけられて、社内政治に使われるリスクも高まる。

 父親の顔を立てつつ参列して、ケーキをいくつかとグレープフルーツジュースを2杯あけて立ち上がったとき、左手の中にはハンカチが四角くたたまれていた。


 ほどなくしてパーティは散会になり、ホテルの前には次々と黒塗りのレクサスが入ってきた。

 緑ナンバーで、右のコーナーポールに社章をあしらった旗がたなびいているのを見れば、ホテルではなく同友会が手配したものだと見当がつく。

 もちろん、ホテルの地下駐車場からもリムジンが出てくるが、こちらは総じて評判が悪い。

「成金の見栄っ張り」と。

 郊外ならまだしも、三宮へリムジンで来るのは、地理不案内な田舎者か、あるいはヤクザか。

 さらに、ポルシェやフェラーリとなると、正真正銘のバカボンだ。


「どやった?」

 ハイヤーの後部座席。隣に座った父親に声をかけられ、釉葉は袱紗のようにたたんだハンカチを渡した。

 中身は名刺が4枚。

「おまえは?」

 ポーチを開き、純白の名刺入れを渡す。

 中身は6枚。

「今回はがんばったなー」

 つづけて、名刺ケースもろとも渡した。

 こちらは90枚。

 父親は大きく溜息をつき、車内は沈黙が支配した。


 ハイヤーは静かに街を走り、芦屋の小さな洋館の前で停まった。

「小さい」と言っても、それは周囲と比べての話で、200坪を超える敷地を持ち、3mほどの壁が囲む。

 入り口も、車のまま入れるだけの間口を持った門があり、庭の向こうには2.5階建ての洋館。

 0.5階というのは、駐車場が半地下だから。

 この造りで、観る人が見れば、この洋館が阪神大震災以降のものとわかる。

 敷地の大きさも、昔から住んでいる家ほど広く、新しい家ほど小さい。

 事業に失敗して出て行った跡地を不動産屋が分割して売るから。

 駅前はともかく、俗に「アシヤ」で語られる高級住宅街は、門と敷地だけで、家格にハッキリ優劣上下、歴史まで現れる「ムラ」だ。


 釉葉が帰宅してはじめにすることは、窮屈なパーティドレスを脱いで、パジャマに着替えること。

 ジーンズなんてウエストは全然楽にならないし、ジャージはくだけすぎ。

 男物の長いワイシャツは、女子力が高いとウケがよく、じっさい楽で釉葉も大好きだが、父親相手だと殴られる。

 アップにした髪をほどいて頭を振って、手櫛で整える。

 メイクをチェックして、ルージュが落ちているところにタッチアップ。

 ノーメイクなんて、相手が誰であれ、たとえ父親であっても、裸を見られる以上に恥ずかしい。

 ナチュラルメイクとノーメイクを混同している男性が少なからずいるけれども、ノーメイクが通用するのは10代までだ。


「さて、と」

 身だしなみを整えて、父親のいるリビングに向かう。

 今夜の「懇親会」の主役は釉葉達であり、これからするのは、営業マンが上司に成績を報告するのと同じこと。

 どころか、相手は現役の「社長」であり、しかも同席していた。

 フェイクもディフォルメも通用しない。

 そもそも、「結果」は車中で渡してしまっている。

 ネタがない。

 リビングまで14段の階段を下りながら、ふと、13段の階段を上がる死刑囚をイメージする。

 まさか、本当に自分が殺されることはあり得ないが、自分は何回この階段を上り下りしなければならないのだろう。

 少なくとも死刑囚は、人生に1回だけですむ。

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