1: 婚約しました
「イザベル。お前に縁談がきている」父の言葉に耳を疑った。
「私にですか?」
「ああ、そうだ」
「まぁ!そんな既得な方がいらっしゃったらのですね」
「…そんな言い方をするな」
「だって、悪評高い私に…ですよ?これを既得な方と言わずしてなんと言うのでしょう?」
「相手の名前を聞いたらお前も納得するだろう…」
「どなたなのですか?」
「我が国の第一王子ジーク王太子殿下だ」
「あー、そう言う事ですか…王命ですか…承知致しました」
「うむ、すまない」
「お父様が謝ることではないです」
「そうか…では、了承の返事をしておく。イザベル…ダメだと思ったらすぐに帰ってこい」
「ふふ、ありがとうございます。とりあえずやってみます…」
かくして、イザベルはスフィア帝国王太子ジーク殿下と婚約をすることになった。
…………………………
イザベル•バーンスタイン19歳はリュート•バーンスタイン伯爵の愛娘である。母はパトリシア、そして3歳下に弟マシューがいる。
このバーンスタイン一家は美形揃いだった。そしてイザベルはその中でも特に美しく生まれた。
父親譲りの艶やかで波打つ金髪。母親譲りの色白で、大きく少し目尻が上がっている藍色の瞳。唇は柔らかそうにぷっくりとしている。顔の造形も左右対称で完璧な配置でスタイルもコルセットなんか必要ないくらい女性らしいボディーラインを保っている。女性にしては背も高い。
黙っていれば〈高飛車な冷たい感じのする令嬢〉と思われる。
冷たい感じと表現されるのは、殆どの者がイザベルと親しく会話をしたことがなく、本当の姿を知らないからだった。
イザベル自身は何もしていないのに、自分の周りからだんだん人が離れていく。
そのうちに〈イザベル•バーンスタインは横柄な態度を取る高飛車な女〉〈男を惑わす悪女〉〈捨てられた男は数知れず〉と噂されているのがイザベルの耳に入ってきた。
イザベルは噂を否定しようとするも、反論する機会も与えられない。とうとう噂を否定することも諦めた。
「私は皆さんから嫌われているのね」と自覚してからはますます人と距離を取るようになり、一人歩きしていた噂は社交界で定着してしまった。
両親は愛娘のイザベルはそんな娘ではないと反論しようとしたが、周りの人達が変に気を回して、その話題を避けるので、こちらも反論の機会を得ることはできなかったようだ。
そして、その噂のおかげでイザベルに求婚する者は皆無だった。
両親は「無理に結婚する必要はない、イザベルの好きに生きればいい」とひとりでもしっかり生きていけるように…と他の令嬢達がお茶会を開いて噂話に花を咲かせている時間、イザベルにはいろいろな教育を受けさせてくれた。
おかげで、今では両親の片腕として忙しい両親の仕事を手伝えるようにもなった。
(このまま、両親の手伝いをして生きていくのも悪くないわね…)と思っていた矢先の縁談に最初は驚いたが、相手が王太子のジークだと聞いて合点がいった。
スフィア帝国のジーク王太子といえば、ブクブク太った大男で、真っ黒な髪はボサボサ、顔はガサガサ、前髪の間から覗く赤い瞳はギラギラしている…と、噂で聞いていた。年齢はイザベルより3歳上の22歳。
ジーク王太子もあまり表舞台に姿を現さない。異母弟のケヴィン第二王子の方がよく夜会に姿を現していた。ケヴィン第二王子は少し毛先に癖のあるダークブラウンの髪を後ろに流し、少し垂れ目がちなので、王家特有の赤い瞳が放つ鋭さは半減されていた。
そして彼は背も高くかなりの美丈夫だった。年齢はジーク王太子より2歳下の20歳。ケヴィン第二王子はその容姿と地位から女性に大変モテた。既に婚約間近のご令嬢がいる…と噂で聞いている。
ケヴィン第二王子が婚約する前にジーク王太子に婚約者をあてがい、ジーク王太子の対面を守ろうとしたのではないかと想像できる。
しかしあの容姿、力ある家はきっと体裁よく断ったのであろう。
そしてイザベルに白羽の矢が当たった。
…………………………
ジーク王太子との婚約をお受けするとバーンスタイン伯爵が王宮に返事をしてから1週間後当人達の顔合わせがあった。
王宮の奥、王族のプライベートエリアのサロンにイザベルと両親が呼ばれた。
暫く待っていると、国王とジーク王太子がやってきた。
イザベル達親子は臣下の礼と深いカーテシーで国王と王太子を迎えた。
バーンスタイン伯爵が「帝国の太陽、国王陛下並びに王太子殿下にご挨拶申し上げます…」と挨拶の口上を述べようとした時
国王は上機嫌で「そんな堅苦しい挨拶は無用だ、楽にしてくれ。此度の急な申し出を受けてくれたこと感謝する」と国の元首の口から出たとは思えない、礼の言葉を聞いてイザベル達親子は恐縮した。
バーンスタイン伯爵は「恐れ多いお言葉、恐悦至極に存じます」とひたすら低頭している。
国王は「だから、堅苦しい挨拶は無用だ…さぁ座ってくれ」とソファを勧めた。
イザベル達親子がソファに腰掛けるのを見た国王は
「早速だが、この婚約契約書を確認して伯爵とイザベル嬢にサインして欲しい」と契約書をテーブルに置いた。
「拝見いたします」バーンスタイン伯爵は書面を取り、内容を確認する。
「陛下…これは、私どもに有利過ぎるのではないでしょうか?…まるで婚約解消を前提としているようですが」
「ああ、その通りだ。イザベル嬢から婚約解消を希望しても慰謝料という名目の慰労金は支払う。ジークの希望だ。但し注釈は確認しておいてくれ」
「不貞をした場合はこの限りではない…ということが書いてあるだけですが…」
「その通りだ。妃教育が辛くて婚約解消したい、ジークの傍にいたくない、という理由ならば慰労金は支払う。イザベル嬢の瑕疵にはならない」
イザベルは驚いてジークの方を見た。
確かに彼は大男で、黒い髪はボサボサだがブクブク太っている感じではなかった。
そのジークはじっと姿勢良く国王の隣に座ってイザベルを見ていた。
前髪の間から覗く赤い瞳はギラギラなんかしていなかった。寧ろ、凪いでいてイザベルの様子を探っているようだった。
「…どこかでこの瞳を見た気がする…」と思ったが、すぐに気を取り直した。
王宮に来たのは今日で2回目…前回はデビュタントの舞踏会だった。
「気のせい…ね」
そんなことが頭をよぎっている間に、父は契約書にサインをしてイザベルの前に持ってきた。
「お前も確認して、納得したならサインをしなさい。良く読むんだよ」
イザベルは契約書にさっと目を通し、躊躇いなくサインした。
イザベルは(サインするべきよ)と自分の中の何かがそう言っているような気がした。
「イザベル?…お前…」父は(大丈夫なのか?)と聞きたかったのだろうが、国王と本人がいる前ではそれ以上口にすることはできない。
イザベルは父の言わんとしていることを理解して
「よろしくお願いいたします。できうる限り精進いたします」と契約書を国王とジーク王太子に返した。
ジーク王太子がペンを持ち、黙ってサインをして、最後に国王がサインと玉璽を押印した。
これでジーク王太子とイザベルの婚約は正式に成立した。




