甘き毒、幼き帝
「ああ、もう! 丹薬は酒ではないのに!」
紫炎殿の奥深く。
私は懊悩の淵に沈殿していた。
神宗・顕徳帝が霊薬の虜となられて久しい。
英明なる我が君は、赫々たる才知をお持ちであるがゆえに、他者の諫言には耳を傾けられない御性分であらせられる。
命がけの奏上も、まるで馬の耳に風が吹き抜けるように聞き流されたとき、臣下としてお仕えした折の感激が、どこか薄れていく気がした。
「如何にすれば、お止め申し上げられるのか……」
大理石に叩きつけられた西国の花瓶を凝視する。
蔦や唐草の紋様は無残に引き裂かれていた。
それは帝の御身を暗示するかのようであった。
何故なら、あの薬は毒薬と同じ類のものだからだ。
我が君に勧められ、一口嘗めた折。
私の鼻柱から一筋の紅が垂れたのだ。
私は一計を案じ、奥詰の間を退出した。
◇◇◇
「光景、奏上とは如何なることか?」
柴水晶の龍座におわします帝は、酷く物憂げであらせられた。
黒く艶やかな髪が、緩やかに頬を流れ、袖を当てて静かに倦怠をお隠しになる。
ふと、流し目で天上の玉座より私を睥睨なさった。
「御前に於かれましては……」
「丞相よ、挨拶は良い。二人きりだ」
「恐悦至極に存じます。――陛下、あれは不老の仙薬などではございませぬ」
仙薬を御喫なさる帝の御手が止まる。
その一瞬に、永劫の終わりを感じた。
今更、恐れ慄くことはない。
玉座への階段を駆け上がり、玉杯を奉戴する。
一気に飲み干せば、味は全くしない。
「光景、そなた……」
黒曜石の瞳が潤んでいる。
少女のような麗しい瞳は、今にも泣き出されそうであった。
膝を屈し、畏まって頭を垂れる。
再び奏上した。
「陛下、毒でございます。
先般、お勧め頂いた折、私は鼻から出血致しました」
「毒ならば、我もそなたも既に絶命しておろう。飲み過ぎは良くないが……」
帝は腹を抱えて笑い転げていらっしゃる。
恐れ多くも抱きかかえると、頬に朱が差している。
見かけだけは、年相応の子供のようだ。
「ヒ素のような例を知らぬとは言わせませぬ! 陛下!」
笑い声がぴたりと止む。
玉座の間は静寂に支配された。
帝が口を開かれる。
「これは南蛮渡来の珍菓。
都とは異なり、私は溶けたままで飲む」
「存じております。大変甘美であるとか。
されど、陛下がお飲みになっている物は味が致しませぬ」
帝は射抜くが如く私を凝視なさる。
私は後退り、視線を逸らすことができない。
「問題はそこだ、光景。
酒の飲み過ぎではないか? 二十そこそこで。
あるいは疲労が溜まって、味も分からなくなっているのかもしれぬ。
念のため、医者に診てもらえ。
血が出たのは、只の偶然だ」
呆気に取られ、あと一歩で階段を踏み外すところだった。
冷や汗が流れ落ちる。
陛下の御前から玄武岩の床までは、見上げるばかりの高さである。
そのとき。
帝がすっと私の手をお取りになった。
驚愕に言葉を失い、茫然自失として動けない。
「光景、死んでもらっては困る。
私がこの姿になったのは、他ならぬお前の責任なのだぞ?」
それは、天女の笑みであった。
初めてお仕え申し上げた折の如く。
私はその慈悲深い御顔を拝し、深く叩頭した。




