凪の帰還
水平線の向こうには、どこまでも碧い海が静かに広がっていた。
風は凪ぎ、空気はほのかに塩の匂いを含んでいる。
ひとひらの雲が空を漂い、カモメが音もなく舞い降りては、再び宙へと舞い上がる。
水面は砕けた光を一面に散りばめたように、銀白にきらめいていた。
遠くから波の音が静かに聞こえる。
時間さえも、その場に静止しているかのようだった。
「……帰って来たのね」
胸の奥にこみ上げる想いに、私はそっとつぶやく。
世界に平和を取り戻し、私はついに故郷へ凱旋したのだ。
港町は祝祭の空気に包まれ、昼間から酒樽を担いだ人夫たちが賑やかに往来している。
崖の上からその景色を見下ろしながら、一人、感慨にふけっていたそのとき――
「マリア! マリアじゃないか!」
ふいに背後から呼び止められた。
振り向くと、大柄の男が立っている。
かつての旧友、ロッシだった。
黒髪に日に焼けた精悍な顔つきは、あの頃のままだ。
「ロッシ……! あなたこそ、どうしてここに?」
彼は私の初恋だった。
幼いころ、ままごとで結婚の約束を交わしたこともある。
懐かしいその面影に、胸が高鳴る。
「お前を迎えに行けってさ……ジュリアが言うもんだから」
その瞬間、時間が凍り付いた。
まるで自分だけがこの世界から切り離され、暗い闇夜に放りだされたような感覚。
彼の足元には、小さな男の子がしがみついていた。
「……そう。あなたたち、結婚したのね」
「五年前にな。ありがとうよ、勇者のおまえのおかげだよ」
言葉が出ない。
よりにもよって、あの女と――
怒りにも似た黒い感情が、胸の奥底からせり上がる。
だがそのとき。
ロッシの息子の顔に、かつて二人で夢見た未来の幻が重なった。
「おめでとう。私もね、素敵な人を見つけたの。
結婚式にはぜひ来てね?」
そう言って、私は笑った。
伴侶を変えることにする。
旧友が義父になることも、気にしないことにする。
私は切り替えが早いのだ。




