第四十八話 神代の大地と大和の原風景
さて、国東へ上陸するついでにこれまで触れる機会がなかったので、ここで九州という土地の地質学的なお話をしておこうと思います。百襲姫の人生とも関わる重要な部分でもあるので、少々退屈かもしれませんが少しだけお付き合いください。
阿蘇山の巨大噴火 Aso-4 は、約 9万年〜8万8,000年前(更新世後期)に発生したと考えられています。Aso-4は日本列島で過去10万年間に起きた最大級の噴火であり、その火砕流は九州のほぼ全域を覆い尽くし、一部は海を越えて山口県まで到達するほど凄まじいものでした。
この噴火で積もった膨大な灰が自重で固まったのが「阿蘇溶結凝灰岩」です。日田の断崖や八坂川の深い渓谷、宇佐の岩屋は、この「巨大な火の泥」が冷え固まり、割れた(柱状節理)姿です。
Aso-4の噴火は、広大な範囲に鉄分を豊富に含む火山灰を降らせました。長い年月をかけて雨水に洗われた火山灰から磁鉄鉱(砂鉄)が分離し、また温泉水や地下水と反応して褐鉄鉱(鉄の鉱石)が沈殿しました。つまり九州に鉄資源が豊富だったのは、このAso-4が九州を横断し、その通り道に鉄の種をまいていったからだと言えるのです。
火砕流堆積物は九州中に積もりましたが、大分の国東半島や八坂川流域は、非常に急峻なV字谷が連続する地形です。膨大な火山灰が激しい雨で削られ、川に流れ込む過程で、比重の重い「鉄分(磁鉄鉱・砂鉄)」だけが川底や河口に自然と濃縮されました。平坦な地に積もっただけの灰に比べ、大分の急流は「天然の選鉱場」として機能し、不純物の少ない良質な原料を供給し続けたわけですね。
Aso-4の堆積層は厚く、そこを流れる地下水が鉄分を溶かし出し、地表の礫や草の根に再沈殿して「褐鉄鉱」を作ります。砂鉄よりも低い温度で溶け、扱いやすいこの鉱石が、大分の山間部には露出していました。日田や八坂の製鉄集団が、他地域を圧倒する技術を確立できたのは、この「良質で扱いやすい原石」が手近に豊富にあったからです。
製鉄には原料だけでなく、大量の薪(燃料)と、炉を作るための耐火粘土、そして冷却のための良質な水が必要です。Aso-4の灰は良質な粘土を生み、複雑な地形は豊かな森林を育みました。大分は、製鉄に必要なすべてのカードが「阿蘇の噴火」という一枚の切り札から、奇跡的なバランスで配られた場所だったのです。
そして、約7,300年前に発生した鬼界カルデラ(アカホヤ)噴火は、九州の地質、そしてその後の「鉄の物語」に、Aso-4とはまた異なる、極めて重要な影響を与えました。この噴火は、縄文文化を文字通り一掃する壊滅的な打撃を与えましたが、その後の地表の再編が、東遷勢力が利用する資源環境を決定づけました。
この噴火で噴出された火山灰は、九州全域を厚く覆いました。現在でも地層の中に「オレンジ色の鮮やかな層」として現れます。Aso-4(9万年前)が造った古い地形の上に、このアカホヤが「新しい皮膚」のように被さったのです。アカホヤ層は水を通しやすく、植物の生育に適した土壌(黒土のベース)となりました。これが、製鉄に不可欠な膨大な木炭資源(森林)を数千年の時をかけて九州に復活させたのです。
もちろんアカホヤ噴火そのものも鉄分を含んでいましたが、より重要なのは「古い鉄の洗い出し」です。大噴火によって一度植物が死に絶えたため、九州の山々は激しく浸食されました。これにより、地下に眠っていたAso-4由来の褐鉄鉱や砂鉄の鉱脈が地表に露出し、川へと流れ出しました。7,300年前の「火の海」の記憶が、地層の中に「赤い帯」として刻まれ、それが後に製鉄民が見つける「鉄の道標」となったのです。
長くなってしまいましたが、百襲姫の一族がなぜ大分を中心としてゆくのかという今後の流れへの補足でした。
さて百襲姫一行は姫島の対岸の国東半島に上陸したと考えます。アカルヒメの伝承では、福岡の香春に赤い玉と鏡を持って上陸したとなっているので、香春へ向かうならば国東を経由するのは必然です。前回触れましたが、この地は日子刺肩別命、もしくは一族が治めていたはずなので、ホームへの里帰りのようなものだったと思います。
姫島の対岸、大分県国東市伊美にある伊美別宮社は、姫島のアカルヒメが上陸し、そこで着物を乾かしたり休息をとったという伝承があります。
また、国東半島には「姫水」「姫井」「姫清水」など、姫がつく湧水伝承が異常なほど多いです。走水(はし=箸)など高貴な女性が水を導いたとされる伝承も百襲姫型の構造ですね。
さらには、姫が杖で突いり叩いたりして水を求めた、というような伝承も断片的に各地に残っています。
ちなみに国東半島には百襲姫一行が関わったと思われる痕跡が濃厚にあるのですが、とりあえず目的地である福岡香春へ向かいましょう。
香春へ上陸した百襲姫一行ですが、この地にも姫が杖を突いたり祈ったことで水が湧き出したという伝承が残ります。実際にこのエリアには霊水(湧水)が点在しています。
さて、百襲姫はなぜこの地にやってきたのでしょうか?
香春三ノ岳周辺は、地質学的にスカルン鉱床と呼ばれる特殊な地帯で、古代には地表近くに「自然銅(不純物の少ない銅)」や「高品位の銅鉱石」が露出している国内唯一にして最大の銅の産地でした。複雑な精錬を必要とせず、火(焚き火程度)で炙るだけで溶け出すような「純度の高い銅」ですね。
現在、香春の銅(特に地表付近の古い鉱石)のデータが、吉野ヶ里の最古級銅遺物のデータと一致するかの鉛同位体比による産地判定は、まだされていませんが、輸入だけでなく国産銅が使われていたとしたら、ここ以外には考えられないでしょう。
東大寺大仏の銅や英彦山神宮の銅鳥居などで有名な国内屈指の銅の聖地で、百襲姫は銅に関する技術を学びながら、水質汚染に悩んでいたこの地の水源確保のために活躍したと考えます。
そして、香春岳のすぐ東、現在のみやこ町(旧勝山町)に黒田という地名が残っています。ここは孝霊天皇が九州で宮を置いたとされる伝承地(黒田)の有力候補です。大和にある黒田廬戸宮のオリジナルですね。この地には「三宅(屯倉)」の伝承があり、豊国の官衙(役所)や物流の集積地でした。
そして、大和においても黒田のすぐ隣に三宅があります。「黒田(工業)」の隣に「三宅(物流)」を置くという構造の移植です。そして、九州の田島が大和には但馬という名前で存在し、黒田・三宅・田島(但馬)という地名三点セットがそのまま移植されているんです。
孝霊天皇の皇后は、十市県主大目の娘とされますが、十市という地名は元々九州の地名です。大和で大目というのが役職として定着する以前、九州では大女、乙女という意味で大目が使われていました。百襲姫のような技術責任者の称号であった可能性が高いです。
つまり孝霊天皇がこの地出身であったかどうかはわかりませんが、少なくともこの地に宮を置き、地元の有力者の娘を皇后として迎えていた可能性が高く、この一帯が百襲姫の一族が強固な地盤を持つ勢力圏であったということですね。
この地は現在も採銅所という地名がそのまま残っていますが、実はこのエリア、私のルーツの場所なので、子どもの頃からよく知っている場所だったりします。
奈良時代以前、香春岳三山は、それぞれ、畝尾山(うねび 一の岳)、耳成山(みみなり 二の岳)、天香山(あまのかぐやま 三の岳)と呼ばれていました。後に大和三山へ移植された名前ですね。
一ノ岳(第一座):辛国息長大姫大目命 崇神天皇の御代に一ノ岳に鎮まったとされる神です。この女神は、細媛命(孝霊天皇皇后)の上に百襲姫、そして神功皇后(息長帯比売命)が上書きされています。
二ノ岳(第二座):忍骨命英彦山神宮の天忍穂耳命と同一神で、二ノ岳に鎮まっています。式内社の「忍骨命神社」に比定されます。こちらは吉備津彦です。
三ノ岳(第三座):豊比咩命こちらは構造的に台与(豊鍬入姫命)でしょう。ちなみにアカルヒメには百襲姫だけでなく豊鍬入姫命の影も重なります。
これら香春岳三山は、三諸山とも呼ばれていて、これは大和の三輪山(三諸山)にそのまま地名が移植されています。
ちなみにこの地には鏡山というのがあるんですが、鏡山って蛇がとぐろを巻いている姿とされる山なんですよ。つまり三輪山の蛇神信仰(山そのものがご神体)と同じというかこっちがオリジナル。鏡餅の元ネタだって聞いたことがあります。
ところで、なぜ鏡山なのに蛇なのかって思いませんか?
実は古代において「かか」は蛇を意味します。たとえば「かかし」も昔は蛇を入れて雀が来ないようにしていたからですし、やまかがし、なんかはそのままですよね。「かがみ」も本来は蛇を意味する「かか」の「身(体)」だったんじゃないかと思っています。鏡は山と山を使って測量するための道具だったので、いつしか鏡=かがみ=蛇(山)から見る(測量する)となったという説です。あくまで私の意見ですけれど。
色々脱線しましたけど、この地には大和の原風景があるんです。
箸墓の軸線を伸ばしたレイラインの先に淡路島、姫島、そして――――この香春があるのは偶然にしては出来過ぎです。
脱線ついでにもう少し香春岳三山にまつわるお話をしましょうか。
実は、万葉集には大和で詠まれたとするには無理があるなあ、と感じるものがあるんですよね。たとえば――――
「春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」
持統天皇が詠んだ有名な「天の香具山」の歌ですが、大和の天香久山は、標高152mのなだらかな「土と緑の山」で夏に白い衣が干してあるように見える地質的な特徴はありませんし、そもそも藤原京の大極殿から天香久山は、距離や地形の関係でほとんど見えません。
一方で、孝霊天皇ゆかりの黒田や三宅周辺から香春岳を眺めると、畝尾(一)・耳成(二)・香具(三)が劇的なパノラマで一望できますし、石灰岩で出来ている山肌がところどころ白く輝いて見えるので、まさに持統天皇が詠んだイメージそのままなんですよね。
額田王が詠んだ有名な歌もそうです。
「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも かくさふべしや」
(三輪山をそんなに隠すのか。雲よ、せめてお前に情があるなら、隠さないでおくれ)
これは額田王が近江へ向かう際、大和の三輪山を振り返る場面とされますが、奈良盆地の内陸からでは、少し移動すれば山はすぐ地形に隠れてしまいます。
ですが、この舞台が九州なら――――
香春三峰(三輪山のオリジナル)を背に、周防灘や瀬戸内海へ船出する際、水平線の彼方へ消えていく「白く輝く三峰」を、雲が遮るのを惜しむ……。こちらの方が断然絵的にも合致しますし、気象的にもあり得そうなんです。
最後にもう一つ。中大兄皇子(天智天皇)の歌で終わりたいと思います。
「香具山は 畝火を愛しと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻を あらそふらしき」
(天香具山(香春三ノ岳)は、畝火(一ノ岳)の持つ豊かな資源を、わがものにしようとして、耳梨(二ノ岳)と激しく競い合った。遠い神代の時代から、この三つの山(三諸)は、互いの領分と資源をめぐって、このようにせめぎ合ってきたのだろう。昔もそうであったからこそ、今の世を生きる我々も、大切なパートナー(あるいは利権や拠点)をめぐって、激しく争い続けているのだ)
一ノ岳は最高級の石灰岩(白)と、かつては銅・鉄(赤)が最も集中していた場所です。三ノ岳(香具山)と二ノ岳(耳梨)という二つの技術拠点が、この「中心資源」をどちらが管理・精錬するかを競い合っている構図は、古代の各勢力の対立と考えると自然ですが、大和三山では意味不明です。大和はあくまで人の時代ですが、中大兄皇子はあえて神代という言葉を使っています。舞台が九州であると考えるのが自然ではないでしょうか。
イメージだけでなく、史料からも彼らが九州に居た可能性は高いです。
額田王をめぐる天智・天武(大海人)の「三山の争い」というドラマは、大和の盆地ではなく、有明海(筑後川)と玄界灘(遠賀川・香春)を股にかけた、九州を網羅する巨大なインフラと資源の争奪戦であったと考えるのが自然です。
久留米市山本の永勝寺が、天武天皇によって持統天皇(鵜野讃良)のために建立された勅願寺であるという事実、筑後川の氾濫原に近いこの地に寺を建てることは、持統天皇の健康を祈ると同時に「筑後川水系の治水と利水」を王権が直接管理するという宣言です。持統天皇(鵜野)は、宗像三女神がかつて司った「水と道の管理権」を、この地で引き継ごうとしたのではないでしょうか。天武天皇の孫の河内王も太宰師としてこの地に来て、お墓もありますし縁の深さを感じます。
佐賀・福岡県境の脊振山には天智天皇の祭りの伝承があります。脊振山は、有明海と玄界灘を同時に見渡せる九州最大の測量基点です。脊振から見て、東の香春(天香具山)と、西の肥前(畝火)、あるいは南の筑後(耳成)をどう統合するか。中大兄皇子(天智天皇)が「争い」と詠んだのは、この巨大な九州十字路の主導権をめぐる身内(大海人)との確執だった可能性も考えられます。単に色恋沙汰だったかもですが。
また額田王と大海人の娘に十市皇女がいます。
十市とは、大和では金物師の集団を指しますが、そのオリジナルは香春(採銅所)周辺にあります。額田王が天智と天武の間で揺れたのは、彼女自身が九州最高位の技術巫女だったからじゃないかなあ、と思うんですよね。
なんだか時代を超えて脱線してしまいましたが、万葉集の時代になっても九州は変わらず重要な神代の土地であり、大和との繋がりが強かったのだということを感じてもらいたかったんですよ。
次回は、百襲姫が九州各地で大活躍、女王前夜のお話になる予定です。また脱線するかもしれませんが……どうぞお楽しみに。




