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未と羊飼い




 天高く風はひょうと吹き抜け、お腹の下はしんと冷たい。

 冷たい風に鼻先を叩かれ、目が覚めた。

 草木なく岩ばかりの月岳を乾いた風が吹き荒れる。

 大森林とは随分違う。

 

 向こうの風はいつだって雲や霧がつきまとっていた。寒い。

 水気のないここじゃ雲をまとうのも難しい。

 でも覆いもないただの鱗じゃ、芯まで凍えそうだ。

 仕方ない、魔術を使おう。背に腹は変えられない。

 

 鼻先を上に向ければ先の鱗から散る。

 ちりり、ふぁさ。

 頭から尾まで鱗の魔術が空へ舞う。

 生え変わった毛皮が柔らかく揺れた。

 

 透明な毛足は空気中の魔術をよく取り込んだ。

 あたしの魔術が馴染みやすくなる。

 仕上げに身震いして流れを整えた。


 熱と魔術が逃げずに、暖かくなった。

 獣が毛皮をまとうのも当然かもしれない。

 軽く身じろぎすれば背骨が鳴った。

 翼膜から変質させた羽根が震える。


 ――駄目だ。

 冷たくなりすぎた。

 羽毛に替えても、翼だけは温度と魔術が足りない。

 きつくたたんで身に押し付けてあたためた。

 

 冷えた流れに毛がなびく。

 乾燥で鼻奥が痛い。

 ――やっぱりまだ足りない。

 体の芯の体温とにじむ魔術の濃度が低すぎて、調子を維持できない。


 一度宙にあがり、魔術で厚みの薄い湯の幕、敷湯を作る。

 それを頂に布のようにかけ、その上にとぐろを巻き直す。

 身を湯に押し付けて小さく息を吐いた。

 草木のないこの山は生けるものの気配が少ない。


 穿孔を思うとそれだけで気が少し楽になった。




 *



 

『おまえはきっと青い空が似合う。会えるのが楽しみだ』

 

 吹き去る風に声が勝手に浮かび上がる。

 

 そうだね、爺。あたしだって。

 胸のもやもやごと尾で岩を小刻みに叩く。

 粉々の想いは簡単に舞いあがって真っ青な空を漂った。

 微かな風が散らしていく。


 そのまま吹きおろした先へ目が向いた。

 向かいの峰と細い崖の連なる坂道のなか。

 地面が六角模様の踊り場があった。

 あたしの寝所だった沢より少し大きい。

 

 その広場の端っこに子羊がいた。

 あんなに広いのに何故迫り出した崖の切先にいるんだろ。

 子羊は反芻しながらひとり陽を浴びていた。

 

 白と黒の斑模様の温かそうな毛皮。

 揺れる耳としっぽに澄んだ金の瞳。

 何故か右後ろ足の一部だけ刈られて毛がない。

 群れがいないのに不思議と目は穏やかだ。


 くすみのない口元が楽しげに拍子を刻む。

 やけに軽やかな姿に胸の奥が炙られる。


 子羊はあたしの視線に気づくと首を傾げた。

 くくりつけられたベルが柔らかく響く。


「め゙」


 子羊がこちらを見上げる。

 呼びかけられてあたしも首を傾げた。

 ひときわ冷たい風がうねる。寒さに身体を縮めた。

 子羊はその風を気持ち良さげに浴びていた。


 熱くした敷湯に身を押しつける。

 何故か子羊は不満げに足踏みした。

 ぷんと羊の鼻が鳴った。


「め゙ぇ」


 好奇の視線には反応しない。近寄らない。

 それがいちばん平穏だ。

 なにより今よその気持ちに寄り添うのは難しい。

 寒さで不機嫌でちょっと身をあたためるのに忙しいし。


 敷湯から遠い体の上側が寒くて冷たい。そうだ。

 ちょっと贅沢だけど敷湯を上からかけてみる。

 背から余分な力がぬけた。

 魔術の消耗は上がるけど、背に腹は変えられない。


「め゙ー」


 そんなに声をかけられても。

 今は優しくできる状態じゃない。

 敷湯でじわり背中からあたたまって少しだけ姿勢がゆるむ。

 ……幼い子羊。一度たしなめるくらいはした方がいいかな。


 病持ちや悪意あるはぐれものだっている。

 安易に関わってはいけないと思わせる。

 それくらいなら不機嫌な方が丁度いい。

 

「残念だけど、言葉通じてないよ」

「め゙?」


 子羊はさっきと反対に首を傾げた。

 言い捨てたあたしは自分の尾と身の間に顔を埋める。

 毛皮は柔らかくてあたたかい。顔をうずめれば、寒くない。

 不機嫌さが足りなかったかな。もう少し強い言葉を選んでもよかったかも。


 重い荷の落ちる音に思わず身が揺れる。

 尾の下から覗きみる。

 どこからか革と金属の細工物が現れた。嫌な匂いだ。

 子羊は己の背後に出したそれで自慢げに胸を張った。


「め゙」

「――いや、だから。言いたいこと、通じてないよ」

 

「め゙ぇえ?」

「分かるわけないでしょ。め゙、だけ、じゃ?」


 首を傾げた子羊が耳をぴこと動かす。

 直後、歯がかこんと砕いた。口に異物がある。

 思わず出しかけ、甘酸っぱい蜜の香りが鼻を抜けた。

 毒や呪いは、ない――みたい。


 むしろ美味しい。

 林檎だ。しかも採れたて。

 

 ――って、そのまま飲み込めるか!


 おかしいでしょ、話してる相手の口にものを放りこむとか。

 どういう神経してるの。

 しかもあたしは警戒すべきはぐれものなんだけど。

 分かってるのかな、なんのつもり。


 というかなんで家畜が不要な空間収納を使ってるの。

 思わず言いかけかたまる。はぐれもののあたしも使ってた。

 子羊は林檎の欠片を噛み砕いた。

 目を細めて楽しげだ。


「めぇ」

「毒じゃないよ、って?」

「め゙ー」

「あ、そう。少なくとも、言語疎通の魔術の林檎ではなさそう」


 重い落下音が声を遮る。

 大きな木箱がみっつ細工品の横、羊のうしろに並んだ。

 峰の間を吹き抜ける風は相変わらずつららの温度。

 そろそろ敷湯との差に胸が痛くなってきた。

 

「め゙」

「わぁ、沢山の林檎」


 声がとても平坦になる。

 あたしの視線をよそに、羊は首を振ってベルを鳴らした。

 そのまま鼻息をへっと吐いて、こちらを見下すようにみる。

 木箱の後ろにまわり、厳かに蹄で木箱をこちらへ押し出した。

 

 ――落ち着けあたし。

 相手は家畜の子ども。

 大人の対応をしていこう。

 詰まった息を静かにぬいて、言葉にする。


「あたしにあげる、って?」

「めっ! めぇめ」

「ん? あー――――その革と金属のやつ、も?」

「っ、め゙ぇ?」


 子どもの思惑から外れたのか、おかしな顔でかたまった。

 

「なにその微妙な顔。無理に頷かなくていいって」

 

 細工物を見るにつけ、なんだか不快な感じがする。

 不意に人を乗せる家畜がつけているものだと気づいた。

 それを渡される意味を考えると、ぞっとする。

 あたしに家畜の真似事をしろと?


「林檎は貰ってもいいけど、そっちはいらない。絶対に」

「め゙っ?!」


 子羊の足元で砂埃が舞っている。

 子どもらしく足踏みしながら、首を横にぶんぶんと振る。

 大陸南の奴らの仕草では肯定だけど、ここは故郷と同じ。

 

「落ち着いて。喧嘩したいんじゃない」

「め゙ぇ?」

「何が言いたいか、分からないだけ」

「っ、め゙え゙ーー!」


 砂煙が舞い、あたしは思わず身を後ろに引いた。

 足元をガツガツと蹴り、子羊の魔術が一気に昂っていく。

 まとう魔術の濃度が異常に濃い。

 毛皮がぶわ、とふくらんだ。羊――?


 次の瞬間『智』が飛び込んできた。

 羊になる前の、今年の未――羊季の贄。

 ならこいつの状態で冬の厳しさ、世界の生死の数が変わる。

 傷つけないで、この状況をどうにかしなきゃ。

 

 

 未が尾を振り、上空から降ってきた重低音に身体が震えた。

 反射的に横へ飛ぶ。

 間一髪、頂に雷火が刺さった。

 息が止まり、心臓が早鐘をうつ。


 落ち着く間もなく立て続けに、いくつも稲妻が迫ってくる。

 羽根を止める暇がない。

 香ばしい爪先の感覚を振り切って、避け続ける。

 時折足元ではなく、頭や胸を狙ってくるところが嫌らしい。


 気づけば未のいる岩場の奥に追い込まれた。

 逃げ場がないなら撃つしかない。

 ながれものはいつだっていい的。そう、いつものこと。

 ただ反撃しない方が、後始末が楽、面倒くさくないだけで。


「め゙?!」


 紫電が未の左前脚のすぐ際へ突きたつ。

 未から興奮して乱れた魔術が散る。


「め゙、め゙ー!」


 なにすんだはあたしの台詞。こっちの優しさが台無しだ。

 稲妻が未の薄毛の後ろ足をかすめる。

 損なわずに戦意を挫くって、難しい。

 未は乱暴に地を蹴り、あたしの羽根すれすれに迅雷を通す。


 へえ。いい射線、選ぶじゃない。

 

 そこから先はほとんど同時に撃ちあった。

 ただし、直接ぶつけない。

 あくまで相手が怯みそうな際を狙って。

 

 あちらが右後足端に落とせば、こちらは鼻先をかすめる。

 腹下に来れば、尾先を撃つ。

 夢中でやれば、だんだん間隔が短くなってきた。

 瞬きすらできない。


 

 カッ――

 

 どちらのものでもない青白い雷が、切先を地に突き立てた。

 岩に長い亀裂が入る。

 漂う威が場ごと、あたしと未を縫いとめた。


 次は当てる。


 雄弁な位置と威力は言葉と戦意を失うに充分だった。


「……んぇ」


 未から気の抜ける声がした。

 膨らんでいた身が、しゅぼんと縮む。

 鋭く荒れた風がふきつけた。

 あたしたちは、恐る恐る風上の峰に視線を向けた。

 

 逆光のなか、人影がのびた。

 風に飛ばされ、陽を反射してひかる何かを捕まえていた。

 こいつの飼い主だろうか。

 そいつは素早く静かにかけてきた。

 

 目に黒い板をつけて、あたしと未の間に立つ。

 ブーツの下で山がじゃりり、と唸り声をあげた。

 竜のあたしをみて、動じない人間なんて珍しい。


 ここには竜が、よく来るってことだろうか。

 領地持つであろう竜が、こんな辺鄙なところに?

 いや、まさか。

 半透明な黒い板で表情がわかりにくいけど、見間違いだろう。


 人間は黒い板を目元から外した。

 一瞬、風が息をひそめ、艶のある深い低音が響く。

 場違いなほど朗らかな声は、いっそ軽やかだ。

 表情との差が果てしない。


「お前ら、いい雷だな。俺も混ぜてくれよ。次はもぐら叩きなんてどうだ?」


 


  *

 


 

 思わず後ずさると、足元の岩が崩れた。

 見渡せば、黒焦げの穴だらけだ。

 強風が砂埃を六角形にそそぎこむ。

 六角形の穴があちこちにあき、通行範囲を極端に狭めた。


 さすがに、やりすぎたかも。

 

 今までの経験上、騒動の責ははぐれものに押し付けられる。

 当然だ。

 あたしはここに休憩で立ち寄っただけ。

 早く処理して先を急ごう。

 

 この後の理想の流れを考える。

 謝意と保障を満たす対価を渡して即離脱だ。

 やりすぎた。

 でも深刻になるほどじゃない。

 

 水鱗なら乾いた土地では、貴重な水源として機能する。

 対価にちょうどいいだろう。

 準備を密かに整える。

 

 鱗と一緒に仕舞っていた鎖に、うっかり思考が触れた。

 治ったはずの折れた羽根が痛んだ。

 錆びついた鎖、血のついた投石、血塊が固まった石。

 大丈夫、もう終わったことだ。気にする必要はない。

 

 大きな声で我にかえる。

 未は布の端を延々と引っ張っていた。

 布の端には、褪せた赤い糸で丸い絵があった。

 随分と不恰好な……林檎かな。

 

 場違いなものから視線をはがす。 

 おさまりゆく土埃の向こうに、それとなく地形を確認した。

 よし、隙を突けば行けるはず。


「め゙ぇ! め゙、め゙ー」

「お前は後! なあ、はぐれもののお嬢さんや」


 

 肩をすくめた人間に、首を傾げてみせた。

 その時、遠くの羊の鳴き声が風にのって届いた。

 相手の意識が一瞬それる。


 素早く身を縮め、ヤマネに身をたたんで駆け出した。

 目指すは人の布の下から伸びる、足のあいだ。

 意識がこちらに戻った時には、既に人間から離れるばかり。


「待ってくれ!」

 

 大声に強張る背を振り切って、小さな身体をくねらせる。

 動きに陽動を入れながら、辺りを縦横無尽に駆けまわった。

 体格差は馬鹿にできない。

 足音を頼りに背後をかわしながら走る。


 あと少しで、子羊がいた崖端に出る。

 崖の側面は柱状節理でほぼ直角。

 でも多少のとっかかりがあれば、この身なら逃げられる。

 なぜか急に前に進めなくなった。


「きゃるる?」


 気づけば、未に尾をくわえられていた。

 じたばたするが、しっかり口に挟み込まれ、逃げられない。

 追いついてきた人間は息を切らせて未を撫でる。


「トゴー。久々のお客さんだ。歯をたてるなよ」

 

 ヤマネで逃げられないなら、力ずくで逃げるだけ。

 人間は未をなだめ、あたしを受け取ろうとした。

 その前に身の魔術を解いて、編み直す。

 竜の身に変わっていくにつれ、家畜の口から尾が自然とこぼれ落ちた。


 人はとっさに未を掴んで、後ろにさがる。

 そのあわてっぷりがおかしくて、口から息が漏れた。

 なんだかすっきりして、羽根を広げた。


 ひとうちするが、空に上がらない。

 何度翼を動かしても、飛行の魔術が稼働しなかった。


「なんで?! 山頂は飛べたのに」

「残念だが――ここは飛行禁止区域だ」

 

 ならば地をいくしかない。

 一瞬、隙が欲しい。

 ここはあたしの寝所より少し広いくらい。

 ほんの数歩走れば崖際まで寄れる。


 崖の遥か底に川が見えた。好機だ。

 水を招いて一気に頭上に集める。

 


「おい、悪いようにはしないから、まずはその水を横に置け」

「おかまいなく!」

「おい、落ち着け!」

 

 水球を投げつける。

 怪我するほどの力はないが、めくらましにはなる。

 人間は未を抱えて水を避ける。

 そのまま驚いたように山を振り返った。

 水は山にうちつけられ、奥まった一角を濡らす。


 ――はずだった。

 ばいん、と水球が跳ね返る。


 異様な速さで鋭い形の水が迫ってきた。

 咄嗟に跳ね返そうと触れる。

 直前、水は表面を震わせ、あたしの身体にまとわりついた。

 そしてがちりと凍りついた。


「え」

 

 媒介は川でも、はぐれもののあたしの水の魔術のはずだった。

 今この水は今完全に誰かの支配下だ。

 あたしの魔術を全く受け入れない。

 氷の魔術をなぞっても、魔術が異質なわけじゃない。


 ただ水温が異常なほど低いだけ。

 こんな変化は接触なしにはできない。

 何かしたとしたら、避けた人間や未じゃない。

 

 唯一の例外は、あの跳ね返った瞬間だ。

 山ではなくて、そいつに触れたなら理解できる。

 師匠みたいに魔術をよく知り、一瞬で変化させる実力をもつものがいる?

 今ここに、気配すら感じないけど。


「あっぶねぇ。おい、怪我はないな? 見たところ元はどこぞのヌシなんだろうが……無理すんな」

 

 もがいて足掻くあたしは、所詮ながれもの。

 土地の加護もちの実力者には敵うわけない。

 足元と背筋がぞくぞくする。

 低く小さく唸って威嚇した。


 人間はあきれたようにひとつ、ため息をついた。


「なぁ、なんで逃げるよ。どうしてここが穴だらけなのか、聞きたかっただけなんだが」


 氷の軋む音が、返事より先に耳へ入った。

 少し身をよじるだけで、拘束が深くなる。

  

「破損して悪かったけど。でもそんなのそこの未にきけばいいじゃない」


 人間の表情を見ないよう、視線を逸らさずにはいられなかった。

 

「トゴーには後できく。逃げる奴の事情はしっかりと聴くことにしていてな。いいか、先にいっておく。その氷はすぐ解ける。状況がわかって問題がなければ、こちらはそれでいいんだ」


 ――鎖を掛けて使い潰すのが人間だろうに。

 実際羽根を折られたんだ。投げられた石を血塊を忘れない。

 その屈辱は国を滅ぼすことで贖わせたけど。

 人は狡猾と学んだ。次はない。


「だから、頼むから無理して逃げるな。怪我をする。誓約しよう、きちんとお前を解放する。うちの土地は訪れるものが多いし、拒まないんだ。だから妙な噂をたてられても困る。……分かるか?」

 

 宣誓の魔術が軽やかに空を翔ける。

 破れば魔術に還る重い誓約の鎖なのに。

 目をみはって首を傾げながらも、頷くしかなかった。

 

 よく分からないけど、こいつにはこいつの事情があって、誓約という重い選択をしたのは分かった。

 

「お前さんは穴をあけて悪かった、と思っているんだな」


 人の足の下で六角模様を擦るように小石が鳴った。

 何故問うている方が悲しそうなんだろう。

 でも伝えたいことは分かった。

 胸の奥が少しひりついた。

 

「穴だらけにしてごめんなさい。だけど隠れたままなんて、卑怯じゃない。最初から止めれば良いでしょ」

 

「隠れているやつはいない。これは過冷却だ」

「過冷却?」


 師匠の声を記憶の底から、引きずりだす。


「触れたから氷になって捕まった? あの川はそんな冷たくなかった。その後の温度変化は変質魔術じゃ、ありえない。こんな急激な変化を起こすには、直接接触がいる。地面にしか触れてないのに、こうなるわけない」


 お説教を思い出して見下ろした。

 人間は苦笑しながら、さっきの柱岩の辺りに目をやった。

 土埃が柱岩の前を吹き抜ける。


「そうだな。だが、それしか起きてない。そして、ここはそう言うことが起きるところだ。お前さんも知ってるだろう?」

「すべてを気まぐれな月の領地のせい、とでも言うつもり」

 

「まあな――それより、今はお前さんの話をきかせてくれ」

「はっ。別に言うことなんて、なにもない」

「両方確認しなけりゃ、筋が通らん。見たところ、こいつに絡まれたか?

 トゴーは知らない奴を見たら交渉しようとする癖がある」


 困ったような人間の言葉に、思わず逡巡して素の声が出た。

 

「え、なんで」

「好奇心旺盛でね。取引や商売が趣味らしい」

「趣味、あるんだ」

「こいつのは特に変わってるけどな」


 気づけば、さっきまでの風は止んでいた。穏やかな視線に、ざわつく頭が静かになっていく。

 

「俺はこの山の主の代行者、六角岩の羊飼いのジャックだ。俺の自己満足だが、問題が起きたら関係者全員の話を聴きたいんだ。運が悪かったと思って、付き合ってくれ。それで、まずはなんて呼べばいい」

「め゙」


 羊飼いに続いて未まで頭を下げた。

 なにそれ、変なの。

 どっちにしろ今のあたしは身動きできない。

 ただ素直に話すしかない。

 

「ミリア。未に林檎食べさせられて、そこの品を並べられて絡まれたんだけど」

「すまん、悪かった。随分と失礼な真似をした。あの箱のなら、こちらで羊用に仕入れている林檎だろう」

「羊用?」

 

「ああ、この山は見ての通り、草木と相性が悪いからな。あの林檎は大森林産で魔術が濃い。うちの奴らには濃い魔術が必要なんだ。お前さんの体に不調はないか?」

 

「あの辺はひととおり、旅してきたから、それだけなら問題ないはず」

「そうか。協力してくれて助かった。今解くから、動かないでくれよ」

 

 すまなそうに羊飼いは胸元から小さな金属の棒を取りだした。

 それからあたしを縛る氷に当てた。

 束縛が解けて、ばしゃんと落ちる。

 

 身のうちで、魔術がぐねり、とうねった。

 妙な感触に自分の肩を撫でる。

 何故だろう。ちょっと胃がむかむかする。


「林檎、良ければもう少しどうだ? 見たところ、山脈越えで消耗したんだろ。大森林産の林檎なら、少しは足しになるはずだ」

「ありがとう」

 

 やはり、ここでの林檎の単位は箱らしい。

 出された三箱を壊さないように、少しずつ口に運ぶ。

 さっきと同じで、質がいい。良くない魔術の気配はない。

 これで羊と共犯で最初から知っていたなら、恐ろしく擬態が上手い奴だ。


 そんなあたしの考えを他所に、ジャックは未に向き合っていた。


「トゴー。雷はやりすぎだったな」

「――め゙ぇ」

「うん、分かればいい。反省は後でな。それより、林檎もだが。鞍なんかどこから持ち出したんだ?」

「ぇめ゙」

「粉屋からもらった? まさか、後ろ脚の隠れハゲは、鞍の代金か」

「ぇ」

「勝手に取引するな。悪いことに使われたらどうするんだ」

「んめ゙」

「なに、歳をとって硬い椅子に耐えられないって言ってた?」

「め」


 困ったように頭を下げた羊に、人間は目じりをさげた。

 子が可愛くて仕方ない親の顔だ。

 故郷の山で時折見かけるたび、胸がちりっとした。

 今もなんだかもやもやして落ち着かない。

 

「親切心は悪いことじゃない。だが、きちんと相談しなさい」

「め゙ぇえ゙」

「あのなぁ、羊季までに毛が生えそろわなかったら、どうするつもりなんだ。お前の晴れ舞台だろ」

「め゙〜〜」


 未はちりと首元のベルを鳴らし、羊飼いにすり寄った。

 羊飼いも柔らかく撫でている。

 そろそろくしゃみが出そうだ。


 りんごを頬張りながら、目を逸らした。

 

 急にぞくっと、違和感が通りすぎた。

 爪先で二の腕を撫でて落ち着かせる。

 なんだろう。胸の鼓動が痛いような。


「大体、なんでそんなことをした」

「め゙、めー」

 

「は? 俺に、羊季の舞踏会に、竜に騎乗して格好良く登場して欲しかった? やめてくれ、あの場は人ならぬものたちの社交場だぞ。竜は『世界を支える柱』なんだ。そんなことしてみろ。立場を弁えない人間なんか、出禁になっちまうよ。でも――なるほど、林檎はその対価か」


 


 穏やかな風が吹く。


 

『よう、蒼天! みろよ、今日も俺の卵石は、美人だろ』


 脳裏を駆け抜ける幻聴。

 蒼天山脈の、あたしの山の鉱泉の香り。

 なんで奥の柱岩から懐かしい魔術の香りがするの。


 気づいた途端、体内の魔術がそこに向けて勝手に暴れだす。

 胸のうちで気配が指先を伸ばしていた。

 そこには見慣れない岩しかないのに。

 

(帰りたい。――のところに)

 

 いや、帰れない。

 今のはあたしじゃ、ない。頬裏がじんと痺れる。

 辺りに霧と魔術が渦を巻いた。

 あたしから漏れる魔術は、濃度をあげるばかり。

 

 抑えがきかない。あのメダルと穴のせいか。

 

「っ、にげて」

「め゙?」


 自分であって自分じゃない魔術がかちかちと、魔術陣を噛み合わせる。

 陣に力を注ぎこみはじめた。駄目だ。

 力ずくで陣の出力を絞るが、向きは変えられない。

 

 拒むような風が、山から吹きつける。 

 なびくたてがみを整える余裕すら持てない。

 

 あがり続ける内圧を限界まで抑える。

 穿孔の魔術は通った道を辿ってこじ開けてきた。

 歯がかちかちと鳴った。

 不本意な状況に、視界が熱く歪む。

 

 一条の魔術が走った。

 

 柱状節理に当たる直前、一瞬辺りが白く反射する。

 結界か。魔術は結界を透過し、柱石に小さな丸い穴をあけた。


(いくわよ)


 できたばかりの穴に、視線がひきこまれる。

 どういう理屈かわからない。

 だけどあの山に繋がっているなら、余計に嫌だ。


「お、おい?!」

「め゙ぇ!」


 なのに、声の先に吸い込まれるように意識は途絶えた。

 

 



 

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