チンピラにからまれる
ゼンタは自分の後頭部の柔らかい感触があまりにも心地よく、夢の中にでもいるのかと錯覚したが、瞼を開け目を覚ました。
すると、いの1番に、自分を見下ろすアルの顔が飛び込んでくる。角度や姿勢から推測するにどうやら自分が膝枕をされている事に気がつく。
「おはよー。大丈夫?」
アルは心配と安心、どちらも含んだ表情でゼンタに目覚めの挨拶をした。
「ああ、すまない……2人は大丈夫か?」
アルの太ももから頭を離し、辺りを見渡す。
レイを探す為の行動であったが、目の前に広がる光景にゼンタは絶句した。
そこには何もない、砂漠が広がっていた。地平線まで、砂の絨毯が360度どこを見ても覆い尽くしている。砂以外の物は何もない。しかし、それ以上に驚いた事、それは勇者試験を受験し、ここまで辿り着いた者達のあり様。彼らの状況は一言で言うなら、地獄絵図。
頭をかかえ塞ぎ込む者、嗚咽混じりに嘔吐する者、地面に倒れ込む者。中には絶命しているように見える者すらいる。
砂漠の地面は、吐瀉物で埋め尽くされていた。
「なんだ……これ」
「試験管の転移による後遺症だな。空間転移なんて芸当ができる奴がいるとは……」
近くにいたレイが哀れむような表情で受験者達を一望する。
「たしかにあれはヤバかったな……俺も転移中に1回死んだと思う……あんな魔法があるなんて」
転移中、命が消えるのを実感したゼンタは胸に手を当てた。
「転移なんて魔法あるわけないだろ。あれはおそらくあいつのスキルだ。お前が眠っている際、目にしたが、あの試験管はここに到着した瞬間に、また転移でどこかに消えた。そうなると奴はスキルだけとっても戦闘において、計り知れない実力を持っている事になる」
「たしかに……あれで高速移動なんてされて距離を詰められたりしたら、どんな反射神経を持っていても対処しきれないかもな」
「馬鹿野郎、そんなちんけな話じゃねえよ。転移なんて、聞けばただ優秀な便利スキルに思えるが、今のを複数回連続でやられちゃ、私だって耐えきれない」
「たしかに……俺たちの前に現れたときに1回、ここに来るのに1回、ここから離脱するのに1回、少なくとも3回は連続でできるって事だもんな……俺が1回で死んだ転移をもし、奴が何度も行えるなら、無敵のスキルと言ってもいいかもしれねえ」
ゼンタはレイの話を聞き、改めて試験管のレベルの高さ、更にはその強さがありながら、自らは勇者を目指そうとはしない不可解さに違和感を覚えた。
レイと今の試験管について話していると、下品な態度と小物臭たっぷりの口ぶりで1人の男が話しかけて来た。
「てめえ、何をさっきからブツブツでけえ独りごと言ってんだよ! 気色わりい!」
黒いレザージャケットにサングラス、白髪をリーゼントスタイルに整えた、いかにも噛ませ犬と言う言葉がお似合いの男が、乱暴な口ぶりでゼンタに詰め寄る。
「ここはお前みたいなガキが遊びに来る場所じゃねえぞ! ギャハハハハ!」
その口ぶりや仕草は、どう見ても勇者を志そうとしている人間のそれではない。
「お前も到底、勇者がお似合いなんて言う風には見えねえけどな」
「は? てめえぶっ殺すぞクソガキ」
「やってみるか? チンピラ」
何とも言えない小物感たっぷりのセリフにゼンタも素直に乗せられ、2人は拳を握り、お互いを睨み合う。その時、2人の間にアルが入りこんだ。
「ごめんなさい! ここは謝るからさ! お互い勇者を目指す者として喧嘩はやめようよ! ね?」
向こうから売って来た喧嘩に、アルが謝る事には納得がいかなかったが、必死に止めるアルの様子を見て大人気ない事をしてしまったと反省した。
「試験内容もわからないんだ。ここで揉めるのは得策じゃねえだろ」
ゼンタがそういうと、そのサングラスをかけた男は「ギャハッ」嘲笑うと後ろを振り返って立ち去ろうとした。
「ったく飛んだ腰抜けじゃねえか。次から俺様を見かけたらさっさとどっかに消える事だな!ガキが」
「なに?! おい待てよ! 俺はゼンタ! てめえの名前はなんだ!」
その男の挑発的な態度が頭に来たゼンタは思わず相手の名前を聞いた。この喧嘩のケリは必ずつけないと腹の虫が治らない。
「ヴィンセント・パンク様だ。覚えとけ腰抜け」
男は去り際、地面のゲロを踏み「きたね!」と足を振ったり、引きずったりして、その場から退散した。
「なんだよあいつ……ムカつく野郎だな」
そう言いながらレイの方に目を向けると、レイはまだ男の背中を眺めていた。
「そういえば、あんな態度で話しかけて来たあいつに対して珍しくずっと黙ってたな? お前にどことなく口ぶりが似てたしシンパシーでも感じたか?」
「いや、震えが止まらなかったんだ」
レイはヴィンセントと名乗った男が消えても尚、緊張感が解けないと言った態度でそうこぼした。このようなレイを見るのは初めてだったので、何にそこまで慄いているのかわからなかった。
「あいつ強いよ」
アルも、ヴィンセントの背中を眺めながら男の実力を賞賛した。
「あんなザコキャラ丸出しの奴が強いわけねえだろ」
まさかそんなわけがないと言ったようにゼンタが否定するとレイは冷たい声色でゼンタの過ちを訂正した。
「奴の出立ちからでも、ただ者でない事は伝わる。だがそれ以上に、奴には私が見えていなかった……つまり奴は死線を超えていない……この意味がわかるか? この会場に辿り着き、さっきの転移の直後に、ああもケロッとしてるような奴がだぞ?」
それを聞き、その意味を理解した時にゼンタの体から冷や汗がドバドバと流れ出た。もし戦闘になっていたら自分は間違いなく、無惨な姿になっていた事だろう。
その強さを手に入れるのに、常人なら数多の危機的状況に遭遇するであろう実力を持ちながら、死を感じた事が一切ない人間。つまり、圧勝に近い戦いや、どんな天災や状況に置かれても難なく切り抜けた事しか無いであろう男の喧嘩を買おうとしていた自分の愚かさに身の毛がよだつ。
「アル……止めてくれてありがとう」
そんな情けない礼を言いたくなるほど、ヴィンセント・パンクと名乗る男との戦闘を回避できた事にゼンタは心から安堵していた。




