奈落の底
荷馬車からホゲールが降りると、護衛と2人で道なき道を進んだ。荷馬車と御者はもと来た道をまた辿っていく。
「ここであいつを荷馬車から出すって事は目的地はもう近いって事だね」
護衛達の後をつけながら、アルが小声でゼンタにそういう。
「ああ、中々長い道のりだったが案外あっさり到着したな」
と言ったのも束の間、渓谷に到着してから更に2日夜通し歩く事になった。ここまでと違い、道と呼べるような所はなく、険しい足場を一才止まる事なく進んでいる。浮遊しているレイはともかく、ほぼ寝ていないアルや護衛が平然と進んでいるのには実力の差を感じてしまう。
しかし、ゼンタ自身も全くと言っていいほど疲労は感じていなかった。
それもこれも出発前に食べたジュラメントマッシュルームのおかげかもしれない。
渓谷を歩き始め、2回目の夜を迎えた時だった。護衛の足がやっと止まった。
止まった先は底が見えない大きな崖。
「おい、一体何するって言うんだよ」
ゼンタの頭に良からぬ予想がよぎる。
声こそ聞こえないが、護衛とホゲールは何かを会話しているように見える。
ホゲールは少し焦った様子で何かを訴えていたが、しばらく言い合いを重ねると黙り、崖の方に体を向けた。
すると、2人は崖の底、目掛けて飛び込んだ。
まさしくゼンタが想像したよからぬ事が的中したのだ。
「おい、落ちたぞあいつら」
「だったら、私達も後を落ちるしかねえだろ」
「は? お前正気か?」
「なんだ? 勇者になりたいとか言うくせに崖から飛び降りて死ぬのは怖いのか?」
「死なねえけどな。でも見ろよこの高さ。底が見えないぞ」
「魔法の類だ……そう見えるようになってるだけにすぎねえ。深さはどれほどあるか、わからねえけど下はお前が想像してる谷底とはまた違うだろう」
「てことは、この下に勇者試験会場があるのかな?」
アルは唇の下に人差し指を立て、頭を傾けた。
「いや、それはわからねえな。魔人や精霊の罪人もいるってなら、ここに会場を設けるのは、いくら人間より基礎能力が高いと言っても、あまりにも人間だけが行き来しやすい環境になりすぎてる」
「確かに……1万人も囚人がいたり、何万という人間が受けたって割には狭いような気もするしね」
するとゼンタは覚悟を決めたように穴の底を眺め、2人の顔を順番に見た。
「よし、とにかく飛び込めばわかる……恐れずいくぞ」
「ビビってるのお前だけだよ」
「最悪、レイちゃんの風魔法で助けてもらおうね」
3人は崖の淵に立った。ゼンタは喉が鳴るほど大きな唾を飲み込むと、足を一歩前に踏み出した。
「ぐわああああああああああああ!!!」
渓谷の中にゼンタの阿鼻叫喚が響き渡る。
夜というのも相まって落ちてる間、辺りは暗闇に包まれていた。ゼンタは恐怖のあまり目を閉じたが、見えている風景は開けていた時と何も変わらない事に気づき、目をまた開けた。しかし開いた時に映った、視界に広がる景色が先程と変わっている事に驚愕した。
薄暗くは、あるもののしっかり目に写る情景がわかる。谷底に落ちているのにどういういった事だろうか。
下に目をやると地面と思わしき自分達が着地する場所は赤く染まっていた。
その赤い絨毯のような地面の一部に大きな円形の獣がいる。
獣と言うよりは両生類や爬虫類と言った、蛙のような見た目をしてはいるが……
そのバカでかい生物はぴょんと跳ねたかと思うと、ゼンタ達に当たる位置まで跳躍し、ちょうど触れるか触れないかと言った位置で、丁度下向を始める、するとゼンタ達より、やや遅い程度のスピードで落下を始め、その蛙のプリンのように柔らかい背にゼンタの足がしっかり着く頃には落下の衝撃は無くっていた。
蛙が地上に四つの足をつけた時、地面だと思っていた赤い液体が勢いよくしぶきをあげた。
「この鉄に似た臭い…これ血か?」
「だな。ここに飛び込んだ、力無き者どものな」
「ここに飛び込んだ力無き者? どういう意味だよ」
「この蛙のようなモンスターの名はツァトゥグァというC級モンスターだ。C級と言うからには並の冒険者では敵わねえほど中々に実力のある奴なんだが、こいつは自分より強い生物が近づくと驚いて反射的に飛び上ってしまう習性があるんだ。その習性で今私達は無傷で着地したが、ツァトゥグァより弱い人間はそのまま地面に叩きつけられて、この血溜まりになっちまったってわけだ」
「なるほど……」
果たして今の自分にC級モンスターを倒せるだろうか。倒せるという自信はあるものの、これまで戦いとは無縁の人生を歩んでいたゼンタにとってそれを推し量るすべはなかった。どちらにしてもレイやアルと一緒に飛び降りて良かったとスッと肩を撫で下ろした。
ツァトゥグァの背から降りると血の池が脛辺りまで溜まっている事を確認する。
アルは「ありがとう」とツァトゥグァの腹の辺りを撫でていた。
「おし、進もう」
ゼンタがそう言って顔を向けた先には人1人が通れるほどの通路があった。
それ以外に進める道がなかったので、どこに進むか迷う事はなかった。
数時間その一本道を進み、血の臭いにも慣れてきた頃、やっと景色が変わった。
血で塗れた地面と石でできた壁以外これまで何も見ていなかったが、やっと扉が現れたのだ。
しかし、その扉にはドアノブのたぐいは無く、「汝、最大の技を持って突破せし」という文字だけが彫られていた。
「なんだこれ」
ゼンタはそう言いながら扉を押すも、びくともせず、彫られた文字に無理矢理爪を引っ掛け引っ張るも、扉は壁の一部のように動かない。
「とりあえず書いてある通りにしてみようよ! 多分技の強さとかで開いたりするんじゃないかな?」
そう言いながら少しワクワクした様子でアルは、懐からナイフを取り出し、それを扉目掛けて思いっきり投げた。
恐らく、アルのスキル圧投擲を使ったのだろう。
ナイフはその扉を貫通したと思ったら、またこちらに返ってきた。その瞬間、扉が勢いよく開いた。
戻って来るのが、わかっていたかのように平然とナイフをキャッチすると
「あれ、1回分でいいんだ」
とアルは拍子抜けしたように意味のわからない台詞をこぼした。通過物がなかったので圧投擲の威力アップができなかった事を言っているのだろうか。
開いた扉をアルがくぐり、その後に続こうとした時、バタンと勢いよく扉が閉まった。
アルは扉の先に行ってしまった。ゼンタとレイはしばし沈黙する。
「1人ずつ技を使って通過しないとダメみたいだな」
レイが扉を眺め、そう言うとゼンタの方に顔を向けた。
「ここでお別れだ。楽しかったぞゼンタ」
レイは哀愁のこもった表情でゼンタの肩に手を置いた。
「なんで俺が開けられねえって決めつけたんだよ!」
「あん? たりめえーだろ! 技の一つも持ってないお前が開けられるか!」
「わかんねえだろ! あのコボルトを瞬殺したの見てなかったのかよお前!」
「コボルト如きに誰も時間かけねえんだよ普通!そこまで言うならやってみろよ!」
「お…おう!」
ゼンタは扉の前に静かに立つと息を整え、拳を構えた。
ゼンタは扉をぶち壊す気持ちで、全身全霊自分の持つ全ての力を右手に込めて扉を殴った。
扉は揺れ、その衝撃で血の水が何重にも波紋を描く。頭上からはパラパラと天井の破片や土埃が落ちてくるほどの威力であったが、扉が開く事はなかった。
「ほらな?」
「おい、どうするんだよ」
「知るか」
ゼンタは絶望し、頭を抱え地面に塞ぎ込む。
「何日歩いたと思ってんだよ。アルも扉の向こうに行ってしまったし、俺の勇者になるって夢はこんな扉の前で終わるのか?てかここで終わったとしてどうやって帰るんだよ。ここで一生を終えろってか?あ、ダメだ、俺死なねえんだった。じゃあ一生あの蛙と、この薄暗い空間で過ごせって事?あんなんと仲良くなれる気しねえよ。あいつ俺のこと嫌いそうだったしさ。とか言ってあいつが死んだ時、俺泣くんだろうな。あーこんな事ならもっと修行してからくるんだった。だから俺はABCエリアで強くなってから勇者試験を受けようって言ったのにどっかのウンコの大精霊が「ABCエリアに行く事はないぜ?」なんて適当な事ぶっこいたせいで俺はこんな頭狂っちまいそうな空間で一生蛙と過ごさなきゃダメになっちまったんだ。あの蛙普段なにしてんのかなー。趣味とか合えばいいけど。睨めっこくらいしかできないだろうなー勝てる気しないなー」
「す、少し落ち着けゼンタ」
その尋常では無いゼンタの物言いに、柄にもなくレイが引いた素振りを見せる。
「だ、大丈夫。わ、私がついててやるから」
「ほんと?」
涙目でゼンタがレイの方に顔を向ける。
「それにお前だって扉の先に行ける方法があるぜ」
「俺に?……何をすればいいんだよ。全力のパンチも無意味に終わり、攻撃スキルも持ってなけりゃ魔法も使えない俺によ……」
「魔法なら使えるじゃねえか」
そのレイの発言に「へ?」ととぼけた声を漏らすとレイはゼンタの目の前に立ち腰を下ろした。
「アタナシアを完成させる」




