北風と太陽
ログベール公爵家の屋敷。
屋敷の部屋数は約五十、一つの家につき部屋数の平均は十ほど、貴族だけを入れれば三十だ。しかもこの屋敷は別荘、部屋数が多いのに加えて本邸ではなく別荘なのだ。それだけでログベール家の力の強さがわかるだろう。
ここ王都にあるログベールの屋敷、その一階の隅にある部屋。
そこは屋敷の隅なのにもかかわらず、窓はない。唯一光を通すのは部屋の扉だけで、部屋の中はとても暗い。
そこでジルシュとクレアは戦っていた。
「こ、の!」
ジルシュは苦悶の表情を浮かべながら、右手から自分の顔四つ分の大きさの火炎の玉を放つ。
しかしその火炎は対象に当たる前にフッと消えた。
「 だから私には効かないって言ってるで、しょっ!」
部屋の奥のベッドの前で立っている金髪の女性、クレアはそう言い放ち左腕を振る。
するとそこから突然突風が吹きジルシュを襲う。
「グアァ!」
ジルシュは突風により扉まで吹き飛ばされる。
「何度言ったら分かるの? 私に火は効かないって」
「そうだぜ、風魔法には本来火魔法が有効だが、今回は相手が悪すぎる。苦手でも今は他の魔法を使った方がいいぜぇ」
火魔法は風魔法に強い。
一般的にはその考えは間違っていない。
火魔法とは火を操る魔法。正確には自分で作った火を操る魔法のことだ。つまり、火魔法はあくまで火を起こす手段、例えるなら火打石のようなものだ。それに対して風魔法を使えば、火はたちまち大きくなる。
だがその相手が高位の風魔法使いとなれば話が変わってくる。
うまいだけの風魔法使いなら風を吹かせて攻撃するぐらいだ。しかし、高位の風魔法使いは風を吹かすだけでなく、空気を操り、真空を作り出すことができる。
火魔法とは火を起こすための手段で、火を出し続けるわけではない。魔法で作ったとしても、火は周りに存在する空気をつかって存在し続ける。
つまり火魔法を使うジルシュにとって、真空を作ることができるクレアとは相性が最悪なのだ。
「……それは、できない相談だね」
しかしその助言にジルシュは反対する。
それは自分の意地、ではなく、冷静に自分で考えて出した結論だった。
「残念ながら、僕には才能がないから、今他の魔法を使っても焼け石に水だよ。それに」
「?」
「それに、僕には力強い相棒がいるからね、例え相手が風魔法の達人でも、サラマンダーがいれば大丈夫でしょ?」
「……ケッ! しゃぁねぇなぁ。おだてられてやろぉじゃねぇの」
ジルシュとサラマンダーは決意を固め、クレアを真っ直ぐ見つめるのだった。
「行くよサラマンダー! 『ファイアボール』!」
「おうよ! 突っ込むぜえぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ジルシュは大人の顔一つ分の火の玉を十個放ち、サラマンダーはそれに合わせてクレアの方へ突っ込む。
「何度も何度も! 『鎌鼬』!」
クレアは向かってくる火の玉を魔法を使って消し、魔力の節約のために避けられる攻撃は避ける。
しかしクレアがそれに集中している間にサラマンダーは横からクレアに近づく。
「そうはさせんぞサラマンダー!」
するとクレアの後ろから、二十歳前半くらいのがいけんをした、長い銀髪と翠色の目をした女性、『ルドラ』が飛び出してきた。
それを見たサラマンダーは、待ってましたとばかりに口を歪ませ、ルドラに突進した。
「なぁっ!」
「ハハっ! バカが! オレは最初っからテメェ狙いだったんだよぉ!」
サラマンダーは勝ち誇った笑みを浮かべながらルドラを壁に叩きつけた。
「『ファイアボール』! 『ファイアボール』! 『ファイアボール』!」
「『隔絶された空間』!」
一方ジルシュとクレアの戦いは、いまだジルシュ劣勢の状態であった。
ジルシュがクレアに攻撃、しかしこれをクレアが防御、そして攻撃、ジルシュに命中、といったことが続いている。
部屋中は炎が立ち込めていて、窓のない部屋でも明るくなっている。焦げ跡がついたり炎が広がらないのは、クレアが壁に魔法をかけているのか、もともとそうならないための魔法がかかっているのだろう。
「ハァ、ハァ」
「ジルシュ、貴方は一体何を考えているの?」
ジルシュは体中に斬られたような跡があり、そこから血が流れている。
クレアはそんな満身創痍のジルシュに質問した。
ジルシュはクレアの言葉に少し驚いた。なぜならクレアは今まで、自分と結婚をしたときから一度も自分をジルシュとは呼ばなかったからだ。それは今の自分があまりにも情けなく見えるからか、それとも……。
「ふふ、ハハハ。そんなの決まってるよ。君を、クレアをここから引きずり出そうと考えているのさ」
「……いいわ、質問をかえる。貴方は私をここから出してどうしたいの?」
ジルシュはのし質問を聞くと、下を見た。そしてしばらくすると、ジルシュは再びクレアの方を向いた。
「っ!!」
クレアはジルシュの顔を見て驚いた。
「クレアをここから引きずり出して、マリアに謝ってもらう。反省してもらう。顔を床に擦りつけ、何度も何度も、マリアに謝ってもらう」
ジルシュは怒っていた。それもはっきりと、誰が見ても分かるくらいに。
クレアはジルシュをよく見ていた。だからわかる。いつも穏やかで、怒った時でも彼は笑っていた。だが今の彼はどうだろう。彼は今までの温和な性格が嘘なくらいに激怒していた。それも普段の彼なら絶対に言わないであろう言葉を口にして。
「マリアが不幸になる姿を見たくないだって? ふざけるな。そうならないように僕達がいるんだ。親は子を守り、子の幸せを大切にする。だけどクレアがやっているのは逃げだ。マリアの不幸が見たくないからと守ることを放棄し、殻の中にとじこもった。僕はそれが許せない。だから僕は、君をその殻の中から引きずり出してやる!」
「じ、ジルシュ……」
クレアは困惑していた。今のジルシュの状態に。
そして彼女は思い出す。マリアとの幸せな日々を。
いっしょに絵本を読んだり、遊んだり、誕生日にプレゼントをあげたり。そんなとても、とっても楽しい日常が彼女の頭の中を駆け巡った。
だがそれと同時に思い出す。クレアの昔の日常を。
有能だからと、天才だからと使い走りにされ、周りからは調子に乗っていると影で囁かれ、虐められた日々。そして使えないと言われると無惨に捨てられた時のことを。
「っ! やっぱり、どうしようもないのよ。私達がどんなに足掻いても、どうすることもできない」
「……なら、証明しよう。こんなに弱い僕でも、今の君に勝てることを。そして、どんなことがあってもマリアを守ってやれることを!」
そう言ってジルシュは詠唱を始める。それはジルシュにとって一番で唯一の得意で、そして思い出の深い魔法。
「『トルネイド』!」
「なっ! 風魔法!?」
そう、これはジルシュが火魔法以外――火魔法でもまともに覚えられないのだが――で唯一完璧に覚えられた魔法、そしてこれはサラマンダーの補助を抜けば一番得意な魔法でもある。
なぜならこれはクレアが初めて僕に教えてくれた魔法だからだ。
でも、そのことは君はもう忘れているんだね……。
「まあさっき思い出したんだけどっ!」
ジルシュが出した竜巻はクレアの方へ向かっていく。そしてその間に竜巻はジルシュが部屋中にぶちまけた火をどんどん取り込んで行く。
そして竜巻は加速し、クレアに命中した。
しかし
「なかなか効いたわ。ジルシュ」
「結構本気で倒しに行ったんだけどなぁ……」
クレアは燃え移った火を風で吹き飛ばし、何事もなかったかのように立っていた。
それを見たジルシュは力尽きたのか、しりもちをつき片方だけ閉まった扉にもたれかかった。
「これで私の勝ちよ。わかった? 弱者は強者に決して勝てないと。いいえ、たとえ強者だったとしても私達は上の腐った奴らに搾取され続けるのよ。それが今の貴方」
「ハハハ。心外だなぁ。僕はまだ終わってないよ」
「いったい何を……っ!?」
そしてクレアは気付いた。
同時にこれはまずいとも思った。何故なら……
『息が……できないっ!!」
クレアは呼吸困難に陥っていたからだ。
火事によって死んだ人達の死因は、実はほとんどが焼死、というより火傷で死んだわけではないのだ。
火事で一番多い死因確かに火傷、だがそれとほとんど同じ割合で呼吸困難による死がある。
火とは空気を吸収して燃え続ける。しかし火は空気を吸収するだけでなく、同時に放出していることが研究でわかったことだ。
そしてさらに研究でわかったことは、火は我々人間が生きるために必要な空気(酸素)を吸収、エネルギーにして燃え続け、そして必要ではない空気(二酸化炭素)を放出している。
なら火事の呼吸困難は二酸化炭素が原因なのか? と聞かれると答えは『イエス』、とは言えない。むしろ二酸化炭素ならまだ良いと思う。
呼吸困難の原因は一酸化炭素という有害な気体である。では何故研究では二酸化炭素がでたかというと、それは条件の違いが原因だったりする。そして一酸化炭素は酸素にとてもよく似ており、体はそれが有害な物質だとは知らずに取り込んでしまい、体中に有害な一酸化炭素が回り、呼吸困難になる。
そしてクレアは今その状態になっているのだ。予防法として口に水につけたハンカチなどをつけておけば一酸化炭素は入りにくくなるだろう。
だが入ってしまってはもう遅い。クレアはその危険地帯の真ん中にずっといたのだから。唯一安全だと思われるのは空気の入れ換えをしている入り口だけ。
そしてそこには勝ち誇ったような顔をしたジルシュがいたのだった。
「ジ、ルシュっ」
「証明した。僕の勝ちだっ!」
それを聞いたクレアは、目の前が真っ暗になった。
「テメェも食えないヤツだな」
「はて? なんのことやら……」
クレアとジルシュが戦っていた部屋。そこにはもうジルシュの出した炎はもう消えている。
この部屋でサラマンダーとルドラはいた。
「とぼけんな。最初からアイツをなんとかするためにワザとオレに突進されたんだろ」
「……儂はあやつを……クレアをこれ以上苦しめたくはなかった。だから儂ではあやつを止めることはできなんだ……。じゃからジルシュの坊主には感謝しておる。あやつと正面から話せる者はジルシュの坊主だけじゃったからのぅ」
「もう、あの嬢ちゃんはもう大丈夫だろ」
「ああ……」
「家族がいるからの」
††††††††††
「っ……」
「クレア、起きたかい?」
ジルシュとクレアとの戦いから一時間、太陽が一番上から少し傾いた頃、クレアは二人の自室のベッドの上で目を覚ました。
「……誰が、ここまで」
「僕が運んできたんだよ。クレア、ちゃんと食事してなかったね? 体が軽かったよ」
「……私は……負けたのね」
「うん、そして僕が勝った」
ジルシュの言葉を聞くと、クレアがボーッと天井を見つめ、突然泣き出した。
「えっ!? いきなりどうしたんだい!?」
「ひぐっ、だって、わたし、わたしぃぃ」
クレアが泣き出したのを見て、ジルシュはびっくりしてクレアをなだめようとする。
「ジルシュに、ジルシュなんかに負けちゃって!」
「そこまで言う!?」
「それに、嫌なの! マリアが酷い目にあうのを見るのが――!」
「クレア!」
クレアがのさ先を言う前に、ジルシュは大声で遮る。そして
「クレア、前にも言っただろ。どんな危険がマリアに襲い掛かってきても、僕達が守るって」
「でも、私達が何をしたって――」
「それは今のクレアの場合は、だよ。クレアが負けた理由はね、自分の殻の中に閉じ籠っていたからだよ。危険がくるのをあの部屋でビクビク怯えながら待っているのは、僕の知っているクレアじゃない」
「それはっ」
「僕の知っているクレアは! 美しくて、戦う姿がとても素敵で、そしてどこか儚げで、いつか壊れてしまうような存在があって、でもどこか心に芯を持っている……」
「僕の大好きな女性だよ」
「っ!」
ジルシュの言葉に、クレアはさらに涙を流した。
「これは僕の我儘だけど、クレアはあの部屋にいてほしくない。僕の目の前で、またあの綺麗な姿を見せてほしい」
「ごめ、んなさっ、わたし」
「うん、許す。でも、その言葉は、僕に言うことじゃないよ」
††††††††††
やっと来ました。
私の出番です。
主人公である私の登場数が少なくてちょっとヒヤヒヤしていました。
というメタ発言はおいといて、これはどういう状況なのでしょうか?
「クレア」
「……ええ」
おやつくらいの時間にお父さんとお母さんが何やら深刻な顔をして私の部屋にやってきました。
もしかして屋敷のガラス細工の装飾品を壊したのがバレたのでしょうか? たしかあれは裏庭の土の中に埋めたハズ……。
「マリア、ごめんなさい」
「……ふぇ?」
お母さん、いったい何を言ってるのですか?
「私は逃げてた。マリアから、いいえ、今までの私から。でもこれからは前を向いていこうと思う。そして許してマリア、貴女から遠ざかった私を、嫌いにならないでっ」
「……。よくわかんないけど――」
「私はお母さんのこと、大好きだよ」
「っ。マリア!」
うわっぷ! お母さん、いきなり抱きついて来ないでください。びっくりします。
でも、なんだか温かい。久しぶりの、お母さんのぬくもり。
††††††††††
「ごめんなさい、ジルシュ」
「さっきも聞いたよ」
クレアとジルシュの部屋、そこで二人は向かい合って椅子に座っていた。
「でも私、まだ怖い。もしかしたら――」
クレアが言い切る前に、ジルシュに彼女の手をとった。
「大丈夫。みんなより弱い僕だけど、必ず僕がマリア、そしてクレアを守るよ」
ジルシュの言葉を聞くと、クレアはクスッと笑った。
「え、な、何?」
「いや、だって。それ昔も聞いたことがあるのよ?」
「そうだったっけ?」
ええ、とても昔のことだけど、私ははっきり覚えていますよ。
『貴方、何故ここにいるのかしら?』
『そ、それは君のことが――』
『私のことはほっといて! 貴方には関係ないでしょ!』
『関係あるよ!』
『っ!?』
『僕は、好きです! 貴女のことが好きなんです! だから、もうこんな目に合わないように、僕が貴女を守ります!』
『……ふふ、ふふふふ』
『え、変だった?』
『ハハハハハハハハハ!』
『三段笑い!?』
『ハハハ……ふぅ。貴方は何を言っているのかしら? まず、私より弱い貴方が私を守れるわけないでしょ?』
『うっ』
『まぁ、気持ちは嬉しいわ。……ありがとう』
『え、なんて?』
『なんでもないわよ』
『あ! まって!』
いいように使われ、そして捨てられてしまった私。
周りには誰もいないと思ったら、彼だけが私の側にいた。
最初は彼が鬱陶しいと思っていたけど、彼といた時間だけが色づいていた。
あの時も今も、北風のように私は彼を吹き飛ばそうとした。
でも彼は私を太陽のようや温かさで私を包み込んだ。そして私を解放してくれた。
思えばあれからかもしれない。私がジルシュに特別な感情を抱いたのは。
でも、今言うのも恥ずかしいから、心の中で言うことにします。
ありがとう。愛してる。