【赤い桜】
春には別れが付き物だ。
桜の花が咲いている時間はとても短く、満開になったかと思えばすぐに花は散る。
ファーストフード店のカウンターに座りながら、窓辺から見える桜の花を眺める少女が二人。
朝の登校前の時間。早起きして二人でやってきた。時折、生真面目な生徒が学校に向かって歩いているのが見える。
彼女たちの別れは、まだ先のようだ。
「桜の樹の下には屍体が埋まってるわけじゃん?」
「埋まってないよ」
ハンバーガーを口にして、白い花弁が風に舞うのを見ながら話すような内容ではない。
黒髪で色白、目元は仄かに桃色に染め、病みメイクをしている女子高生、武城マイは玄河の言葉に即答する。
金色の髪に桜の花のような毛先。色黒の巨乳女子である玄河エリは頬にハンバーガーのソースを付けながらキョトンとした。
また数を増やしたピアスに指を触れながら、武城は冷たい視線を玄河に向けるが、彼女は全く意に介さない。
「えジョーシキじゃね? マイタケ無知?」
「梶井基次郎の小説が有名なせいじゃん? あれも別に埋まってたわけじゃないし?」
「マ?」
「マ」
そんな常識があってたまるかと。ならば桜並木はちょっとした墓地ではないかと喉元まで出かかるが、武城は言葉を押し殺す。
梶井基次郎『桜の樹の下には』にある冒頭の一節「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」はあまりに有名。
彼の文章を読んだことがなくとも、その言葉を聞いた人は多いだろう。
当然、武城は文章も読んでいるが、玄河は当然知らない。梶井基次郎も知らない。作曲家か何かと思っている。
「じゃあ桜の樹の下だと頭馬鹿になる的なやつも?」
「なにそれ」
「ほら、なんか背負ってた女子殺しちゃうって」
「坂口安吾?」
「アンコ? 桜の話してるんですけど?」
「安吾。坂口安吾。桜の森の満開の下」
坂口安吾『桜の森の満開の下』に関して言えば教科書にも載っているほどの名作だ。
国語の教科書をパラパラ捲ればすぐにその文章に辿り着くだろう。
桜とは美しく儚いものだが、時に人を狂わせる題材として、多くの小説に取り入れられている。
「桜の森とかめっちゃ雅じゃね?」
「花見とかちょうどよさげじゃん。行く?」
「マイタケはイイとこ知ってる?」
「知らんけど」
正直、このファーストフード店の眺めが良いので、武城は花見ならここで良いような気がしていた。
少し身を乗り出せば道沿いに並ぶ桜並木を見ることが出来るし、座っていても桜の花は目の前だ。
「墓地の近くとか?」
「屍体から養分吸ってないからね?」
「養分になってた方が良くね?」
「怖いって」
玄河の発想に、武城は口をへの字に曲げる。
どうしてそうも屍体から離れないのだろうか。武城は不服そうにジトリと玄河を見る。
彼女に白い靄はかかっていなかった。
無神駅から帰ってきてから、武城は一度も白い靄を見ていない。
同時に、玄河が怪談を話すことも無くなっていた。
温厚平和な日常。十年以上の呪縛から解放されたと思っていた。
それなのに、時折こうして玄河は『そういう話』をすることがある。
もともと興味があるのか、話し過ぎて興味を持ってしまったのか。武城には分からない。
いくら生まれたときから友人であっても、彼女が取り憑かれている時間の方が長かったのだ。分かるわけもない。
「死んだあとも何かの助けになる方が良くね?」
「あー? あー。そう言っちゃう?」
「言っちゃうー。マイタケもそう思わない?」
不気味な話だの、怪談などと言った話ではなく、死してなお何かの役に立ちたいという想いの話だ。
武城は玄河の意図を理解しつつも、肯定できずにいる。
「死んだ後だし? どーでも良くない?」
「えなんか? 自分が死んだ後も誰かの助けになるなら? 別に死んでも良くね?」
ニコリと微笑む玄河。彼女の顔が金毛の猿と重なる。
「良くない」
「……マイタケマジじゃん」
いつもの会話のトーンではなく、静かに一言だけ口にする。
武城の言葉に、玄河も息を止め、彼女の顔を見る。
真剣な顔だった。どこか怒っているようにも見える。どこか悲しそうにも見える。
ふざけて話した会話で地雷を踏んでしまった時のように、気まずい沈黙が流れる。
武城は視線を外し、フウと軽く息を吐く。一緒に胸の内に溜まった不快感を捨てるように出した息。
武城はもう一度玄河を見た。
「私は良くないと思うよ。誰かが誰かのために死ぬとかマジキモいから。そんなの自己満足じゃん? 遺された側の身にもなれよ」
「あー、遺されるとねー。やだねー」
玄河も理解した。
玄河も体験したのだから理解できるのだ。
自由に過ごしていても、何か物足りない生活。心が欠けてしまったような感覚。
どうして自分が孤独を感じるかずっと分からないでいた時期があった。
あの時はどうやって彼女を思い出したのか、玄河に記憶はない。
けれど随分長い時間待たせてしまったような気がした。
長い時間、放っといてしまった。長い時間忘れてしまっていた。
後悔では飽き足らず、彼女は身を犠牲にしてまで救う道を探し。幾年月を越えて救いに走った。
その結果、今度は大切な人に同じ思いをさせてしまったのだ。
遺しても、遺されても、いい気分はない。
「さて、クラス替えだね」
始業式初日から遅刻する気もないので、時間に余裕をもって店を出る。
新年度初日。旧クラスに貼りだされた名簿を見て、新しいクラスに足を運ぶことになっている。
黒板の前には既に人だかりが出来ており、わいわい一喜一憂していた。
「あたしマイタケと一緒が良い」
「私も――私はちょっと離れてたいかな」
反射的に肯定して同調してしまったが、武城はすぐに否定する。
多少耳は赤くなっているが、考えてみればずっと一緒にいる必要も、もうないのだ。
「えー酷くない? マイタケあたしのこと嫌い? 嫌いなの? 嫌いになっちゃったの?」
「うざい」
「泣いちゃうぞーエリンギちゃん泣いちゃうぞー。ぴえんぴえん」
「はいはい。いいから行くよ」
どうせ泣くフリをするのであればもっと真剣にやったらどうだと思いながら、武城は掲示を見に行く。
「同じだマイタケ」
武城マイ、玄河エリ、名前の横にある新しいクラスの番号は二人とも同じだった。
ニンマリと弧を描き笑う口元、玄河は武城に笑顔を見せる。
「残念ながらね」
ツンと口を尖らせながら武城はそっぽを向いた。フンと鼻息を鳴らしながら、不満そうな態度を前面にとっているが――
「そう言う割に顔にやけてね?」
「は? なにそれ? は? 意味わかんないんだけど?」
堪えきれぬ嬉しさが僅かに表情に漏れる。
「真っ赤じゃね?」
「は? それ今日暑いからだし」
春風駘蕩。春の風は長閑に吹くが、暑いというほどではない。
というのに、パタパタとシャツを揺らして風を起こす。額にジワリと汗が滲んでいるのが見える。
「良いよ良いよ、マイタケの気持ちはあたしが良く分かってるわけじゃん?」
「うるさいなあもう」
グイッと頬を擦り付け、腕に胸を寄せる。玄河の胸を押し付けられ、武城はその弾力にイラついた。
グッと顔面を鷲掴みにして、引き剥がそうとするも、玄河の吸着力は武城の腕力を越えていた。
「あ、ナメコっちも同じだ」
「可哀想に、犠牲者が増えたか」
顔面を押しのけられながら、玄河は掲示された新クラスを見て気づく。
武城も玄河の言葉で、込名が同じクラスだと気づき憐みの表情を浮かべる。
「犠牲者?」
「いや別に? ほら、込名さんとエリもよく喋るじゃん?」
「あーね。あー。なんで?」
「は? 知らないし」
この「なんで?」は「なんで犠牲者なの?」ではなく、「なんでナメコっちとよく喋るんだろう?」の何でである。
玄河の言葉を理解したうえで、武城の解答は「不明」である。
そんなの自分に分かるわけがないと、武城はジトリと見上げる。
「嫉妬?」
その目を緑色の嫉妬の目だと玄河は思ったようだ。
武城は不意を突かれて何も返せなかった。口を半開きにしたまま、パクパク動くだけ。
というのも、彼女の指摘があながちハズレではないため、図星を突かれて動揺した部分があるのだ。
「ダイジョーブィッ。マイタケが一番だかんね」
「一番とかどーでもよくね?」
再び頬を擦りつける玄河。メイクが崩れるからとギャアギャア言うが、武城の口元は緩んでいた。
周囲も微笑ましく、そして若干迷惑そうに二人を眺めていたが、ふと玄河の動きが止まる。
「あ」
ゾクリと背筋に寒気が走る。武城は、これまで何度も聞いてきた「あ」に、反射的に緊張した。
「は? なに。やめて」
「え?」
「え?」
「ナメコっち見つけただけなんだけど?」
玄河が指した先に込名が居た。いつも朝早く登校する彼女が、この時間に来るのも珍しい。
「あ……そう。そっか」
武城は肩を落とす。
「なに? なんかガッカリしてね」
「は!?」
「うわ、急に大声出すじゃん」
「なんでガッカリしなきゃいけないの!」
「あたしに聞かれても」
バッと玄河を振りほどき、彼女を正面から見る。
急に大声を上げるものだからクラスメイトもビックリして距離を取る。
蜘蛛の子を散らすように、二人の周りに空白の円が出来る。
「こっちは清々してるの! やっと解放されたんだから、なんでガッカリしなきゃいけないの」
「照れ隠しじゃん」
「なわけないでしょ!」
へらへらと笑いながら玄河が揶揄うも、武城は全身全霊で否定した。
あまりに強い否定に、玄河も目を丸くする。
「ガチじゃん……」
「あ、ごめん」
「いや良いんだけどさー……」
けれど、その否定は玄河に向けたものではなかった。
彼女が言うように武城は「ガッカリ」してしまっていたのだ。
そのことを指摘され、そのことに気づいてしまったことを否定したかったのだ。
強く否定すれば否定するほど、武城は自分の中にある「好奇心」を自覚してしまう。
玄河に「期待」する自分がいることを自覚してしまう。
「ねえマイタケ」
クラスメイト達が教室を移動し始めている中、玄河が呼びかけた。
「なに」
「赤い桜って知ってる?」
「は?」
ニコリと微笑む玄河。「いつもと同じ笑顔」に、武城は足先から全身を震わせる。
全身が性感帯になったかのように、ゾクゾクと鳥肌が立ち、玄河から目が逸らせなくなった。
玄河の陰にもう白い靄は無いというのに、武城は彼女の話に耳を傾ける。
二人を縛るものはもう何も無いはずだというのに、彼女たちの話は続く。
◆◆◆赤い桜◆◆◆
卒業おめでとうございます。




