第20話 踏み出した令嬢の初特命――封印の詠唱とレイノルドの一撃
ニコライの情けない呻き声が部屋に響く中、テーブルの上の赤いルビーが一瞬、脈打つように不気味に光った。
「エレナ、封印魔法は官吏登用試験の合間に教えたのを憶えている?」
静かな口調で、マインラートがエレナの双眸をまっすぐ射抜く。
「はい」
――いいかい、エレナ。封印魔法は魔法省の十八番だ。
途中で倒れれば大惨事になるから、体調管理をふだんから万全にしておくんだよ。
試験勉強の合間に気分転換に、と魔法を教えてくれたマインラートの声が頭の中で響く。
一つのものを封印するというのは、すべてを完全にやり遂げてこそ、封印が完了したと言える。
不完全な状態で終えるのは絶対に許されない。中途半端に終わる魔法が最も危うい。
「心の準備はいいかな?」
「大丈夫です」
エレナは自分でも驚くほどしっかりした声が出た。
「よろしい。では、まず何をするべきかな?」
マインラートは椅子に戻り、腰を下ろしながら、作業確認の質問をした。
「防音、防御、耐久強化、束縛――四重の結界を張ります」
「正解。一気に四つも張らないといけないけど、出来そうかな?」
「た、たぶん」
「そう。じゃあ、やってごらん。念のため、今回は特別に僕がエレナの張った結界のさらに外側に同効果のある結界を重複して張っておくよ」
「頼もしいです。あ、ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。
カシア、このテーブルのティーカップ、すべて片づけて」
「承知いたしました」
カシアはマインラートに命じられると、素早い動作でパッパッとテーブルの上を片付ける。
テーブルの上には、深緑の布に包まれている古代魔道具のみだ。
「行きます」
エレナがそう告げた瞬間、室内の空気がピンと張り詰めた。
すっと立ち上がって、胸の前で指を組み合わせる。
四つの魔法詠唱をマインラートに教えてもらったとおり、混ぜ合わせてから唱える。
「──静寂よ、降り立て。
この空間に響きを許さず、声を封じよ。
──守護よ、顕れよ。
壁も家具も砕かせず、力を増して耐え抜け。
──束縛よ、絡みつけ。
古き魔を逃さず、牢獄と化せ。
《封護結界》」
部屋の空気が徐々にふんわりと柔らかなものに変わる。
ぐっと外側が引き締まったような圧迫感を肌で感じた。
これで結界はできた。
続いてマインラートが意識を集中させた。
彼は巨大な魔法とその知識があるから、無詠唱でほとんどの魔法を発動させられる。
この国は数人しかいない完全無詠唱魔術師だ。
ぎゅっと、さらに身が引き締まったような感覚があった。
「僕のも出来たよ」
マインラートがにっこり笑った。
「な、何が起きてるんだ⁉」
動揺して声を上げたのは魔力量が最も少ないニコライだった。
「うっせぇよ。この凄さが分からない三下は黙っとけ」
ぽかっとクロフォードがニコライの頭を拳で殴った。
レイノルドが剣を抜いて構えた。
「エレナ嬢。こちらも準備万端です」
凛々しい眼差しのレイノルドに、エレナは視線を投げ、ゆっくりと無言で頷いた。
エレナはぐっと気持ちを引き締め、魔道具に両手を翳す。
魔法詠唱をマインラートに教えてもらったそのままを最初は唱える。
まずは基本の封印。
「──静寂の帳よ、降り立ちてこの場を包め。
響きを閉ざし、揺らぎを鎮め、守護の殻と化せ。
──光の鎖よ、顕れ出でよ。
古き魔を絡め、逃げ場を断ち、永劫の牢獄を築け。
──誓約の名において命ず。
この魔道具、二度と人の世に災いをもたらすことなかれ。
《封魔結界》」
魔道具が生き物のようにびくびくと動き出し、小さく暴れ惑い、宙に浮く。
ここからだ。
エレナの頭はひどく冴え渡っていた。
どんな魔術式を唱えればいいのか鮮明に分かる。
対象物に合った魔法に軌道修正しなければならない。
「──乱れし力よ、我が声に応じて静まれ。
逸脱の軌跡を正し、定められし道へ還れ。
──光の導よ、顕れ出でよ。
古の魔を絡め、揺らぎを鎮め、秩序の環へと束ねよ。
──誓約の名において命ず。
この魔道具、暴走を許されず、ただ制御の下に眠れ。
【修軌結界】」
魔道具の動きを抑え込むように、封印の魔法詠唱を唱え続ける。
キェェェェェェェ――――!
魔道具の中央の赤ルビーから声ならぬ悲鳴、
耳を覆いたくなるような断末魔に近い高鳴り声が部屋中に響いた。
その途端に、赤い霧がぶわっと霧散する。
エレナはすかさずその霧の魔法濃度を無効化する詠唱を重ねて読み上げる。
「──穢れし霧よ、光に抱かれて消え去れ。
魔の濃度を断ち、残滓を清め、澄み渡る空へ還れ。
──清浄の輝きよ、顕れ出でよ。
揺らぎを鎮め、静謐の調べを奏でよ。
【霧浄結界】」
赤い霧はあっという間に魔法効果を相殺される。
ますます魔道具は発狂するように暴れ出した。
(封印まであと少し)
根気よく封印魔法の詠唱を続けるが、ついに魔道具が鳥のように飛び上がり、
壁や窓へ次々と激しく衝突した。
部屋の中を狂ったように飛び交い、魔道具が封印をしようとする張本人のエレナを見定め、真っ向から衝突して攻撃をしようとする。
だが、すかさずレイノルドが横から飛び出し、立ち塞がる。
剣を振るい落とした。
レイノルドの剣閃が空を裂き、暴れる魔道具を正確に叩き落とした。
赤いルビーはその反動で粉々となった。
エレナの詠唱も終える。
これで封印は完了した。
部屋が静寂に包まれた。
ふうっと、エレナは息をついた。
砕け散ったルビーと金細工を深緑の布に拾い集める。
震える指先がそれをのせていった。
「──風よ、柔らかき抱擁となれ。
砕けし欠片を撫で、散りゆく残滓を集めよ。
──穏やかな息吹よ、導け。
深緑の布へと運び、安らぎの懐に還せ。
【優風抱擁】」
小さく飛び散った魔道具の欠片は風魔法で集めた。
思った以上に魔力を費やしたのだろう。
身体がふわりと揺れ、軽いめまいが襲う。
エレナは拾い上げたすべての魔道具を布に丁寧に包み、それをマインラートに両手で丁寧に差し出した。
「マインラート・ソシュール様。ここに、魅了魔法を宿した古代魔道具を封印したことを改めてご報告申し上げます」
「はい、確かに。お疲れ様です」
マインラートは満足そうに笑って布包みを受け取った。




