自他共に在る
「…………ここは」
自宅を出た瞬間、広がっていたのは満天の星空と水平線に向かって果てしなく広がる草原だった。このような景色は……恐らく日本では見られない。都会とは呼べない地方でも国の性質として平地が多いイメージはない。だだっ広い草原なんて……写真やテレビ越しにしか見た事がなかった。
「ジュード様! 何処ですか!?」
「…………」
天の川が良く見える。実際の景色ではないと分かっていてもこれは……ちょっと信じられない。草原を駆ける風も、舞い上がる草っぱの香りも、遠くの方から聞こえる川の音も実際に感じられるから。自分の意思でこの装置を起動したから騙されないだけで、例えば誰かに気絶させられて次に目覚めた時にこの景色が広がっていたら現実だと思うしかない。それくらい五感はリアルに機能しているし、フェイクの部分が見当たらない。
詳しい人間ならこれでも簡単に見破れるのだろうか。星の位置が違うとかで。
「ジュード様!」
「…………ニーナ? 何処に居るんだ?」
声は近くから聞こえるのにどう見渡しても姿が見えない。こんな見通しの良い場所で人間一人、それも動き回っている人間を見逃すなんてあり得ないだろう。透子の血から逃れようとまだこの身体にはジャックの血が流れている。真司と和解したお陰で俺はあの時殺されなかったようだが、喧嘩自体はきっちりしたので体の大部分が既に侵されている。それによって引き上げられた身体能力を考慮すれば、やはり見つけられないのはおかしい。
「大声を出せば、きっと見つかる筈よ」
背後から大地震が近づいてきたと思ったら、透子だった。気配が突然虚無から現れたと思えば今度は局地的な大地震により彼女の後方には底なしの地割れが広がっている。脳が情報を処理しきれない。
「透子。何でお前がここに?」
「厳密にはニーナちゃんのバイザーの動力として使われている私の血ね。あのバイザー、神経に接続されてるでしょ? だからあの子がこの装置で意識を再構築したら私の一部も巻き込まれるの。君にとっては透子であって透子じゃない……という認識で構わないわ。私に何を言っても本体には届かないし」
「―――意識を再構築する過程で一時的に同じ顔をした別人が生まれたみたいな事か。まあ透子は透子だし、俺からすれば何も変わらないよ。ただ地割れを作るのは危ないからやめてほしいんだけど」
「それは無理。私が貴方を抱きしめられたのは貴方がジャックの血で満たされていて単純に耐えられると知っていたからよ。ポッドに入って途中まで記憶処理を受けていたから力が弱まっていたけど、時間が経つにつれて影響は弱まる。私の力はとっくに私一人では処理できない程大きくなったわ。何とか出来る手段は見つかった?」
「見つかってたらこんなところで遊んでないだろ、きっと見つかるから心配しないでくれ。それより……この装置について知りたいな。リアルすぎてちょっとびっくりしてる。何処に嘘があるかを見つける方が難しい」
「さっきも言ったように私も詳しくないわよ? 分かる事があるとしたら、嘘はないって事」
「ない?」
「この背景はクロウが内部システムに侵入して選出してくれたプリセットの一つよ。コンソールがもうオシャカだから仕方ないんだけど……プリセットとして用意されている景色は極限のリアルを追求する為に人と手間をかけて選ばれた風景を徹底再現させているの。原理はニーナちゃんのバイザーと一緒で、様々な記録媒体を用いて五感に違和感を与えないような再現が為されているわ。匂いも感じるし、土を踏む感触はあるし、風の音も聞こえる。限りなく本物で偽物、ニーナちゃんが居ないのに声が聞こえるのは私達の現在位置は何も変わっていないから」
「―――あー、景色が進んでるから何処までも果てしなく広いように見えるだけで実際はそうでもないのか」」
しかし遠くに離れたという脳の感覚に寄り添っている為に互いの姿を認識出来なくなった、そういう事だろう。原理が分からなくても感覚で理解出来れば十分だ。俺達は意識だけを切り離されてここに居るのだから物理的な距離なんてそりゃ離れる訳がない。
「お前の頭のプログラムも記憶を参照するんだよな。やっぱりそういう技術が多いのか」
「参照した方がプログラム的に無理が生じづらいらしいわ。それがどうしたの?」
「参照先の記憶に問題があるからどうにかしようって話なんだから、問題のない記憶を参照させれば解決しないかなって……」
「プログラムの改竄ね。口で言うのは簡単だけど、方法がないでしょ。君は優しいから言わないようだけど、ロジック・コードでプログラムを乗っ取った方が余程楽に済むわよ」
「それは嫌だ! 好きな人にそんな事出来る訳ないだろ! それに……コードに頼ったらまた別のトラブルを呼び込むだけだ。出来ないよ」
コードに頼り続けなければ透子を地上に戻せず、コードを手元に残し続ければまた別の悪意がいつかきっと俺達を狙う。かといって遠くに保管すれば透子に問題が起きた時に対処出来ず、保管した事がバレたら気づかない内に略奪されている可能性も考えないといけない。こんなのは自由じゃない。
「ジュード様! ようやく見つけました!」
空気の読めない……なんて言い方は意地悪だが、ニーナの明るい声が聞こえなければきっと思考に没頭していた。振り返るとさっきまで見えなかった少女がすぐ近くまで駆けてきていて―――
「……に、ニーナ! お前……」
バイザーをつけていない。澄んだ瑠璃色の瞳を輝かせて近づいてくる。出会った時から両目を失っていた少女のかつての美貌を―――ようやく、見られた。見てしまった。
「お前、目が―――!」
「うわあああ! ジュード様のお顔が見えません! 透子様のお顔は見えるのにどうして!?」
ハグを受け止めようと構えた両手が手持無沙汰になる。想定外の事態にニーナは涙目になり、俺は困惑していた。つまり、なんだ。俺は一方的に彼女の顔が見えているのに、彼女には俺の顔が見えていないと。
「出会った時には既に全盲だったから、難しいでしょうね。首から上にモザイクでもかかってるんじゃない?」
「俺はどうしてニーナの顔が見えるんだよ。会った時に無かった条件は同じだろ!」
「お父さんに会ったじゃない、私達。ならそれで補完出来る筈よ。君がニーナちゃんと同じ国の出身だったらもしかしたら似たような顔立ちを組み合わせる補完がされたかもだけど、ここは日本で、会った場所は無国籍の混沌、悪党の楽園。類似する情報が存在しないんじゃ顔だって見えないわ。多分だけどね」
「じゃ、じゃあお前は!?」
「バイザー越しに繋がってるせいで認識出来たみたい。こっちは多分じゃなくて確信」
そ、そんな馬鹿な話が。
今更顔を見られるのは緊張すると確かに考えたが、それで実際回避出来てしまうとそれはそれで反応に困る。俺だけがニーナのかつての姿を見られるのもズルをしてるみたいじゃないか。
「透子様! 視力を回復出来る方法はございませんか!? 一度だけ……たった一度でいいのです。ジュード様のお顔を……拝見したく……!」
「私に言われても……川箕さんの改良に期待するしかないわね」
「そんなあ…………」
「ま、まあそう落ち込むなって。俺達はこれからも一緒だからさ」
「うう……ジュード様ぁ」
その後、仮想空間の性質を生かしたかくれんぼを三人でした。鬼は俺で、二人が隠れる。
一時間、見つからなかった。
「ごめん、まだ時間かかりそうだからもうちょっと待って! ていうか数時間で治すとか無理過ぎない!?」
「<ごちゃごちゃいうな、停電したら終わりなんだぞ。俺の言う通りに動けばいいだけなのになぜ構造と理論から理解しようとする!? 俺が何から何まで知ってると思うなよ!>」
「だって、こんな技術に触れる機会二度とないかもなのに! それに理屈が分からないとトラブルが起きた時に指くわえるしかないじゃん!」
「……」
川箕が一人で喧嘩をしている。三人で遠巻きにその光景をぼんやり眺めていると、ニーナが思い立ったように手を上げた。
「私、お姉様に加勢してまいります!」
「な、何が出来るんだ?」
「お姉様をイジメる悪い人を怒るんです! コラ、お姉様をイジメないで下さいませ!」
「<なんだお前は!?>」
遊んで気持ちを高ぶらせてしまったせいでもう収拾がつかなくなってしまった。手がかりが見つからないので仕方ないが、だからといって遊んでいる暇があるとは言っていない。
けど、丁度いいタイミングか。
「透子。クロウの部屋に案内してくれないか?」
「急にどうしたの?」
「なんか、心残りがあるらしいからさ。俺が代わりに消化しようかなって」
「……私も一緒に行っていい?」
「案内を頼むんだからそのつもりだよ。頼んだ」
二人きりの時間は……いつぶりだろう。まだそんな大して長い時間は経っていない? それでも、色々あった。時間の長さでは語れないような密度で沢山。名前を捨て、善良を捨て、命を捨て、未来を捨てそうになった。それでもまだ足りなくて、度重なる奇跡と縁によってどうにか願いは実現した。それでもまだ足りない。あともう一歩だけ。透子とこれからもずっと一緒に居たいという願いを叶えるにはまだ足りない。
最期に下せなかった選択とは何だろう。クロウは俺と同じくらい透子を助けたいと思っていた。年月で言えば彼の方が圧倒的に先で、未来を視るという方法で圧倒的な試行回数を稼いで尚、記憶を消すのが最善だと至った彼が下せなかった決断とは。あの時は俺も頭に血が上っていたから気が回らなかったが記憶を消すという事はクロウ自身の存在も透子から消し去ってしまうという事だ。人造人間達の青春は実験と共にあった筈で―――それでも助けたいと実行した男が、選べなかった。
―――自分から選択の余地をなくして選ぼうとはしてたけど、それが限界なんだよな。
「透子。この艇が何処に向かってるかってクロウから聞いたりは?」
「さあ、私は何も。どうして急に?」
「何年も前から未来を剪定したり研究区画を動かせるように改造したりやる事が一々大がかりだろ。思い当たる節があるんじゃないかなって思っただけだ」
「あっても、今回の件とは無関係じゃない?」
「そうかもしれないけど、やると決めたらどんなに手間取ってもやる男がしたがらなかった決断がやっぱり思い当たらないんだよ。ちょっと怖いくらいだ」
「―――」
最奥の部屋は瓦礫で塞がれていたが今や片手で簡単に除去出来る。部屋の奥に進むと培養カプセルが別電源に繋がれた状態で稼働し続けており、中に居る人間を見て俺は声を失った。
「……………………………」
「夏目君、これは……」
「…………ああ」
「弟想いな兄で困っちゃうな。ほんとさ」




