触れた指先
パン屋さん、クレープ屋さん、かわいい雑貨屋さん。魔法道具屋さん、コーヒー屋さん、洋服のお店、宝石のお店。
演舞の時間が始まったところで少し落ち着いたとはいえ、まだまだ人通りは多いままで。
その人混みを縫うように、ゆっくりと、私たちは歩いた。
右手は今にも離れそうな緩さで繋がれたまま。いや、なんだっていうんだ、これ。さっきからシリルが何も言葉を発してくれないので、私としても問いただせない。
いつもは私があっちこっち行ってしまうのを、シリルが犬を散歩する飼い主の如く後から着いてきてくれるのが常なのに、今日は私が彼に手を引かれている状態だ。困ったなあ、と思う割には、どういうわけか振り解けない。心臓はバクバク鳴りっぱなしだ。疲労と暑さで、流石のシリルも頭がおかしくなってしまったのだろうか。
こうなったら、現実逃避しかない。私は通りすがりの露店の商品に意識を向けることにした。
「あ、美味しそうなソーセージ」
「どれ?」
シリルが少し身を屈めて聞いてくる。あっちの肉屋さん、と指さすと、ああ、と彼は頷いた。
「ホットドッグなんかもありそうだな」
「いいね。食べる?」
「食べる」
シリルからの即答に思わず笑った。私もお腹が空いてきた。朝グラノーラをかきこんだきりだもんね。そろそろ体が栄養を欲している。めいっぱい働いたもの。
店主らしきおじさんにホットドッグを頼むと、手際良く用意してくれた。屋台料理って、できていく過程を近くで見られるのも楽しみだったりするよね。ソーセージを炙ったいい香りが鼻を刺激する。
「はいよ」
「どうも」
おじさんからドックを受け取る時にするりとシリルの指先が離れていって、私はひっそり安堵した。緊張、バレていませんように。本当に。
シリルが受け取ったホットドッグを一つもらった。さっそくかぶりつく。パリッ、としたソーセージの皮を歯が突き破ると、肉汁がぶわりと溢れてくる。うわ、あっつあつだ。そしてジューシー。マスタードとの相性も最高だな。そしてこのマスタードソース、お店の手作りと見た。
「んんん、美味しい!」
思わず独り言が漏れる。おじさんはいかつい顔を崩してにっこり笑った。
「美味そうに食べてくれるじゃねえか、お嬢ちゃん。どうだい、ビールもあるよ」
「うわー間違いないやつ。けど今日は遠慮しておくよ。これからもうひと踏ん張り、仕事があるからね」
本当は苦いお酒があまり得意じゃないだけだけど、ここは丸く乗り切ろう。シリルも甘党だし、確かお酒はあまり好きじゃないはず。と思ってそっと確認したら、案の定見向きもしてなかった。視線はどうやら、すでに違うお店に向いているらしい。何か美味しそうなもの、見つけたかな。
「それよりおじさん、このマスタードソース、自家製でしょ」
「お、すごいな嬢ちゃん。分かるのかい?」
「分かるよ。ぜんっぜん違うもの! ねえねえ、何が美味しい秘密なの?」
「ふふん。それは教えられねえなあ」
「そこをなんとか!」
私はホットドッグを食べ終わるまで粘って、美味しいマスタードソースのヒントを聞き出すことに成功した。今度の試作で試してみようと思う。ふふふ、また楽しみが増えたな。
「アナベル、あっちにライスコロッケが」
「よっしゃ行こう」
私がガッツポーズを決めて意気揚々と歩き出すと、シリルがまたさらりと手をとってきた。
え? それ、さっき終わったんじゃなかったんですか?
「シリル、あの」
「うん?」
「手が……その」
「うん」
「どうした、の?」
「うん」
あ、ダメだこれ。
シリルは全然私の方を見ないし、絶対に聞こえているはずなのに明らかに生返事である。
こういう時のシリルは、何を質問しても絶対に答えてくれないと私は知っている。都合の悪い時か、自分の意見を押し通したい時に使ってくる、彼の常套手段である。普段は鷹揚に構えていて、誰よりも大人っぽいのに、急に子供みたいな態度で私を困らせてくるのだから、タチが悪い。
アレなのかな。ついにシリルの中で、私の立ち位置が『庇護しなければならない三歳児』から『常に手を握っておかなければどこへいくか分からない三歳児』にまで格下げされたのかな。いくらお祭りで浮かれているからって、流石の私も歩き慣れた王都で迷子になったりはしないと思うんだけど。
もしくは、ペットの散歩のつもり?
彼の指先を少しだけ強く握り返すと、それに応えるようにシリルも私の手をぎゅっと握った。
うん。分からん。
私は本日二度目の現実逃避を決定した。
「た、ただいま」
「おう、おかえりアナベル!」
こそこそと天幕へ戻ると、兄が機嫌良く出迎えてくれた。シリルはあっさりと手を離すと、何事もなかったかのようにさっさと準備して、もう売り場に戻ってしまった。相変わらずの切り替えの早さである。もういいや、さっきまでのことは全部忘れることにしよう。考えるだけ時間の無駄だし。シリルが何も言ってこないということは、たぶん深い意味はなかったんだ。きっとそう。というか、そう思わないとやっていられない。翻弄されるのも馬鹿みたいだし。
「楽しかったか?……うん、楽しかったみたいだな」
「まだ何も言ってないんだけど」
「顔見りゃ分かる」
ドヤ顔で私を勝手に分析した兄は、私の頭をぐりぐりと撫でた。一応抗議はするけれど、あまり意味がないのはわかっている。兄にとっては何歳になっても妹扱いだということか。
「ところでアナベル。だいぶ頑張ったんだが俺!」
兄がキラキラした顔で指差した先には、なんとグラノーラのお土産袋の山が数えられるほどになっていた。
「え、すごい!? どうしたの、私たちそんなに長いこと留守にしてなかった、よね」
「いやそれがな、父さんが商人魂発揮してめちゃくちゃほうぼうから注文とりまくってたらしくて、それを配達に行ったのと、さっき3組くらい『主人が気に入りまして』とか言う執事たちが来て、山ほどグラノーラ買って行ったんだ」
すごくない? 奇跡じゃない? とはしゃぐ兄に、私はちょっとだけ遠い目になった。
父さんの活躍は素直にありがたい、けれど。
その大量買いしていったところの『主人』って、もしかして隣国のエドワード王子のところとか、四大魔術師のアローラ家とか、はたまたその婚約者のアーサー王子のところとかじゃないだろうな。私がいない時でよかった、もし私がいて正体に気づいてしまったら、恐れ多さで失神するところだった。
「と、いうことは……魔術師寮のビュッフェの方にもレオナルドさんが補給してくれたっぽいから、あとこの一袋だけ?」
「そういうことになるな。アナベル、終わりが見えてきたぞ!」
やったー! ここまできたらもうほぼ大成功じゃない? 私が料理番をクビになることはないんじゃない! ねえイアンさん、料理長!
飛び跳ねて喜びたい気持ちをグッと堪え、私は神妙な顔つきを作った。
「兄さん、東方の国の格言には『家に帰るまでが遠足』っていうものがあるらしいよ」
「うん?」
「私たちもその心構えで望むべきだと思うんだ。『祭りが終わって屋台を撤収するまでが祭り』! 一秒たりとも気を抜いてはいけない、ってね」
「……お前、そういうことは鏡で自分のゆるゆるに緩み切った表情を見てから言った方がいいと思うよ」
あれ。やっぱり引き締めきれてなかったか。
何はともあれ、これでゴールが見えてきた。しっかりみんなにグラノーラを配り切って、最高の気持ちでパレードのみんなを見届けよう。私は改めて決意して、そこから必死でまたグラノーラを配り始めた。




