後編
「これでよし……っと」
聖水や単純な罠をいくつか仕掛け終わった俺は大きく伸びをした。
今回の任務は西区担当の悪魔祓い師たちの補助だ。
東区は元々単体の強い悪魔が時々現れるだけの特殊な地区で、故に担当も俺ひとり。他の地区と違い悪魔祓い師同士の交流はない。
だから共闘は難しいと判断されたのだろう。今回も単独で動くタイプの任務だ。
(だけど、こういう仕事のがありがたいな)
武器として支給されている銃は昔から使う度に酷い倦怠感に苛まれたトラウマがあり、もう平気になったとはいえ未だにちょっと使うのに抵抗がある。
それになにより悪魔と直接戦わなくていい。
(戦えない……なんてことは流石にないけど)
物心つく前からずっとやってきたことだ。
自分が悪魔を倒すのに躊躇するなんてことはまずないだろうが、なんとなくシェリーと顔を合わせに辛くなる気はするし、それは嫌だなと思う。
「きゃああああっ!!!」
とはいえ任務であればこなさなければならない。
というか大抵のことは頭で判断するより先に幼い頃から執拗に躾けられた身体の方が動いてしまう。そこに俺の意思はない。
だからそもそも躊躇なんて選択肢すらないのだ。
「っあの、こちらで悲鳴が聞こえましたが大丈夫ですか?」
「きゃーあ♪悲鳴、上手だった?ふふふ、ひっかかった、ひっかかったね?」
「チッ」
罠だ、と理解するより前にやはり反射的に身体が動いた。
ホルダーから銃を引き抜き、襲いかかってきた腕を払い除ける。
そのまま流れるように足に弾を撃ち込むと、狙い通り動けなくなった悪魔が悲鳴を上げた。
「ああ違う!悪魔祓い師だった!っやだ、いたい、怖い……怖いよぉ!!」
そう、勝手に動くはずなのだ。
たとえ、久しぶりの実戦だったからといって。
たとえ、油断してたからといって。
たとえ、不意を疲れたからといって。
たとえ、相手が女の子だったからといって。
たとえ、緋色の瞳が彼女を思い起こさせたからといって。
いつも通り正確に標準を合わせた銃の引き金を引くくらい、躊躇うはず、なかったのに。
「……あれ、なんだ、撃てないんだ?じゃあ、死んじゃえ」
耳元で囁きが聞こえた次の瞬間、物凄い力で吹き飛ばされる。
受け身を取り損ねた身体が叩きつけられ、折れた骨が内臓に刺さったのがわかった。
逆流する血を堪えきれず吐き出す。
(まず……い)
あたりどころが悪すぎる。完全に致命傷だ。
気を失っては駄目だとわかっているのにもがく事すら出来ないまま、耐えがたい痛みから逃れようとする本能が意識を急激に遠ざけていく。
「だから言ったでしょう」
痛覚も、聴覚も、視覚も、全ての感覚が遠くなっていく中で、その花の香りだけはなぜだかはっきりとわかった。
「……でも、わたしの方こそ貴方を傷つけさせてしまうなんて一生の失態よね、ごめんなさい。お詫びに後のことは任せてもらって構わないわ。…………おやすみなさい」
(シェ……リー……?)
もし彼女だったら、ここから逃がさなくては。
悪魔も、悪魔祓い師も大勢いる危ない場所になんていさせたくない。
そう思っても、もう口が開かない。
気付けば指ひとつ動かせなくなっている。
それでもどうにか、残り全ての余力を使って喉を震わせた。
「……げろ」
伝わった、だろうか。情けないがもう確認する事も出来そうにない。
鮮やかな緋色が哀しそうに視界の端で揺れたのを最後に、俺の意識は闇に落ちた。
* * * * * * * * * *
……誰かに、頭を撫でられている気がする。
いや、違う。誰かじゃない。
だって俺は、この冷たくて優しい手をよく知っている。
「…………シェリー?」
「おはようございます、ダーリン。身体はどう?」
「え、ああ、別になんともない……なんともない?」
さっきまで虫の息だったはずなんだが。
起き上がってぺたぺたと身体に触って確かめるが、なぜか全然まったく痛くない。
首を傾げながら元気に自分の体を点検しまくる俺をみて、シェリーは心の底から嬉しそうな笑顔になる。
しかし直ぐにその笑顔には暗い澱みが混じった。
「ね、ダーリン」
「どうした?」
「…………えっちしましょ」
何度も繰り返されたやりとり。
けれど思い詰めたような彼女の様子にいつも通りの返しなんてできるわけもなく、咄嗟に言葉を飲み込む。
そんな俺の態度が拒絶しているように見えたのか、彼女は焦ったように言葉を重ねた。
「だ、ダーリンは難しく考えすぎだと思うの!責任を取る必要なんてないし、ちょっとわたしに身を任せてくれれば」
「……シェリー、なにかあったのか」
「っ……」
「なら、話してくれ。俺じゃ頼りないかもしれないけど、お前の力になれるように頑張るから」
下から覗き込んだ彼女の顔は、泣きそうに歪んでいた。
どうしていいかわからないながらも、それでも何かしなければとそっと腕を引く。
引き寄せられるままに抵抗なく近づいてくる無防備さは、まるで迷子の子供のようだ。
彼女がよくしてくれるように手を握ると、いつも嬉々として絡めてくる指が弱々しく握り返された。
「あの、ね。わたし」
溢れかけた言葉は、突然ふわりと巻き起こった風に遮られる。
「ここにいらっしゃったのですか」
聞き覚えのない低い声。
小さな舌打ちと共に手が解かれたのに気がつく余裕もなく、俺は目の前の存在の毒気に当てられてしまった。
現れたのは長髪の白髪が特徴的な、見覚えのある紅い瞳をした男。
……教会で一瞬目があった、あの人だ。
今なら彼が幽霊ではないとはっきりわかるが、こんなことなら幽霊の方が余程マシだった。
動転していたから気がつかなかったがこの気配は、
(貴族だったのか!)
悪魔の中でも飛び抜けて強い者とその一族には階級が与えられる。
仕事で多くの悪魔と関わる俺でもほとんど見たことはないが、この気配の強さは間違いない。
しかも少なくとも昔戦った子爵より上の階級だろう。
(っシェリーを逃さなければ)
相手の狙いが俺と彼女どちらかはわからないが、こうして会っているところを見られてしまった以上、人間に肩入れしている彼女がどんな目に遭わされるかわかったものではない。
不覚をとったばかりで自信がなくなりそうだが、多分隙さえつければ時間稼ぎくらいはできる。
「シェリー!!俺の後ろ、に……」
俺の存在なんて意にも解さないように男が、跪いた。
悪魔の中でも上位の存在であるはずの彼が深く、深く首を垂れて服従を示す。
その先にいるのはーー
「お嬢様。旦那様方がお待ちです。早くお戻りになられますよう」
「時間稼ぎもできない無能が側近だなんて恥ずかしいわ。外へ恥を晒す前に殺してしまいましょうか」
いつもの感情豊かなそれではない。
死を語るにしては酷く淡々とした口調なのに、彼女の気分ひとつで己は殺されるのだとそう確信できてしまう、甘やかでどこまでも冷たい声。
毒花の刺のようなそれを向けれてなお男の涼やかな美貌は歪まなかったが、それでも次に発した声には微かな緊張が滲んでいた。
「恐れながら。お嬢様は既にその者に3年を費やしました。もう時間切れでしょう。これ以上は無駄なことかと存じます。……それにお嬢様が人間を救うために会合を抜け出しましたことを旦那様は」
「余計なことばかり言うのね。伯爵家の者如きに口答えを許した覚えはないのだけれど。……いい?するべきことはひとつよ。わたくしが戻るまで代わりに父様たちのお相手をなさい。できないようなら貴方は要らない」
「…………御意」
小さく呟いた男が姿を消すまで頬杖をついたまま身動ぎもしなかったシェリーは、その気配がなくなってようやく表情を緩める。
そして動けない俺の方へ視線を向けると、秘密を見られちゃったわね、と困ったように笑った。
「シェリー、お前」
「最上位の悪魔はその存在をマザーにすら感知させません。本当に危ないものは大抵、羊の皮を被っているの。……覚えておいてね、ダーリン」
「……淫魔じゃなかったのか」
今さら彼女がどんな存在だろうが構わない。問題はそこじゃない。
(言わないのはよくても嘘はちょっと酷いんじゃないか)
じとりとした目で抗議すると、シェリーは気まずそうに視線を彷徨わせた後、俺を睨み返して負けじと頬を膨らませた。
「さっ先に勘違いしたのはそっちよ!?淫魔は好感度高いとか言われたら訂正し辛いじゃない!!」
「そういう風に略されると俺が淫魔好きみたいで遺憾なんだが!っじゃあキ、ス……とかはなんだったんだよ!?」
「好きな人とち、ちゅー……したいのは普通でしょ!??」
えっちょっと待って。
「好きな、人?…………俺?」
思いもかけない言葉に頭が真っ白になる。
脳が勝手に何度も何度も反芻するが、それでもいまいち理解が追いつかない。
今度は俺がおろおろする番だった。
動揺から忙しなく身体を動かしていると、唐突に寒気に襲われる。
「ふーん」
どこまでも甘く、優しく、殺意の籠もった声。
壊れた絡繰のようにぎこちない動きで彼女の方へ顔を捻ると、先ほどまで男に向けていたものと同じ、いやそれ以上の冷ややかな視線とかち合ってしまった。
正直幽霊なんて比較にもならない恐ろしさに背筋が震える。
「い、一度もちゃんと言われてなかったから仕方ないだろ……と思い、ます」
そう、明確な言葉はなかった。
自慢じゃないがそういうことに対する経験値が皆無な俺に察することを求めるなんて無理がある。
え、うん、そうだよな?これ割と理不尽な怒り方されてるよな?されてる……はずなのになんだか全面的に俺が悪いような気がしてしまい、懸命に言い返す言葉にも覇気がない。
逆に弱々しくも反撃されたことに苛立ったシェリーが爪先でとんとんと床を叩く音だけで、身体がびくりと跳ねた。
「じゃあ3年もずーっと一緒に居たのに、貴方はわたしが誰にでもあんな風に迫るって思ってたわけですね?」
微塵の甘さもない、責めるような、それでいてほんの少し悲しそうな声色で彼女は言う。
しかしそれを気遣う余裕もなく、彼女のその言葉に殴られたような衝撃が頭を巡った。
……彼女が他の人にも同じように?
触れて、口付けて、あの優しい顔で笑いかける?
「…………嫌だ」
「〜〜っだから!!やってないってば!!!」
そうか、よかった。
胸を撫で下ろして突然暴れだした自分でも驚くほどドス黒い感情を、戸惑いながらなんとか深呼吸で宥める。
同時にようやく思考が回り出した。
「……時間切れってどういうことだ」
あの男は確かにそう言っていた。
嫌な予感にさっきとは違う意味で心臓が脈打つ。だけど、今ここで聞かなければと直感が警鐘を鳴らした。
思わずと言った体で逃げかける身体を指を絡めて繋ぎ止める。
そのまま俺に詰め寄られ、シェリーは観念したように肩を竦めた。
「……悪魔って案外処女厨なのよ」
「しょ」
じょ?
唐突な単語に目を瞬く。
呆気に取られた顔の俺を見て可笑しそうに笑って、彼女は逃げるのをやめた手を今度は確かめるように強く握り直した。
「わたしね、婚約しろって言われてるの。さっきのやりとりでわかったとは思うけど、その、わたし貴族だから。婚約とかほんとは当たり前のことなんだけど、でも兄様を差し置いて結婚して家を継ぐなんて嫌だったから反発して家を出たの。……3年前の話よ」
その先は、言われなくてもわかった。
家を出た彼女はきっととても悩んで、そして俺と彼女が出会ったあの夜に繋がるのだろう。
「貴方を選んだのは都合が良かったから。わたしと関係を持ったら悪魔や普通の人間は腹いせに殺されてしまうでしょう。でも教会の庇護下にある悪魔祓い師なら貴族は誓約があるからそう簡単に手を出せない。……純潔を捨てるだけなら相手は誰でもいいもの」
シェリーの瞳が所在なく揺れる。
過去を語る彼女の声には後悔と、痛みと、諦観が滲んでいた。
(そんなことで嫌ったりしないのに)
これ以上悲しい顔をして欲しくなくてこつん、と額を重ね合わせる。
ひんやりとした肌に擦り寄ると、今度は緋色のそれが溢れんばかりに見開かれた。
触れ合った肌から伝染する動揺と、泣きそうになるような恥ずかしさ。
それでもどちらも離れようとはしないまま、彼女は続けた。
「はじめは、変な人だと思った。わたしのこと普通の女の子とか、話せて嬉しいとか言うし。……なにより、他でもない悪魔祓い師が心から幸せな未来を描いているなんてって。それが不思議で、眩しくて、気になって、傍にいたくなって…………気付いたら、惹かれてた。…悪魔祓い師の寿命については知っているんでしょう?」
確認され、肯く。
悪魔祓い師は寿命が短い。
平均寿命は17歳前後だ。
訓練の段階での脱落者もいるから実際の平均はもっと若いだろう。
大半は戦闘の最中で命を落としているのだろうが、 30歳以上まで生きた話すら聞いたことがない以上、問題はそれだけではないに違いない。
「人間にも少ないけれど魔力はあるわ。時間はかかってしまうけれど、練習して魔力量を増やしていけばちゃんと使いものになるの。……でも費用も時間もままならなかった人間は、代わりに命で代用することにした。悪魔祓い師たちは訓練によって寿命を魔力として利用できるようになるの。武器を使うたびに起こる目眩や怠さはそのせい」
「……まさか」
「うん。貴方についてはわたしの魔力を補填してる。すり減った命も少しずつだけど元に戻っているはずよ」
「補填って……魔族だって魔力がなくなったら大変だろ?お前、大丈夫なのか」
言葉に詰まった彼女はゆっくりと瞬きをして、くしゃりと顔を歪めた後、あの優しい笑顔になった。
「大丈夫。わたし、凄く…すごく強いのよ。……本当はね、ずっとそれが嫌だった。だけど貴方と会って、ようやく強い自分で良かったって思えるようになったの」
額が、離れる。
指が、離れる。
彼女が、離れていく。
「教会と交渉するわ。前々からの準備もあるし、婚約の条件にすれば父様も他の人も手を貸してくれるからすんなりいくと思う。貴方が悪魔祓い師を辞められるようになるまでの間は、さっきの悪魔に魔力を届けさせるから。そうしたら」
そうしたら、俺はまたひとりで生きるのか。
自由な、シェリーのいない世界で。
「時間を、くれないか」
「…………え」
今だって考えは変わらない。
そういうことは、一生を共に生きる人とだけしたい。
誰に笑われたって、求められたって変えられない。
だけど、だから、
「考える時間を、くれ……ください」
この期に及んでと詰られても、情けないとがっかりされても構わない。
どんな代償を支払ってもいいから、この願いだけは叶えて欲しかった。
出来得る限りの誠意を込めて、頭を下げる。
黙ってしまった彼女にこれ以上どう乞えばいいかわからなくて、今度は華奢な手を取って甲に口付けた。
「……頼む…じゃなくてお願いしま、す」
「え、え…………ええーーっ!??」
初めて聞くような彼女の大きな叫びと共に、色白な顔が瞳の色のように紅に染まる。
手の先まで全身驚くほど真っ赤だ。
涙目ではくはくと口を動かす様子が可愛くて跪いた姿勢で下から見つめていたら、凄い形相で睨まれた。
「っ追いかけてたときは全然相手にしてくれなかったくせに!!」
「俺なんかを好きになる人がいるなんて思わなくて。……本当にごめん」
「婚約ここまで引き延ばすのも大変だったのよ!?」
「全然気付けなくてごめん」
「今のは八つ当たりです!わたしが気付かせないようにしてました!!」
「そっか、ごめん」
「…………どうせ貴方のことだから、今でも後でも結論は変わらないと思う」
「ごめんな。俺、往生際が悪いんだ」
3ヶ月が限界だからと膨れっ面で譲歩してくれたのが嬉しくて、思わずシェリーを抱きしめる。
ああ本当、我ながら往生際が悪いと思う。
(だけど)
お互いの一生を決めることだから、どうかもう少し覚悟する時間をくれ。
お前に堕ちるのは、その後で。
拙者、甘いちゃ大好き侍と申す者。
好きな割に気がつけば毎回重い設定になっている気がする。
最初はかるーいラブコメ書こうって気持ちで始めるんだよ最初は。
今回はようやく軽いままのハッピーエンドでした(当社比)
5/2追記
なんだか読み返したらいちゃつきがちょっと足りなかった気がするので本編後のSS投稿するかもしれません。いいシチュの閃きさえ…降りてくれば……!!
それから遅れましたがブクマ&評価ありがとうございました!
遅筆なのも相まっていつも表現に詰まると書きたくない〜ってなるんですがフィードバックがあると次も頑張ろうと思えます…!!比喩でなく皆様のお陰で書けてます…!!