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五月に入った最初の土曜日、凪沙は、そわそわして落ち着きのない様子で何度も何度もスマートフォンで時間を確認していた。
お昼は一緒に食べようと約束をしたあの日から、凪沙と陽子は毎日、あの教室でそれぞれ弁当をつつく日々を過ごしていた。
陽子の友人達は凪沙に気を遣ってか、部活動の仲間や先輩達と食堂へ行くようになっていた。
陽子が友人達に凪沙のことを詳しく話したことはないが、それが陽子の優しさであり良い所だと知っていた彼女達はそれ以上何も追及しなかった。
彼女達も凪沙と同じように、陽子の優しさに多かれ少なかれ救われた過去があるのだろう。
凪沙は陽子にカフェオレを奢ってもらった次の日、お礼として同じカフェオレを二つ購入し、一つをそっと陽子に差し出した。
それは凪沙がこの学校で人のためにした初めてのことだった。コンビニやスーパーではあまり見掛けたことのない、ローカルでマイナーなパッケージは目を惹くデザインではないが、凪沙にはとても印象深く焼き付いていて、迷うことなく購入できた。
校内価格という制度で、それは一つ五十円で売られており、二本買っても百円ならば毎日買ったとしても月一万五千円の小遣いに余裕で収まる。凪沙はそうしようと決めていた。
それはそのカフェオレが甘すぎず、ミルクの味が濃く感じられて単純に好みだったことと、一瞬でも陽子に対して黒い感情が混み上がった事へのお詫びのような気持ちも含まれていた。
そんな後ろめたい心をカフェオレの甘さに隠しても意味の無いことは分かっていた。陽子はそんなこと微塵も知りはしないのだから。
けれどありがとう、と笑顔で受け取る陽子を見れば罪悪感が薄れていくのを、凪沙は確かに感じていた。
次の日、陽子は凪沙が売店へ行こうとするのを止めた。
凪沙を一人教室に置き去りにしたが数分後には前日の凪沙と同じようにカフェオレを二つ持って現れ、お礼のお礼だよ、と笑いながら片方を差し出した。
陽子と凪沙は、そうやっていつしか毎日交互にカフェオレを二本購入し、片方を相手に渡してから食事をとるようになっていった。
好きでも嫌いでもなかったカフェオレは、凪沙の中で特別なものへと変わっていた。
そうしていつものように過ごしていた昼休み、陽子は初めて凪沙の予定を尋ねた。
なにもない、と一言答える。凪沙は嘘が付けない。
その言葉を待っていたかのように、陽子はスマートフォンの画面を凪沙に無理矢理押し付け、見て欲しいとせがむ。
その姿勢に押されながらもピントを合わせたスマートフォンの画面が表示していたのは、女子中高生向けファッションブランドの新店舗オープンセールの文字だった。
それが何を意味しているのか鈍い凪沙は分からない様子だったが、そんな凪沙に陽子は一緒に行こう、と誘ってみせた。
家族以外の誰かと買い物に行くだなんて、何年ぶりだろうか。
衣服なんて着られればなんでも良くて、近くのカジュアル衣料品店で見繕うのが殆どだった凪沙は、こういう時にどういった格好をしていけばいいか分からないが、買い物に行くくらいで気合を入れるなんて変だと思われるのが嫌だった。
そもそもおしゃれというものに縁のない凪沙は、どんな洋服を選んでも変わり映えしない。
クローゼットをあけても、そこに並ぶのは殆どがモノトーンカラーのぱっとしない衣服だけだった。
結局凪沙は、黒いスキニーパンツと、グレーで薄手のドルマンスリーブカットソーを合わせることにした。
バッグといえるものを多く持っていなかった凪沙は悩んだが、財布とスマートフォンが入ればいいと小さめの黒いショルダーバッグを持つことにした。
足元は履き潰したが気に入っているハイカットのスニーカー。色は当然、黒だ。地味な色合いで纏めてしまったが、これでも凪沙の中では近所のコンビニへ行く時よりか幾分マシな格好だ。
陽子がどんな服装でやってくるのかは分からないが、何となくふわっとしたスカートを履いているのを想像した。
友人として一緒に居るのは相応しくないかもしれないと少し不安になるが、凪沙は制服以外のスカートを持っていなかったのでこれ以上は努力のしようがない。
けれど拭いきれない不安感はどうしようもなく、ベランダで洗濯物を干している母親の周りをぐるぐると回っては変じゃないか、と何度も何度も尋ねて待ち合わせまでの時間を潰していた。
毎日会話を重ねる度、凪沙は陽子のことを少しずつ知っていった。
その中で二人の家はそんなに遠く離れてはおらず、電車で精々二駅程度の距離だということも知った。
今日の待ち合わせ場所はそんな二人の家から丁度中間地点にあたる、最寄り駅から一駅先の北出口だ。初めて行く場所である。
凪沙は一度も行ったことのない場所へ行かなければならないとき、必要以上に不安がってしまう癖があるが、今日だけは違った。
陽子との約束は凪沙の心を明るくした。凪沙はあの日から少しずつ、自分の気持ちに正直になっていた。嬉しいことや楽しいことに素直になってみたら、一日一日が早く過ぎていった。
充実していると思えた。そんな風に過ごす自分を、ほんの少しだけ好きになれた。
待ち合わせは昼の十一時、陽子とはどこかで軽く昼食をとってからショッピングへ向かう予定を立てた。
何時に解散するかは未定だったが、凪沙は例え二時や三時に解散になったとしても良いと思っていた。
凪沙にとっては陽子と約束をし、陽子と一緒に遊びに出かけるということが重要なのであって、ただ数時間一緒に居られることを楽しみにしてきたのだ。
時刻は十時四十分。
少し早く着きすぎたかもしれないが、遅刻するより良いだろうとスマートフォンを見る。
メッセージが一件。受信時刻は十時二十二分、と表示されていた。
『おはよ! かなり早く着いちゃったから、駅前のコンビニで立ち読み中〜。』
コンビニ。
凪沙はその言葉を頼りに辺りを見回す。
青と緑の看板が雑居ビルの一階に入っているのが見える。目を細めて遠くを見ると、数人の男性客に紛れて雑誌をめくっている陽子の姿がウインドウ越しに確認出来た。
ああ、やっとこの日が来た。凪沙は思わず実感する。
『今、着いた。』
凪沙は初めて、陽子のメッセージに返信をした。




