第三百二話 派手
1
「ワームループの臨床実験は、さすがにマウスじゃ無理だしね」
赤城がクスリと笑う。
「被験体になるヤツが誰もいなかったんだろ」
シンが素っ気無く突っ込んだ。
「ははは、その通り。通り抜けた途端にバラバラになるかもしれない負のエネルギーをくぐるなんて、誰だってゴメンだろう」
赤城の声は穏やかだ。
「だが・・私は、自分の理論に万全の自信があったし、エリスの磁場はパーフェクトだった」
「エリスって?」
今度は環が突っ込んだ。
「ワームホールを生成するマシンの名前。エリスは・・まるで不安定な思春期の少女みたいだって教えられた」
シンが答える。
「短時間のワープから始めて、少しずつ重力と移動距離の数値を広げた。そうして、どんどん過去へ空間座標を合わせていったんだ」
赤城は無表情に語り続けた。
「そのうち・・座標を設置する空間をどこに置くかで悩み始めたんだ。初めは家のプールにしてたんだよ。ずぶ濡れになるが他人に見られないし、液体は衝突してもケガをしないからね。だが・・もっと過去に遡るためには、昔も今も変わらず存在する場所が必要だった」
「それが・・鳥居?」
環がつぶやく。
「そう。神社仏閣は何十年何百年間も、形も位置も変わることなく存在する。理想的なフィールドだ。だが・・」
赤城が眉を顰めた。
「何百年も保護されるのは国が祀る神社か歴史ある名刹くらいだ。そういった有名社寺を座標にすることはもちろんできない。人目については困る。名も無い鄙びた社寺で長く残されているところを探して・・やっと見付けた」
「ここの鳥居は、なんでか天昌時代まで残ってんだよ・・まぁかなりボロボロだけど」
シンが続ける。
環が天井を仰いだ。
「そうなんだ・・」
「私は愚かしいロマンチストで、鬼退治があったとされる平安京に行きたかったが、生憎、この鳥居の歴史を確認できたのは、幕末までだった」
赤城が薄く笑う。
「初めてここに出た時、私は村人に見つかって襲われた。そして気付いた時は麓の医者の家で寝かされていたんだ」
シンが腕を組んだ。
「井上さんと沖田さんが・・センセイを見つけたんだぜ」
「ああ・・知ってたのか」
赤城が驚いた声を出す。
「前に井上さんから聞いたんだよ。鳥居の前に赤鬼が倒れてたって」
シンの言葉に、薫と環も驚いた顔を見せた。
「井上さんが・・」
環が声を漏らす。
「そう・・手当をしてくれたのは安斎という医師だが、運んでくれたのは、同心の井上くんと目明しの弥彦くん。それから・・驚いたことに、新選組の沖田総司がいたらしい。残念ながら顔を合わせることは無かったがね」
赤城は苦笑するように眉を寄せた。
「そういえば・・井上くんが、お前たち3人は新選組の屯所にいると言っていたが・・土方歳三や近藤勇や沖田総司を見ることもあるのか?」
「ってゆうか・・薫と環は沖田さんから剣の稽古を受けてるけど」
シンが素っ気なく答えた。
「えっ、そりゃあ、すごいな」
赤城が本気で感心した声を出す。
「で、お前は?」
赤城に振られたシンが、顔を背けた。
「オレは・・斎藤さんに教わることが多いかな」
「斎藤って・・もしかして三番隊組長の斎藤一のことか?」
赤城の問いにシンが頷く。
「うん」
「・・・」
一瞬の沈黙の後で、赤城が口を開いた。
「派手だな」
「なんだよ、派手って」
シンが目線を上げる。
「沖田総司や斎藤一から剣の稽古を受けるなんて、歴史ファンなら泣いて喜ぶだろう」
赤城の言葉を、シンが軽く否定した。
「んな、いーもんじゃねーよ」
薫と環も同時に頷く。
「うん」
2
沖田が通された部屋には、火鉢と炬燵が置かれ布団が敷かれていた。
火鉢には赤い炭がタップリ盛られている。
布団をめくると布に包まれた温石が6つ置かれていた。
沖田の身体を気遣うお福の差配が伺える。
「あったけ・・」
炬燵に足を入れると声が漏れた。
ゴロリと寝転んで、頭の後ろで手を組む。
ひっきりなしに人が歩き回っている屯所と違い、この休息所は静かだ。
さきほど降り始めた雪の影が、月灯りで障子に映る。
沖田が休息所に移った理由は・・1人になりたかったからだ。
病が進むにつれ周囲の目線も変わる。
心配、気遣い、同情、労わり、憐れみ・・それらが沖田に向けられた。
正直・・「ほっといてくれ」「1人にしてくれ」と言いたかったが、そこまで傲慢にもなれない。
なんとなく居心地の悪い様子の沖田を見て、近藤が休息所で養生するよう誘ってきたのだ。
土方も賛成したらしい。
近藤も土方も、沖田のことを昔から弟同様に可愛がっている。
というか、溺愛に近い。
ふーっと息をつき、目を瞑る。
休息所は屯所の目と鼻の先だが、駕籠であちこち遠回りしたせいか、なんだか本当に遠くに来たような気分だ。
「あ~あ」
腕を伸ばして伸びをする。
すると・・
スラリと障子が開いた。
「沖田さま。まぁ、炬燵なんぞで寝はって。あきまへん、風邪引きますやろ」
お福が後ろ手で障子をピシャリと閉め、ズイズイと入って来る。
「あ・・はい」
沖田が慌てて身体を起こした。
(・・違う意味で緊張感あるなぁ)
沖田が身動きせずにいると、目の前にお福が膝をつく。
「寝間着ですわ。綿入れ半纏も、ほれ」
お福が厚手の寝間着と綿で膨らんだ半纏を置いた。
沖田が目線を落とす。
(これ・・お古じゃないな。わざわざ縫ってくれたのか?)
寝間着を手に取ると、目の前のお福を見る。
「・・なんですのん?」
お福が少し身を引いた。
「いや・・ありがてぇ」
沖田の素直な言葉に、お福が咳払いをした。
「な、なんも・・ほれ。近藤さまは今日はもう戻れんゆうとりましたさかい、沖田さまも、はよ休んどくなはれ」
「ああ、うん。これから世話ぁかけるけど、よろしく頼む」
沖田が軽く頭を下げると、お福が驚いて目を見開く。
「や、やめてくなはれ。お侍が女中に頭下げるやなんて・・」
お福にやめろと言われたので、すぐ頭を上げた。
沖田の犬レベルの従順さにお福はやや戸惑っている。
3
「私は言葉が分からないフリをしたんだ。安斎医師も井上くんも、私のことを身元不明の異人だと思っていたから・・それに乗ることにしたんだよ。動けるようになったらすぐ戻るつもりだったから」
赤城が話を続けた。
「だが、肋(アバラ)にヒビが入ったらしくて息をすると痛むもので・・すぐに抜け出すことが出来なかった」
ため息をつく。
「天昌に戻る復路は・・24時間置きに10個生成していた。念のため多めに作って正解だった」
「じゃあ・・戻れるチャンスは10日ってこと?」
環が訊いた。
「そういうことになるね」
赤城が答えると、今度はシンが訊いてくる。
「無事戻れたってことだよな。オレと天昌時代で暮らしてたんだから」
「ああ・・なんとかギリギリで間に合った」
赤城がポツリと言った。
「あたし達を江戸時代から連れ出したのって・・その時?」
今まで黙ったままだった薫が、突然訊いてきたので、赤城が驚いた顔になる。
「いや、違う。あの時は・・私は一人で天昌に戻った」
「井上さんは、赤鬼が逃げたって言ってたけど・・誰にも気づかれなかったの?」
シンの問いに、赤城から意外な言葉が返ってきた。
「私を逃がしたのは安斎医師だ」
「え?」
薫と環が、同時に声を出す。
「井上くんと弥彦くんが交替で私を見張った。何せ国籍不明の外国人と決め付けてたからね」
赤城が頭を掻いた。
「まぁこのナリだから・・普通の反応なんだが」
穏やかな声で続ける。
「だが・・安斎医師は、ただのケガ人として私を扱ってたように思う」
「安斎先生って人のこと・・聞いたことあります。南部先生と井上さんから」
環がポツリと言った。
薫が横を向く。
「え、いつ?」
「前に診療所に行った時。安斎先生っていう医師がいたんだけど、あの大火事で亡くなったって」
環の言葉に、赤城が目を見開いた。
「そう・・か」
「はい、逃げ遅れた人を助けるために火の中に戻って・・そのままだったって」
環の言葉に、赤城は無言になる。
「井上さんと仲が良くて、腕の良いお医者さんだって言ってました」
「ああ・・」
今度はポツリと頷いた。
「禁門の変の大火事か」
シンがつぶやく。
「もともと私は、禁門の変が起きる前に戻る予定だったから、7日を過ぎるとかなり焦り始めた。そこで・・言葉が分からない芝居を止めて、安斎医師に頼んだんだ。逃がして欲しいと」
赤城の顔は少し苦しげだ。
「安斎医師は驚いた顔も見せずに、分かったと言って、翌日の夜、見張り役の弥彦くんに薬草を混ぜた酒を振舞って眠らせてくれたんだ」
赤城の声には感謝の気持ちが滲んでいた。
「抜け出す前に安斎医師に言った。まもなく大火事が起きることを。長屋は無事だが、診療所は火の海になるから、戦が起きたら一目散に逃げてくれと」
赤城の言葉を聞いて、シンがつぶやく。
「・・タイパト法違反」
「あの時はそんな法律無かったからね」
赤城がアッケラカンと応えた。
「安斎医師はキョトンとした顔をしたが、笑い飛ばさずに頷いたよ」
「でも、結局・・逃げなかった」
環がつぶやく。
「ああ・・」
突如、赤城が東北訛りを発した。
「わがっだ、気つげる」
「あの時の声が・・戻ってからずっと、頭から離れなかった」
赤城の目に涙が浮かぶ。
「本当に・・彼等に感謝してるんだ」