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孤独なプリンセス

静寂に包まれた森の広場に、鈍く激しい打撃音が響き渡り、大自然の静けさを切り裂いていた。


ドカッ!

ドカッ!


岩肌に何度も何度も拳を打ち付けているのは、ナカムラ・ライデンだった。しかし、その巨大な岩塊には傷一つ付いておらず、最初の日と変わらず冷然とそびえ立っている。対照的に、少年の両手は完全にボロボロだった。荒れた指の間から新鮮な血がゆっくりと流れ落ちてゴツゴツした岩肌を赤く染め、拳の肉は削れ、関節の白い骨がのぞき見えるほどだった。


「うっ……はぁ……」


ライデンは痛みに耐えかねて押し殺したようなうめき声を漏らし、激しく震える己の両手を見つめた。


肉体の苦痛は凄まじかったが、彼の決意の炎が消えることはなかった。残されたわずかな力を振り絞って歯を食いしばり、再び拳を持ち上げて岩へと打ち下ろした。


ドカッ!


跳ね返ってきた衝撃はあまりにも凄まじく、彼の両足は崩れ、その場に激しく膝をついた。拳の突き刺すような激痛は次第に薄れ、代わりに冷たい痺れが広がり、視界がかすみ、曇っていった。血を流しすぎたのだ。痛みと疲労にこれ以上耐えることができず、彼の体はそのまま崩れ落ちた。


ライデンが意識を取り戻したときには、すでに夜が訪れていた。素朴な丸太小屋の中のベッドに横たわっている彼は、譫言うわごとを漏らすほどの激しい高熱で体が火照るのを感じていた。額には濡れタオルが置かれ、頬を伝う冷たい汗を冷ましていた。


枕元では、老人の逞しいシルエットが静かに彼の看病をしていた。祖父は、厳格さと深い懸念が入り混じった眼差しで、孫のボロボロになった拳を見つめていた。


「ライデン……お前はワシの想像以上に無理をしておるな」


老人は珍しく優しい声で呟いた。視線を落としたその瞳には、初めて陰りが宿っていた。


「我が孫よ……お前との約束を破ることになってしまうが……」


老人は、溢れ出しそうになる感情を抑え込むように、包帯の巻かれた己の拳を強く握りしめた。


「だが、ワシの孫に、自分が世界のバグだと思い込んだまま育ってほしくはないからのう……」少年の青白い顔を見つめながら、老人は付け加えた。「案ずるな、傷が癒えるまではワシが面倒を見てやる。だが、よく分かっておるはずじゃ……この道は、最後にはお前が一人きりで歩まねばならんということを」


一週間後、ライデンの傷はようやく塞がり始めたところだった。両手を包む厚手の包帯には、あの過酷な修行の証であるかさぶたと乾いた血痕が未だに残っていた。


祖父は裏庭で彼の前に立ち、いつものように堂々と腕を組んだ。


「お前の手がまだ十分に回復していないようじゃから、第一フェーズの修行は一時中断とする」老人は厳格な声で告げた。


ライデンは当惑して顔を上げた。

「じゃあ、これからどうするんだよ?」


老人は腕を伸ばし、敷地の先に広がる鬱蒼とした森の広大さを指し示した。

「この島の外周を3周してこい。走ってな」


ライデンは目を見開き、その場に凍りついた。

「さ、3周!? 島を丸ごと3周だって!?」


「走り終える頃には、その手も岩を叩くのに十分なほど回復しておるじゃろう」老人はニヤリと不敵に笑って説明した。「もちろん、それだけではないぞ」


森の空気が一瞬にして重く、張り詰めたものへと変わった。

「この島の深部には、グロングと呼ばれる狂暴な野獣が棲息しておるのを知っておこう」


「グロング……? じいちゃん、俺が本当に生きて戻れると思って言ってるのか?」


「最初の日にお前に警告したはずじゃ、ライデン」老人の眼光が鋭くなり、恐ろしいほどの威圧感を放った。「この道は生易しいものではない。もし途中で死ぬようなら、そこがお前の限界だったというだけのことじゃ」


反論する隙も与えず、老人は小さな布袋を彼に放り投げた。

「食事のために家に戻ることも許さん。自力で生き延びるために、獲物を狩り、食料を採集するのじゃ」


ライデンは包帯のせいで不器用そうにその袋を受け止め、諦めのこもった長いため息を吐いた。


ライデンが旅立ちの第一歩を踏み出したとき、島の上空はどんよりとした暗い雲に覆われていた。森の奥深くへと足を進めるにつれ、生い茂る木々はますます鬱蒼とし、巨大な大木の幹が日の光をほぼ完全に遮断していった。深い色の葉の間から、まるで墓場のような薄暗い影がわずかに漏れ落ちるだけで、周囲は冷たく恐ろしい静寂に包まれていた。


ライデンは呼吸をコントロールしながら一定のペースで走り続けたが、五感は限界まで研ぎ澄まされていた。ここがグロングたちの縄張りであることを十分に理解していたからだ。祖父からあの怪物たちの特徴は聞いていた。グリズリーほどの大きさがありながら、全身の毛がヤマアラシのように鋭く黒い棘となって逆立っている。肉食獣の引き裂くような長い顎と、猫科のような長い尾を持ち、その爪は大木を一撃で切り裂くほど鋭い。


手に武器を持たないライデンに頼れるのは、己の両足と揺るぎない意志の力だけだった。


何時間も走り続けた頃、額に当たった冷たい衝撃に彼は足を止めた。一滴の重い雨粒が頭上に落ちてきたのだ。見上げると、空は完全に暗雲に閉ざされ、猛烈な豪雨となって容赦のない怒りのように森を襲い始めた。


「最悪だ……なんてタイミングだよ」


衣服がすっかり水を含んで重くなり、ライデンは不満を漏らした。この状況で走り続けることは体力を著しく消耗させるため、一刻も早く避難場所を見つける必要があった。


激しい雨のカーテンの向こうに目を凝らすと、数メートル先に岩肌の割れ目が見えた。

「洞窟だ!」


迷うことなく全速力で駆け込み、洞窟の入り口へと滑り込んだ彼は、荒い息を整えた。

「ふぅ、助かった。洞窟が見つかってよかっ――」


パキッ!


靴の下で鳴った乾いた音が、彼の言葉を遮った。ライデンがゆっくりと視線を落とすと、血管の血が凍りつくのを感じた。彼が踏みつけていたのは、中型獣のものと思われる骨の残骸だった。洞窟の静寂は一気に重く、息苦しいものへと変わり、不意に、暗闇の奥深くで二つの妖しい真紅の光が灯った。


「嘘だろ……」


恐怖に凍りつき、ライデンは囁いた。影の中から、巨大で脅威的な輪郭が浮かび上がった。成体のグロングだった。


「グルゥゥゥァァァァッ!!」


石壁を震わせるほどの咆哮を上げ、獣は侵入者の顔面に向けて鋭い爪を振り下ろした。ライデンは間一髪のところで横へと身を投げ出した。


ビリッ!


怪物の爪がかすめ、彼のシャツを引き裂いた。ライデンは仰向けに地面に倒れ込み、目の前にそびえる怪物の圧倒的な巨体を恐怖に満ちた目で見つめた。まともに一撃を食らえば、即死は免れない。


(死にたくない!)


必死の思いで、手探りで地面を探ると、指先が短剣のように尖った鋭い石に触れた。アドレナリンを全身に滾らせ、叫び声とともにその捕食者の顔めがけて突き刺した。


「おおぉぉぉっ!!」


グサッ!


即席の武器はグロングの左目を真っ直ぐ捉え、眼球の奥深くまで突き刺さった。


「ギャァァァァァッ!!」


怪物は傷口から血を噴き出しながら、苦痛にのたうち回って頭を上げた。


ライデンは獣の出方を見る猶予などなかった。両足で地面を蹴り、弾かれたように洞窟を飛び出すと、再び嵐の中へと身を投じた。しかし、激怒し血に飢えたグロングは、彼のすぐ後ろに迫っていた。その巨大な体躯に似合わず、怪物は木々の間を凄まじいスピードで突き進んできた。


「追ってくるな、このバケモノめ!」


土砂降りの雨で視界が遮られる中、ライデンはがむしゃらに走りながら叫んだ。


木々が背後に流れ去っていく。背後に迫る爪撃から必死に逃れようと、ライデンは前方を確認することすら忘れて走り続けた。その瞬間、突如として足元の地面が消え去った。草むらに隠されていた崖の縁から、虚空へと足を踏み外してしまったのだ。


「……え?」


凄まじい風が顔を打ち、彼の体は死への自由落下を始めた。数秒後、激しい衝撃が走った。


ザバーン!


彼の身体は、激しくうねる冷たい急流へと沈み込んだ。落下の際、後頭部が氷のような水面に激しく強打され、流れる血が激流の中に素早く溶けていった。水面へと泳ぎ上がる気力すら残されておらず、深い闇が彼の意識を刈り取った。


川の流れはライデンの体を運び、やがて岸辺の砂州へと優しく打ち上げた。


徐々に少年のまぶたが動き出し、新しい夜明けの眩しい光に照らされながら、重い目を開けた。ライデンは頭に手を伸ばし、昨夜の傷を探った。驚いたことに、澄んだ水に洗われたおかげで血の痕跡は消えていたが、ズキズキとする鋭い頭痛が死の瀬戸際にいたことを思い出させた。


「痛っ……」


軋む体をかろうじて起こし、彼は不満を漏らした。周囲を見渡し、困惑する。

「俺……なんで生きてるんだ?」


グゥゥゥゥ……


腹の激しい鳴り響きが、朝の静寂を破った。

「そうだ……昨日から何も食べてないんだ」


空腹が体力を奪い始めているのを感じ、彼は呟いた。


食料を探す以外に選択肢はなく、ライデンは苔に覆われた地面を踏みしめながら、当てもなく歩き始めた。数分後、生い茂る草むらの中で微かな動きが彼の目を引いた。葉をかき分けると、耳の長い小さな白いウサギと鉢合わせした。ライデンの目は純粋な飢えの輝きを放った。


「メシだぁぁぁぁっ!!」


茶髪の少年は叫びながら、藪に向かって飛びかかった。


(首輪……?)


その小動物の首に細く輝く純金の首輪が巻かれているのが一瞬見えたが、空腹は立ち止まることを許さなかった。


ウサギは密集した茂みの下に隠された狭い穴へと器用に滑り込んだ。絶望的な飢えに突き動かされたライデンは、地面に這いつくばり、包帯の巻かれた両手で泥を掘り返した。穴を広げ、泥まみれになりながらどうにか反対側へと這い出た。


立ち上がり、服に付いた泥を払った瞬間、彼の息が止まった。完全に硬直していた。


目の前にそびえ立っていたのは、美しく磨き上げられた石造りの壮麗な塔だった。彼はまさに、ヴァルドリス王城の庭園の内部に立っていたのだ。


「コン! どこに行っちゃったの?」


澄んだ少女の声が上空から響いた。

その声に驚いたウサギは、見事なジャンプを見せると、信じられないほどの速さで走り出した。ライデンは朝食を逃すまいと、枝を避け、根を飛び越えながら猛追を始めた。追いかける最中、動物の首元にある金属のきらめきが再び彼の目を引いた。


ライデンは塔の開いた窓の一つを見上げた。そこから、彼と同い年くらいの少女が庭を見下ろしていた。彼女は太陽のように輝く、絹のように滑らかな金髪を持ち、その瞳は澄み渡る秋晴れの空のように鮮やかで濁りのない青色をしていた。高貴な身分を物語る、上品で華やかな深青色のドレスを身にまとっていた。

挿絵(By みてみん)


ちょうどウサギの耳を掴んで捕まえた少年は、その小動物を宙に掲げた。

「おい、そこの! お前が探してるのはコイツか!?」


少女はその声にハッとして、青い瞳をその侵入者に向けた。

「え? あなた、どうやってこの庭に入ってきたの?」


「いや、ただこのすばしっこいウサギを食おうと追いかけてたら……」ライデンはうなじをかきながら説明した。


小動物が無事であるのを見て、少女の顔はぱっと輝いた。

「コン!!」


「コンって言うのか?」ライデンは、宙で弱々しく手足をバタつかせているウサギを見つめた。(危うくコイツを食うところだった……)冷や汗を流しながら思った。


「うん、私のペットなの」彼女は満面の笑みで答えた。「その子、返してくれる?」


「いいよ。どうやって渡せばいい? 投げるか?」


少女はくすくすと笑い、首を振った。

「うううん、大丈夫。私がそこまで行くから」


「え? そんなに早くどうやって下り――」


ライデンが言葉を言い終わる前に、少女は窓枠に足をかけ、何のためらいもなく2階から虚空へと飛び降りた。


「うわああああああああっ!!」


ライデンは少女のあまりの暴挙に目を見開いた。


ドスッ!


直撃だった。少女の体はライデンの上に落下し、彼を即席のクッション代わりにして、二人して地面へと叩きつけられた。


「ふふふ……案外、頑丈な男の子ね」彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべ、ライデンの胸の上で身を起こしながら言った。


「このバカ! 正気かよ!? 心臓が止まるかと思ったし、普通に痛いだろ!」ライデンは痛みに顔をしかめながら背中をさすり、地面に座り込んで抗議した。


少女はただ楽しそうに笑った。その明るく純粋な笑い声が、静かな庭園に響き渡る。ライデンは黙ってそれを見つめていた。


「ごめん、ごめん。つい興奮しちゃって」彼女は身軽に立ち上がると、ウサギに向かって両手を広げて謝った。「無事で本当によかった、コン」


ウサギは彼女の胸の中に飛び込み、嬉しそうに耳を動かしてドレスに顔をうずめた。ライデンは立ち上がり、服の芝生を払い落としながら、片方の眉を上げて腕を組んだ。


「おい……お前、一体誰なんだよ?」


少女は彼を振り返り、瞳に悪戯っぽい光を宿しながらも、背筋を伸ばして上品な仕草を見せた。

「自分から名乗らずに相手の名前を聞くなんて、とても失礼よ」


ライデンは少し気まずそうに視線を逸らした。

「……確かに。悪かったよ」彼は親指で自分を指した。「俺の名前はナカムラ・ライデン」


その名を聞くと、少女は青いドレスの裾を少し持ち上げ、完璧で優雅な一礼をして見せた。

「私はヒマリ・ヴァルドリス」


ライデンは目を見張った。その名字は、この島の隅々にまで響き渡っている名前だった。

「ヴァルドリス……? まさかお前……」


「そうよ。私はこの国の第一王女」


「……まじか」


奇妙な静寂がその場を支配した。ライデンは彼女をまじまじと見つめた。窓から自分の上に降ってきた少女が、この島で最も高貴な存在であるお姫様だという事実を、ようやく理解し始めていた。


「本物の王女様、ねえ……」彼は呟き、それから城の頑丈に補強された巨大な鉄の門を見つめた。「じゃあ、お前がここ全体の主なら、なんで窓から飛び降りたりしないで正面玄関から普通に散歩に出かけないんだ?」


ヒマリの明るい笑顔がふっと消え、寂しげな表情に変わった。

「それは許されていないの」


ライデンは不思議そうに首を傾げた。

「なんで?」


「父上である国王が、私に城の敷地から出ることを禁じているの」彼女は高い城壁を見上げながら説明した。「それに……この一帯には、強力な魔法障壁が張り巡らされているから」


「障壁?」


「そう。王室の許可証と、特定のペンダントを持っている人だけが、警報を鳴らさずに通り抜けることができるの」


ライデンは感嘆の目を向けた。

「そんな厳重なセキュリティをかいくぐるなんて……一流の魔術師にしかできない芸当だろ」


ヒマリは同意するように静かに頷いた。しかし、その青い瞳に再び好奇心の火花が灯り、茶髪の少年の姿を観察した。


「でもライデン、一つ聞かせて……普通の住人には通り抜けられない障壁なのに、あなたはどうやってここに入ってきたの?」


ライデンは振り返り、茂みの下に掘った泥だらけの小さな穴を人差し指で指し示した。

「あそこ。あのウサギの後を追って穴を掘ったんだ」


ヒマリは驚きに目を見開き、小さな声を漏らした。

「本当に!? あの偉大な結界に、茂みの下の死角があったなんて!」


ライデンは背を向け、穴の開いた方へと歩き始めた。

「まあ、ペットは返したし、俺はもう行くよ」


ヒマリは素早く一歩前に踏み出し、手を伸ばした。

「え? もう行っちゃうの? やっと来たばかりなのに」


ライデンは歩みを止めることなく、さよならの合図に手を挙げた。

「やることがあるんだ。修行の一環で、島を丸ごと3周しなきゃいけない」


「島を3周?」ヒマリは驚いて口元に手を当てた。「でも、この島は世界でも指折りの大きさよ……何週間もかかるわ」


ライデンは足を止め、振り返って不敵な、だが確かな自信に満ちた笑みを浮かべた。

「分かってる。でも、俺は強くなると決めたからな」


ヒマリは少年の決意に満ちた眼差しに目を奪われ、しばらくの間沈黙した。少し考えた後、彼女の顔に茶目っ気のある光が宿り、きっぱりと言った。

「ねえ……私を散歩に連れて行ってくれない?」


ライデンは自分の唾で咽せそうになり、勢いよく振り返った。

「はあ!? お前頭おかしいのか!?」


「少しの間だけでもいいから、ここから出たいの」彼女は両手を合わせて頼み込んだ。


「おい! 初対面の奴にそんなめちゃくちゃなこと頼むなよ! お前はこの国の王女様だろ、頼むから自覚してくれ!」


ヒマリはぷっと頬を膨らませ、可愛らしく不満げな顔をした。

「でも、私たちはもう他人なんかじゃないわ。さっき正式に自己紹介したじゃない」


「全く論理的じゃないだろ!」ライデンは呆れて言い返した。


ヒマリはさらに数歩近づき、その青い瞳を真っ直ぐ彼の目に向けた。

「それに……さっきからあなたを観察しているけれど、悪意がひとかけらも感じられないもの」


ライデンは、お姫様の強情さに降参して大きくため息をついた。

「人間の直感なんて大抵外れるものだ。俺が凶悪犯かもしれないだろ」


ヒマリはゆっくりと首を横に振り、自信に満ちた笑みを浮かべた。

「ただの直感じゃないわ、ライデン」


その瞬間、彼女の青い瞳が、神秘的で繊細な光を宿して一瞬輝いた。

「これは私の生まれ持ったギフト。人の魂に宿る本当の意図を見通し、感じる力なの」


ライデンは驚きに目を見張った。しかし、すぐにからかうような笑みを浮かべずにはいられなかった。

「へえ、それがお前のギフト? ……戦闘には全然役に立たなさそうな能力だな」


ヒマリは再び頬を膨らませ、憤慨した。

「ちょっと! 失礼ね!」


王女の反応に、ライデンはこらえきれず、大きな声を上げて笑い出した。ヒマリは一瞬彼を見つめていたが、やがて彼女もつられて吹き出し、身分の壁を超えて一緒に笑い合った。落ち着きを取り戻すと、彼女は少し誇らしげに顔を上げた。


「この『真意の識別』のギフトがあるからこそ、我が一族は何世代にもわたりこの島を公正に治めてこられたのよ。私たちの前ではどんな裏切り者も嘘をつけないわ」


ライデンは本当に感心したように頷いた。

「なるほど……だからお前が王女様なのか。面白い能力なのは認めるよ」


すると、ヒマリはいたずらっぽく微笑んだ。

「よし、私の権威を認めたところで……今すぐ私を外の海へ連れて行きなさい。さもないと、大声を出して衛兵を呼び、不法侵入であなたを逮捕させるわよ」


ライデンの顔から血の気が引いた。

「おい、本気か!? そんなことするなよ!」


ヒマリは怯むどころか、胸を張って大きく息を吸い込み、口を開けた。

「きゃあ――」


反射的に、ライデンは彼女に向かって飛びかかり、包帯の巻かれた手のひらで彼女の口を塞いだ。

「分かった、分かったから! 言う通りにするから大声だけは勘弁してくれ!」

冷や汗を流しながら、茶髪の少年は降参した。


ヒマリはライデンの手をそっと退け、完全な勝利の笑みを浮かべた。

「最初からそう言うと思ったわ」


数分後、二人は森の中の激しい川沿いの小道を、のんびりと歩いていた。


ヒマリはまるで新しい世界を発見したかのように、満面に感動を浮かべながら、周囲のあらゆる景色を見つめていた。立ち止まっては濡れた木の葉に触れ、澄んだ川の流れを見つめ、目を閉じて森の鳥たちのさえずりに耳を傾けた。


ライデンは後ろから彼女の姿を見つめながら、その様子にすっかり困惑していた。

「なあ……普通の森を見るの、もしかして生まれて初めてなのか?」


ヒマリは足を止め、梢を見上げたまま、ゆっくりと首を横に振った。

「遠くから見ていただけ……自分の部屋の窓ガラス越しにね」


ライデンは少し目を見開き、胸にチクリとした同情の痛みを感じた。

「……それは、息が詰まりそうだな」


ヒマリは瞳の奥に深い悲しみを滲ませながら、微笑んだ。

「少しね」


突然、川岸の近くできらめく小さな色彩が王女の目を惹いた。岩の間に、鮮やかな青い野花が群生していた。彼女の目は純粋な喜びに輝いた。

「ライデン、見て!」彼女は駆け寄り、嬉しそうにかがみ込んだ。「本当にきれい!」


ライデンは首を傾げ、興味なさそうにその花を見つめた。

「ただの野花だろ。森のどこにでも咲いてるよ」


ヒマリは花びらの一枚をそっと指先でなぞりながら、彼を見上げた。

「白い石壁の中でずっと暮らしてきた私にとって、この花は世界で一番特別なものなのよ」


ライデンは沈黙した。彼女と出会ってから初めて、彼はヒマリの現実を理解した。贅沢、高価なドレス、そして王女という称号の裏側で、彼女も自分と同じ不遇を抱えた一人の少女にすぎなかった。二人は共に、この王国の掟に縛られた「牢獄」に囚われているのだ。


しばらくそれを見つめた後、ヒマリは立ち上がり、彼女の視線は必然的に少年の手へと向けられた。関節を覆う包帯に、乾いた血の跡がついていることに気づいたのだ。


「それ……すごく痛いんでしょう?」彼女は心から心配そうな声で尋ねた。


ライデンは川に視線を逸らし、気にするなと手を振った。

「気にするな。肉体的な痛みなんて、もう慣れっこだから」


ヒマリは彼の言葉を噛みしめるように俯いた。ライデンは自嘲気味な笑みを浮かべ、言葉を続けた。

「この国じゃ、ギフトなしで生まれたってだけで、化け物か何かのように見られる。みんな俺を避けるんだ」


王女は彼の目をまっすぐに見つめた。その瞳には、深い温もりが宿っていた。

「私は、あなたが変な人だとも、間違いだとも、これっぽっちも思わないわ」


ライデンは唖然とし、茶色の瞳を彼女の目に留めた。

「あなたの目は、とても優しい光を湛えているわ、ライデン。悪い人にあんな光は宿らない」


少年は、思いがけない言葉に頬を赤く染めながら、慌てて地平線の方へ目を向けた。

「……そんなこと言されたの、生まれて初めてだ」ぽつりと呟いた。


ヒマリは鈴の転がるような愛らしい声を上げて笑った。

「それじゃあ、この島の連中がみんな大馬鹿者だってことね」


ライデンもこらえきれず、小さく吹き出した。

「はは……確かに、その通りかもな」


ヒマリは興味深そうに、少し身を乗り出して彼を見つめた。

「ねえ、あなたがそこまで強くなりたい本当の理由って何なの?」


ライデンは一瞬沈黙した。それから、包帯の巻かれた拳をゆっくりと握りしめ、胸の中で決意の炎が再び燃え上がるのを感じた。

「この世界全体に、俺の誕生が間違いなんかじゃないって証明したいんだ。自分の手で、自由を勝ち取りたい」


ヒマリは彼の魂の芯の強さを量るように、数秒間黙って見つめていた。やがて、彼女の唇に優しい笑みが浮かんだ。

「私は、あなたはもう十分に強いと思うわ、ライデン」


「え?」


「本当の強さは、ただ物を壊すことだけじゃないわ」ヒマリは憧れを込めた眼差しで言った。「どんなに恐怖を感じても、傷が痛んでも、周りから見下されても……あなたは諦めずに前を向いている。私にとって、暗闇の中で一歩を踏み出す勇気を持つことも、一つの強さよ」


その言葉を聞いた瞬間、ライデンは胸の奥に、不思議な温もりが広がっていくのを感じた。12年の生涯で初めて、自分の心の壁を透かして、その犠牲の価値を本当に理解してくれる相手に出会えたのだ。


やがて森を抜けると、二人は海岸の端にたどり着いた。目の前には、どこまでも広大な海が無限に広がり、夕暮れの厳かな光によって、水面が黄金と真紅に美しく染まっていた。

挿絵(By みてみん)

「わあ……」ヒマリは息を呑むような声を漏らした。


心地よい潮風が吹き抜け、彼女の長い金髪を優しくなびかせる。青い瞳には、言葉にできない感動とともに、打ち寄せる波のきらめきが映し出されていた。

「なんて……今まで生きてきた中で、一番綺麗な景色だわ……」


彼女の反応を見て、ライデンは得意げな笑みを顔に浮かべた。

「言しただろ。抜け出す価値はあるって」


ヒマリは彼の方を振り向き、深い感謝に満ちた眼差しを向けた。

「私をここまで連れてきてくれて本当にありがとう、ライデン。心から感謝するわ」


茶髪の少年は、照れくさそうに頭をかき、赤くなった顔を隠すように視線を逸らした。

「いや……大したことしてないよ、本当に。少し歩いただけだし」


「あなたにとってはそうかもしれないけれど」ヒマリは一歩近づき、首を振った。「私にとっては、今日という日がすべてだったの」


ライデンは沈黙し、夕日の中に浮かび上がる王女の輪郭を見つめていた。その瞬間、彼は生まれて初めて、自分の存在が完全に無駄ではなかったと感じた。この広い世界のどこかに、自分の存在を必要としてくれる人がいるのだと。


静寂の後、ライデンは少し喉を鳴らして、沈黙を破った。

「あの、ヒマ……」


王女は首を傾げて振り返った。

「ん? どうしたの?」


「手が完全に治って、島を3周走りきったら……」ライデンは少し照れくさそうに視線を泳がせた後、小さく、だが真っ直ぐな笑みを浮かべて言った。「また一緒に、この森で遊ばないか?」


ヒマリは驚きに目を見開いた。

「それ……本当に? 冗ざんじゃないの?」


「本気だよ。他にも面白い場所、たくさん見せてやるから」少年は親指を立てて保証した。


ヒマリは胸が弾むのを感じて一瞬視線を落とし、それから満面の笑みで頷いた。

「ええ、ぜひ一緒に行きたいわ、ライデン」


そして、潮風に消えてしまいそうなほどの小さな囁きを付け加えた。

「ライデン……無事で戻ってきてね」


「ああ、約束する」少年は力強く約束を交わした。


こうして、孤独だった王女の顔に、久しぶりに心からの幸福な笑顔が咲き誇った。


彼らが城の境界線に戻った頃には、島はすっかり夜の闇に包まれていた。ライデンは茂みの下の隠された穴の前に立ち、そびえ立つ塔を見上げた。

「この時間、どうやって誰にも見つからずに部屋に戻るんだ?」彼は低い声で尋ねた。


ヒマリは2階の窓の一つを指さした。

「ちょうどこの時間、本塔の衛兵たちは食堂に夕食を食べに行くの。その隙を狙って、蔦を登って部屋に戻るわ」


ライデンは計画に納得して頷いた。

「そっか。じゃあ、またな、ヒマ」


ヒマリは薄暗闇の中で微笑んだ。

「ええ。修行、気をつけてね」


ライデンはきびすを返し、全力で走り去った。闇夜に手を振りながら、瞬く間に木々の茂みへと消えていく。ヒマリは庭園に佇んだまま、茶髪の少年が去っていった方向をじっと見つめていた。


ヒマリは細心の注意を払って重い木製の扉を押し、部屋の内部へと忍び込んだ。しかし、顔を上げた瞬間、彼女の身体は完全に凍りついた。


ベッドの脇の椅子に腰掛け、一人の女性が暗闇の中で彼女を待っていた。整った侍女の制服を身にまとい、黒髪を上品に結い上げ、表情は穏やかでありながらも非常に厳格だった。それは、ヒマリが幼くして母親を亡くして以来、彼女の養育と保護を任されてきた女性、バニだった。


「ヒマリ様……この夜更けに、王国のどこに出歩いていらしたのですか?」バニは腕を組んで尋ねた。


王女の心臓がどきりと跳ねた。

「バ、バニ……私は……」


「そして、あのお庭まで送り届けてくれた少年は、一体どなたですか?」侍女は鋭い視線で問い詰めた。


ヒマリは目を見張り、完全に知られていることを悟った。

「あなた……窓から見ていたの?」


バニの厳格な表情がふっと和らぎ、安堵の込もった温かい笑みがこぼれた。

「ええ、お嬢様。はっきりと見えておりましたよ」


ヒマリは足元に視線を落とし、照れくさそうに指先をいじった。

「彼……私の友達なの。名前は、ライデン」


バニは一瞬呆気にとられ、驚きに瞬きをしたが、すぐに深い慈しみの表情を浮かべた。

「お友達、ですか……?」


ヒマリは静かに頷き、俯いたままだった。バニは椅子から立ち上がり、王女に歩み寄ると、彼女の頭をそっと撫でた。

「本当に嬉しく思います、ヒマリ様。あなたはずっと、お一人でしたから」


感情を抑えきれず、ヒマリは侍女の胸に飛び込み、強く抱きしめた。

「お願い、バニ……お父様には絶対に言わないで。もし知られたら、私は二度と外に出られなくなっちゃうわ」


バニは母親のような優しさで、彼女の抱擁をしっかりと受け止めた。

「ご安心ください、お嬢様。私の口からは何も申し上げません。国王様には一言も漏らしませんから」


その夜、ヒマリは天蓋付きの豪華なベッドに横たわっていた。小さなコンは彼女の隣で、毛玉のように丸まって気持ちよさそうに眠っている。満月の眩しい光が窓から差し込み、部屋を優しく照らしていた。


王女は静まり返った部屋の中で天井を見上げ、今日の出来事を一瞬一瞬思い出していた。


「私の、初めての本当の友達……」彼女は囁いた。コンの耳を優しくなでながら、唇に満ち足りた幸せな笑みが浮かぶ。「ねえコン、私、今すごく幸せよ」


ウサギは夢心地で嬉しそうに小さな声を漏らし、布団の上で身を丸め直した。


一方その頃、鬱蒼とした森の闇の中を、ライデンの影が素早い足取りで駆け抜けていた。しかし今回は、その手には何も持っていないわけではなかった。道端で拾った太く重い木をしっかりと握りしめていたのだ。茶色の瞳から無垢な輝きは消え、代わりに獰猛で揺るぎない覚悟が宿っていた。


(今度は絶対に、卑怯者のように逃げたりしない……)


包帯の巻かれた拳が悲鳴を上げるほど強く、彼はその木を握りしめた。


(危険に直面するたびに逃げて隠れるだけの奴が、どうやって世界最強の男になるつもりだ?)


その瞬間、水平線の前で輝いていたヒマリの満面の笑顔が脳裏をよぎり、彼の唇に微かな笑みが浮かんだ。

「それに…」彼はそう呟き、行く手を阻む巨大な切り立った岩壁の麓で立ち止まった。夜の闇の中、頂上を見上げ、その高さに挑むようにした。「もう俺だけの問題じゃない。大切な約束をしたんだ。必ず守る。」


ためらうことなく、ライデンは一歩踏み出し、杖を腰帯に固定すると、素手で険しい岩壁を登り始めた。目的地へと着実に登り続けていた。

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