32ー魔物の王の逆襲(遠征軍兵士視点)ー
私は今日、我が身に起きた事をこの生涯で二度と忘れることはできないだろう。
それが起きたのは、夜明けとほぼ同時刻。
いつも通りの夜警を終え、自分と戦友たちとで使っている天幕に帰って眠ろうとした時だった。僻地も僻地、国教
ギリギリに存在する魔境、魔物の森開拓遠征軍の兵卒としての任はとても過酷だ。しかし、私のような身寄りもなく、これまで積み重ねて来た物の無いぽっと出の若造が老後の貯金を貯めることすらできてしまう。それ程に実入りはいい。その代わり、魔物の森に住まう強大な魔物のとの戦闘となることも多く、命がけである事は言うまでも無い。
もう少し、もう少しだけこの過酷な戦場での任期をこなせば、契約雇用兵の私は軍から離れ、安定した生活の基盤を作り商店を開くことができる。そんな時だった。運が良かったのか…悪かったのか? 私やごく少数の『生かされた者』が悪夢を目の前にしたのは。
「敵襲うぅぅぅぅっ!!! 敵襲うぅぅぅぅっ!!!! 各員装備を整え配備につけええぇぇ!!」
「……まったく、運がないな。少し前に巨竜の軍団が攻めてきたばかりだと言うのに」
「ぼやいてても仕方ないだろ? ほら行くぞ」
この時、たまたま所属部隊が同じだった戦友とは死に別れることとなった。彼の最後の言葉を私は忘れることができない。脳裏に張り付き忘れることなどできないのだ。
前線では勇者様、聖女様、賢者様、聖騎士様、聖獣使い様が大太刀回りをし、黒い波のようになって押し寄せる比較的小型の魔物を蹴散らしていた。一体一体はそれ程強くないらしく、勇者様の一薙ぎで数多くの魔物が粉砕されていた。しかし、個の強さがどれだけ高かろうと、数がそれを上回ることがある。我々、魔物の森開拓遠征軍は勇者様や将軍級の加護持ちが該当する一騎当千の猛者が主力。それ以外の兵卒はあくまで補助や防衛に傾いており、主力級戦力の負傷時に時間をかせいだり、武器を取りかえる時間を捻出する戦力なのだ。
その雑兵と等しい私達の構える防衛陣に、数多の黒い蟻型魔物が押し寄せて来た。
確かにそれなりに戦える者も混ざっては居るのだ。私も加護が無く、天職が戦闘系でないので前線では戦えないが、それなりに武器を扱えるし、戦える。そんな私が瞬く間の時間間隔で絶望の淵に立たされることとなった。
未だに勇者様や将軍級の戦力は生き残っているのだろうけれど、その黒い大波は確実に遠征軍を無力化するために動いていたのだ。強戦力の面々にだって体力や内包魔力の底がある。この軽く数万を超える蟻の魔物は確実に彼らの体力を削ぎ取り、魔力を消費させ、自らが死すことなど恐れずにその牙で我々の命を奪わんと攻め寄せる。
私は後方支援部隊の三番隊に所属し、後方支援部隊の隊列の中では右翼側の最前列近くに居た。私と判断が間に合った戦友たちはかろうじて生き残ったが、後方支援部隊、数千の人員が一瞬のうちにひき肉と化し、血の海に消え沈んだ……。私はこの惨劇が脳裏に張り付いて離れないのだ。
「い、生き残りは陣を作れ!! 生存にのみ全集中せよ! 背を預け合い、友を護れ!!」
その時叫んだのは私が所属する後方支援三番隊の隊長だった。
私達は友の死を嘆く間も無く、黒い悪魔たちとの乱戦という渦に引きずり込まれてしまったのだ。私は三番隊隊長や他数名の生き残りと共に盾で身を隠し槍を構え、目の前の敵を確実に抑える方法で何とか生き延びていた。他にも生き残りは居るが、判断を少しでも間違えば腕や脚を失う。蟻の魔物は無慈悲に私達に食らいつこうと大顎を鳴らし、次々に攻め込んで来る。
生気の失せた顔で私達、生き残りの雑兵は蟻との生存競争を戦った。そして、体感時間などの感覚はすでになく、腕は痺れ、体中が戦友たちの血糊だらけの状態で、私や数えられる程度の生き残りは不可思議な現象に再び意識を持っていかれてしまう。
常駐戦闘員だけで5000を超え、待機休息中の予備兵や補助的な人員まで含めれば8000を超えていた遠征軍はそのほとんどが壊滅していた。まさに地獄絵図。我々が布陣していた陣地の最奥まで蟻の大波が呑み込んだのだろう。草原が広がっていた場所は鮮血に染まり、蟻の魔物は何故か死体を食い漁らないので無数の肉片が転がっている。そんな惨状というにも酷過ぎる景色が急に視界に飛び込んで来た。蟻の魔物達は前線で上がった獣の咆哮のような物を合図にしたのか、そのタイミングで踵を返して魔物の森へと消えて行ったのだ。
そして、私達は頼みの綱とも言える主戦力メンバーが戦っていた方向を無意識に見ていた。そこにはさらなる地獄が待っているとも知らずに……。
「大したことないね。もう少し骨のある軍隊かと思ったけど、これはちょっとやり過ぎた。怒られるかな?」
「でーじょーぶだろい。アイツはこの軍隊を壊滅させるところまでは許したんだろ? だったら何も問題ないだろうぜえ」
「うむ。主殿はその時をお待ちくだされ、我らが小手調べをして参りましょう」
蟻の大波の次は私などでもわかる程に…、濃い魔力を身にまとった魔物達がたたずんでいた。人の姿をした者もおそらくアレは、魔物の中でも大きな縄張りを構える長に準ずる実力者だと思われる。その先頭に立っている巨躯のリザードマン?のような魔物と、その隣で生体武装であろう強いオーラを放つを武器を構える爬虫類種の魔物達。その全てが勇者様や英雄級戦力の皆様と互角かそれ以上だ。
何よりも私が恐怖したのは、その中心に居る人の子供のような体格の存在。その存在だけは格が違う。周囲に居る強者とは一線を画し、その力の程がもはや見切る事すらできない存在……。私は“真贋の魔眼”という固有スキルを持って生まれた。物の価値を見切ることはもちろん、どんなに精工な贋作であっても見抜き、産地の偽装すら見破る魔眼だ。戦闘向きではないが、その筋では脅威の能力と言えよう。その魔眼の力を応用すれば、その者の力をある程度測ることができる。あくまで比較対照するだけなので、その者がどれ程強いのかという根源的な部分は判断できないが……。それでも私からすれば絶望の一言に尽きる。
私が比較対象に選んだのは我が国の最高戦力であり、歴代見ても力の強い勇者様。ダブルギフトであり、剣の神と武術の神から加護を受けている超大物だ。
それなのにだ……。それなのに……天と地ほどの差がある。絶対に勝てない。あの存在がこちらに戦意を見せていないだけなのだ。アレに付け狙われたらば生き残れる訳がない。この場の戦力が束になっても敵わない。そんな存在が何故こんなところに? 魔物の森に存在すると言われる巨大な縄張りを持つ“太守”。それに準ずる力を持つ魔物を従えている存在がいる。距離はあるが、目の前に居る。私には理解ができない。
「ヒッ!!」
「どうした?! 大丈夫か!?」
「だ、だだだ、だいじょっ、だ大丈夫です!」
「それにしてはお前、顔が真っ青だぞ?」
「あ、あの、あの小柄な存在。アレだけには、逆らってはいけません」
「小柄な……。ああ、中央に居るアレか。人型の魔物ってことはかなり高位の魔物だろうが……。それがどうしたってんだ?」
「あの魔物、今、私に視線を合わせてきたのです」
「なに?」
「偶然かと思ったのですが、ヤツは…私に警告してきたのです。口を動かし、『“み”“て”“い”“ろ”』と……」
後方支援三番隊隊長は私と同じように、その小柄な人型魔物へ視線を向けた。その直後隊長の表情は一変。顔面蒼白の私と同様に脂汗を流しながら、私に警告を飛ばしてきた小柄な人型の魔物から視線を外せずにいた。おそらく、私などよりも明確な指示があったのだろうが、三番隊隊長は口をつぐんだまま。血の気の引いた酷い表情で私に頷いた。これは動かない方がいい。我々が今動けば必ず皆殺しに遭う。
おそらく私達は運よく生かされたのだ。
あの魔物がどんな存在かは知らない。知りたくもない……。あの魔物は確実に高い知性を持ち、私や三番隊隊長に対し意思表示を行ってきた。つまりその次元に至っている強大な魔物である事は確実で、勇者様や聖女様などが含まれる英雄級戦力の皆様でも手に余る存在。
そんな私と隊長、生き残りの兵卒にのしかかる重苦しい時間。その時間はおそらく数分程度だったのだろうが、何時間もの時間が経過したような長く息苦しい時間だった。その間に勇者様や英雄級の戦力以外の将軍級戦力の皆様は全滅しており、それを実行したであろう巨躯の蜥蜴やその他の魔物は疲弊すらしていないようにさえ見える。何度この言葉が頭をよぎるか分からないが、私達の目の前には明確な死という物が転がっている。
「つまんねーな……。加護持ちでもこの程度かあ」
「然り、この程度では張り合いも無い。だが、機は熟したか。我々を相手によく戦ったとだけ評価しておこう」
「マサムネよう。それはあまりにも酷いと思うけどな?」
「ガハハハハ! そんなもんだろ! あいつらも俺達を倒そうと得物を抜いたんだ。……ってことは、命を奪われても問題ないってことだろ?」
将軍級戦力の皆様を屠った魔物達が後退すると、ゆっくりとした歩みで先程の小柄な人型魔物が前に出る。その魔物は賢者様が奇襲として放った大魔法をいとも容易く打ち消し、その賢者様の片腕を何かの魔法のような物で消し飛ばした。体躯は人の子供と大して変わらない。素人が見れば先ほどの巨躯のリザードマンの方が強いと勘違いするかもしれないだろう。それ程に柔らかい体格をしている。しかし、その重圧は測りしれない。
その存在が一歩、また一歩と地面を踏みしめるだけで、これまで受けた事ない重圧が壁のようにこちらへ迫ってくるようにさえ感じる。
そして、その存在が何やら話しかけながら勇者様へと迫っていく。仮面のような物をつけているので、詳しい表情や顔立ちははっきりとは分からない。それでもその声音はまだまだ幼い幼児のような甲高さと張りを持ち合わせている。その幼児のような存在に気圧されていた勇者様だったが、何があったか怒り狂いながらその手の聖剣をその魔物へ振りぬく。
しかしその剣は……魔物に届くことはなかった。
「この程度で勇者か。ちょっと残念な感じかも……。ああ、もしかしたら聖剣が無いと十全に力を発揮できない系の縛りかな? まあ、その辺はどうでもいいや。じゃあ、宣告と行こう。僕の目標は達した。これ以上、この森に関わらないならば、僕から手を出すことは無い。しかし、少しでもそのような動きを見せたらば……」
幼い人型に見えても魔物は魔物。生物の死に対し冷淡であり、弱肉強食の理念の中を生きているのだろう。勇者様の剣筋は魔物に届くことなど無く、その刃は半ばで折れ虚しく空を切りながら地に刺さる。我々はもちろんその場の全ての者、もちろんご本人に至るまでその実態を目にすることは叶わず。力の差がかけ離れている。そんな存在からの無慈悲な蹂躙劇に、我々は口を開くことさえできない。
やや呆れたような口調で呟くその存在の右手には、勇者様の頭部が握られていた。幼子のような魔物の語り口が徐々に冷淡になる頃には、勇者様の胴体は地に伏し、血を撒き散らすだけの物言わぬ肉塊と化している。驚愕の視線をその魔物へ向け、叫びにならない叫びをあげる勇者様。だが、魔物は一瞥もくれず、意に介さずといった表情。その虚無を体現したような表情のまま、勇者様の頭部を魔法のような何かで握り潰してしまった。
国家級戦力である存在が手も足も出ない。隣国ともまともに戦えるであろう戦力が…だ。これだけの手数の差をものともせず、短時間に大きな労力も無く捻り潰すその存在。私はその時確信した。あの存在は“魔物の王”だと。
~数日後~
私と生き残ったごく僅かな兵卒は、魔物の王が操る蟻の魔物に周りを固められた形で、ハルドエン帝国まで送り届けられた。生存者138名。軽傷者27名。重傷者111名。国家戦略規模の大軍団がその短い時間に掻き消された、その恐ろしい事実の生き証人として私達は生かされたのだ。あの存在が最後に残した言葉を必ず伝えさせるために……。
後に私は過去を振り払うべく、そのまま商人となった。これは生存者の中に居た聖女様が現皇帝に強く掛け合ってくださったことが大きい。むしろ、それが無ければ私達のような雑兵の命などあって無きが如くだろう。私は絶対に忘れない。あの日失った物のこと。あの日、私の魔眼を一見にして看破し、なおも脅威と見ないあの存在の事を。私は絶対に忘れない。あの“魔物の王”が存在している限り、魔境・魔物の森に軽々しく手を出すようなことはしてはならないと。




