第3話 異世界へ
『魔法障害』と呼ばれるものが、地球には存在する。
所謂、先天性障害の一種で、その名が示す通り魔法に関係する身体的特徴を表す言葉だ。
人は生まれながらに、魔法を扱うための必要機関を体内に持ち合わせているが、時折その機能を著しく損なって生まれる事案が発生する。
そうした人間に宛てがわれるのが前述のものであり、現代社会においては非常に重要な意味合いを持つ言葉でもある。
何せ、”障害”と名が付くくらいなのだ。
その言葉に、一体どれ程の人間が苦しめられてきたことだろう?
魔法の出来が良ければ良い程、人生において絶対的なアドバンテージを得ることの出来る今、下手をすればそれは、一種の死刑宣告にすらなり得る言葉なのだから。
新たに紐解かれた大いなる力の存在に、大勢の人々が歓喜する一方で、無慈悲にも人生を狂わされ、絶望の淵へと立たされた者もまた存在するのである。
────かく言う私も、本来ならそちら側の人間として生きていくはずだった。
生まれながらの私は、魔法を扱うことが一切叶わない体質をしていたからだ。
今となっては、破滅の魔女などと呼ばれる程に魔法の扱いに長けているが、それはあくまで運良く治療が成功した結果でしかない。
その過程が無ければ、私は一生魔法とは縁遠い生活を送っていたことだろう。
「先程の話の通り、私が貴方の手によって作られた存在だとするなら。────その話をわざわざ持ち出す意味があるとするなら。考えられる原因なんて、一つしか思い当たらないじゃないですか」
当然の帰結だろう。
ここまで話を聞いてきて、分からない方がてんでおかしいくらいには単純明快だ。
この際、故意かどうかはどうでもいい。
一番の問題は、彼女のミスのせいで、私は魔法障害者として生まれる羽目になったということである。
「全くもって、貴方の言う通りね。こればかりは申し訳が立たないわ」
「いえ……恨みがましい言い方になってしまってすみません。そういった気持ちが全く無いと言えば嘘になりますけど、文句が言いたかったわけじゃないんです。ただ、どうしてそのような結果になってしまったのかが知りたくて」
数多の物語を紐解けば、一口に神と言っても様々なタイプが存在する。
その力量に見合うような人格者もいれば、これでもかという程に愚かな思考の持ち主が居ないでもないのだ。
そのようなことを言ってしまえば罰当たりかもしれないが、だからこそ物語としては深みがあり、面白みがある。
そして、目の前の彼女が果たして賢者か愚者かと問えば、決して後者というわけではないだろう。
少しばかり看過できない抜け目はあるようだが、己の立場を理解し良く努めようとする気概は、この短い時間の間でも十分に感じ取れる。
だからこそ、賢いはずの彼女がどうしてそのようなミスをしたのかが、純粋に疑問でしょうがなかったのだ。
「そうね……大した言い訳にもならないのだけど、一番の原因は貴方達の世界で魔法が爆発的に普及したことね。作る上での仕様上、器となる人間はどうしたって能力が平均値を大きく上回ってしまうから、一体ずつしか作らないようにしているのだけど……貴方の前に器を作ったのはもう90年も昔のことになるから、世間の価値観が今とはまるで違ったのよ。勿論、本来ならそれも考慮した上で作るべきなのだけど、すっかり失念してしまって。貴方達が体系づけた魔法の力に沿わずとも、私は私の創造の力を使いさえすれば同じように効果を得られるものだからと、今までと同じように器を作ってしまったのよね」
「────えっと、それって」
能天気。うっかり屋。あるいは短絡的?
掛ける相手を間違えれば、不敬と断罪されてしまうような、そんな単語ばかりが頭の中に浮かぶ。
つまるところ、彼女は言ってしまえば、英語の試験でうっかりスペルミスをしたがために満点を逃してしまうような、そんな初歩的なミスを犯してしまったというのだ。
こればかりは私も、開いた口が塞がらなかった。
腹を立てることすら馬鹿馬鹿しい気持ちになってくる。
ほんの少しの恨み辛みと、それを遥かに上回る呆れがぐちゃぐちゃと胸の内で混ざり合って、自然と口の端から零れ落ちた。
「私のせいで辛い思いをさせることになってしまって、本当にごめんなさいね」
「そのお気持ちに見合うだけの機会は設けていただけましたから、私としてはそれで十分です。生前の話を、今更蒸し返してもしょうがないですしね」
元より私は、彼女がしでかしたミスについて、さほど怒りの感情を抱いていなかった。
そうした気持ちを湧き上がらせる程の気力は、今の私にはもう残されていない。
「それなら良かったのだけれど。本来なら、どのような事情があっても死んだ後のことには口出しできないから、お許しが貰えたのは運が良かったわね」
「お許しを、貰う?」
誰に貰うというのだろう?
まるで、彼女一人ではどうにもできないという口ぶりだ。
「私と同じように生まれた神様は、他にも存在するということよ。それぞれ担うべき役目があって、死後の世界を管理するのは私の仕事ではないから。そうした意味でも、今回の件は本当に、特例中の特例ね」
「そうだったんですか。それは確かに、運が良かったのかもしれませんね」
「ええ。個人的な事情だけじゃどうにもならなかったけれど……紫苑ちゃんにとっては、タイミングが良かったと言えるかしら」
随分と含みのある言い方だ。
言葉の意味から察するに、私がこのような機会を貰えたのには、どうやら別の事情が絡んでいるらしい。
それが無ければ私は、こうして彼女と会話することもなく地獄に落ちていたのだろうと思うと、間違った表現ではないのだけれど、些か疑問は残る。
一応の確認として、彼女にそれらしい視線は投げかけてみたものの、やんわりと微笑み返されるだけに終わってしまった。
端から期待はしていなかったが、やはり詳しく説明する気はないらしい。
これ以上の追求は無駄だと判断し、それ以上彼女に説明を求める事はやめた。
「一応確認はしておくけれど、今回の提案を飲んでくれるということで構わないかしら」
「はい、ありがたく受けさせていただきます」
最初から地獄に落ちるつもりで死んだのだから、あくまで罪を償うためとはいえ、二度目の人生を貰えるこの機会を断る理由などどこにも無い。
たとえ、これから行く先がどのような場所であれ、今まで以上の絶望を味わう事はそう無いだろうと、これまでの会話で確信している。
「ありがとう。これは、貴方に特別に与えられた試練です。何を持って救済とするかは、貴方の目で見て見極めるように。私から道を示すことはありません」
「承知致しました」
この試練を乗り越えた先には、果たして何があるのだろう。
私は、彼女の求める正解を導き出すことはできるのだろうか?
その道のりが果てしなく、過酷なものになることはだけは予想がつくけれど。
「宜しい。健闘を祈るわ、紫苑ちゃん。心の準備はいいかしら?」
「……はい、大丈夫です」
その言葉を聞いて、彼女は優しく微笑んだ。
頑張ってね、という言葉を最後に、私の意識は再び途切れた。
♢
深い闇の底から、静かに意識が覚醒していく。
暫くして感覚が伴い始めた頃に、ふわりと草木の匂いが鼻をくすぐった。
釣られるようにして閉じていた目をゆっくりと開けると、色濃い緑と、その合間を縫うように彩られた鮮やかな青が私の視界を埋め尽くす。
次に目が覚めた時には、私の体は再び見覚えのない場所へと飛ばされていた。
しかしながら、明らかに現実味が無く空虚だったあの空間と違って、どこかの森に飛ばされたのだろうということがすぐ分かる。
それに、妙に曖昧としていた体の感覚が今はもうすっきりと晴れていて、肌に触れる草の匂いや感触、日の光の眩しさなどもはっきりと伝わってきた。
(転生に成功したってことでいいのかな)
鏡などはないので、正確に己の姿を確認することはできないが、軽く動かしてみた感覚としては生前とほとんど変わりないように思える。
腰まで伸びていた髪もそのままで、見える位置まで持ってきて確認すると、見慣れた色合いが目に映った。
生前の肉体はおそらく、私が使った魔法のせいで欠片も残さず吹き飛んでしまったと思うので、馴染みやすいように同じような身体を用意してくれたのかもしれない。
何より朗報だったのは、魔力がちゃんと存在していることだった。
身体の内を流れるように感じる、この温かい感触は間違いない。
確認のために魔法を構築すると、次の瞬間、狙ったとおりに人差し指の先に小さな火が灯った。
(うん、問題なく使える)
発動にかかる時間も負荷も、およそ生前通り。
────これは、非常に大きな収穫だ。
私が使う魔法には、地球の科学知識を応用して編み出された術式が使用されている。
それこそが、魔法が爆発的に普及した要因の一つであり、現在の魔法を使う上での要でもある。
この術式は、地球における物理法則などを元に魔法が構築されているので、そもそもの法則が変わってしまうと望んだ効果は得られなくなってしまうだろう。
つまり、裏を返せば、今まで使っていた魔法がそのまま使えるということは、この世界の法則は地球と同じである可能性が高いということである。
この世界において、己の持ち得る技術以外に頼みの綱が何もない私にとっては、この事実は非常に有難いことだった。
ぐるりと周りを見渡してみるが、植物以外に目立ったものは見当たらない。
道らしき道も見当たらないので、人に会える可能性も低いだろう。
このまま居座っていても埒が明かなさそうなので、多少の危険は覚悟の上で、辺りの様子を探りに出かけるしかなさそうだ。
────そこまで考えて、ふと、何かの気配が近付いてきていることに気付く。
そのスピードは凄まじく、得体の知れない何かが猛烈な勢いでこちらに差し迫っていた。
あっという間に距離を詰め、数秒後には目視できるレベルにまで距離が縮まる。
初めて見る生き物だ。
おおよその姿が把握できる距離まで近付くと、その生き物はスピードを落とすことなく一気に跳躍した。
私は、その意味を瞬時に理解する。
あれなるものは、私を殺そうと目論んでいる。
奴が一直線に目掛けるその先は、私の首だ。
「────っ!」
喉元に噛み付かんとするのを、真横へ飛び退くようにして、すんでのところで躱す。
どす黒い殺気の塊が、肌を掠めるようにして通り抜けていく。
私が体勢を立て直すのとほぼ同時に、向こうも長い跳躍を終え、身体を捻るようにして着地した。
ギロリとこちらを睨み付けるその顔つきは、獲物を仕留め損ねたことに苛立っているようにも見える。
気付けば、同じ姿をした生き物が四方を囲むように寄り集まっていて、私は逃げ場を無くしてしまっていた。
このままだと私は、確実に死ぬ。
少しずつ、読んでくださる方が増えて嬉しい限りです。ありがとうございます。